諸兄姉に借問す ― 2014年10月01日 19時39分02秒
もはや呑気に理科趣味に興じている場合ではないのではないでしょうか。
■帝塚山学院大: 大学爆破の脅迫文 朝日OB教授が辞職
毎日新聞 2014年09月30日 03時30分
http://mainichi.jp/select/news/20140930k0000m040144000c.html
本当に無茶苦茶な話で、世の中がどうもよろしくない方向に向かっていることを、強く感じます。
ただ、これも足元のことを考えるきっかけにはなるでしょう。
我々はいったいどんな世の中に住みたいと願うのか?
これはよくよく考えてみなければなりません。
屈強なれかし天文古玩堂 ― 2014年10月02日 21時30分26秒
いろいろ凹むことも多いですが、いかなる外患があろうとも、内には輝く不磨の王国を築くことこそ趣味人の矜持かもしれず、まだまだこのブログは続きます。
…まあ、それほどご大層なものでもありませんが、でもゆうべ寝床の中で、「呑気というのも、一種の貴い徳ではないか」とボンヤリ考えていて、辛い時こそ呑気さを堅持すべきかもしれないと思い直しました。(とは言え、心底に些か存念なきにしもあらず)。
…まあ、それほどご大層なものでもありませんが、でもゆうべ寝床の中で、「呑気というのも、一種の貴い徳ではないか」とボンヤリ考えていて、辛い時こそ呑気さを堅持すべきかもしれないと思い直しました。(とは言え、心底に些か存念なきにしもあらず)。
星と人 ― 2014年10月04日 18時29分03秒
ISTI MIRANT STELLA. 「この者たち、かの星に驚きぬ。」
中世のバイユー・タペストリーに描かれた、1066年接近のハレー彗星をモチーフにした、フランス製ピンバッジ。
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昔の人は、星を見つめることで、地上の災厄を予知できると考えました。
今の人は「星を眺めていると、この地球上の争いごとなど忘れてしまう」と言います。
これらは正反対の意見のようですが、星に思いを託すという点では共通する部分があります。昔も今も、人は辛い思いを抱えて生きていますし、辛い時には、ふと空を仰いで、自分の位置を確かめたくなったりするものです。
天上と地上の出来事が照応しているかどうかは分かりません。
身近な火山にしてからが、人事とは没交渉であることからすると、ましてや遠い星と人間が関係しているとはとても思えないのですが、しかし星と人が互いに重力で結びついているのも事実なら、この宇宙の基本構造が、認識者の存在によって規定されているという仮説も、なかなか論駁しがたいものがあります。
いずれにしても、星空はこれからも長く人々の思索を誘い、省察を迫ることでしょう。
ゆっくり回れオーラリー ― 2014年10月05日 11時39分40秒
アメリカの「カリスマ主婦」、マーサ・スチュアートが、各分野の生活の達人と対談するコーナーが、彼女のサイトにあります。
その中に、たぶんインテリア関係&コレクターという位置づけだと思いますが、天文アンティークを商う、ニューヨークのジョージ・グレイザー氏が登場する回があって、その“天球儀・地球儀編”は、既にこのブログでも登場済みです。
■骨董天文店を夢想する
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/12/30/6674685
【付記】 元記事では、▼のページにリンクを張ったつもりだったのですが、今見たら、◆のページに張り替えられていました。登場するのはいずれもグレイザー氏です。両方見ると一層興味深いので、併せてご覧ください。
◆Antique Celestial And Terrestrial Globes
http://www.marthastewart.com/919911/antique-celestial-and-terrestrial-globes#919911
以下は、それとは別に撮った“オーラリー編”。
http://www.marthastewart.com/919911/antique-celestial-and-terrestrial-globes#919911
以下は、それとは別に撮った“オーラリー編”。
■Rare Astronomy Teaching Devices (動画 6分21秒)
http://www.marthastewart.com/913598/rare-astronomy-teaching-devices#913598
グレイザー氏は、オーラリー(太陽系儀)やテルリアン(三球儀)の現物を手に取って、両者の違いや、その機能を説明しつつ、最後にその価格についてもコメントしています。そのお値段はとても呑気とは言えませんが、こういうのをクルクル回して「まあ、面白い!」と言ってる分には、間違いなく呑気でしょうし、かかる呑気さこそあらまほしいものです。
