結晶海に漕ぎ出す(3)…結晶の秩序とエントロピー2014年08月07日 12時38分46秒

昔、ブルーバックスってあったじゃない。

唐突だな。うん、講談社のブルーバックス、あれなら今でもあるぜ。

最近はすっかりご無沙汰だけど、昔の理科少年はああいうのを読んで、最先端の科学知識を仕入れてたよね。で、口角泡を飛ばしたり。きっと、今なら中二病認定間違いなしだね。 …で、ふと思ったんだけど、結晶って規則正しく分子・原子が並んでるんだよね。つまり、そこに秩序があるわけだ。かつてのブルーバックス少年として言わせてもらうと、そのこととエントロピーの関係ってどうなんだろう?

というと?

ブルーバックス少年的理解によれば、こういうことさ。
「エントロピーは乱雑さの程度を示す尺度であり、秩序と対立する概念である。
宇宙は絶えずエントロピー増大の方向に向かっており、これを熱力学第二法則という。万物はすべて時間と共に秩序を失い、乱雑な状態に近づいていく運命にあるが、生命は外部からエネルギーを取り入れることによって、エントロピーを局所的に低下させ、辛うじて自己を維持している」とか何とか。

ああ、確かそうだったね。

(雪片と神経細胞)

するとさ、結晶はそこに秩序があるんだから、エントロピーが低いわけだ。でも、何だかおかしくないかい? 結晶も生物みたいに、せっせとエネルギーを取り入れて、がんばって自己を維持してるのかな?そんなことないよね。

いかにもブルーバックス少年的疑問だな。

自分でもそう思うけど…

まあ、ゆっくり考えてみようや。
…うん、どうも「秩序」って言葉が怪しいようだ。俺も昔の記憶しかないけど、エントロピーの話題のときに、砂糖水の例が出てたと思う。

ああ、あったね。


コップに砂糖をひと匙入れて放っておく。すると時間の経過とともに水の分子と砂糖の分子が自然にまじりあって、均一な砂糖水になる…それがエントロピー増大の例だってわけだ。でもさ、砂糖と水が「中途半端に混じり合った状態」と、「均一に混じり合った状態」だったら、人間はどちらにより「秩序」を感じるかな。思うに、「均一」って言葉自体、秩序をイメージさせないか?

なるほど、きちんと定義された物理学用語を、日常用語で説明しようとすると、誤解も起きがちだよね。


そうだ、こんな例はどうだろう?
大きいビー玉と小さいビー玉を、適当にざっとバケツに流し込む。当然、大きいビー玉と小さいビー玉の配置はランダムで、あちこちに不均等な隙間がある。これは、いわばアモルファス状態さ。で、このバケツを軽く揺すってやるとどうなる?

砂糖水の例で言うと、コップをスプーンでかき回すわけだね。
うん、そうすれば、小さいビー玉が大きいビー玉の隙間に入り込んで、やがて全体はぴっちり固まるだろうね。

だろう?これを結晶状態に見立てたら、お前さんの疑問にうまく答えられるんじゃないかな。

なるほど、たしかに大小のビー玉が交互に並ぶと、結晶の模型っぽいよね。
でも、それとエントロピーの関係って?そもそも、その過程でエネルギーの出入りはどうなってるんだろう?

ビー玉同士が互いにこすれると、熱や音が出るだろ。中にはひっかき傷を負ったり、欠けちまうビー玉もある。それって結局、ビー玉の位置エネルギーが、運動エネルギーや熱エネルギーに変換された結果と見なせるんじゃないか?
一見無秩序に見えたビー玉の集団は、最初、それだけのエネルギーを秘めていたわけだ。でも、いったんビー玉がぎっちり詰まっちまえば、ちょっとやそっと揺すぶったって、音もしないし、こすれて熱を出すこともない。今や、ビー玉の自由エネルギーは、最小状態になり、安定状態に達した…ってわけさ。

うまいね。それが即ち全体のエントロピーが最大化した状態ってことだね。

さっきも言ったけど、要は「秩序」って言葉が曲者なのさ。
生体の秩序は、エネルギーを取り入れることで、辛うじて維持されている、熱くて不安定な秩序。いっぽう結晶の秩序は、エネルギーを放出した果てに到達した、冷たく安定した秩序だ。生体の秩序と結晶の秩序は、その点で根本的に違う。鉱物が基本的に長寿なのも、分子・原子の集団にとっては、それこそが安定状態で、ちょっとやそっとでは互いの位置を変えないからだろうよ。

キミ、結晶のことは素人って言ってたけど、意外に詳しいじゃない。

はは、この程度で感心してるようじゃ、お前さんは、まだブルーバックス少年から全然進歩してないね。そもそも、上で言ったことは全部ウソかもしれないんだぜ。
まあ、こんな素人談義をしててもラチが明かない。これについちゃ、ブログを読んでる人の「天の声」に期待しようや。

   ★

昨日の記事では、結晶と結晶でないもの(アモルファス)は、わりとくっきり分かれるんだ、それは水と氷の変化を見れば分かるじゃないか…と書きました。
でも、あれは“エイチツーオー”という同じ物質が、液体から固体に(あるいは固体から液体に)変化する、いわゆる「相転移」の事例であって、液体と固体が非連続なのは当たり前です(むしろ、その非連続性に注目して、「相転移」という言葉が生まれたわけです)。

それとは別に、例えば見た目の似た物質Aと物質Bがあって、調べてみると、Aの方は内部の構造(分子・原子の配列)がピシッとしてるけど、Bの方は何となくだらしない。Aは確かに結晶らしいけど、Bは果たしてどうなのか?

