愛しのツィオルコフスキー(1)2014年08月25日 06時07分31秒

突然ですが、以下ウィキペディアから一部抜粋。

コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー
Константи́н Эдуа́рдович Циолко́вский1857-1935)

帝政ロシアおよびソビエト連邦の科学者。
ロケット理論や、多段式ロケット、軌道エレベータなどの考案で知られ「宇宙旅行の父」「ロケット工学の父」と呼ばれる。科学啓蒙的なSF小説を著したことにより、SF史にも名を残す。

1857年9月17日、モスクワ南東のイジェーフスコエで生まれる。
1865年、9歳で猩紅熱にかかり、聴力のほとんどを失う。
1879年、22歳で教師の免許を取得し、ボロフスクの中学校で数学を教える。
1891年、流線型の金属飛行機を論文で発案。
教員としての勤務の傍ら、「月の上で」(1893年)、「地球と宇宙に関する幻想」(1895年)などのエッセイを著す。
1897年、「ツィオルコフスキーの公式」により、最初のロケット理論を完成。
1903年、液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図を発表。
ロシア革命後に初めて評価され、75歳の時に労働赤旗勲章を受章。
1935年9月19日78歳で死去、国葬が行われる。


   ★

ツィオルコフスキーが生まれたのは1857年。
日本で言うと安政4年ですから、ずいぶん昔の人です。そして、その生誕100年を記念して、1957年に宇宙に飛び立ったのが、あのスプートニク1号でした。

   ★

社会的・身体的に恵まれない条件の中、苦労の末に学問的成功を勝ち取ったツィオルコフスキーの経歴は、貧家の出で、中学校の物理教師をしながら動・植物の研究を続け、独力で世に出た、あのジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)を思い起こさせます。
ファーブル型の偉人を好む日本人のことですから、ツィオルコフスキーの名も、もっと知られて良いはずですが、少なくとも万人が知っている人物ではありません。(注)

   ★

しかし、彼の名が日本で非常にポピュラーだった時期があります。
それは1960年代、昭和40年を中心とする前後10年間ぐらいのことです。その頃出た「世界の伝記」「世界の偉人」の類には、必ずといっていいほどツィオルコフスキーが入っていました。そしてツィオルコフスキーその人の著作も、SF啓蒙小説っぽい作品がいろいろ訳出されて、世に流布していました。

当時の知識人は、ソビエトに対する親和性が高かったという事情もあるのでしょう。その後、ソビエトに対する幻滅と、左翼運動の激しい動揺が、日本の知識人に深刻なアイデンティティの危機をもたらしたという歴史的事実はあるにせよ、ツィオルコフスキーの存在までもが、それによって閑却されていいはずはありません。国家による偶像化の外被を剥いでも、彼は依然として偉大で、ユニークな人物だと思います。

   ★

…と偉そうに言う資格はなくて、正直なところ、私も彼のことはあまりよく知りません。
そこで、ここは「天文古玩」的に、モノからアプローチしようと思い立ち、「ツィオルコフスキーもの」を最近いくつか手にしました。

(この項つづく)


(注) この辺は日本の特殊事情もあって、世界的にはたぶんツィオルコフスキーの方が有名でしょう。英語版ウィキペディアの記述量(タイトルから外部リンクまで)をカウントすると、ファーブルは約1,400ワード、ツィオルコフスキーは約3,300ワードで、倍以上の開きがあります。さらに母国での知名度を比べれば、マイナー至極なファーブルと、国家の英雄・ツィオルコフスキーの差は(たぶん)歴然。一方、日本語版ウィキペディアだと、それぞれ8,400字、1,500字と、完全に扱いが逆転しています。

【さらに補記】

…と、ここまで書いて気になったので、フランス語版とロシア語版のウィキペディアも調べてみました。数字はいずれも概数ですが、
○フランス語版 ファーブル=14,000ワード、ツィオルコフスキー=890ワード
○ロシア語版 ファーブル=2,100ワード、ツィオルコフスキー=29,000ワード
という結果でした。

ロシアにおけるツィオルコフスキーの人気は、予想通りすさまじいですが、フランスのファーブルもなかなかのもので、「フランス人はファーブルを知らない」というのは、ひょっとして都市伝説かも?とチラッと思いました。