小さな世界の不思議2014年11月27日 06時52分50秒

先日、素敵な品物がアメリカ・オレゴンから届きました。
その品物については、いずれ稿を改めてきちんと書こうと思いますが、それに絡んで驚いたことがあります。

すでに売り手の方とは何度かメールでやりとりし、ビジネスライクな雰囲気から、少し打ち解けてきたところだったので、商品が無事到着したことを告げるメールへの返信にも、幾分心安い感じがありました(以下、やりとりをつづめて紹介)。

 「ところで、Tさん 〔私のこと〕 は、どこで私の製品をお知りになったんですか?あなたは天文学者か何か?」
 「いいえ。でも、私は天文学の歴史に関心があって、それでいろいろ検索しているうちに、あなたの製品のことを知りました。」
 「天文学の歴史とは興味深いですね。実は私は子供の頃、シカゴにいましてね。当時、母もそちらの方面に関わっていて、天文台の建築史について本を書いたことがあるんですよ。」

「えっ!?」と思いました。そして、改めて先方の姓名をしげしげと眺めました。
私がそのときどれほど衝撃を受けたか。そう、件の男性は、あの天文台建築に関する好著、そして現在に至るまでほぼ唯一の通史である 『A Short History of Observatories』(1973) を著した、Marian Card Donnelly女史の息子さんだったのです。こんなことが現実にあるとは。



さらに息子さんの話。
 「父 〔ドネリーさんの父上は物理学者でした〕 の大学の同僚に、スブラマニアン・チャンドラセカールがいました。そう、あの「チャンドラX線宇宙望遠鏡」の名前の由来になった人です。私たち一家は、彼のことを略してチャンドラと呼んでいました。いっぺんチャンドラに、ヤーキス天文台に連れて行ってもらったことがあるんですが、それは本当に胸の躍るような経験でした。その経験が、美術史と建築史を研究していた母の興味を惹き付け、例の本が生まれたというわけです。だからあの本はチャンドラに捧げられているんですよ。」


恒星が白色矮星になりうる質量の限界、「チャンドラセカール限界」を提唱したチャンドラセカール博士。そして尊敬おく能わざるドネリー女史。
お二人ともすでに故人ですが、偉人の存在を身近に感じられるというのは、何となく嬉しいものです。いくぶんミーハーっぽい感じはしますが、そういう一寸したエピソードによって、学問の歴史に血が通って感じられるのは、何と言っても嬉しいことには違いありません。

   ★

“世界中の人は、驚くほど短い人間関係の連鎖で互いに結ばれている”というスモールワールド仮説は、やはり正しいのでしょうか?
真実は不明ですが、ネット時代になって、その蓋然性がますます高まっているのは確かでしょう。