結晶海からの帰還(土産話)2014年08月18日 05時39分33秒

結晶海に漕ぎ出した…と思う間もなく、あっという間に沈没。
でも、いつもよりちょっと遠くの景色を目にできて良かったです。
さて、結晶海を後にして、ふつうの「天文古玩」の世界に戻りますが、最後におまけ。

   ★

これまで結晶の「」の字は、ずっとこんなイメージを表す象形文字だと思っていました。
 

でも、改めて字書を引いたら、案に相違して、次のような記述があってビックリ。

(『角川 新字源』より)

おお、星が3つで「晶」。よって「晶光」は「きらめく光」であり、「晶晶」と重ねれば「きらきらと光るさま」を意味すると。むむむ、これはしたり。

すると「昌」は…

【昌】 日を重ねて、日光があきらかにかがやく、ひいて「さかん」の意を表わす。

なるほど!

そういえば、家紋にも「三ツ星」というのがあって、配列はまさに「晶」と同じ。
 

こちらはオリオンの三つ星を表わすそうですが(おそらく道教系の星辰信仰に由来するのでしょう)、「晶」の字は、特に具体的な星座との結びつきはないようです。

   ★

…というぐらいが、「天文古玩」的には無難な話題じゃないでしょうか。
どうも無理をすると、あちこちに歪みが出るので、あまりシャカリキにならない方がいいですね。

コメント

_ S.U ― 2014年08月18日 17時57分30秒

幅広い観点からの結晶とブラべー格子の解説を拝見できたので、今年は有意義な世界結晶年になったように思います。

 ところで、中国地方の毛利氏の家紋の「一文字に三つ星」はおっしゃるように一直線になっているオリオンの三つ星を表しているのでしょうが、ひょっとすると、地下に結晶鉱物が眠っている毛利氏の鉱山の利権の暗号にもなっている(一文字は地面を表す)、というのは歴史ミステリー小説のタネとしてどうでしょうか。

_ 玉青 ― 2014年08月18日 23時53分48秒

コメントを拝見し、即座に甲斐武田氏のことを連想しました。

甲斐武田氏は清和源氏を称し、四つ割菱、いわゆる「武田菱」を家紋としていますが、裏紋(替紋)に三ツ星も用いています。

三ツ星を用いるようになったのは、初代義清から数えて9代目の信武の代からとされ、信武は南北朝期に武田の威勢を大いに高めた人ですが、どうも伝のはっきりしない人です。
その父親とされる8代信宗は確かに甲斐武田の正系らしいのですが、系図には「後に没落して流浪の身となり、武州で修験者に身を落とし、後本国に帰る機会をつかむや、その息子・信武が再び甲斐・安芸両国を領し云々…」とあって、武田の家伝には、この部分に奇妙な空白が存在します。

歴史的事実として、武田氏は信武と信成の父子二代のうちに、鉱山経営で大いに勢力を伸ばし、武田の勢力をゆるぎないものにしましたが(甲州水晶が全国に流通するようになるのはこの頃からです)、この信武、伝がはっきりしないことに加え、言葉本来の意味で、どうも「山師」臭いです。

「山師」の本領は、もちろん水晶以上に、金・銀・銅・鉄等の金属鉱山の採掘ですが、武田氏はその方面でも大いに活躍しました。そもそも、武田氏が水晶にこだわったのも、当時は「水晶=水精」であり、水の凝り固まったもの…と考えられたからだと言われます。何となれば、陰陽五行説にしたがって「金生水」、すなわち金属の出るところには、必ず水晶が伴うと信じられたからで、これはある意味、現在の鉱物理論にも叶う考え方です。

そして、例の「風林火山」。これは一般に言われるように信玄の創作ではなく、武田の家伝として古くから伝わるもので、その背景には武田の「山師」の血が色濃くにじんでいると指摘する声があります。一説には、「山」とは山師が言うところの「お山」、すなわち鉱山であり、あとの3つ(風、木材、火)は、ふいご作業と鑪(たたら)場を象徴し、山師が何よりも大切にしなければならないものを説いているのだと言います。あるいは、ここでも陰陽五行説を持ち出して、「風」はその不定形さゆえに「水」の性を帯びており、以下五行の相生の法則にしたがって、「水生木→木生火→火生土→土生金」の理を説いた、一種の呪句だとする説もあります(もちろん「山」は土であり、金であるわけです)。

で、そういう武田の呪術的な側面が、家紋にも発揮されたとすると、三ツ星はおっしゃる通り「晶」の意をこめたものであり、ひょっとしたら武田菱自体、鉱物結晶と劈開を表現しているのではないかとも思えてきます。


とはいえ、S.Uさんとも長いお付き合いですから、とうにお分かりでしょうが、以上のことはすべて私が今考えついた嘘八百で、本当にそんな事実があったら退屈しないんですが、現実はなかなかそんなわけにはいきませんね。(笑)

