天文名画 (付・ 七夕の話)2015年01月31日 13時35分50秒

日本に天文絵画の名品はないか?
常連コメンテーターのS.Uさんと、メールでそんなやりとりがありました。

これは宣伝にもなることですので、包み隠さず書いてしまいますが、元々はイギリスのハーシェル協会と日本ハーシェル協会の交流の中で、そういう質問が先方からあり、よし正面から答えてやろうじゃないかということで、今知恵を絞っているのです。(と言っても、知恵をしぼって文章にするのはS.Uさんで、私は脇から茶々を入れるだけです。)

しかし、意気込みのわりに、これは難しい課題です。

切手にもなった太田聴雨の望遠鏡の絵はどうだろう、広重の「月に雁」もいいね、浮世絵系統ならば奇想の絵師・月岡芳年の連作「月百姿」もあるぞ、いや北斎にだって浅草天文台の図があったじゃないか…という具合に、話は進んでいますが、どうも月以外の星、つまり惑星や恒星の美を、正面から描いた絵が少ないことを、気に病んでいます。

(太田聴雨「星を見る女性」 原画は1936年発表、切手化は1990年)

野尻抱影は、『星と東洋美術』の中で、北斗七七星を象嵌した七星剣とか、密教の星曼荼羅とか、渋い例をいろいろ挙げていますが、その歴史的価値はさておき、「名画」というには一寸ためらわれるものが多いです。少なくとも、異国の人が見ても、一見して「ああ美しい」とはなりそうもありません。

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その後も検索を続けているうちに、「あ、これはいいな」と思う作品をやっと見つけました。残念ながら正真の絵画ではなく、工芸作品ですが、現在大阪市立美術館が所蔵している「七夕蒔絵硯箱(18世紀)という作品です。


上の画像は、大阪市の「大阪ふらっとミュージアム」というサイトから寸借したものですが、大阪商工会議所のページにも同じ作品が紹介されていて、そちらの方が解説が詳しいので、引用させていただきます。(http://www.osaka.cci.or.jp/Kankoubutsu/calendar2015/index.html)、

「七夕に宮中で行われていた「乞巧奠」の祭壇飾りを表した漆塗の硯箱。壇上の糸は機織り・裁縫の、梶の葉・短冊は和歌の上達を願っておかれました。角盥には空にある牽牛と織女の二星を映し見るために水がはられています。江戸時代、数代にわたって活躍した蒔絵師山本春正の銘が記されます。」

まことに繊細華麗な作で、蒔絵も達者ですし、何より星がきちんと描かれているのがいいですね。

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「うむ、日本にも星の名画あり」…と、ここで話を切ってもいいのですが、ちょっと気になったのは、上の解説で空にある牽牛と織女の二星を映し見るためとあり、いっぽう「大阪ふらっとミュージアム」の解説では、「空に三つの星が表現されていますが、これが夏の大三角形かも知れません」とある点です。

せっかく見つけた星の名品ですから、少しこの点に立ち入ります。

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現在の一般的理解では、「おり姫」はこと座のヴェガ、「彦星」はわし座のアルタイルとされており、プラネタリウムでもそう解説しています。小うるさい考証をしても、この場合あまり益はないので、その方がスッキリして良いのでしょう。

しかし、あえてこだわると、元来中国で言うところの「織女」と「牽牛」は、それぞれ3つの星から成る小星座です。

牽牛の方は、アルタイル(α星)をはさんで一文字に並ぶβ星とγ星の小三ツ星がそれ。

(わし座アルタイル近傍。ノルトン星図第6版(1937)より)

いっぽう織女は、ヴェガ(α星)と、近傍のζ(ゼータ)星、ε(イプシロン)星を結んで出来る三角形がそれで、日本でもこの三星を以て「たなばた」と呼ぶ地方がありました。

(こと座ヴェガ近傍。同)

「たなばた」は「棚機」の意ですから、七夕祭りの主役はダンゼン機(はた)を織るおり姫で、彦星のほうは、どちらかといえば脇役です。そして、上の蒔絵の三ツ星も、織女単独を表現していることは明らかで、この点は、抱影が「日本でも、江戸時代の七夕の浮世画や短冊紙の画には、たなばたは三つの星の山形に描いてある(『日本星名辞典』 p.62) と述べていることからも知れます。

(…と、偉そうに書きましたが、順序としては、私は抱影の文章を読んで、上の事実を初めて知ったので、こういう書きぶりは不適当です。)

(『日本星名辞典』より。図のキャプションに、七夕竹の短冊―鳥取地方 (中)ひこぼし (下)たなばた」 とあります。)

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さて、季節はずれの七夕の話題のあとは、ケンタウルまつりをめざして、antique Salon さんに向かいます。

コメント

_ S.U ― 2015年01月31日 21時35分12秒

おぉ、これはまた協会の活動を盛り上げていかないといけませんね(笑)。

 おっしゃるように、この蒔絵の星は「織女三星」(こと座α、ε、ζ)で間違いないと思います。興味があるのは、このような絵画や短冊の星の形象の題材が、どこからもたらされた知識に因っているのかということです。「乞巧奠」だからずっと古くに中国からの風習が導入されたと考えるのが自然ですが、星に関しては、日本の民間伝承の星座に中国星座の影響がほとんどないので、純粋に日本で「発見」された、あるいは、比較的後代に書物で移入された可能性もあって、ことは単純ではないように思います。

