愛しのツィオルコフスキー(4) ― 2014年09月02日 07時31分22秒
仕事の方が突沸しており、しばらくは記事が間遠になるかもしれません。
げに恐ろしき突沸現象。
そういえば、先日何の前触れもなく、PCがプツッと落ちましたが、あれは熱暴走だったんでしょうか。ときどき人間にもああいうことがありますね。
げに恐ろしき突沸現象。
そういえば、先日何の前触れもなく、PCがプツッと落ちましたが、あれは熱暴走だったんでしょうか。ときどき人間にもああいうことがありますね。
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さて、ツィオルコフスキーの続きです。
前回のマッチラベルと同じ絵を使いまわした4色版も存在します。でも、微妙に違う絵柄も混じっていて、もうあの手この手という感じですね。
ときにこのソ連・東欧のマッチラベルなんですが、どうも本当にマッチ箱に貼られていたわけではなくて(貼られていたのもあったかもしれませんが)、土産物として袋入りセットで販売されていたのかな?と想像します。
そしてその中には、左側に見えるロケットモニュメントの大型カードや、一番上のツィオルコフスキー特大カードのような、各種のプレミアムカードが入っていたのでしょう。
ちなみに特大カードのサイズは23×11cmで、台紙も兼ねています。
(この項つづく)
ちなみに特大カードのサイズは23×11cmで、台紙も兼ねています。
(この項つづく)
同時代人として理科趣味を問う(前編) ― 2014年09月06日 22時14分38秒
先ほどまで遠雷が聞こえていました。夏の名残でしょうか。
夏の終わりはやっぱり寂しいものです。自ずとそこに人生を重ねるからでしょう。
これから先は実りの秋となり、小春日和をはさみながら、静かに雪が降り積む季節を迎え、人も大地も長い眠りに付くわけです。この上なく静かな眠りに。
夏の終わりはやっぱり寂しいものです。自ずとそこに人生を重ねるからでしょう。
これから先は実りの秋となり、小春日和をはさみながら、静かに雪が降り積む季節を迎え、人も大地も長い眠りに付くわけです。この上なく静かな眠りに。
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記事の間隔が開き、ツィオルコフスキーの話題も何となく中だるみなので、ちょっと他の話題に浮気します。それは他でもない理科趣味のことです。
理科趣味というのは時代を超えて存在すると思いますが、ここで取り上げるのは、最近ブームの観がある「いわゆる理科趣味」、あるいは「理科趣味風俗」のことです。
私が知りたいと思うのは、そうした嗜好が何に由来し、どのように成長してきたかということです。で、これについては、同時代人として、我々には等しくモノを言う資格があると思います。何と言っても、この記事を書いている私にしても、拙ブログに足を運んでいただいている方たちにしても、それぞれ現代日本の理科趣味の一端を担っている当事者なのですから。
(中には「いや、自分は昭和理科少年の気概を今に伝えているだけで、そんな小洒落た理科趣味なんて知らないよ」という方もいらっしゃるかもしれません。私自身も、どちらかと云えばその口なんですが、今や理科趣味の裾野はまことに広く、たぶん「昭和理科少年気質」もその中に絡め捕られていると思います。)
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話の切り口として、まず「理科趣味」という言葉自体の成り立ちについて確認しておきますが、これに関しては嘗てこういう記事がありました。
2006年4月の記事で、これは自分で言うのも何ですが、かなり歴史的に重要な記事です。というのも、この時点では「理科趣味」という用語が、グーグルの検索でも引っかからないぐらい、至極マイナーな言葉だったことが分かるからです(そのため無理やり戦前の児童書に、その用例を求めています)。
それが今や『スチームパンク東方研究所4 理科趣味の部屋』(グラフィック社)というような一般向け書籍まで出るに及び、「理科趣味」は全き普通名詞となったのでした。
この間ざっと8年間。理科趣味という用語の普及はかなり急だったというべきでしょう。
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そんなわけで、用語自体はかなり新参なのですが、理科趣味という概念については、確かにそれ以前からあったと思います。
私自身が経験し、記憶している動きは、昭和の後期=1970年代後半ぐらいからです。
その頃に胚胎した理科趣味の種子は、何と言っても鴨沢祐仁氏、たむらしげる氏、それにますむらひろし氏らのデビューです。
周知のとおり、これら3氏はいずれも宮沢賢治や稲垣足穂の直接的影響を受けており、現在の理科趣味に色濃くみられる賢治趣味や足穂趣味は、こうした作家さんを経由している部分がかなりあると思います。
そして、ここでもう1つ重要なのは、これらの作家がいずれも雑誌「ガロ」を足掛かりに活動していたことで、現在の理科趣味に「サブカル志向」が見え隠れするのは、そうした青林堂文化が遠くこだましているのではないかと、私は推測しています。(コマツシンヤ氏が、青林堂の系譜を引く青林工藝舎に拠って『睡沌気候』を刊行されたことは、その水脈が連綿と続いていることを物語っているのでしょう。)