…これは、昨日、赤字の人が疑問に思ったことそのものです。で、青字の人は、自分ではうまく答えたと思っているようですが、上のような次第で、その答はちょっと怪しい。

でも、今日の会話を見ると、結晶化しうる状態におかれれば、物質(分子・原子)というのは、自ずと規則正しい配置になってしまうんじゃないでしょうか。擬人化すると、物質にとっては、その方が「」であり、物質は楽を好むからです。

逆に言うと、結晶の一歩手前の状態で踏みとどまるのは、物質にとってシンドイことであり、結局、上記の仮想物質Bは安定的には存在できず、赤字の人の疑問は杞憂に過ぎない…と自分なりに考えたのですが、この点についても「天の声」を期待します。

   ★

素人のあやしい床屋談義はまだ続きます。
話題は次回からいよいよ結晶学の本丸に近づいていきます。

(この項つづく)

【8月10日追記】

あ、今、天の声が聞こえたね。

ああ、たしかに聞こえた。びびっと来た。…うん、何だか分かった気がするぞ。やっぱり俺様の言うことに間違いはなかった。「上で言ったことはウソかもしれない」ってところがね(笑)。

あれ、キミ、なんだか目の色が変だね。大丈夫かい?

ふん、とにかくもういっぺん話を整理してみようや。

うん、そうしよう。
えーと、そもそもボクの疑問は、結晶はエントロピーが高いのかどうかっていうことだったね。そして、その大元は、結晶と生物の比較だった。つまり、生物は高度な秩序を備えた自己組織を維持するのにエネルギーを絶えず取り入れているけど、同じように秩序を有する結晶の場合はどうかって話。

そう。そして、天の声を聞いて分かったのは、その疑問自体、一種の「誤解」を前提にしてたってことさ。…つまり、生物は自己組織を維持するのに、エネルギーを絶えず取り入れているっていうのは、ウソだったのさ。

あれ、それはウソじゃないだろ?そこは合ってるんじゃないの?

どうもお前さんには、まだ天の声が届いてないようだな。よーく考えてみろよ、実はそこにこそ最大の誤解があったのさ。生物が絶えずエネルギーを取り入れているのは、自己組織を維持するためじゃない。生命活動を維持するためさ。

それって同じことじゃない?

いや、違う。自己組織を維持するためだけだったら、エネルギーを取り入れる必要はないんだ。命をあっさり放棄して、ホルマリンの桶に飛び込めばいい。あるいは凍り付いて、自ら結晶化するとか。そうすりゃ、半永久的に自己組織は安泰だ。鉱物ほどじゃないかもしれんが、腐敗さえ防げば―つまり細菌に食われなけりゃ―、生物の体だって結構長持ちするもんさ。

ああ、そうか。それを考えたら、結晶が自己の秩序を維持するために、何のエネルギーも必要としないのは当然だね。

エネルギーが使われるのは、もっぱら生命の維持・継続のためだよ。動物のように、走ったり、飛んだりすれば、もちろんエネルギーが要る。繁殖や成長もそうだね。しかし、仮にじっと動かず、しかも繁殖も成長もせずにいたって、生物は細胞レベルで、常に物質を循環させて、自己組織を新陳代謝している。それが少なからぬエネルギーを必要とするわけだ。

なるほど。

で、結晶ができるときと、生物の組織ができるときとでは、大きな違いがあるんだけど、分かるかい?

というと?

当たり前の話だけどね、物が違うんだよ、物が。
つまり、生物の組織は、それ自体がエネルギーの塊ってことさ。その大元は言うまでもなく太陽の光エネルギーだけど、それが化学エネルギーに形を変えて、炭水化物や脂肪やタンパク質の内部にギュッと詰め込まれているわけだ。そんなエネルギーの塊を毎日作らないといけないんだから、動物も植物もせっせとエネルギーを取り入れるのは当たり前なのさ。

ふむふむ。

でも、鉱物の結晶は違う。物質が秩序立った配列をとるには、必ずしもエネルギーの充当が必要なわけじゃない。むしろ結晶の場合、自由運動をしていた分子が、運動エネルギーを失うことで、はじめておとなしく固体化するわけだ。だから、この場合真に大切なのは、エネルギーを「うまく失えること」、つまり、それを廃熱として、系の外に出してやれることだろうね。
鉱物を食べる生物がいない理由も、これでわかるだろう?仮にその結晶を消化できたとしても、何のエネルギーも出てこないからさ。まあ、「健康にはミネラルが大事」というように、動物も植物も必要な無機物を摂取しているけれど、それはエネルギーを取り出すためじゃない。
本文の中で、エネルギーを取り入れてできる生物組織と、エネルギーを失ってできる結晶を対比させたけど、この点は、まあそれほど的外れでもなかったな。

一つ疑問に思うんだけど?

何だい?

結晶といってもさ、鉱物みたいな無機物ばかりじゃないじゃない。生物体を構成するのと同じ炭水化物の仲間、たとえば砂糖だって、結晶になるよね。その場合はどうなるの?

