壜詰め一本勝負…黒の微晶 ― 2014年11月02日 08時33分20秒
今日の一本勝負はこのひと壜。
中にはサラサラと黒く、ところどころキラキラ光る物質が入っています。
その正体は錫鉱石。この場合、産状が砂状なので「砂錫(さすず)」と呼ばれます。
その正体は錫鉱石。この場合、産状が砂状なので「砂錫(さすず)」と呼ばれます。
これは例の女学校の先生の自採ではなく、業者から購入したもので、「岩本鉱物販売所」のラベルが付いています。産地は、岐阜県東部の恵那郡苗木。このあたりは昔から鉱物の種類が豊富な土地らしく、お隣の中津川には中津川市鉱物博物館(http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/museum/)が開設されています。
以下はウィキペディアの「錫石」の項より、ほぼ全文。
錫石(すずいし、cassiterite)は、鉱物(酸化鉱物)の一種。化学組成は酸化スズ(IV) (SnO2)で、スズの重要な鉱石鉱物。
金紅石(ルチル、TiO2)と同じ結晶構造を持ち、しばしば複雑に双晶する。
熱水鉱脈、ペグマタイトなどに産する。風化に強くて比重が大きいため、砂礫中に砂錫(さすず)として産することもある。また、珪化木のような木目模様を持つ木錫(もくしゃく)としても産する。
産地としては、イギリスのコーンウォール、ボリビア、マレー半島などが有名。日本では明延(あけのべ)鉱山(兵庫県)、木浦鉱山(大分県)、錫山鉱山(鹿児島県)などが挙げられる。また、国内の砂錫産地としては岐阜県の恵那・中津川地方で明治~昭和初期まで採掘されていた。
金紅石(ルチル、TiO2)と同じ結晶構造を持ち、しばしば複雑に双晶する。
熱水鉱脈、ペグマタイトなどに産する。風化に強くて比重が大きいため、砂礫中に砂錫(さすず)として産することもある。また、珪化木のような木目模様を持つ木錫(もくしゃく)としても産する。
産地としては、イギリスのコーンウォール、ボリビア、マレー半島などが有名。日本では明延(あけのべ)鉱山(兵庫県)、木浦鉱山(大分県)、錫山鉱山(鹿児島県)などが挙げられる。また、国内の砂錫産地としては岐阜県の恵那・中津川地方で明治~昭和初期まで採掘されていた。
最後の一文が、この壜の中身を指していることは言うまでもありません。
明治~昭和初期と、こと錫に関しては、時代的にかなり限定された産地だったようです。
明治~昭和初期と、こと錫に関しては、時代的にかなり限定された産地だったようです。
まあ、中身もさることながら、このラベルの表情がいいですね。
標本の科学的価値を決めるのはラベルだよと、よく言われますが、さらに標本の審美的価値をも左右する重要な存在だと感じます。
標本の科学的価値を決めるのはラベルだよと、よく言われますが、さらに標本の審美的価値をも左右する重要な存在だと感じます。
★
ときに錫について。
金属加工技術の伝来が遅かったせいか、日本語には金属に関する語彙がきわめて乏しく、金・銀・銅・鉄といった基本的な金属も、すべて「かね」の一語で済ませています(必要に応じて、こがね、しろがね、あかがね、くろがねと、色名で呼び分けるだけです)。かろうじて固有の名前があるのは、「すず」と「なまり」ぐらいでしょう。
錫と鉛が固有名を持つのは、人々の生活にそれだけ身近だった証拠で、それは両者の融点が低く、製錬や加工が容易だったからだと想像します(錫は232℃、鉛は327℃。ちなみに他の4つは、金=1064℃、銀=962℃、銅=1085℃、鉄=1538℃)。
青銅は銅と錫の合金ですが、それ以前に、錫単体を利用する文化が、日本にはあったのかどうか? 下のページによると、確かに錫製品は、あちこちの古代遺跡から出土していますが、時代的にはせいぜい弥生中期以降のもので、青銅器時代以前にさかのぼるものはなさそうです。その辺がちょっとモヤッとします。
「かね」が「鐘」であり、「すず」が「鈴」に通じるのは、単なる偶然なのかどうか?
能登半島の先端にある「珠洲」の地名に、錫は一見無縁のようでありながら、同地の須須神社に「金分宮」が特に祀られているのはなぜか?
能登半島の先端にある「珠洲」の地名に、錫は一見無縁のようでありながら、同地の須須神社に「金分宮」が特に祀られているのはなぜか?