野分 ― 2014年10月06日 07時05分29秒
台風一過 ― 2014年10月07日 07時28分41秒
台風は何人かの命を呑み込んで去って行きました。
台風はやっぱりおそろしいものです。
昨日の帰り道、台風などなかったように、空には月がまぶしく冴えかえっていました。
その光景はとても美しいものとして目に映りましたが、いっぽうで天象の酷薄さということも感じました。
台風はやっぱりおそろしいものです。
昨日の帰り道、台風などなかったように、空には月がまぶしく冴えかえっていました。
その光景はとても美しいものとして目に映りましたが、いっぽうで天象の酷薄さということも感じました。
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昨日の記事に載せた画像は、昭和33年(1958)発行の『天文と気象の図鑑』(講談社の学習大図鑑1)という、子供向きの本です(※)。
半世紀前の人にとって、台風はどんな顔を持っていたのかと思って開いたのですが、当然予想がつくように、当時は今以上に台風はおそろしいものでした。
上の表で、力なく壁にもたれているのは死亡者です。
その数字を見ると、数百人規模で亡くなる台風が毎年のように来ていましたし、その下にある全壊・流出家屋も、万で数える規模の被害がしょっちゅうあったことが分かります。それらと並んで船舶被害が特に示されているのも、当時の世の有様を彷彿とさせます(船は今よりも身近な存在でした)。
そして、ここには昭和31年の台風までしか載っていませんが、この図鑑が出た翌年(昭和34年、1959)、あの伊勢湾台風が襲来し、これはそれ以前の二大台風、室戸台風と枕崎台風を併せたぐらいの被害を出しました。
とにかく家屋はもろく、堤防も、防潮設備も、今よりもはるかに貧弱でしたから、人々はなす術もなく、台風が通り過ぎるのはひたすら待った…という風だったと想像します。(私自身の子供の頃も、出水被害はしょっちゅうでしたし、けっこう危ないこともあったと思うのですが、子供だったので、そう切実感はありませんでした。ちょっとしたイベントぐらいに思っていたのかもしれません。)
この図鑑を見て、昔の天気予報のことを一寸しのんでみようと思います。
(この項なんとなく続く)
天気予報の分水嶺 ― 2014年10月08日 06時58分05秒
今日は月食。曇りの予報のところも多く、気が揉めます。
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さて、今日はその天気予報の話。
昨日の図鑑が出た昭和33年(1958年)から現在までに、すでに半世紀以上の時が経過したわけですが、この間に気象学はどのような進歩を遂げたのでしょうか?
偶然ですが、この1958年というのは、気象学の進歩にとって、かなり重要な時期にあたります。というのは、この頃から気象学、そしてその応用たる天気予報は、「数値予報」の時代に突入したからです。すなわち、この頃を画期として、従来の勘と経験に頼る予報は、大気の運動シミュレーションに基づく予測へと変貌を遂げたのです。
天気の変化は大気の状態変化であり、大気の動きも物理法則に従う以上、詳しい計算をすれば、必ずや正確無比な天気予報ができるはずだ…ということは、19世紀以前の人も考えていました。しかし、昔はいかんせんその手立てがありませんでした。
大気の運動は、流体の3次元運動に加えて、熱の出入りによる状態変化も加わり、非常に複雑な様相を呈します。条件をごく単純化したモデルですら、その計算は困難を極めました。ようやくその端緒が得られたのは、第2次大戦も終わり、電子計算機が登場してからのことです。
そして、その実用化が日本で始まったのが、ちょうどこの図鑑の出た直後、1959年1月のことで、このとき気象庁はIBM704というマシンを購入し、数値予報業務の立ち上げに取り組み始めました。この機械の計算速度は不明ですが、メモリは8KBといいますから、今の目で見ると、お話にならないぐらいのスペックです。それでも、ここから後の「地球シミュレータ」や「京(けい)」のようなスパコンによる、本格的な気象予測への道は始まったのです。
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…と、知ったかぶりをして書きましたが、上の事実は、例によってにわか仕込みの知識で、元・気象庁長官の新田尚氏の下の文章を読んで知ったことです。
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というわけで、この『天文と気象の図鑑』に描かれているのは、大気の運動モデルの精緻化と、機械による計算技術が進歩する以前の、いわば「古式予報」の最後の姿になります。
