天気予報の分水嶺2014年10月08日 06時58分05秒

今日は月食。曇りの予報のところも多く、気が揉めます。

   ★

さて、今日はその天気予報の話。
昨日の図鑑が出た昭和33年(1958年)から現在までに、すでに半世紀以上の時が経過したわけですが、この間に気象学はどのような進歩を遂げたのでしょうか?

偶然ですが、この1958年というのは、気象学の進歩にとって、かなり重要な時期にあたります。というのは、この頃から気象学、そしてその応用たる天気予報は、数値予報」の時代に突入したからです。すなわち、この頃を画期として、従来の勘と経験に頼る予報は、大気の運動シミュレーションに基づく予測へと変貌を遂げたのです。

天気の変化は大気の状態変化であり、大気の動きも物理法則に従う以上、詳しい計算をすれば、必ずや正確無比な天気予報ができるはずだ…ということは、19世紀以前の人も考えていました。しかし、昔はいかんせんその手立てがありませんでした。

大気の運動は、流体の3次元運動に加えて、熱の出入りによる状態変化も加わり、非常に複雑な様相を呈します。条件をごく単純化したモデルですら、その計算は困難を極めました。ようやくその端緒が得られたのは、第2次大戦も終わり、電子計算機が登場してからのことです。

そして、その実用化が日本で始まったのが、ちょうどこの図鑑の出た直後、1959年1月のことで、このとき気象庁はIBM704というマシンを購入し、数値予報業務の立ち上げに取り組み始めました。この機械の計算速度は不明ですが、メモリは8KBといいますから、今の目で見ると、お話にならないぐらいのスペックです。それでも、ここから後の「地球シミュレータ」や「京(けい)」のようなスパコンによる、本格的な気象予測への道は始まったのです。

   ★

…と、知ったかぶりをして書きましたが、上の事実は、例によってにわか仕込みの知識で、元・気象庁長官の新田尚氏の下の文章を読んで知ったことです。

数値予報の歴史―数値予報開始50周年を迎えて―
 http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2009/2009_11_0004.pdf

   ★
  

というわけで、この『天文と気象の図鑑』に描かれているのは、大気の運動モデルの精緻化と、機械による計算技術が進歩する以前の、いわば「古式予報」の最後の姿になります。


当時は、観測手段もなかなか味がありました。
美しい純白の百葉箱のたたずまいは、気象学の雅味を表わして遺憾がないですが、これも90年代に入って、観測の現場から姿を消したそうです。惜しみても余りあることです。


測候所の調度や計器類も、十分に木味の利いた優雅なものでした。
うつむき加減に記録を取る、実直なスタッフの姿も魅力的です。

とはいえ、やることは驚くほど変わってないとも言えます。
気象観測の基本データは、風向・風速・気圧、それに気温・湿度・雨量・雲量であり、これは今も変わらないでしょう。


いちばん変化したのは、何といってもこの部分です。
有線・無線によって気象庁に集約された情報は、最終的に紙とペンによって「天気図」の形にまとめられ、ヒトの脳が持つパターン認識能力に全面的に依拠して、予報が下されました。これこそ数値流体力学発展以前の、天気予報の原風景です。

   ★

そして、もう一つ大きく変わったものがあるとすれば…


それは、天気予報に見入る家族の姿でしょう。