異界百物語2014年12月02日 21時27分26秒

桑原弘明さんのスコープ作品展が今月13日から始まります。


■桑原 弘明 展
〇会期 2014年12月13日(土)~27日(土) (日曜・祝日は休廊)
      11:00~18:30 (公開時間 13:30、15:30、17:30)
〇会場 GALLERY TSUBAKI
     東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F
     MAP http://www.gallery-tsubaki.jp/access.html

以下DMより。
 「今回の展覧会におきましてScope作品が100個となります。記念展といたしまして、新作と2006年以降の作品をご覧いただけます。旧作につきましては、日替わりで限定公開いたします。この機会に是非、桑原弘明のScopeの世界をご堪能ください。」

   ★

氏の作品を前にするとき、人は魔術師めいた技巧に驚き、その幻想性に酔います。
とても人の手が作ったとは思えない極小の世界。
謎をはらんだ、「ここ」とは異なる世界が、美しい匣の奥にどこまで広がっている感覚。
本当にめまいがするようです。

氏の手わざになる驚異の「異界」が、ついに100個に達したと伺い、呆然とするほかありません。形而下のことに限っても、その道程にあったであろう細かな作業を想像するだけで、気が遠くなります。

   ★

私が氏の作品を、自分の目で覗き込んだのはこれまで一度きりです。
しかし、その印象は鮮烈でした。

覗き込む―。そう、氏の作品は眺めるのではなく、覗き込むものなのです。
上の展覧会の案内で、展示時間と別に「公開時間」が設けてあるのもそのためです。
そして、私が氏の作品に惹かれるのは、上で述べたことに加えて、この「覗き込む」という行為に、“何か”を感じるからです。

これを「窃視」と言うと、ただちに犯罪とか、病理を感じさせます。実際、乱歩の「屋根裏の散歩者」は、天井の節穴から他人の生活を覗き込み、ついには一種の好奇心も手伝って、節穴を通して殺人を犯すに至りました。

しかし、犯罪や病理というのは、おしなべて人間の性(さが)に根ざすものであり、「覗き込む」こともまたそうではあるまいか…という気がします。子供の頃の障子穴の思い出、古びた覗きからくり、望遠鏡、顕微鏡、写真機…。端的に言えば、覗き込むことは、それ自体が「快」であり、愉悦をもたらすものではないでしょうか。

覗き穴は「こちらの世界」と「別の世界」をつなぐ装置であり、居ながらにして別の世界を体験することを可能にします。そして、小さな穴を通して別の世界を覗き込むとき、その視界からは自己という存在が消え、そこにあるのは純粋に「目」だけです。いわば身体性の消失。それがまた心地よいのかもしれません。

   ★

「しかし、もし…」と、ここでもういっぺん話を引っくり返しますが、もし、私という存在が、一塊の脳髄に過ぎないのであれば、私は街を歩くときも、書斎でキーを叩くときも、ベランダから星空を眺めるときも、実は虹彩に穿たれたわずか数ミリの穴を通して、異世界を絶えず覗き込んでいるのかもしれません。

「すなわちこの世界そのものが、1個のスコープ作品なのだ!」
…と、あんまり話を膨らませ過ぎると、何だか訳が分からなくなりますが、氏のスコープ作品を前にするとき、我々はヴィジョンとイリュージョンの秘密へと、否応なく誘われるのです。