_ とこ ― 2014年08月19日 05時06分33秒

お盆休みでぼんやりしている間に、航海は着々と進んで・・・もうお帰りですか!(笑)

いや、そもそも私もブラベー格子を理解していないので、挑まれた玉青先生には尊敬の念しかありません。あれです、ブラベー格子と対称性はいけません、あれは結晶学の導入としてはよろしくないです。みな踵を返してしまう。

翻って、やっぱりオススメはミラー指数です。これも結晶すべてに応用しようとうするとブラベー格子や対称性を理解してからでないとダメですが、「とりあえず蛍石と柘榴石と黄鉄鉱(すべて立方晶系)の晶相を理解するだけ」と決めうちでいけばなんとかなります。それにやっぱり蛍石の八面体をパっとみたときに、その透明な鉱物のなかに軸がうっすらと浮かび上がりヘキカイ面の表面に(111)が浮かび上がる妄想が楽しめるのはいいですよ~。

もし次に機会がありましたら、ぜひこのあたりを対象にしていただけたら・・・私もルーチカブログで自分が理解している範囲だけでも披露したいと思います(いつになることやら)。

_ 玉青 ― 2014年08月19日 20時26分15秒

いやあ、本当にブラベー格子はいかんですね。格子の考え方が、そもそもひどく抽象的です。
それにひきかえ、ミラー指数はまだ可愛げがあります。ややこしそうな顔つきはしていますが、その意味するところは具体的で、生身の鉱物と向き合っている実感がありますから。(…と言いつつ、あまり理解はしてないのですが、でも何となくそんな気がします。)
第2の航海がいつかは不明ですが、また結晶海クルーズを楽しむ機会があれば、ぜひ「ミラー指数の島巡りコース」をたどってみることにします。
とこさんの解説も心待ちにしていますので、どうぞよろしくお願いします。

_ S.U ― 2014年08月20日 06時24分09秒

>甲斐武田氏
えーっ、フィクションだったのですか。またしても騙されました。何度でも騙されます。もう悔しいのを通り越して気持ちいいです(笑)。

 それでも武田氏が呪術的な意味合いで地下資源を大事にしたということは実際ありそうですね。その呪術性が武田軍団の鉄壁の強さをつくったともいえるでしょう。また、長篠の合戦の武田勝頼は決して暗愚の大将ではなかったのですが、先祖伝来の呪術性のプレッシャーのゆえに負け戦を急いでしまったということはあるかもしれません。

 毛利氏は武田氏と好対照で、毛利氏も地下資源を大切にしましたが、こちらは「実業一点張り」でした。

 毛利氏の祖は、鎌倉幕府草創の貢献者、大江広元の四男・季光に遡りますが、この広元が「一文字に三ツ星」の家紋を創案したといいます。俗には、大江氏の祖が「一品親王」と称されていたことから、この「一品」をデザイン化して三ツ星に掛けたと言われていますが、同時に、当時「地中の星」に喩えられた地下鉱物の重要性を暗示した符号として実業に有能な子孫に分け与えたという説もうなずかれます。

 季光の子孫である毛利氏は長い間安芸国の山地の弱小領主にとどまっていました。ご存じの通り中国山地はこれという産業のない土地でしたが、鉄山があり、広元の家紋の教えは、武家の需要のある限り地元の鉄山を長く守ることが毛利家の存続することに最も肝要ということだったようです。この教えはのちの毛利元就に引き継がれ、彼は、石見銀山を奪い取るために戦いを繰り返し、ついにこれを制して中国地方の覇者となりました。しかし、銀山の利益で毛利家を存続させることを第一とし、日本の天下を目指すことはなかったといいます。

 一方の織田信長は、山陰道を征服し、伯耆、出雲、石見は切り取り次第、明智光秀の領地とするつもりで毛利と和睦する気などぜんぜんなかったのですが、光秀はこれを非情な国替えと恨みに思い本能寺の変となり、これを機会に毛利氏は羽柴秀吉との和睦に成功しました。毛利輝元は、秀吉の天下に臣従した後も石見銀山の利権を譲らず、関ヶ原の敗戦の後についにこれを徳川家康に譲りました。毛利家の存続のために温存した石見銀山を最後の切り札として使ったわけで、この家紋の教えが関ヶ原、後の大坂の陣の大勢にも大きく影響したものと思われます。

 ト嘘八百の説をいくらでも書けますので、確かに世に歴史ミステリーのタネは尽きまじ、です。

_ 玉青 ― 2014年08月20日 23時25分03秒

あはは、これはとんだ意趣返しを。
ひょっとしたら、歴史ミステリーは読むより書く方が面白いかもしれませんね。
(進んで騙されてくれる人の存在を前提にしての話ですが・笑)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック