諸兄姉に借問す2014年10月01日 19時39分02秒

もはや呑気に理科趣味に興じている場合ではないのではないでしょうか。

帝塚山学院大: 大学爆破の脅迫文 朝日OB教授が辞職
 毎日新聞 2014年09月30日 03時30分
  http://mainichi.jp/select/news/20140930k0000m040144000c.html

本当に無茶苦茶な話で、世の中がどうもよろしくない方向に向かっていることを、強く感じます。

ただ、これも足元のことを考えるきっかけにはなるでしょう。
我々はいったいどんな世の中に住みたいと願うのか?
これはよくよく考えてみなければなりません。

コメント

_ かすてん ― 2014年10月01日 21時31分32秒

お久しぶりです。

>世の中がどうもよろしくない方向に向かっている

その時期はもうとっくに過ぎて、よろしくない社会に成り下がってしまったと感じるのは悲観論者の私だからなのかなぁ。

_ zabiena ― 2014年10月01日 22時26分00秒

かつて某神社に奉職していたころ、外部のまったく知らない人からひどい中傷誹謗を受けたことがあります。一度や二度ではありません。
それは既にもとにあったはずの左翼思想から遠いところにある行為で、ただ単にその人の鬱屈した生活への不満が、無抵抗な宗教者へ向けられたのだと感じました。

人としてどうあるべきか。
宗教というだけでアレルギーを起こし、既存の文化を否定し、思考停止状態でただ他者を批判する。
そんな大人たちが子供に正義を説くことは不可能です。
そうして育った子供たちが、自由をはき違えてしまうような事態が、そのまま国の性格まで変えてしまおうとしている気がします。

無学な私にできることは本当に少ないですが、せめて自分の信じられるものは何か、正しいとはどういうことか、きちんと説明できる母親でありたいと、主婦である私は思っています…。

卑近な育児論になりましてスミマセン。

_ 玉青 ― 2014年10月02日 06時19分29秒

○かすてんさま

ここ1、2年で本当にバタバタと来ましたからねえ。
今は「もっと悪い事態も予想できる」=「だから今はまだ良い」という、いくぶん倒錯的な安心感しか語りえない気味もありますけれど、だからこそもっと悪くなるのを防ぎたい気がします。 

○zabienaさま

いえいえ、育児論は大事ですよ。すべてはそこからでしょう。
(あまり育児に熱心な父親ではなかったので、強くは主張できないのですが…)

私は政治的に右も左もなく、単純に強権主義に反対する立場で、強いていえば「リベラル」なんでしょうが、そういう主義主張までもが攻撃されかねない世の中に強い危機感を覚えています。

神道の歴史は長く、複雑なものがあると認識していますが、単純に戦時下の国家神道の姿だけに注目して、一方的に排撃することは、もちろん誤っていると思います。それは広い視野を欠いており、あえて言えば野蛮です。何事も教条主義はよろしくないですね。

_ 蛍以下 ― 2014年10月02日 11時33分24秒

>足元のことを考えるきっかけに

朝日バッシングはしばらく続くでしょうね。
民族主義的な排外主義者がいる一方で、嘘をついてまで日本を貶めたがる人たちもいるということを確認すべきですね。

_ S.U ― 2014年10月02日 20時58分46秒

学者にしても宗教者にしても、自分の信念に従って真理を求める人が世の一部の人や権力者の邪魔になるということは、秦の始皇帝の時代からそうですが、そういう人を脅迫して排除して、世の中がよくなるわけもなければ、自分がしあわせになることもないですね。
 
 関係あることかどうかはわかりませんが、国立大学文系のほとんどの学科を廃止するということが最近政府で言われていて大学では大騒ぎになっています。いろいろな見方がありますが、平たく言えば、国はカネやステータスにならない学問はやめたほうが予算の助けになり、学生が私大に行ってくれれば少子化に苦しむ私大も助かる、これに国立大のウルサ方の先生達を雇わずに済むという理由も加わるのかどうかは知りませんが、文化の香りのいささかもない打算的な考えで動いていることは間違いありません。

 最近、国費のばらまきはよくないということで何でも重点化ということになりつつあります。財源が厳しいので工夫してお金を使うべきなのはその通りですが、使い道を狭い範囲に集中させようとする考えはやはり間違いのように思います。消費税をアップして国民幅広くから税金を集めているのですから、その使い道も国民の広い範囲の願望に及ぶようにしないと筋が通らないでしょう。一極集中がよいなら、お金もその一極の支持者からのみ集めるべきでありましょう。政策論にまで拡張しましたがご容赦下さい。

