19世紀人、ハエを学問する2015年01月12日 11時32分01秒

昨日のハエの標本に、「うええ…」となった人もいることでしょう。

でも、ハエというのはなかなか侮れない存在です。
そもそも、これまで星座になった昆虫はハエだけです。しかも南天に輝く「蝿座」(Musca)の他に、かつては「北蝿座」(Musca Borealis)というのが、牡羊座の隣にありました。今年の元旦に載せた星座カードに描かれていたのがそれです。

つまり、一時は2匹のハエが星の世界をブンブン飛び回っていたわけで、いくら蝶や甲虫が子供に人気でも、天界の住人としては、ハエの方がずっとエライのです。

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ところで、元旦の記事の中で、ハエの絵に翅が4枚描かれていることをなじりました。
ハエやアブの仲間は、後翅が退化して、2枚の羽だけで巧みに飛ぶのが特徴で(双翅目の称があります)、昨日のハエの標本をよく見ていただくと、それがお分かりいただけるはず。

しかし、翅の数を間違えたのは、お上品なヴィクトリア時代人は、おしなべて汚らしいハエなんぞ眼中になかったからだ…と考えたとすれば、それもまた間違いです。むしろ、当時の人は、些細なハエにも、深い博物学的関心を払うことを大いに是としていました。少なくとも、そうした嗜好は何ら特殊なものではありませんでした。

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そう思う理由は、以下のような本が目に留まったからです。


■James Samuelson(著)
 Humble Creatures: The Earthworm and the Common Housefly
 『慎ましい生物たち―ミミズとイエバエ』
 John Van Voorst (London), 1860(第2版). 79p.

この本は一般読者を対象に、「博物学のススメ」として書かれたもので、学術書ではまったくありません。これ以上ないというぐらい身近な生物も、博物学的に観察すれば、いかに興味深い存在であるか!…を力説する本です。

そういう本は今でもあると思いますが、ただ、そのアプローチにはやっぱり時代性が出ていて、興味深く思いました。それは端的に言うと、同時代に流行っていた顕微鏡趣味との融合です。

(本書の口絵)

現代の本であれば、仮にハエを取り上げるとすれば、ハエの生活様式や、その興味深い習性など、主に生態学的叙述にウェイトをかけると思いますが、当時はその解剖学的構造(神経系まで!)に強い興味を示しました。結局のところ、本書は「ハエの解剖学書」と言っても過言ではありません。

収録の図版をいくつか掲げておきます。

(ハエの内部諸器官)

(口器(吻 ふん)の拡大)

(複眼の構造)

(特徴的な肢の先端部(上)と呼吸器である気門の拡大)

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本書の冒頭にかかげられたエピグラフ。


讃美歌作者にして詩人のJames Montgomery (1771–1854) の「謙虚さ(Humility.)」という詩からの引用です。

  鳥は遥かな高みを翔びては
  つましき巣を地に掛け
  その麗しきさえずりは
  ものみな憩う影より響く
  雲雀やナイチンゲールは
  栄誉の何と謙虚なるかを我等に知らしむ

自然の擬人化・道徳化は、当時の文化的特徴として指摘されるものですが、ハエやミミズの本すらも、ことさら文学的に修飾を施したいという強い欲求が、ヴィクトリア趣味の肝なのでしょう。そして、それが細密な解剖図と両立するところが、また時代を感じさせます。