砂糖の場合、分子と分子の結合については当然「鉱物ルール」さ。つまり、分子が運動エネルギーを失って、初めて結晶化するという意味ではね。

(ショ糖の構造式。by Don A. Carlson. 出典:ウィキメディア・コモンズ)

そもそも、砂糖の化学エネルギーは、ショ糖分子同士が結びついて結晶化するときに埋め込まれるわけじゃない。最初っから1つ1つの分子の中に、つまり上の構造式の中に含まれているのさ。だから、分子がばらばらの状態になっている砂糖水でも、飲めばちゃんとエネルギー源になる。

   ★

さて、天の声を聞いて、分かった2つめの誤解がある。それは「秩序とエントロピーの高低は関係ないという思い込だ。やっぱり「秩序あるところにエントロピーの低下あり」っていうのが、大抵の場合、真実らしいんだ。

本文中で、キミは「均一に混ざった砂糖水は、エントロピーは高いが、秩序は感じられる」っていう話をしてたね。

うん。「秩序」という日常語と、物理学的概念としてのエントロピーは、ちょっとずれるというのは、その通りだと思う。でも、そこから「結晶も砂糖水と同じ理屈で、秩序はあるがエントロピーは高い」と述べたのはウソだった。

ちょっと勇み足だったね。

このことを本筋から攻めるとね、「エントロピーの変化は、熱量変化を絶対温度で割った値に等しい」、つまり「ΔS=ΔQ/T」という関係式を考えればいいんだ。そう難しいことじゃない。

いったいどこからその式を持って来たんだい?やっぱり天の声ってすごいね。

そうさ、すごいものさ。で、結晶ができるとき―これは水が氷になる場合でも、溶液中で溶質が析出する場合でもそうだけど、凝固熱の放出が観察される…と習ったのを覚えているだろう?

うーん、何かそんなのあったね。

凝固熱の正体は、さっきも言ったように、固体化の過程で分子の運動エネルギーが失われることによるわけだけど、熱量変化でいうと当然マイナスさ。そこから熱が逃げ出すわけだからね。で、上の式のΔQがマイナスならば、当然左辺のΔSもマイナス、つまりエントロピーは減少するわけだ。

エントロピーの減少は、別に生物のおはこじゃないわけだね。

エントロピーの減少自体は、神秘でも何でもなくて、身の回りでいつでも起こっていることさ。その卑近な例が、気体→液体→固体の変化だね。この順に、分子は熱意を失う代わりに落ち着きを増して、ハチャメチャな状態から秩序を好むように変化するわけだ。何となく人間っぽいけど、この変化は可逆的なところが、人間とは違うね。

ちょっぴりうらやましいね。

そして、エントロピーの減少が可能なのは、geometさんの天の声にあったように、身の回りの現象は、外部と熱の出入りがある開放系と見なせるからさ。熱の捨て場がないところ、つまり孤立系だったら、エントロピーは右肩上がりになっちまう。

遠くにゴミ捨て場があるから、目の前の部屋が片付くっていう理屈だね。

   ★

そして3つめの誤解、それは「自由エネルギーが最低の状態は、即ちエントロピーが最大の状態」と考えたこと。実際、上で言ったように、物質は結晶になる過程で、自由エネルギーを失いつつ、かつエントロピーを減らしているんだから、こりゃ明らかにウソだね。だからビー玉とバケツの話も結局ウソさ。

なんだ、「うまい!」って思って損したよ。でも、どこがウソだったんだろう?

自由エネルギーの減少とエントロピーの増加が、いついかなる時も相伴うと考えたのが敗因さ。これもgeometさんの言うように、系の特性を考えてなかったためだろう。確かに熱の出入りのない孤立系なら、そうなる理屈だけどね。

それにしても、エントロピーの増大と自由エネルギーの低下っていう話ね。キミの話を聞きながら、あるマンガの1シーンが思い浮かんだよ。おかげでことさら「うまい!」って思ったのかもしれない。主人公の1人が、「宇宙の熱的死」について語る場面なんだけど…。

あれだ、『百億の昼と千億の夜』だ。

あ、キミも読んだ口だね。まあ、あれはあれでウソじゃないけど、子供相手には一寸罪作りだったかもね。…ところで、今聞いた話は、全部本当だよね?

いや、保証の限りではないな。
まあ、ウソならウソで、また考えればいいさ。それが許されるのが、素人の特権なんだから。


コメント

_ S.U ― 2014年08月07日 20時27分49秒

「天の声」を発することは私には無理ですが(笑)、青字の人はなかなかうまく表現されたと思います(それから黒字の人も)。全部がウソと言うことはないでしょうね。

 「エントロピー」は統計学的には確率の具現されたものと見なせますので、エントロピーを確率計算の一部に取り込むことが出来ますが、エントロピー、秩序、全系のエネルギーというものは巨視的状態を記述した言葉ですので、微視的構造まで下るメカニズムについては、やはり、素粒子論と量子力学で説明するほかはない、と私は考えます(こういうのを「還元主義」とか「素粒子帝国主義」と呼ぶそうです)。この帝国主義からすると、移行確率を導く要素として「結合定数(あるいは遷移行列)」というものが重要になります。つまり、A→Bという移行で、Aという状態とBという状態がどれほど緊密に結びついているかということがまず重要です。

 エネルギーが低い状態が安定であることは確かですが(よりエネルギーの高い状態には自力で移行できない、と言う意味で)、その存在確率、秩序の多寡は、また別問題のようです。そこへの移行確率(結合定数)は高いがそこからの適当なエネルギー放出方法がない場合は、エネルギーの高い状態に長時間とどまることもありますし、エネルギーの最低状態で自発的に対称性が破れている場合もあるので、案外どっちつかずのアモルファスが事実上の最安定状態だったりするのでしょう。