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1980年代に入ってからの動きとして、これまた現在の理科趣味に強く影響していると思えるのは、「新・教養主義」の伸長です。あの頃は、浅田彰氏とか中沢新一氏の名前や、「ニュー・アカデミズム」という用語が世間をにぎわしていましたが、ともかくあらゆる知識に通じていることがカッコイイとされたので、若い人の中には非常な多読・濫読を誇る人がいました。
まあ、この点は先行する70年代も、60年代もそうだったでしょうが、80年代の特徴は「汗のにおいのする本」は一般に遠ざけられ、もっぱら浮世離れした本が好まれたという点です。そして、その中に工作舎の一連の出版物があり、また荒俣宏氏による博物学復権運動がありました。
現在、理科趣味ムーブメントに関わっている方(創作家であったり、あるいはショップ経営をされている方)で、こうした動きに影響されている方はかなり多いと思います。そして、こうした「エンターテイメントとしての博物学」は、90年代に入ると、さらにヴンダーカンマーをもてはやす風潮へと連なっていきます。
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80年代に特徴的な文科事象を、もう1つ挙げるとすれば、オタク文化の成立とコミックマーケットの肥大化があります。現在の理科趣味の構成要素には、必ずやそれに由来する部分があると睨んでいますが、この点はよくよく解きほぐさないといけないので、後考を待ちます。
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そして1988年。
この昭和最後の年にデビューしたのが、他ならぬ長野まゆみ氏でした。
(この項つづく)
同時代人として理科趣味を問う(中編) ― 2014年09月07日 12時13分49秒
長野氏に対する毀誉褒貶はさておき、氏のデビューは、まさに日本の理科趣味におけるエポックメーキングな出来事だったと思います。
年が明けて年号が平成に替わると同時に、氏のデビュー作『少年アリス』が単行本化され、2年後の1991年には『天体議会』が、さらに3年後の1994年には『鉱石倶楽部』が発刊されました。現在の理科趣味風俗にはっきりとした形を与えたのは、長野氏による、これら一連の初期著作でしょう。
年が明けて年号が平成に替わると同時に、氏のデビュー作『少年アリス』が単行本化され、2年後の1991年には『天体議会』が、さらに3年後の1994年には『鉱石倶楽部』が発刊されました。現在の理科趣味風俗にはっきりとした形を与えたのは、長野氏による、これら一連の初期著作でしょう。
そこに盛られた「感官に訴える耽美趣味」、「鉱物の偏愛」、「過剰な少年性の讃美」…こうした特徴は、いずれも現在の理科趣味風俗周辺に瀰漫(びまん)しています。
最後の「過剰な少年性の讃美」は、「過剰な少女性の讃美」を本質とする「萌え」と対をなすもので、この辺が昨日書いたオタク文化―もっと明瞭に書けば「腐女子文化」との連続性を感じる点です。
長野氏の作品傾向が、その後、フィジカルな少年愛へと遷移していったことを問題視する声は多いですが、想念としての少年世界に惑溺するという本質において、BLと「理科趣味風俗」はそう遠いわけではない…というのが私見です。(そしてまた「理科趣味風俗」論は、ジェンダー論との親和性が高いように感じます。)
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長野氏の功績としてもう1つ落とせないのは、90年代後半(だと思いますが)に運営されていた、高円寺の「耳猫風信社」というセレクトショップです。
(雑誌「MOE」1998年12月号より)
往時の空気を伝える貴重な一文が以下に綴られています。
私自身は当時のことをまったく知らないので、すべて伝聞と推測によるのですが、どうやら熱烈なファンによって支えられていた、一種独特なムードのお店だったようです。
店舗として存続できなかったのは、そういう店にありがちな、粗放な趣味的経営のせいかもしれませんが、そこに陳列されていた、「様々な種類の鉱石、プリズムやアルコールランプ、三角フラスコや試験管等の理科実験用具。奇麗な鉱石の写真やポストカード。 小物類、メモ用紙、レターセット、インク瓶、硝子ペン等々」(上記引用先より)というラインナップは、現在流通している理科趣味グッズの祖型となっている可能性が高いと思います。そういう意味でも、長野氏の存在は、その後の理科趣味の性格付けに、大きな意味があったといえます。
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理科趣味グッズということで、もう一人お名前を挙げておくと、清水隆夫氏(現・ダーウィンルーム)が、東京・下北沢に教育雑貨店「THE STUDY ROOM」の1号店をオープンされたのが、ちょうど同じ時期(1995年)のことになります。こちらは正統派昭和理科少年の嗜好に応じたもの…と言えるかもしれません。
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1990年代には、理科趣味の骨格となるような出来事が、本当にいろいろありました。
その一つに鉱物趣味の普及があります。