当時は、観測手段もなかなか味がありました。
美しい純白の百葉箱のたたずまいは、気象学の雅味を表わして遺憾がないですが、これも90年代に入って、観測の現場から姿を消したそうです。惜しみても余りあることです。
測候所の調度や計器類も、十分に木味の利いた優雅なものでした。
うつむき加減に記録を取る、実直なスタッフの姿も魅力的です。
とはいえ、やることは驚くほど変わってないとも言えます。
気象観測の基本データは、風向・風速・気圧、それに気温・湿度・雨量・雲量であり、これは今も変わらないでしょう。
いちばん変化したのは、何といってもこの部分です。
有線・無線によって気象庁に集約された情報は、最終的に紙とペンによって「天気図」の形にまとめられ、ヒトの脳が持つパターン認識能力に全面的に依拠して、予報が下されました。これこそ数値流体力学発展以前の、天気予報の原風景です。
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そして、もう一つ大きく変わったものがあるとすれば…
それは、天気予報に見入る家族の姿でしょう。
お知らせ ― 2014年10月09日 20時13分57秒
もろもろあって、暫時記事をお休みします。
コメントへのお返事も右に同じです。
コメントへのお返事も右に同じです。
Good-bye, Newtonian. ― 2014年10月12日 12時56分32秒
再度の大型台風接近が気になります。
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いくぶん心理的余裕を失っていましたが、少しずつ記事を再開します。
といって、格別話題もないので、部屋の写真を載せます。
部屋の隅の物置のような一角。
いかにも混沌としていますが、混沌はむしろ望むところで、問題とはなりません。
それよりも、この場所は以前も写真に撮った記憶がありますが、そのときと明らかに変化している部分があって、それが自分としてはちょっと寂しく感じます。
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この場所には、かつて人体骨格模型と並んで、130ミリ反射望遠鏡が置かれていました。それをこの夏、手放しました。
もともと稼働率が著しく低く、取り回しの上からも、ベランダ観望には不向きだったのですが(そもそも南向きのベランダでは正確に極軸合わせができない)、いつかまた使う日が来るかもしれないと、ずっと部屋に置いていました。でも、増え続けるモノの圧力はいかんともしがたく、しかも古いモノばかり増えてくると、他とのアンバランスさも目立つようになり、思い切って処分を決断しました。
愛すべきニュートン式反射赤道儀。
あれを買った当時(前世紀末)、すでに自動導入装置付きシュミットカセグレン式望遠鏡の波は日本にも押し寄せていましたが、あまりそういうことは意識せず、再び天文趣味に目覚めた自分が、まっさきに思い浮かべたのは、子供のころ憧れたあのシルエットでした。
★
たしかに寂しくはあります。
これで、今も残る星見の友は、30ミリの双眼鏡と、子供向けの60ミリ屈折望遠鏡だけになりました。でも、宝石箱のようにきらめくヒアデスとプレアデス、白く煙るオリオン星雲を眺めるには、それで十分です。
彼らはすでに深更には姿を見せています。彼らが空の主役となり、吐く息が白くなる季節まで、あと少し―。
月食の夜 ― 2014年10月13日 07時23分31秒
空がどんよりと暗くなってきました。
でも、まだ辺りに鳥の声が聞こえます。嵐の前の静けさとはよく言ったもの。
でも、まだ辺りに鳥の声が聞こえます。嵐の前の静けさとはよく言ったもの。
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一応、天文に関するブログですから、先週の皆既月食の話題を書かないと、ちょっと極まりが悪い気がします。でも、そもそも月食というのは、わりと地味というか、キャーキャー歓声を上げて見るようなものでもないですね。
薄ら赤い色をぼんやり眺めながら、虚空を横切る地球の影法師の大きさを思って、グラスをゆっくり傾けるとか、そういうのが好ましい気が個人的にはします。そして、そういうのんびりした楽しみ方が許されるのが、月食の良さでしょう。(せいぜい数分で終わってしまう日食は、グラスを傾ける暇もなく、ちょっとせわしないですね。)
実際、先日はお酒も入っていたので、月との対話もこんな塩梅でした。
(スウェーデン南部の港町、ヘルシンボリをテーマにした1902年の消印がある絵葉書。キャプションは、「午後12時、霧のヘルシンボリの眺め」。)
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