同時代人として理科趣味を問う(後編)2014年09月08日 07時04分16秒

ミレニアム、西暦2000年。

永遠の未来派たる稲垣足穂は、この年、クラフト・エヴィング商会の装丁による新しい全集(全13巻、筑摩書房)によって再誕しましたが、その足穂も予想しえなかったのが、ネット社会かもしれません。まあ、その技術的可能性は予見していたかもしれませんが、それによってどんな世の中になるかは、足穂に限らず、ほぼ誰にも分かっていなかったので(もちろん私にも分かりませんでした)、こればかりは本当にびっくりです。

これは理科趣味に限りません。
2000年以降の文化は、ネット抜きに語ることはできないでしょう。

ネットによって情報の流通が加速したのはもちろんですが、私自身が実感しているのは、それ以上にモノの流通の加速です。新しいオリジナル作品にしろ、アンティークにしろ、理科趣味アイテムの如き本来マイナーな嗜好品が、爆発的に流通するようになったのは、何と言ってもネットのおかげです。

かび臭い古物や古本ばかり並んでいる私の部屋にしても、ネットという神器がなければ、その1%だって手にすることはできなかったはずです。まあ、人間の嗜好は争われないので、その場合はリアル・ナチュラリストになって、自分で採集した標本類を並べていたかもしれませんが、ネットという新しいツールは、一方に古物好きを生み出すという逆説的作用を伴いました。

そして人と人の結びつき
理科趣味に共感し、言葉を交わす人が、ネットなしで存在し得たろうか?
少なくとも私の場合、その可能性はゼロです。

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この時期の大きな出来事としては、博物趣味にリアリティが加わったことが挙げられると思います。前述のように、博物学ブームは80年代から続いていましたし、ヴンダーカンマーというのも、好事な趣味人は、知識として既によく知っていたわけですが、いわばそれは「耳学問」であり、みな「頭でっかち」だったのです。

博物図譜や博物画にしても、荒俣氏がひとり気を吐いていただけで、多くは荒俣氏の著作や、海外の図録を通じて、何となく見知った気になっていただけのように思います。

そんな時期、2002年12月に、東大で「ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展が開催され、人々はヴンダーカンマーの生きた実例を目の当たりにするとともに、博物標本の美を知りました。古びた博物標本に、アートという新たな意味が加わったわけです。

(「ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展図録より)

翌2003年には、児童書という体裁ではありましたが、今森光彦氏『好奇心の部屋デロール』(福音館)が出て、博物標本というのは今でも商品として売り買いされているらしいことを、人々はおぼろげながら悟りました。

そこにネットです。

私がネットオークションや、海外の古書販売サービスのアカウントを取得したのは、2002年前後ですが、そこで感じた一種の万能感や、自由の感覚は非常に鮮烈でした。確かに嚢中は乏しく、大したものは買えませんでしたが、それでも買うべきものは、なかなか多かったのです。

ネットによって、不思議なものが海外から大量に流入し始めました。
いわば大航海時代の王侯貴族や、帝国主義時代の上層市民が経験したことが、この日本の一般家庭で起こったわけです。そうであってみれば、ヴンダーカンマーや、博物キャビネットの庶民化が生じたのも当然の帰結といえるでしょう。

今や博物趣味は眺めるものではなく、自ら実践しうるものとなったのです。

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長野まゆみ氏に続き、日本の鉱物趣味に第2の画期をもたらしたのは、フジイキョウコ氏『鉱物アソビ―暮らしのなかで愛でる鉱物の愉しみ方』の発刊(ブルース・インターアクションズ、2008)だと思いますが、この「暮らしのなかで愛でる」というのが、この時期のキーワードだと思います。

理科趣味や博物趣味が、急速に家庭に入り込んでくるにつれ(まあ、入り込んだのは全体からすればごく一部ですが)、遠いフランスのデロールのみならず、博物色の濃いお店が、国内でも次々に誕生しました。

2005年には、谷省二氏Landschapboek(神戸)がオープンし、ややあって2010年には市ゆうじ氏antique Salon(名古屋)、淡嶋健仁氏Lagado研究所(京都)、清水隆夫氏の「好奇心の森―ダーウィンルーム」(東京)が次々にオープンしました。あるいは、さらに下って昨年、メルキュール骨董店」が信州小諸にオープンしたことは記憶に新しいところです。