1990年6月には、堀秀道氏の『楽しい鉱物学』(草思社)が出ています。これは一般向けに書かれた鉱物入門書としては最初期のものでしょう。堀氏は、その後、同じ出版社から『楽しい鉱物図鑑』(1992)、『楽しい鉱物図鑑②』(1997)を上梓し、これらは鉱物趣味愛好家のバイブルとなりました。
1994年には上記のとおり、長野まゆみ氏の『鉱石倶楽部』が出て、1996年には雑誌「夜想」(ペヨトル工房)が鉱物特集を組み、同じ年、米澤敬氏の『MINERARIUM INDEX』(牛若丸出版)が出ています(米澤氏は工作舎社員で、松岡正剛氏の弟子筋に当たります)。
この辺から、旧来の鉱物ファンとは出自の異なる「文系の鉱物趣味」といったものが、徐々に世間に認知されてきたと思います。
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また、1990年12月には、エリーザベト・シャイヒャーによる『驚異の部屋―ハプスブルク家の珍宝蒐集室』の邦訳が、平凡社から出ました。こちらは後のヴンダーカンマー本の嚆矢といえるでしょう。
ヴンダーカンマーに関しては、当時すでに故人であった澁澤龍彦氏(1928-1987)の功績も大きいと思いますが、雑誌「太陽」1991年4月号の「特集・澁澤龍彦の世界」に掲載された記事と執筆者の一覧を見ると、平成初期に、ある知的サークルが共有していた「匂い」と、興味の置き所が窺え、長野まゆみ氏の愛読者とは、また違った理科趣味の根をそこに感じることができます。
その一部は「工作舎文化」に連なる人々でしょうし、今の理科趣味業界(そんな業界があるのか定かではありませんが、イメージとしては何となくあります)の中には、その直系の人も多いことでしょう。
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90年代は、アートシーンにも見逃せない動きがありました。
おそらくその最大のものは、1992年10月から翌年12月にかけて各地を巡回した「ジョゼフ・コーネル展」です。コーネルの箱作品が、その後の理科趣味作家の活動に、いかに大きな影響を与えたかは、今更言うまでもありません。今も続く立体コラージュ的な作品群の根は、おそらくコーネルでしょう。
(チャールズ・シミック著、柴田元幸訳『コーネルの箱』(文芸春秋、2003)より)
1994年には、クラフト・エヴィング商会の初展覧会「あるはずのない書物・あるはずのない断片」が開催され、1997年には、彼らのイメージを決定付けた『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房)が刊行されています。
ウィキペディアの「レトロ」の項を見ると、近年のレトロ趣味には2つのブームがあり、1986年からの数年間は、大正末期から昭和高度成長期直前までを、また2000年代初頭からは、昭和30~40年代を主たる対象とする旨が書かれています。
クラフト・エヴィング商会や、長野まゆみ氏の「擬古様式」には、明らかに前者のレトロ要素が含まれています。これも理科趣味風俗の構成要素として見逃せないものでしょう。
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90年代末になると、いろいろな要素が混淆し、いよいよもって不思議な世界が現出してきます。
<レトロ+アート+鉱石+理科>の交錯する所に成立した稀有の書、小林健二氏の『ぼくらの鉱石ラジオ』(筑摩書房)が出たのが1997年。
<ヴンダーカンマー+アート+学問>という型破りな展覧会、東京大学創立120周年記念「東京大学展」が開催されたのも同じ年です。これは現インターメディアテクにつながる、西野嘉章氏の原点となる展覧会でした。
1998年には、ローレンス・ウェシュラーの怪著『ウィルソン氏の驚異の陳列室』(みすず書房)が出て、ヴンダーカンマーが単なる博物館の祖型というにとどまらず、20世紀末における新たな文化装置と見なされることにもなりました。
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こうして20世紀末までには、現在の理科趣味に通じる要素はあらかた出尽くした感があるのですが、00年代に入って、理科趣味成立を促した最後の、そして最大の要素が登場し、その成立はいよいよ決定的なものとなりました。
それは言うまでもなく、「ネットの普及」です。総務省の統計によれば、インターネットの人口普及率が50%を超えたのは2002年のことでした。
(http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc243120.html)
(この項つづく)
同時代人として理科趣味を問う(後編) ― 2014年09月08日 07時04分16秒
ミレニアム、西暦2000年。
永遠の未来派たる稲垣足穂は、この年、クラフト・エヴィング商会の装丁による新しい全集(全13巻、筑摩書房)によって再誕しましたが、その足穂も予想しえなかったのが、ネット社会かもしれません。まあ、その技術的可能性は予見していたかもしれませんが、それによってどんな世の中になるかは、足穂に限らず、ほぼ誰にも分かっていなかったので(もちろん私にも分かりませんでした)、こればかりは本当にびっくりです。
