同時代人として理科趣味を問う(中編) ― 2014年09月07日 12時13分49秒
長野氏に対する毀誉褒貶はさておき、氏のデビューは、まさに日本の理科趣味におけるエポックメーキングな出来事だったと思います。
年が明けて年号が平成に替わると同時に、氏のデビュー作『少年アリス』が単行本化され、2年後の1991年には『天体議会』が、さらに3年後の1994年には『鉱石倶楽部』が発刊されました。現在の理科趣味風俗にはっきりとした形を与えたのは、長野氏による、これら一連の初期著作でしょう。
年が明けて年号が平成に替わると同時に、氏のデビュー作『少年アリス』が単行本化され、2年後の1991年には『天体議会』が、さらに3年後の1994年には『鉱石倶楽部』が発刊されました。現在の理科趣味風俗にはっきりとした形を与えたのは、長野氏による、これら一連の初期著作でしょう。
そこに盛られた「感官に訴える耽美趣味」、「鉱物の偏愛」、「過剰な少年性の讃美」…こうした特徴は、いずれも現在の理科趣味風俗周辺に瀰漫(びまん)しています。
最後の「過剰な少年性の讃美」は、「過剰な少女性の讃美」を本質とする「萌え」と対をなすもので、この辺が昨日書いたオタク文化―もっと明瞭に書けば「腐女子文化」との連続性を感じる点です。
長野氏の作品傾向が、その後、フィジカルな少年愛へと遷移していったことを問題視する声は多いですが、想念としての少年世界に惑溺するという本質において、BLと「理科趣味風俗」はそう遠いわけではない…というのが私見です。(そしてまた「理科趣味風俗」論は、ジェンダー論との親和性が高いように感じます。)
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長野氏の功績としてもう1つ落とせないのは、90年代後半(だと思いますが)に運営されていた、高円寺の「耳猫風信社」というセレクトショップです。
(雑誌「MOE」1998年12月号より)
往時の空気を伝える貴重な一文が以下に綴られています。
私自身は当時のことをまったく知らないので、すべて伝聞と推測によるのですが、どうやら熱烈なファンによって支えられていた、一種独特なムードのお店だったようです。
店舗として存続できなかったのは、そういう店にありがちな、粗放な趣味的経営のせいかもしれませんが、そこに陳列されていた、「様々な種類の鉱石、プリズムやアルコールランプ、三角フラスコや試験管等の理科実験用具。奇麗な鉱石の写真やポストカード。 小物類、メモ用紙、レターセット、インク瓶、硝子ペン等々」(上記引用先より)というラインナップは、現在流通している理科趣味グッズの祖型となっている可能性が高いと思います。そういう意味でも、長野氏の存在は、その後の理科趣味の性格付けに、大きな意味があったといえます。
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理科趣味グッズということで、もう一人お名前を挙げておくと、清水隆夫氏(現・ダーウィンルーム)が、東京・下北沢に教育雑貨店「THE STUDY ROOM」の1号店をオープンされたのが、ちょうど同じ時期(1995年)のことになります。こちらは正統派昭和理科少年の嗜好に応じたもの…と言えるかもしれません。
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1990年代には、理科趣味の骨格となるような出来事が、本当にいろいろありました。
その一つに鉱物趣味の普及があります。
1990年6月には、堀秀道氏の『楽しい鉱物学』(草思社)が出ています。これは一般向けに書かれた鉱物入門書としては最初期のものでしょう。堀氏は、その後、同じ出版社から『楽しい鉱物図鑑』(1992)、『楽しい鉱物図鑑②』(1997)を上梓し、これらは鉱物趣味愛好家のバイブルとなりました。
1994年には上記のとおり、長野まゆみ氏の『鉱石倶楽部』が出て、1996年には雑誌「夜想」(ペヨトル工房)が鉱物特集を組み、同じ年、米澤敬氏の『MINERARIUM INDEX』(牛若丸出版)が出ています(米澤氏は工作舎社員で、松岡正剛氏の弟子筋に当たります)。
この辺から、旧来の鉱物ファンとは出自の異なる「文系の鉱物趣味」といったものが、徐々に世間に認知されてきたと思います。
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また、1990年12月には、エリーザベト・シャイヒャーによる『驚異の部屋―ハプスブルク家の珍宝蒐集室』の邦訳が、平凡社から出ました。こちらは後のヴンダーカンマー本の嚆矢といえるでしょう。
ヴンダーカンマーに関しては、当時すでに故人であった澁澤龍彦氏(1928-1987)の功績も大きいと思いますが、雑誌「太陽」1991年4月号の「特集・澁澤龍彦の世界」に掲載された記事と執筆者の一覧を見ると、平成初期に、ある知的サークルが共有していた「匂い」と、興味の置き所が窺え、長野まゆみ氏の愛読者とは、また違った理科趣味の根をそこに感じることができます。
その一部は「工作舎文化」に連なる人々でしょうし、今の理科趣味業界(そんな業界があるのか定かではありませんが、イメージとしては何となくあります)の中には、その直系の人も多いことでしょう。
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90年代は、アートシーンにも見逃せない動きがありました。
おそらくその最大のものは、1992年10月から翌年12月にかけて各地を巡回した「ジョゼフ・コーネル展」です。コーネルの箱作品が、その後の理科趣味作家の活動に、いかに大きな影響を与えたかは、今更言うまでもありません。今も続く立体コラージュ的な作品群の根は、おそらくコーネルでしょう。
(チャールズ・シミック著、柴田元幸訳『コーネルの箱』(文芸春秋、2003)より)
1994年には、クラフト・エヴィング商会の初展覧会「あるはずのない書物・あるはずのない断片」が開催され、1997年には、彼らのイメージを決定付けた『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房)が刊行されています。
ウィキペディアの「レトロ」の項を見ると、近年のレトロ趣味には2つのブームがあり、1986年からの数年間は、大正末期から昭和高度成長期直前までを、また2000年代初頭からは、昭和30~40年代を主たる対象とする旨が書かれています。
クラフト・エヴィング商会や、長野まゆみ氏の「擬古様式」には、明らかに前者のレトロ要素が含まれています。これも理科趣味風俗の構成要素として見逃せないものでしょう。
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90年代末になると、いろいろな要素が混淆し、いよいよもって不思議な世界が現出してきます。
<レトロ+アート+鉱石+理科>の交錯する所に成立した稀有の書、小林健二氏の『ぼくらの鉱石ラジオ』(筑摩書房)が出たのが1997年。
<ヴンダーカンマー+アート+学問>という型破りな展覧会、東京大学創立120周年記念「東京大学展」が開催されたのも同じ年です。これは現インターメディアテクにつながる、西野嘉章氏の原点となる展覧会でした。
1998年には、ローレンス・ウェシュラーの怪著『ウィルソン氏の驚異の陳列室』(みすず書房)が出て、ヴンダーカンマーが単なる博物館の祖型というにとどまらず、20世紀末における新たな文化装置と見なされることにもなりました。
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こうして20世紀末までには、現在の理科趣味に通じる要素はあらかた出尽くした感があるのですが、00年代に入って、理科趣味成立を促した最後の、そして最大の要素が登場し、その成立はいよいよ決定的なものとなりました。
それは言うまでもなく、「ネットの普及」です。総務省の統計によれば、インターネットの人口普及率が50%を超えたのは2002年のことでした。
(http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc243120.html)
(この項つづく)
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