同時代人として理科趣味を問う(前編) ― 2014年09月06日 22時14分38秒
先ほどまで遠雷が聞こえていました。夏の名残でしょうか。
夏の終わりはやっぱり寂しいものです。自ずとそこに人生を重ねるからでしょう。
これから先は実りの秋となり、小春日和をはさみながら、静かに雪が降り積む季節を迎え、人も大地も長い眠りに付くわけです。この上なく静かな眠りに。
夏の終わりはやっぱり寂しいものです。自ずとそこに人生を重ねるからでしょう。
これから先は実りの秋となり、小春日和をはさみながら、静かに雪が降り積む季節を迎え、人も大地も長い眠りに付くわけです。この上なく静かな眠りに。
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記事の間隔が開き、ツィオルコフスキーの話題も何となく中だるみなので、ちょっと他の話題に浮気します。それは他でもない理科趣味のことです。
理科趣味というのは時代を超えて存在すると思いますが、ここで取り上げるのは、最近ブームの観がある「いわゆる理科趣味」、あるいは「理科趣味風俗」のことです。
私が知りたいと思うのは、そうした嗜好が何に由来し、どのように成長してきたかということです。で、これについては、同時代人として、我々には等しくモノを言う資格があると思います。何と言っても、この記事を書いている私にしても、拙ブログに足を運んでいただいている方たちにしても、それぞれ現代日本の理科趣味の一端を担っている当事者なのですから。
(中には「いや、自分は昭和理科少年の気概を今に伝えているだけで、そんな小洒落た理科趣味なんて知らないよ」という方もいらっしゃるかもしれません。私自身も、どちらかと云えばその口なんですが、今や理科趣味の裾野はまことに広く、たぶん「昭和理科少年気質」もその中に絡め捕られていると思います。)
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話の切り口として、まず「理科趣味」という言葉自体の成り立ちについて確認しておきますが、これに関しては嘗てこういう記事がありました。
2006年4月の記事で、これは自分で言うのも何ですが、かなり歴史的に重要な記事です。というのも、この時点では「理科趣味」という用語が、グーグルの検索でも引っかからないぐらい、至極マイナーな言葉だったことが分かるからです(そのため無理やり戦前の児童書に、その用例を求めています)。
それが今や『スチームパンク東方研究所4 理科趣味の部屋』(グラフィック社)というような一般向け書籍まで出るに及び、「理科趣味」は全き普通名詞となったのでした。
この間ざっと8年間。理科趣味という用語の普及はかなり急だったというべきでしょう。
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そんなわけで、用語自体はかなり新参なのですが、理科趣味という概念については、確かにそれ以前からあったと思います。
私自身が経験し、記憶している動きは、昭和の後期=1970年代後半ぐらいからです。
その頃に胚胎した理科趣味の種子は、何と言っても鴨沢祐仁氏、たむらしげる氏、それにますむらひろし氏らのデビューです。
周知のとおり、これら3氏はいずれも宮沢賢治や稲垣足穂の直接的影響を受けており、現在の理科趣味に色濃くみられる賢治趣味や足穂趣味は、こうした作家さんを経由している部分がかなりあると思います。
そして、ここでもう1つ重要なのは、これらの作家がいずれも雑誌「ガロ」を足掛かりに活動していたことで、現在の理科趣味に「サブカル志向」が見え隠れするのは、そうした青林堂文化が遠くこだましているのではないかと、私は推測しています。(コマツシンヤ氏が、青林堂の系譜を引く青林工藝舎に拠って『睡沌気候』を刊行されたことは、その水脈が連綿と続いていることを物語っているのでしょう。)
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1980年代に入ってからの動きとして、これまた現在の理科趣味に強く影響していると思えるのは、「新・教養主義」の伸長です。あの頃は、浅田彰氏とか中沢新一氏の名前や、「ニュー・アカデミズム」という用語が世間をにぎわしていましたが、ともかくあらゆる知識に通じていることがカッコイイとされたので、若い人の中には非常な多読・濫読を誇る人がいました。
まあ、この点は先行する70年代も、60年代もそうだったでしょうが、80年代の特徴は「汗のにおいのする本」は一般に遠ざけられ、もっぱら浮世離れした本が好まれたという点です。そして、その中に工作舎の一連の出版物があり、また荒俣宏氏による博物学復権運動がありました。
現在、理科趣味ムーブメントに関わっている方(創作家であったり、あるいはショップ経営をされている方)で、こうした動きに影響されている方はかなり多いと思います。そして、こうした「エンターテイメントとしての博物学」は、90年代に入ると、さらにヴンダーカンマーをもてはやす風潮へと連なっていきます。
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80年代に特徴的な文科事象を、もう1つ挙げるとすれば、オタク文化の成立とコミックマーケットの肥大化があります。現在の理科趣味の構成要素には、必ずやそれに由来する部分があると睨んでいますが、この点はよくよく解きほぐさないといけないので、後考を待ちます。
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そして1988年。
この昭和最後の年にデビューしたのが、他ならぬ長野まゆみ氏でした。
(この項つづく)
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