 ピシッとした物質Aは確率が圧倒的に凌駕した状態があって皆がそこに落ち着いている、だらしない物質Bは確率がドングリの背比べの状態が複数あってそれらが入り交じっている、ということで説明すれば、秩序の有無やエネルギーレベルというのは原因ではなく、むしろ結果であると考えるのがよいのではないでしょうか。

 自然は、楽しようとしていちばん楽な状態を探して落ち着くという法則があるわけではなく、たまたま身近にあった楽な状態に確率的に落ち込んだ結果、もうそこから抜けられななって、結果として、皆がどんどん楽な状態に嵌りこんでいく、人間社会もひょっとするとまた斯くの如し、という説明はいかがでしょうか。(なお以上は帝国主義者の邪道の説明なのであまり深刻に考えないで下さい)

_ とこ ― 2014年08月08日 03時39分47秒

面白いです!
結晶とアモルファスの関係などは、先日職場でも激しい議論がかわされましたが難しい話題でした。
というわけで、私からは天の声は期待しないでください。むしろ地を這いながら玉青先生のブログを拝見しております。

さて、結晶化で忘れてはならないのは周囲の環境です。たいてい結晶は溶液中か、空気中でも湿度100%とか蒸気で満たされたような状況で育ちます。同じ物質によっても、ダイヤモンドと雲母の関係のように、周りの環境によって並び方が異なることがあり、これはこういった周囲の環境の影響を受けているといわれています。

私の職場では薬を開発していて、薬はたいてい結晶の形で世に出るので、いろんな並びの結晶を作ってみて一番扱いやすい並びで開発します。エタノールに溶かすかクロロホルムに溶かすか、そこに水を加えるか、はたまた析出させる温度を何度にするか…そういった複数の要因の組み合わせで並び方が変わります。条件によってはアモルファスの粉になる場合もありますし、結晶とアモルファスの混ざり物だったり、複数の並びの混ざり物だったりもします。その法則は薬の種類によって大きく異なるため並び方にセオリーはなく、今でも試行錯誤で結晶を作り出しています。

人工結晶を工業的に作る場合は、この疑問を解決する情報を豊富にもっているのではないかしら…シリコンメーカーとか、蛍石の人工結晶を作る光学メーカーとか。

_ とこ ― 2014年08月08日 03時52分23秒

書いているうちに止まらなくなってしまいました。

さきほど溶液から結晶が析出すると書きましたが、ブログ記事中で玉青先生が砂糖水の話題をだされていて、砂糖水は水の中で砂糖が溶けて均一に混ざり合った状態に秩序があると書かれていました。それはその通りです。

そこからどうやって結晶が析出するのか?

砂糖水に温度をかけるか何かして、水を蒸発させていきます。すると、砂糖水のなかの水分子は減りますが、砂糖そのものは蒸発しないので、濃度がどんどん高くなっていきます。やがて砂糖水は、砂糖が溶ける限界の濃度に達します(溶解度といいます)。水がさらに蒸発してこの限度を超えたとき、溶けなくなったぶんの砂糖はどうなるのか。

固体になります。この固体が結晶とかアモルファスです。砂糖水の場合は、「溶解度が最大に達した砂糖水」が周囲の環境で、温度や圧力、水の蒸発速度などの要因が加わります。条件によっては砂糖の結晶が析出したり、べたべたカチコチ(アモルファス)になる場合もあります。

…これで合ってるかな?だれか検証をお願いします…。

_ S.U ― 2014年08月08日 08時14分44秒

とこさんによりますと、結晶を作る上で大事なのは、温度、濃度、圧力といった巨視的な量のようですね。還元主義の旗色は悪いです。それらは原子の速度、有効反応長あたりの粒子密度に「還元」できるはずだ、と反論を試みるはずですが、実際には苦しいところです。

 私は、小中学生のやるミョウバンの結晶づくりが好きでした。そこで重要なのは、温度をゆっくり下げることでした。析出する分子が一挙にたくさん出てくると、新顔同士で結合して細かい結晶がたくさん出来、本来のタネが成長しません。真夏に毛布でくるんで縁の下に入れておくのが良かったです。いちど恒温槽を借りてやってみたいです。

_ 玉青 ― 2014年08月08日 22時50分05秒

S.Uさま、とこさま、「天の声」をありがとうございます(天の住人は控えめな方が多いようですが、しっかり頭上から声が響いてきましたよ!)

S.Uさんのご指摘の通り、私は「低エネルギー=安定的=秩序=高確率」という単純な図式で考えていましたが、そうすると、この世はいつかすべて結晶化して終わることにもなりかねず、まあそんなことはないですね。

結晶の問題を考えるときは、出来上がった結晶ばかりではなく、結晶が出来上がる過程も考えないと片手落ちというか、その妙味を十分味わえないのでしょう。
世間には人工結晶作りの達人、まさに「結晶師」と呼ぶのが相応しいような人がいますが(とこさんもその一味^^?)、そういう人の話を読むと、本当に魔術すれすれというか、最後は人智を超えた力が働く気配もあります。結晶は人間から最も遠いようでいて、そういうところが一寸人間臭いです。

こういう結晶生成にまつわる神秘の色合いというのは、いわゆるバタフライ効果とか、カオス理論の世界にかかわってくるんでしょうか…?
そこにまた素粒子帝国主義がどう対峙するのか、私の理解を超えた話題ですが、まことに興味の尽きぬところです。