永遠の未来派たる稲垣足穂は、この年、クラフト・エヴィング商会の装丁による新しい全集(全13巻、筑摩書房)によって再誕しましたが、その足穂も予想しえなかったのが、ネット社会かもしれません。まあ、その技術的可能性は予見していたかもしれませんが、それによってどんな世の中になるかは、足穂に限らず、ほぼ誰にも分かっていなかったので(もちろん私にも分かりませんでした)、こればかりは本当にびっくりです。
これは理科趣味に限りません。
2000年以降の文化は、ネット抜きに語ることはできないでしょう。
ネットによって情報の流通が加速したのはもちろんですが、私自身が実感しているのは、それ以上にモノの流通の加速です。新しいオリジナル作品にしろ、アンティークにしろ、理科趣味アイテムの如き本来マイナーな嗜好品が、爆発的に流通するようになったのは、何と言ってもネットのおかげです。
かび臭い古物や古本ばかり並んでいる私の部屋にしても、ネットという神器がなければ、その1%だって手にすることはできなかったはずです。まあ、人間の嗜好は争われないので、その場合はリアル・ナチュラリストになって、自分で採集した標本類を並べていたかもしれませんが、ネットという新しいツールは、一方に古物好きを生み出すという逆説的作用を伴いました。
そして人と人の結びつき。
理科趣味に共感し、言葉を交わす人が、ネットなしで存在し得たろうか?
少なくとも私の場合、その可能性はゼロです。
★
この時期の大きな出来事としては、博物趣味にリアリティが加わったことが挙げられると思います。前述のように、博物学ブームは80年代から続いていましたし、ヴンダーカンマーというのも、好事な趣味人は、知識として既によく知っていたわけですが、いわばそれは「耳学問」であり、みな「頭でっかち」だったのです。
博物図譜や博物画にしても、荒俣氏がひとり気を吐いていただけで、多くは荒俣氏の著作や、海外の図録を通じて、何となく見知った気になっていただけのように思います。
そんな時期、2002年12月に、東大で「ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展が開催され、人々はヴンダーカンマーの生きた実例を目の当たりにするとともに、博物標本の美を知りました。古びた博物標本に、アートという新たな意味が加わったわけです。
(「ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展図録より)
翌2003年には、児童書という体裁ではありましたが、今森光彦氏の『好奇心の部屋デロール』(福音館)が出て、博物標本というのは今でも商品として売り買いされているらしいことを、人々はおぼろげながら悟りました。
そこにネットです。
私がネットオークションや、海外の古書販売サービスのアカウントを取得したのは、2002年前後ですが、そこで感じた一種の万能感や、自由の感覚は非常に鮮烈でした。確かに嚢中は乏しく、大したものは買えませんでしたが、それでも買うべきものは、なかなか多かったのです。
ネットによって、不思議なものが海外から大量に流入し始めました。
いわば大航海時代の王侯貴族や、帝国主義時代の上層市民が経験したことが、この日本の一般家庭で起こったわけです。そうであってみれば、ヴンダーカンマーや、博物キャビネットの庶民化が生じたのも当然の帰結といえるでしょう。
今や博物趣味は眺めるものではなく、自ら実践しうるものとなったのです。
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長野まゆみ氏に続き、日本の鉱物趣味に第2の画期をもたらしたのは、フジイキョウコ氏の『鉱物アソビ―暮らしのなかで愛でる鉱物の愉しみ方』の発刊(ブルース・インターアクションズ、2008)だと思いますが、この「暮らしのなかで愛でる」というのが、この時期のキーワードだと思います。
理科趣味や博物趣味が、急速に家庭に入り込んでくるにつれ(まあ、入り込んだのは全体からすればごく一部ですが)、遠いフランスのデロールのみならず、博物色の濃いお店が、国内でも次々に誕生しました。
2005年には、谷省二氏のLandschapboek(神戸)がオープンし、ややあって2010年には市ゆうじ氏のantique Salon(名古屋)、淡嶋健仁氏のLagado研究所(京都)、清水隆夫氏の「好奇心の森―ダーウィンルーム」(東京)が次々にオープンしました。あるいは、さらに下って昨年、「メルキュール骨董店」が信州小諸にオープンしたことは記憶に新しいところです。
(一般誌にも特集記事が。「博物系アンティーク」をキーワードに、Landschapboekとantique Salonを紹介する「& Premium」2014年10月号)
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そして実店舗を持たないオンラインショップも、博物系に関していうと、「子羊舎購買部―肉桂色の店」や「Le Petit Musée de Lou」のお名前が親しく感じられます(いずれもショップは2008年のオープンかと思います)。さらに「きらら舎」や「月兎社」のお名前も、その歴史や影響力において落とすことはできません。
博物系に限らず、理科趣味の領域で、この時期にネット上で活動を始められた方は、枚挙にいとまがなく、私自身がお世話になった方も少なくありません。
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こうして話は2014年現在に戻ってきます。
この先、理科趣味風俗はいったいどこに向かうのでしょうか?
前々回の記事で『スチームパンク東方研究所』の書名を挙げましたが、一部ではスチームパンク趣味との融合が今後も続くのでしょう。また、現状では理科趣味のうち、鉱物趣味の領域がやや突出しており、次いで天文モチーフや、生物系のヴンダーな品が好まれるという勢力地図かと思いますが、この辺も少しずつ変わっていくかもしれません。
いちばん気になるのは、こういう「理科趣味風俗」が、理科好きを増やし、理科嫌いの子供の増加に歯止めをかける役割を果たすかどうかですが、これはちょっと予想が付きません。その可能性はあると思います。
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以上、私の狭い見聞を中心に、ざっとメモ書きしてみました。
しかし、単なるメモ書きといっても、記事の太字部分だけ抜き出しても以下のとおりで、「理科趣味」というものの背景が、なかなか込み入っていることが自分でも改めて分かりました。本当はもっと腰を据えて書けるといいのですが、今はこの程度で我慢です。
■今回のキーワード
いわゆる理科趣味、理科趣味風俗、「理科趣味」という言葉自体の成り立ち、『スチームパンク東方研究所4 理科趣味の部屋』、1970年代後半、鴨沢祐仁氏、たむらしげる氏、ますむらひろし氏、賢治趣味、足穂趣味、「ガロ」、サブカル志向、コマツシンヤ氏、1980年代、新・教養主義、工作舎、荒俣宏氏、エンターテイメントとしての博物学、オタク文化の成立とコミックマーケットの肥大化、長野まゆみ氏、『少年アリス』、『天体議会』、『鉱石倶楽部』、感官に訴える耽美趣味、鉱物の偏愛、過剰な少年性の讃美、「過剰な少女性の讃美」を本質とする「萌え」と対をなす、腐女子文化、耳猫風信社、理科趣味グッズの祖型、清水隆夫氏、THE STUDY ROOM、正統派昭和理科少年の嗜好、1990年代、鉱物趣味の普及、堀秀道氏、『楽しい鉱物学』、『楽しい鉱物図鑑』、『楽しい鉱物図鑑②』、「夜想」(ペヨトル工房)、鉱物特集、米澤敬氏、『MINERARIUM INDEX』、文系の鉱物趣味、エリーザベト・シャイヒャー、『驚異の部屋―ハプスブルク家の珍宝蒐集室』、ヴンダーカンマー本の嚆矢、澁澤龍彦氏、アートシーン、ジョゼフ・コーネル展、クラフト・エヴィング商会、『どこかにいってしまったものたち』、擬古様式、レトロ要素、小林健二氏、『ぼくらの鉱石ラジオ』、東京大学創立120周年記念「東京大学展」、西野嘉章氏の原点、ローレンス・ウェシュラー、『ウィルソン氏の驚異の陳列室』、20世紀末における新たな文化装置、00年代、理科趣味成立を促した最後の、そして最大の要素、ネットの普及、ネット社会、モノの流通の加速、人と人の結びつき、博物趣味にリアリティが加わった、「ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展、今森光彦氏、『好奇心の部屋デロール』ヴンダーカンマーや、博物キャビネットの庶民化、フジイキョウコ氏、『鉱物アソビ―暮らしのなかで愛でる鉱物の愉しみ方』、谷省二氏、Landschapboek、市ゆうじ氏、antique Salon、淡嶋健仁氏、Lagado研究所、「好奇心の森―ダーウィンルーム」、「メルキュール骨董店」、「子羊舎購買部―肉桂色の店」、「Le Petit Musée de Lou」、「きらら舎」、「月兎社」、スチームパンク趣味との融合
月見れば ― 2014年09月09日 23時01分10秒
Oui, temmon-coganique ! ― 2014年09月11日 17時53分38秒
最近、ちょっと天文濃度が下がっていますね。
以前も書きましたが、天文アイテムの弱点は、星そのものを剥製にしたり、ピン留めしたりすることができないために、結局、紙モノばかりになってしまう点です。
以前も書きましたが、天文アイテムの弱点は、星そのものを剥製にしたり、ピン留めしたりすることができないために、結局、紙モノばかりになってしまう点です。
もちろん、決して手に触れることのできない点が、星の貴いところであり、「素手でベタベタさわれるような、下界の俗物どもと一緒にしてくれるな」と、天上の星は澄ましているかもしれず、そんな星にべた惚れという天文ファンも多いでしょう。
が、こと蒐集の愉しみという点では、天文ファンは、鉱物や動・植物マニアの後塵を拝していることは否めません。
もちろん天文ファンにも蒐集欲はあるわけで、わりと多くの人は、天体写真の撮影に励んで、画像が集積することに満足を見出す道をたどります。また、機材マニアとなって、山のように機材を買い込む人もいます。(その一方で、純粋に星を眺め、宇宙と向き合うことに喜びを感じる、ピュアというか、シンプルなファンも少なからずいます。)