 ちょっとハーシェルからはそれてしまいました。

_ 玉青 ― 2015年02月01日 11時20分20秒

純粋に民間に生じた「魚釣り星」とか「羽子板星」等とは異なり、日本化されたとはいえ、七夕習俗は中国伝来のものですから、織女に関する知識とその図像表現も、中国直輸入なのかな…と想像します。それが民俗として、古代・中世社会において、どう普及伝搬していったかはよく分かりませんが、媒介したのは例によって陰陽師・声聞師をはじめとする遊行の宗教者たちなのでしょう。
さっき検索したところ、『和漢三才図会』には、三つの星を山形に結んだ図入りで「織女三星 在天河北…」云々の解説がありました。江戸中期ともなれば、あやふやな口承を捨て、文字を通じて得た知識で武装した(そして民の「蒙」を啓かんと力んだ)市井の物識りも、全国津々浦々にいたかもしれませんね。

_ KODA ― 2015年02月01日 13時04分25秒

はじめまして。
ときどき、ブログを拝読させていただいてます。

牽牛・織女伝説は、その起こり自体がとてもあやふやななので、今に伝わる物語からさかのぼっても解明できませんね。
牽牛と織女とされる星は、今はそれぞれ1等星とされていますが、元々は、織女は「織女宿」(ベガを含む3星)、牽牛は二十八宿の一つ「牛宿」(やぎ座α・β辺り)だったものが、いつの頃からか、織女は「織女星」(ベガ)になり、対する明るい星として牽牛星が「河鼓宿」の中心星アルタイルに見立てられたのだそうですね。

結構古くからこのように見立てられ、その上で七夕の文化が育まれてきましたから、伝統文化として楽しむのがイイのでしょうね。

_ zabiena ― 2015年02月01日 16時53分03秒

この場での発言は場違いもいいところなのですが、過去の仕事関係(神社奉職・・・)で想起したもので。

玉青さんの前でこんな話を私がするのもおこがましいのですが、日本で星といえば密教ですけれど、現在の神道にも「妙見信仰」というものがあり、これは密教でいう北辰=神道の天御中主神、つまり北極星を神格化したものですよね。
中国から伝来した陰陽道と融合し、さらにそれが神仏習合して非常に特異な形態の信仰が今も続いているの個人的には面白いです。

拙宅のごく近所の『千葉神社』は妙見信仰の現在の総本山です。
千葉氏の信仰厚かったお宮だそうで、成り立ちは古いのですが…どうにも密教や陰陽道の影響を受けた社殿の煌びやかな装飾や、星辰殿なる星を祀る社を備えていることから、地元の信仰薄い方々からは「お寺か新興宗教??」という声を聴いたこともあります。
神仏習合について知らない若い世代にはそういう見方になるのか、と驚いたわけですが、深く迫っていくと日本の星に対する信仰も、なかなか面白いところがありそうですね。

西洋の天文趣味と違い、日本の星にまつわる信仰は、極彩色のなんともおどろおどろしい装飾がなされるのは、なんとも…ですが(笑)

_ 玉青 ― 2015年02月01日 19時23分48秒

○KODAさま

はじめまして。
牽牛・織女の物語もなかなか込み入っているのですね。
牽牛が、よそから引っ越してきた「間借り人」だとは気づきませんでした。
どうも半端な知識で書き散らしているものですから、時には噴飯もののこともあるかと思いますが、その折にはそっと袖を引いて、ご注意いただければ幸いです。
今後も古天文の話題などで盛り上がっていければ嬉しいですね!
何卒よろしくお願いいたします。<(_ _)>

○zabienaさま

妙見信仰って興味深いですよね。元来が多分に混淆的な性格を持つ信仰だったせいか、明治の神仏分離のときも、お寺につくか、神社につくかで、全国の妙見社・妙見堂はだいぶ右往左往したと聞きます。

御地では、千葉氏の星辰信仰の遺徳により、市立郷土博物館が日本一の古星図コレクションを築き上げたのは、本当に素晴らしいことです。(ただ、科学館の新設後、コレクションの管理がどうもうまくいってないように聞きました。ぜひまた活発な展覧会を開いてほしいです。)

_ S.U ― 2015年04月23日 21時41分24秒

この件まだ続けています(もちろん完成していないからですが・・・)

 広重の画集を見ていると、結構有名な絵に恒星が描かれているのを見つけました。「名所江戸百景」の「王子装束ゑの木大晦日の狐火」です。解像度の悪いコピーでは地上の狐火にばかり目が行ってついぞ気がつきませんでしたが、この星空はけっこう美しい、狐火と比べると清々しさすら感じるほどです。
 「名所江戸百景」では、他に「真乳山山谷堀夜景」、「浅草川首尾の松御厩河岸」にも星空が描かれています。後者は、純粋リアルな星空の風景画として優れているように思います。

_ 玉青 ― 2015年04月24日 06時36分27秒

あ、そちら方面の探索が続いていたのですね!
それにしても広重は気づきませんでした。私も早速パラパラ見てみましたが、なるほどなかなか情趣のあるものですね(どうぞ「永代橋佃しま」も候補にお加え下さいまし)。
名作が「綺羅星の如く」並ぶさまを想像しながら、原稿の完成を楽しみにお待ちしております。

_ S.U ― 2015年04月24日 23時32分55秒

ありがとうございます。どの星もすばらしくて迷うほどです。
 人物・自然取り混ぜた日本風景の情趣を描かせて右に出る者がないとまで言われた広重。木版のベタの部分の小穴だけで情趣を出すとはさすがです。
 彫り師もよく彫ったというか、プラネタリウムの穴開け職人みたいです。

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