_ とこ ― 2014年08月09日 04時21分23秒

SUさんの還元主義、実はきちんと理解できていなくてすみません・・・私の理解できる範囲内ですと、最終的な結晶の並び方(パッキングとでもいいますか)は還元主義が主要因になるのではないかと考えています。

前回のコメントでは溶液からの視点でお話しました。
今回はできた結晶からの視点での話にチャレンジします。

で、すっごく無謀なのはわかっていつつ、他にうまいたとえもないので、物質を擬人化させてみました。


溶解度を超えて「もうあなたは溶けてはいけません」と溶液からあぶれた物質は、寄り集まって固体を形成します。その際、一番居心地のいい状態になりたがります(ここが還元主義?)。SUさんのミョウバンの結晶化の例ですでに述べられていますが、ゆるやかに濃度が上がった場合は、居心地のいい姿勢を吟味しつつ徐々に積み重なっていくので、結果大きく綺麗な結晶ができあがる場合が多いです。逆に急激に濃度が上がると、物質たちがゆっくり姿勢を吟味する間がなく、大急ぎで固まっていくため質の悪い小さな結晶がたくさんできたり、もっと大急ぎだと「もう並び順とかにかまってられない!」とてんでばらばらに固まり、アモルファスができあがります。

結晶化の周囲の条件が影響する点を同じようにたとえてみると、溶けている液体によっては物質が大の字に手足を広げてただよっているのが居心地がいいか、ぎゅっと体育座りのように丸まっている姿勢が居心地がいいかなど、溶液中での状態が異なる場合があります。このまま固化すると、大の字の人が並んでいるか、丸まった人が並んでいるかの違いができます。
また、たとえばある溶液ではすごく足の臭いが気になる!という場合があるかもしれません。そのときは、隣の人の足のところに鼻をちかずけるのはイヤなので、なるべく足同士、顔同士で近づくような並びになったりします。
もちろん、溶液中でいかなる状態を取っていても、固体になるときに「中腰で隣の人と手をつないだ状態が一番心地いいんだ」となれば、固体になるときに姿勢を変えることも多々あります。

鉱物の場合は複数の元素組成が多いですから、彼らの人間関係といいますか、仲の良し悪しもあるでしょうし、体の大小もありますから、それらを総合して一番居心地のいい並び方をとっているのだと思います。

また、よく鉱物には色のバリエーションがあって、それは不純物によるものだといわれています。これはたぶん、その鉱物の組成とは違う元素が結晶化の溶液に混じっていて、もともとの組成の一人と勘違いされて結晶の中に紛れ込んでいる状態なんではないかと勝手に推測しています。

私が日ごろ扱っている有機低分子(メントールとかのたとえだと分かりやすいかしら)と違い、鉱物はあまり多形(並び方の種類)が多くない印象です。それよりも、同じ並び方で結晶の外観が違う「晶癖」が多く存在しますよね。これはたぶん、周りの環境によって、3次元的な積み重ねの一方だけ人気が高かったりするのではないかと…わかりにくいかな…たとえば人が同じ方向をむいて縦横高さでずらーっと並ぶ場合、人の足の下に頭をつけるよりも、背中におなかをくっつけるほうが人気が高かったら、背中ーおなかー背中ーおなか…の並びのほうに結晶がよく伸びるので、結果として縦長の結晶が出来るとか、そういった感じです。


以上、無理やり物質を擬人化させてなんとか表現できそうな結晶化を披露してみました。おそらく専門家の方がみたら、すごく違和感があるでしょうし、間違っているところも多々ありそうです。でもなんとなく、こんなイメージだろうなと思います。

すみません、天の声どころか地獄からのうなり声になってしまいました…

_ S.U ― 2014年08月09日 08時14分53秒

玉青様、とこ様、
 案外、還元主義も悪くはないようですね。ローカルに「居心地がいい」ところが決まっているのを還元主義でさらに遡って説明すると(素人考えですが)、その場所に行く引力が強いがゆえに確率が他を圧倒しているのでしょう。そうなると、引力が強いところがある→目的地のエネルギー状態が低い、というのが成り立つ場合が多いので、最終的にきれいな直線に囲まれた結晶が出来やすい場合は、「低エネルギー=安定的=秩序=高確率」が結果的に満たされていることが多い、と考えて良いのではないでしょうか。(そうでない場合はもっと事情が複雑ということで)

 帝国主義は周りからは不評で、世の体制評価の相対化、あるいは地勢的フロンティアの消失によって消えゆく運命にあると思いますが、素粒子物理は永遠のフロンティアでかつ永遠の帝国主義であり得るかは興味のあるところです。

 還元主義がうまくいかないだろう、と思う例もあって、例えば結晶をジグソーパズルのような物と考えて、そこで似たようなピースを1つだけ間違ってはめてしまって、だいぶあとになってほかで矛盾が出てがたがたになるとか、DNAの塩基が一つ違ったがために生存できないとか、そういうことがあるなら、原理はローカルでも結論にいたるまでローカルな説明で済ますのは実際には無理なこともありそうです。