(一般誌にも特集記事が。「博物系アンティーク」をキーワードに、Landschapboekとantique Salonを紹介する「& Premium」2014年10月号)

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そして実店舗を持たないオンラインショップも、博物系に関していうと、子羊舎購買部―肉桂色の店」「Le Petit Musée de Lou」のお名前が親しく感じられます(いずれもショップは2008年のオープンかと思います)。さらに「きらら舎」「月兎社」のお名前も、その歴史や影響力において落とすことはできません。

博物系に限らず、理科趣味の領域で、この時期にネット上で活動を始められた方は、枚挙にいとまがなく、私自身がお世話になった方も少なくありません。

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こうして話は2014年現在に戻ってきます。
この先、理科趣味風俗はいったいどこに向かうのでしょうか?

前々回の記事で『スチームパンク東方研究所』の書名を挙げましたが、一部ではスチームパンク趣味との融合が今後も続くのでしょう。また、現状では理科趣味のうち、鉱物趣味の領域がやや突出しており、次いで天文モチーフや、生物系のヴンダーな品が好まれるという勢力地図かと思いますが、この辺も少しずつ変わっていくかもしれません。

いちばん気になるのは、こういう「理科趣味風俗」が、理科好きを増やし、理科嫌いの子供の増加に歯止めをかける役割を果たすかどうかですが、これはちょっと予想が付きません。その可能性はあると思います。

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以上、私の狭い見聞を中心に、ざっとメモ書きしてみました。
しかし、単なるメモ書きといっても、記事の太字部分だけ抜き出しても以下のとおりで、「理科趣味」というものの背景が、なかなか込み入っていることが自分でも改めて分かりました。本当はもっと腰を据えて書けるといいのですが、今はこの程度で我慢です。


■今回のキーワード

いわゆる理科趣味、理科趣味風俗、「理科趣味」という言葉自体の成り立ち、『スチームパンク東方研究所4  理科趣味の部屋』、1970年代後半、鴨沢祐仁氏、たむらしげる氏、ますむらひろし氏、賢治趣味、足穂趣味、「ガロ」、サブカル志向、コマツシンヤ氏、1980年代、新・教養主義、工作舎、荒俣宏氏、エンターテイメントとしての博物学、オタク文化の成立とコミックマーケットの肥大化、長野まゆみ氏、『少年アリス』、『天体議会』、『鉱石倶楽部』、感官に訴える耽美趣味、鉱物の偏愛、過剰な少年性の讃美、「過剰な少女性の讃美」を本質とする「萌え」と対をなす、腐女子文化、耳猫風信社、理科趣味グッズの祖型、清水隆夫氏、THE STUDY ROOM、正統派昭和理科少年の嗜好、1990年代、鉱物趣味の普及、堀秀道氏、『楽しい鉱物学』、『楽しい鉱物図鑑』、『楽しい鉱物図鑑②』、「夜想」(ペヨトル工房)、鉱物特集、米澤敬氏、『MINERARIUM INDEX』、文系の鉱物趣味、エリーザベト・シャイヒャー、『驚異の部屋―ハプスブルク家の珍宝蒐集室』、ヴンダーカンマー本の嚆矢、澁澤龍彦氏、アートシーン、ジョゼフ・コーネル展、クラフト・エヴィング商会、『どこかにいってしまったものたち』、擬古様式、レトロ要素、小林健二氏、『ぼくらの鉱石ラジオ』、東京大学創立120周年記念「東京大学展」、西野嘉章氏の原点、ローレンス・ウェシュラー、『ウィルソン氏の驚異の陳列室』、20世紀末における新たな文化装置、00年代、理科趣味成立を促した最後の、そして最大の要素、ネットの普及、ネット社会、モノの流通の加速、人と人の結びつき、博物趣味にリアリティが加わった、「ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展、今森光彦氏、『好奇心の部屋デロール』ヴンダーカンマーや、博物キャビネットの庶民化、フジイキョウコ氏、『鉱物アソビ―暮らしのなかで愛でる鉱物の愉しみ方』、谷省二氏、Landschapboek、市ゆうじ氏、antique Salon、淡嶋健仁氏、Lagado研究所、「好奇心の森―ダーウィンルーム」、「メルキュール骨董店」、「子羊舎購買部―肉桂色の店」、「Le Petit Musée de Lou」、「きらら舎」、「月兎社」、スチームパンク趣味との融合