…というようなことを面白おかしく脚色すると、偽史が1冊書けるかもしれません(星野之伸さんの「宗像教授シリーズ」みたいですね)。
コメント
_ S.U ― 2014年11月02日 11時16分30秒
_ 玉青 ― 2014年11月03日 09時11分38秒
「かね」も「すず」もそろって楽器の名前になり、さらに仲良く「おあし」にもなったんですね。
悠遠な錫の文化史の一端を彩るエピソードと感じます。
錫貨というのがピンと来なかったので、画像を見たんですが、うーん、やっぱり身近で見た記憶がありません。まあ、錫貨に限らず、我が家にはあらゆる種類のお金が乏しかったせいでしょう(笑)。
悠遠な錫の文化史の一端を彩るエピソードと感じます。
錫貨というのがピンと来なかったので、画像を見たんですが、うーん、やっぱり身近で見た記憶がありません。まあ、錫貨に限らず、我が家にはあらゆる種類のお金が乏しかったせいでしょう(笑)。
_ S.U ― 2014年11月03日 20時51分50秒
昭和19~21年日本政府発行の錫貨は、美術的価値も乏しく、希少性もありませんので、積極的にお求めいただくようなものではありません。しかし、戦時の物資不足による困窮を如実に物語るインパクトはありますので、古物商や骨董市に行かれた際にチャンスがあれば、ぜひ実物をご覧になってください。私が子供心に戦争はやるものではないな、と思ったのは、うちにざくざくとあった(といっても1銭と5銭ですから。笑)錫貨を見たのが始めだったかもしれません。
思えば、国内に貨幣として頒布した金属は、流通と経済を助け、また必要とあらば中央銀行に回収して再利用することも可能です。しかし、いったん兵器・弾丸として外地の戦場に展開してしまえば内地に回収できる見込みはなく、金属資源の使い道はよくよく考慮せねばならぬものと思います。
思えば、国内に貨幣として頒布した金属は、流通と経済を助け、また必要とあらば中央銀行に回収して再利用することも可能です。しかし、いったん兵器・弾丸として外地の戦場に展開してしまえば内地に回収できる見込みはなく、金属資源の使い道はよくよく考慮せねばならぬものと思います。
_ 玉青 ― 2014年11月04日 07時12分38秒
金属、貨幣、価値、モノ、サービス…相互の関係は、いったん考え出すと本当に難しいですね。
財貨とはいったい何なのか?
仮にお金を鋳つぶして弾丸にしたり、あるいは弾丸をとろかしてコインを鋳造するとしたら、そこでは結局何が生じていることになるのか?
もちろん、その答を知っている人もいるのでしょうが、私にとっては依然大きな謎です。
ともあれ、戦時下の生活の生き証人として、ぜひ機会を見つけて錫貨の現物を拝んでみることにします。
財貨とはいったい何なのか?
仮にお金を鋳つぶして弾丸にしたり、あるいは弾丸をとろかしてコインを鋳造するとしたら、そこでは結局何が生じていることになるのか?
もちろん、その答を知っている人もいるのでしょうが、私にとっては依然大きな謎です。
ともあれ、戦時下の生活の生き証人として、ぜひ機会を見つけて錫貨の現物を拝んでみることにします。
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古代ではなく、ごく最近の例ですが、日本の「臨時補助貨幣」として錫貨が短期間だけ(昭和19~21年に限るらしい)発行されたことがありました。私が子どもの頃には、この臨時補助貨幣がけっこう家の中で見つかりました。子供心には遠い昔のお金のように思いましたが、当時から見てせいぜい10~20年前の発行のお金ですので、現在、平成一ケタ発行の硬貨が普通に財布に入っていることを思えば、その程度の身近なものだったのでしょう。
さて、同題のWikipediaによると、戦局の悪化のために、特に黄銅、アルミニウムが不足したので、異例ながら錫貨を発行したようです。終戦直後には、錫さえも払底しかかったが、弾薬等の黄銅の在庫が使えるようになったので、また黄銅貨に戻ったとあります(現行の5円玉はこの流れをひくもの)。
錫は、白銅やアルミに比べて、暖かみと渋みの両方をもった光沢で悪くないと思うのですが、摩耗、劣化や黒化が激しいことが当時の貨幣を見ればわかります。古い歴史的なことはよくわかりませんが、戦時中は貿易が不自由でしたから、日本における錫単体の受け入れ方の検討資料になると思います。