_ 玉青 ― 2014年10月02日 21時30分06秒

○蛍以下さま

これは半ば本気で思うんですが、朝日が元気を失くして、いちばん寂しい思いをしているのは、読売や産経のデスクあたりじゃないでしょうかね。

  碁がたきは憎さも憎し懐かしし

という川柳が、その辺の人情の機微をうがっている気がします。

個人的には、「保革伯仲」とかいってワーワー言ってた頃が、世間も活気があって、ひときわ懐かしく思い出されますが、まあ、これは単なるノスタルジーでしょう。

○S.Uさま

まさに大学のポリテク化ですね。
現代の大学は「実業学校」に過ぎないというならば、そういう道もあるのかもしれませんが、しかし大学というものの歴史的文脈からすると、ずいぶん珍妙な光景に思えます。正直、それはもはや「大学」を名乗るのはおこがましいんじゃないでしょうか。

_ S.U ― 2014年10月04日 07時03分55秒

>まさに大学のポリテク化~「大学」を名乗るのはおこがましい

 本当にそうですね。この「大学」とは何か、ということがわかっている人が日本には少なくなってきたのではないでしょうか。昨今は、学長さんでも「大学は時代のニーズとともに変わらねばならない」というようなことを気楽に平気でおっしゃいます(しかもそういう学長さんがあちこちにゴロゴロと)。もっと時代のニーズに合うように変わらねばならない役所や機関はたくさんあるでしょうが、まさか大学がそれを率先するものではないでしょうよ。どこで何を学んで来られたのやら。

 政府や霞ヶ関の人はもっと知恵があって、真の意味での「大学」は日本には東大と京大と少数の有名私大だけでよく、あとは「実業学校」で行こうと思っているのかもしれません。しかし、私は、地方の国立大でこそ(学問レベルの上下は別にして)学生さんに「大学」とはどういうところか、ということを味わってほしいものだと思っていますし、日本の文化、ひいては国のあらゆる方面の水準の向上に対して、その価値は十分にあると思っています。今やこういうことを言うのは、私くらいかもしれません。呑気の徳として評価してやって下さい。

_ 玉青 ― 2014年10月04日 18時37分12秒

学生のころ、アシモフが書いた疑似科学への論駁の書を読みました。
当時はその切れ味のよい、痛烈な批判に心の裡で快哉を叫んだのですが、一つだけ引っかかっているのは、健康食品に関する迷妄を論じた章で、アシモフがヨーグルト礼賛を「ヨーグルトの栄養素は、単なる牛乳以上のものではない」と切り捨てていたことです。

結果的に、ヨーグルトの効能は、栄養素では測れないものだったわけですが(そして当時は「ヨーグルト信者」にも、そのことは分かっていなかったでしょうが)、とにかくアシモフほどの人でも、やはり視角のどこかに欠落はあり得ることを、それによって学びました。この件は、私にとって貴重な経験で、アシモフにはやっぱり感謝しています。

大学の件とはいささかずれるのですが、でも大学の教養的側面に価値を見出しえない人は、いかに弁舌巧みに自説を主張しようとも、この「アシモフのヨーグルト」の弊を逃れ得ないような気がします。

_ S.U ― 2014年10月05日 06時47分51秒

アシモフは科学者と作家が合体したような人かと思っていましたが、実は一刀両断の還元主義者だったのでしょうか。御喩えが凝っていて(笑)よく理解はできないのですが、ヨーグルトには熟成された「呑気の徳」があるということですね!?(おいおい・・・)

 確かに、昨今の日本の大学は、2~3年で「改革」を行い、そしてその4~5年後に、西洋の13世紀14世紀に設立された大学と論文のインパクトやら留学生数で世界ランキングを争おうというものですから、ヨーグルトの熟成の価値を切り捨てて、牛乳の栄養素だけで勝負しようということになると思います。

_ 玉青 ― 2014年10月05日 07時54分27秒

あはは。ヨーグルトの徳は、栄養素以外の「腸内細菌による整腸作用」とか、そんなことをイメージしたのですが、今調べたら、それを言い出したのは、19世紀のメチニコフだそうで、アシモフや、その同時代人のヨーグルト信者にも既知のことだったようです。コメント中の事実誤認を訂正します。
さらに、腸内細菌の話題自体、今や疑似科学が跋扈する場となっているようなので、ますますもって途方に暮れますが、真実の捉えがたさを物語るエピソードではあるなあ…としみじみ思います。

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