_ geomet ― 2014年08月09日 12時24分39秒

ご無沙汰しています。足穂ネタ以外では読者に徹するつもりでしたが、つい人ごとと思えず、禁を破って投稿します。
私も中学高校時にブルーバックスによって科学への興味と憧れを大いにかき立てられ口ですが、後にそのテーマをちゃんと理解したいと思った際に、ブルーバックスによる刷り込みが思考を縛り、素直な理解に達するまでにかなり遠回りをさせられた、という経験が何度かあります。ただし、遠回りしてでも正しい理解に達したいと願う動機付けはブルーバックスによって与えられていたとも言えるので、ブルーバックスには感謝の念こそあれ、恨みは全くありません。
私の場合、ブルーバックスのもたらした最大の呪縛は「不確定性原理」でしたが、今回の話題はエントロピーですね。私はその本を読んでいませんが、想像するに、エントロピーという主役にスポットライトをあてるために、他の重要な概念(特にエネルギーと温度)の存在感が非常に希薄な書き方になっていたのではないでしょうか。
私は、まず以下の基本を理解することが重要だと思います。

[1] 対象とするモノにはエントロピーとエネルギーの二つの重要な特徴量があり、エントロピー(乱雑さ)は大きい方へ、エネルギー(居心地の良さ)は小さい方へ動こうとする。(ここで言う「モノ」は、原子や分子が多数集まってできている目に見えるような物体のことです。)

[2] そのモノが宇宙のようにそれ自体が孤立していたり、断熱材でくるまれていて外とのエネルギーの出入りがないような状況では、モノ全体のエネルギーは一定に保たれる(変化できない)ため、エントロピーが増えるという原理だけが働く。その結果、平衡状態ではエントロピーが最大化する。

[3] 一方、そのモノが外界(大気とか水とか)と接している普通の状況では、熱という形で外界との間でエネルギーの移動が生じる。このときは、エントロピーは増えようとし、エネルギーは減ろうとする(外界にエネルギーを放出して自分自身のエネルギーを下げようとする)が、両者は互いに相反する要求(トレードオフ関係)のため、適当な妥協点に落ち着く。この妥協点は外界の温度(=平衡状態でのモノの温度)に依存する。温度が低い時には「エネルギー最小化」が優先され、温度が高いときには「エントロピー最大化」が優先される。

熱力学、統計力学は奥が深く、特に平衡状態への近づき方や過度的な準平衡状態、相転移や複数の相の共存などまで含めて十全に理解するためには長い修行が必要となります。私もその方面の専門家ではないので十全な理解とはほど遠いですが、エントロピー概念自体の理解はもっと易しくて、その基本は上記のようなものと認識しています。ただし、統計力学的あるいは情報理論的なエントロピーの話はあえて端折りました。「秩序」という日常用語の難しさもおっしゃる通りですが、こちらも長くなりそうなので端折りました。
ちなみに私も基本的には還元主義者です。ただし、「熱」という巨視的なエネルギー移動の特性を素粒子論に還元して理解することはきわめて困難であり、その代わりに、現象論から抽出された熱力学を別の原理として採用する、ある場合には統計力学によってその両者に橋渡しをする、というぐらいで満足せざるを得ない(それとて凄い事ですが)のではないかと思います。
以上、いかにも「お勉強」的な無粋な書き込みとなりましたことをお許し下さい。居心地のよい喫茶店で受験勉強してひんしゅくを買う受験生のごとく、長居は無用と思いますのでここらで退散します。

付録(退散した受験生の独白):あ〜、外は暑いなあ。それにしてもふと立ち寄ったあの喫茶店。店内の雰囲気はいいし、エアコンは効いているし、コーヒーは香り高く味わい深く、そして品のよいマスター。お客も静かだし、そもそも空いている。勉強に最高なんだよなあ。

_ S.U ― 2014年08月09日 16時15分59秒

 ブルーバックス、エントロピー、不確定性原理 とくれば、都筑卓治氏著の『マックスウェルの悪魔』ですね。

 都筑氏のブルーバックスは、インパクトの強い記述があるゆえに(べつに過激ではないのですが、独特のアクが出ていることがあって)「呪縛」に陥ることもあります。この『マックスウェルの悪魔』も相当インパクトがありますが、全体的に評価すれば、ブルーバックス屈指の名著だと思うので、書名を挙げさせていただきました。

 都筑氏は物理のあらゆる分野について解説書を書いていますが、物性に関する統計力学が第一の専門分野だったようです。

_ S.U ― 2014年08月09日 16時21分56秒

上で、お名前の漢字を間違えました。都筑卓司氏です。もう故人になられていますが、失礼いたしました。

_ geomet ― 2014年08月10日 01時28分50秒

都築氏はブルーバックスの象徴的存在でしたね。科学の中で物理学が突出して輝いていたあの頃。輝いている本体の詳細をぼかしたまま、輝きそのものを少年少女達にかいま見せてくれた手品師。私が最も呪縛されたのは「序章 巨人の星」で始まる「不確定性原理」です。あとは「四次元の世界」。「マックスウェルの悪魔」は未読ですが、読んでみたくなりました。

元記事に話を戻すと、「結晶の一歩手前の状態で踏みとどまる」のは、エネルギーが高くなるから物質にとっては確かにシンドイ。だから温度がそれほど高くない環境下では、シンドイのを避けて結晶化していられる。しかし温度が高くなると、シンドイからと言って横になって休むということを外界からの熱的揺籃が許してくれない。騒音がうるさくて寝ていられない場合、シンドイけれど立ち上がってうろうろ歩き回るしかない。うろつき回っている状態は無秩序でエントロピーが高く、この場合はエネルギー最小化よりもエントロピー最大化が優先されたように見える。結局のところ、物質Aが選ばれるか物質Bが選ばれるかは、エネルギー最小化とエントロピー最大化のトレードオフがどうなるかによって定まり、それは温度に依存する。という理解でいかがでしょうか。ただし結晶化のプロセスは、温度を下げて行くときの履歴に依存するのでもっと複雑ですが。

_ 玉青 ― 2014年08月10日 13時33分15秒

天の声が朗々と響きわたっているようですね。
とはいえ、天の声は備えある者にしか届かないので、検波器がすっかり錆びついている私の脳には、なかなかその声がクリアに響かないことを、大いに憾みに思います。
それでも、全身を耳にして、その声を聞き取ろうと努めました。その成果を上の記事に【追記】しましたので、ピントのずれた文章になってるかもしれませんが、今の私にはあれがせいいっぱいですので、どうぞお目こぼしを。

○とこさま

これは分かりやすい比喩をありがとうございます。
擬人化していただいたおかげで、その成長の様子が生き生きとイメージできました(足の臭いの例も大変よく分かりました・笑)。
どうも結晶に対しては高踏的な、ちょっと偉そうな感じを抱いていましたが、何のことはない、彼らも人間と同じく、一定のプロセスを経てこの世に生み出された存在であり、その過程にはいろいろな経験があったんだろうなあ…と考えると、親近感がわいてきます。結晶の誕生はそれ自体ドラマですね。

○ S.Uさま

今、巷の一部(えらい一部ですが)で話題の「還元主義」につき、改めてウィキを読み、さらに創発のページに飛び、みたび腕組みをして結晶に思いを凝らしましたが、単に腕組みをしただけで終わりました(むむむ)。

そもそもは、結晶に見られる秩序と、エントロピーの話でしたね。
この点について、geometさんからコメントをいただき、【追記】の部分で、もういっぺん頭を整理してみました。

○geometさま

いらっしゃいませ。
まあ、この店は道楽でやってるので、どうぞいくらでも長居してください。
特にこんな雨の日は、他にお客さんもいませんし、どうぞ店主を慰めると思って。
それにしても、今回の話題は本当に難しいなあと思いました。
ちょっと力尽きた感があります。。。

_ geomet ― 2014年08月10日 16時13分42秒

本当はおいしいコーヒーをゆっくり楽しみたいだけなのに、ついマスターの人柄に甘えて、訳知り顔にコーヒーのうんちくを語る迷惑な客と化してしまったかもしれません。趣味のよい店内とおいしいコーヒー。特別な才能の持ち主にしか作り出せない魅惑の小世界。無責任なコメントは適当にスルーしつつ、どうか息長くお店を続けて下さいますようお願いいたします。またときどき寄らせてもらいます。

P.S. 青文字さんは真の理解に近づきつつあるようにお見受けします。どうかよろしくお伝え下さい。

_ geomet ― 2014年08月10日 16時25分12秒

と言って店を出た客がまた舞い戻ってきて、青文字さんにこれを渡して下さい、と一枚のメモをマスターに手渡しました。(ごめんなさい。どうかスルーして下さい。)
%%%%%
青文字さん曰く「自己組織を維持するためじゃない。生命活動を維持するためさ。」
そうですね。そもそも生物が生きているという状態は平衡状態ではないので、生きている生物一個体にはエントロピーも自由エネルギーも定義されません。生命の特質は、非平衡のまま安定した物質の「流れ」を形成している様子にあるのであり、それを秩序として感じるとしても、その秩序の度合いをエントロピーで測ることはできないと思われます。
%%%%%
また曰く「物質は結晶になる過程で、自由エネルギーを失いつつ、かつエントロピーを減らしている」
たぶんその理解でよいのだと思います。自由エネルギーは、(内部)エネルギーとエントロピーとの「差」の一種ですから、エントロピーが減っても、それ以上に内部エネルギーが減ることで自由エネルギーが減少すれば、その方向に状態は変化していくことになります。なお、自由エネルギーを定義する「差」の係数は温度に依存するというところも押さえておくべきポイントかと思います。

_ S.U ― 2014年08月10日 16時29分34秒

 青字の人も赤字の人も見事な考察ですね。geomet様のご説明も、エントロピーの要諦がよく理解できるものでした。

 頑固な還元主義者がエントロピーをどう扱うかですが、統計力学では全系の粒子の自由度を考えるのを、多少の逃げとして、ここで原子・分子の1粒子1粒子をモノとみてその個々のモノのゆらぎ(場所や速度の多少の変化)の自由度に着目するのでいかがでしょうか。

 粒子単位で見ると、砂糖水が均一に混じった状態は、秩序が高い状態ではなく、最大限にいいかげんな状態です。均一といっても、粒子レベルで見ると、取り得るゆらぎの自由度は最大で、個々の粒子が多少勝手な振る舞いをしても、均一な状態に変化はありません。いっぽう、不均一な砂糖水は、実は、「不均一であるべし」という縛りのために、均一な砂糖水よりも自由度が抑えられています。だから、均一な砂糖水のほうがエントロピーが高いということになります。そして、この均一な砂糖水が結晶化からはもっとも遠くにある状態です。
 
 また、TΔS=ΔQからの本末転倒した説明になりますが、一定量のエネルギーの出入りで、粒子集団の秩序状態の変化を大きくできるのがエントロピーの低い状態、秩序がもはやあまり変化しないのがエントロピーの高い状態、とするはいかがでしょうか。もともと乱雑になっている部屋は、多少床のモノを蹴飛ばして回ろうが、ちょっと片付けの労力を払おうが、変化が少ないのでエントロピーが高い状態です。エントロピーの低い部屋はちょっと散らかすのとちょっと片付けるのとで結果に大きな変化が出ます。これも同等の乱雑さを維持しながらとりうる部屋の中の物の動き(ゆらぎ)の自由度と考えればどうでしょうか。