私の場合は、それが天文古書や、星図や、星にまつわるあれこれの蒐集に向かいました。これは畢竟、星に対して古人が抱いた想念の蒐集なのかもしれません。だから、物理的に言えば、それらは頼りない紙に過ぎないとは言え、本当はその向こうに立ち現われる想念こそが大事であって…
★
と、ここまで書いたところで筆が止まりました。
上の言い分はウソではないにしろ、紙モノにもやっぱりモノとしての魅力はあるんじゃないか…と思い直したからです。おそらくその両方(想念とモノ)の魅力を兼ね備えたところに、天文古玩の魅力はあるのでしょう。
★
さて、前置きが長くなりましたが、いかにも「天文古玩的」な品ってありますよね。
(フランス語で言うと、temmon-coganique で、これは普通の辞書には載ってませんが、大きな辞書を見てもやっぱり載ってません。)
私の勝手なイメージで言うと、下のような本を見ると「おお、テンモンコガニーク!」と声を上げたくなります。
■J. J. von Littrow,
Wunder des Himmels. 『天界の驚異』
Hempel Verlag (Berlin), 1886.
1200頁を超える分厚い本で、背表紙のデザインも存分に凝っています。
Wunder des Himmels. 『天界の驚異』
Hempel Verlag (Berlin), 1886.
1200頁を超える分厚い本で、背表紙のデザインも存分に凝っています。
本文はドイツ語だし、しかも亀甲文字で、内容は理解しがたいですが、中身はそれほど美麗というわけではありません。巻末に10葉の石版の図版が付いているのが、見どころと云えば見どころですが、その多くは類書から引っ張ってきたものです。
とはいえ、この装丁は手放しで称賛したくなります。
(三方の小口にマーブルが入っています。)
岩山の上にぽつんと立つ観象台。
ここに暮らす老碩学は、雷光、虹、夕映えといった低層の気象現象とともに、
遠い遠い星の世界を、ひとり観測し続けている…というイメージを、この表紙絵は伝えているのでしょう。素敵なイメージです。
(続) リトロー著 『天界の驚異』 ― 2014年09月13日 10時31分23秒
テンモンコガニークな本ということで、前回、リトローの『天界の驚異(Wunder des Himmels)』をご紹介しました。
この本は、日本でいえば天保時代の1830年代に初版が出て、戦後の月ロケットの時代まで繰り返し版を重ねた超ロングセラーです。しかも、別に古典が復刻されたわけではなくて、著者のリトロー(Joseph Johann von Littrow、1781-1840)の死後も、後世の学者がたびびたび改訂を施し、内容をアップデートしながら、常に現役の天文学入門書として販売されたという、書籍としてはこの上なく幸せな扱いを受けた本です。
前回のは1886年版でしたが、下は四半世紀経った1910年版。
装丁がこれまた凝っているので、無駄とは思いましたが、つい食指が動きました。
なお、タイトルをよく見ると『Die Wunder …』と、頭に定冠詞の「Die」が加わっていますが、本としては同じものです。
相変わらず分厚い本ですが、ページ数は781頁と、1886年版に比べてかなりスリムになりました。
写真図版も登場し、時代の変化を感じます。
中身も図版が一挙に増えて、パッと見同じ本には見えませんが、全体の章立ては旧来のものをほぼ踏襲しています。
表紙細見。文字もイラストも、捺しをかけて凹凸がくっきり出ているのが良い雰囲気。
この本は巻末に折り込み付録が付いていて、これを切り抜いてボードに貼ると、直径52cmという巨大な星座早見が出来る趣向です。
勿体ないのでやりませんが、でも状況が許せば作ってみたいですね。
理科とホラー ― 2014年09月14日 15時02分11秒
先日、理科趣味の話題が出たときに、理科趣味と怪奇漫画には、何かその間に糸を引くものがあるのでは…というコメントをいただきました。理科室がしきりに舞台となった、かつての怪奇漫画に親しんだ経験は、その後の理科趣味涵養に影響を及ぼしているのではないか? という問いかけです。
これは、大いにありそうなことです。
はじめに少し概念を整理しておくと、いわゆる理科趣味には、透明な鉱石や、白く煙る銀河、カラフルな蝶のような、美しい存在に憧れる「カラッと明るい理科趣味」と、人体模型や骨格標本、瓶詰標本のようなダークな理科室世界に憧れる「ジメッと暗い理科趣味」があります。
まあ、この辺は個人差もあって、蝶の標本に暗く不気味なものを感じる人もいますし、生物の精妙な骨格構造に、鉱物と同質の美を感じる人もいるでしょう(いったん化石化すると特にそうですね)。その辺の細かい出入りはあるにしても、理科趣味に「明るい理科趣味」と「暗い理科趣味」があることは、多くの人の感じるところだと思います。
ホラーとの関係でいうと、もちろん「暗い理科趣味」はそれに直結しています。
いささか安易な気はしますが、「ジメッと暗い」がゆえに、ホラーの舞台や道具立てに理科室が用いられるのは、ごく自然な方向性です。今の理科室は知らず、少なくとも昔の理科室は、不気味なムードに事欠きませんでした。
(楳図かずお、『漂流教室』より)
さらにまた、ホラー作品には、ジキル博士、カリガリ博士、フランケンシュタイン博士、『ドグラマグラ』の正木博士のような、「黒い博士」の系譜がありますが、魔術師めいた彼らの存在も、ダークな理科趣味とホラーを結びつけるものとして、無視できないところです。
★
さて、ここで次のような問いを問うてみたいと思います。
「暗い理科趣味」がホラーと関係があるのは事実として、では「明るい理科趣味」はホラーとは無縁なのか?
これは理科趣味というものの深い部分に関わる問いだと思います。
コメント欄でのやりとりでは、日常を超えた世界、常ならぬものへの好奇心が、科学的探究と怪奇趣味を媒介しているのではないか…ということが語られました。要するに「不思議なものへの憧れ」という一点において、両者には共通点があるということです。
ホラーというのは、あからさまに不気味だったり、グロテスクだったりするところに成立するばかりではなく、清澄で穏やかな場面にも、ふと立ち現われることがあります。
鉱石のきらめきの奥に、真夜中の空に白々と横たわる銀河に、無数に並ぶ蝶の鱗粉の表情に、皆さんは、ふと怖さを感じることはないでしょうか。
素の自然と向き合うとき、人はご都合主義的な癒しばかりではなく、深い畏怖の念を覚えることがあります。そして、そこに幻想の花が咲くこともままあるでしょう。
★
最近出た賢治本を読んで、上のことを強く感じました。
賢治といえば、明るい理科趣味御用達の観がありますが、彼自身の世界の捉え方には、涼しげを通り越して、何となくヒヤッとするものがあることを、下の本に教えられました。
■東雅夫編、『宮沢賢治怪異小品集 可愛い黒い幽霊』(平凡社ライブラリー、2014)
賢治には、なんだか執筆意図のよく分からない作品があることは感じていましたが、それを「怪異」という視点で編んだのが、このアンソロジーです。ここに収められている作品群は、牧歌的・教訓的な童話作家のそれではなしに、賢治の幻視者としての実体験に基づくであろう「奇妙な味わいの作品群」です。
本の帯に書かれた文句は、賢治の次の作品から取ったもの。
(全文は青空文庫所収の『春と修羅』で読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html)
小岩井農場 パート九
〔…前略…〕
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……はさつき横へ外れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
(( 幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ ))
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
(( あんまりひどい幻想だ ))
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
〔…後略…〕
分かるといえば分かるし、分からないといえば分からない詩です。
ユリアとペムペルが、地質年代のジュラ紀とペルム紀に由来するらしいと聞いても、依然謎めいた感じが強いです。
小岩井農場を徘徊しながら、彼の脳髄には、過去と現在の、そして現実と夢の記憶が交錯し、彼はリアリティの変容とともに、自分と周囲の境界が徐々に溶融していくような経験を味わったのでしょう。そして、そんな経験を、彼は幼い頃から繰り返していた気がします。
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この本の「編者解説」を読み、賢治には、いわゆる神秘体験が少なくなかったことを知りました。
月夜の早池峰山中で、疾風のように駆ける黒衣の僧を見たとか、亡くなった妹のために読経したら、妹が枕元に立ったとか、トラックの荷台から、追いすがる赤い肌をした鬼の子の群れが見えたが、観音様の巨大な白い手に救われたとか、賢治は真顔で人に語っていたそうです。
理科趣味と怪異経験に必然的な、不可分のつながりがあるとまでは思いません。
ただ、賢治の例のように、一個の鋭敏な感受性が、一方では繊細な理科趣味の発露となり、他方では怪異な世界への親和性を見せる例は他にもある気がします。
そして、賢治を通じて理科趣味に親しむ多くの人々は、その怪奇な幻想性の影響を知らず知らずのうちに受けていることも、また確かだろうと思います。
ホラー星図 ― 2014年09月15日 14時43分45秒
3連休だというのに、家で無為に過ごしてしまいました。
空疎な気もしますが、vacation とは vacant(空っぽ)な時間を言うそうですから、そういう意味ではヴァケーションを十分に満喫できました。
空疎な気もしますが、vacation とは vacant(空っぽ)な時間を言うそうですから、そういう意味ではヴァケーションを十分に満喫できました。
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さて、昨日の話題とは関係ありませんが、ホラーからの連想。
ホラー星図というのをネット上で見かけました。
いかにもホラーチックな、血のしたたるような赤い星図。
この星図が表現しているのは、ホラー映画の古典にして、吸血鬼映画の元祖、「吸血鬼ノスフェラトゥ」(F.W.ムルナウ監督)の試写会が、最初に行われた時と場所、1922年3月4日、ベルリン動物園のマーモルザール会堂の頭上に広がっていた星空だそうです。
拡大してよく見ると…
名作ホラー映画(一部はTVドラマ)のタイトルと、その監督、俳優、原作者などが、それぞれ星座と星に見立てられていて、何だかよく分からないですが、ちょっとカッコいい気がしました。
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このショップ(下述)で扱っている商品は、万事この調子です。
↑は、ご覧のとおり元素の周期表です。
でも、おなじみの「水兵リーベ僕の船」はどこに?
で、もう一度タイトルをよく見ると、「社会問題の周期表 Periodic Table of Social Issues」となっています。ここに配列されているのは、人間社会を構成する「悪の元素」なのでした。
拷問、暴政、専制政治、性差別、犯罪、人種差別、ファシズム、不和、敵意…
全然よそ事と思えないのが悲しいところですが、わが国も普遍的な人類社会の一構成要素であってみれば、それも止むを得ないところです。
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こうしたヒネリの利いた作品を制作・販売しているのは、イギリスで活動するDOROTHY というアートユニットです。
送料別で、ホラー星図は25ポンド、周期表は35ポンド。PayPal使用可とのこと。
ささやかな経験値 ― 2014年09月16日 20時52分34秒
今から4~5年前、ブルガリアの星図というのを買いました。
黒字に渋い青藍の星座絵、さらにオレンジの文字という美しい配色で、微妙なかすれも味になっていて、なかなか良いものだと思いました。
時代も何もまったく不明ですが、全体の様子は星座早見盤そのものなので、たぶん組み立て工程前の、デッドストック品なのだろうと、そのときは想像しました。
欄外余白に、印刷の際の位置合わせの「トンボ記号」が見えるのも、これが半完成品であることを示しているようでした。
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この星図を思い出したのは、最近、eBayでその完成形態を見たからです。
上はその販売用の参考写真で、出品されていたのは、さらにこれが破損している品だったので、入札はしませんでしたが、これを見て、「ああ、やっぱり」と心がスッキリしました。
一つのことを長い間続けていると、いろいろな経験をするものですね。
人生を歩む上では何の役にも立たない知識ですが、これも「亀の甲より年の劫」と言って言えないことはないでしょう。
(なお、この星座早見は時代的には1940年頃のものだそうです)。
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