パリのウラニア ― 2014年09月21日 16時53分59秒
まずは正統派のウラニアから。
といっても、ローマ時代をはるかに下って、ときは18世紀、ところはパリです。
といっても、ローマ時代をはるかに下って、ときは18世紀、ところはパリです。
18世紀のフランスの銅版画より。
文字を除く図版の大きさは30×20.5cmで、シートサイズは高さ42cmありますから、本から取ったとすれば、相当大きな本です。
天球儀とディバイダを手にして思案顔のウラニア。
柔和な、そして才気煥発な若い女性として描かれています。
こういうのは画家の理想が投影されるのでしょうが、いかにも見目麗しいですね。
欄外の文字「Uranie coeli motus scrutatur et astra.」は、ローマの詩人・ウェルギリウスからの引用で、「ウラニアは天空と星の動きを閲(けみ)す」という意味らしい。
足もとには天文書と星図。
奥の方では架台付きの大型六分儀で観測する天文学者たちが描かれています。
向かって左に見えるのは、パリ天文台。
パリ天文台のてっぺんにドームが乗ったのは19世紀も半ばのことなので、当然ここには描かれていません。その代わりに、建物前の広場には、滑車で上げ下げする長大な屈折望遠鏡が見えます。
この絵が当時の実景に基づくものかどうかは不明ですが、仮にそうだとしたら、18世紀に入ってからも、旧来の観測スタイルが、かなり長いこと続いていたことを示すものでしょう。
(1667年、創建当時のパリ天文台。出典:M.C. Donnelly, A Short History of Observatories. 1973)
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こんなところが、近世におけるウラニアの基本形なのですが、彼女がさらにどんな顔を見せてくれるのか…ということで、この話は続きます。
(この項つづく)
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