 以上のたとえで、無生物についてはある程度説明ができるように思いますが、生物は、温度を上げて化学反応を促進しつつ自己の身体を維持するという、いわば身体の中で鍋物をしながら自分自身は茹だるべからず、というエントロピーの「仕分け」の努力をしているので、この方式で単純な説明は難しいように思います。
 これまた長いこと楽しめそうですね。

_ とこ ― 2014年08月11日 09時13分19秒

しずかなカフェで繰り広げられる高尚な物理の話題にまじって、ひとりゴシップネタを披露してしまったような恥ずかしさを感じております、とこです。どうも抽象的な話になると、全脳細胞が拒絶反応を起こしてしまって・・・書いてある文章も目ではなぞれるのですが頭に入ってきません。こんなだから、結晶を作る現場にいながらなかなか本質にたどり着くことが出来ないのですね。

というわけで、さっぱりついていけていませんが、天の声とは程遠い人間臭い結晶の話をご所望でしたらいくらでもお話できます。また機会がありましたらカフェにお邪魔したいと思います。

_ geomet ― 2014年08月11日 11時51分19秒

とこ様へ。私などは逆に抽象論しか知らないので、結晶析出の「現場」のお話は大変興味深く拝読しました。とこ様の現場のお話とそのイメージ化は、詳細で非常に説得力があります。私の抽象論はそれを後づけの論理で説明するだけです。喫茶店で人間とは何かを哲学的に論じているうるさ方が、実は人間の本性を全然分かってないということはよくあることで、よい喫茶店というのは、そういううるさ方にとって人間勉強の格好の場にもなるわけです。

個々の原子が居心地のよさを求める結果として全体の秩序が現れる。まさにおっしゃる通りだと思います。抽象論だと、これは「内部エネルギーの最小化」に対応します。そしてもう一つ大切なのが、個々の原子が居心地よい状態に治まることを邪魔する要素です。騒音がうるさくてじっとしていられないとか、床が絶えず不規則に振動していて一カ所に居続けられないとか。邪魔の度合いは「結晶化で忘れてはならないのは周囲の環境」によって決まります。この場合、騒音や振動のストレスによって原子達は気が立ってきて落ち着きのない行動をとるため、個々の原子は近くの別の原子に邪魔されて居心地のよい姿勢を取れないということも生じます。こうして、原子達は居心地の良さを放棄して夢遊病者のようにうろうろと不規則に動き回ろうとする傾向が生じます。これが「エントロピー最大化」に対応します。

注:以上では「ストレス」を喩えに用いましたが、もしかすると「元気の良さ」の方が適切な喩えかもしれません。おいしい食事とか情熱的な音楽とかで個々の原子達の元気がよくなり過ぎるとじっとしていられない、と。(注おわり)

そして、「内部エネルギーの最小化」と「エントロピー最大化」という二つの相反する要求の妥協点が「自由エネルギー最小化」という一つの要求で表現できる、というところが熱力学の偉いところですが、薬の開発現場のような複雑な実験環境で自由エネルギーを実際に計算したりするのはほとんど不可能なのだろうなあとも想像します。そういう場合、実験者の試行錯誤と経験による情報の蓄積、カンなどが決め手になるのでしょうね。

_ 玉青 ― 2014年08月12日 21時43分47秒

ハッと、まどろんでいた店主が顔を上げると、なじみ客はみんな引き上げた後だった。店内には、ついさっきまで行われていたであろう熱心な議論の余韻が感じられたが、同時に、急に人気の絶えた寂しさが辺りを満たしていた。
店主は腰をさすりながら、無言で店じまいを始めたが、ふとテーブルの上にメモが残されているのに気づき、灯りにかざしてそれを読み始めた。徐々に店主の顔に光が差してくるようであった。店主は読み終えたメモを丁寧に胸ポケットにしまうと、ラジオのスイッチをひねり、カウンターの奥から自分専用のグラスを出してきて、満足そうな表情で琥珀色の液体を注ぎ始めた…。

_ とこ ― 2014年08月19日 05時17分10秒

geometさま

ありがとうございます!なるほど自分が相手にしている結晶の中ではそういうことが・・・と考えると、抽象論も楽しくなりそうです。研究対象は結晶化が目的ではなく、その先のX線構造解析なのですが、解析してみると結晶内の分子の秩序や居心地がわかってきます。たとえば、私が扱っているのは有機低分子なので鉱物と比べて分子が大きく、ひとつの分子の中でも可動部位がいくつもあるのです。

そうすると、一見結晶のなかで固まっているように見えても、結晶内の分子ひとつひとつに着目すると、ある分子は腕を曲げているが別のものは伸ばしている・・・解析された構造はそれらを重ねあったものなので、あたかもうでをブンブン振り回しているように見えたりするんです。結晶によっては伸ばすと居心地がいいものもありますので、そういった場合は皆腕を伸ばしており、結果として腕が伸びた分子構造が浮かび上がります。

こういった現象の原理的な部分は私の理解が及んでいないだけで、X線結晶構造解析の分野では基本的なものです。geometさんの解説はこの難しさへの橋渡しをしてくださっているものなので、じっくりと拝読して今後の研究に活かしたいと思います。

いやほんと、本来ならば真っ先に習得しておくべき知識なのに、苦手すぎて敬遠しながら今まで何とか経験と勘でやってきたので。。。反省しつつ、お礼申し上げます。

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