人との出会い、そして別れ2015年02月01日 11時10分56秒

昨日は良い時間を過ごしました。

名古屋のantique Salon さんで行われたイベント「博物蒐集家の応接間」に参加し、出展された各店主の方々と親しくお話をさせていただいたのをはじめ、懐かしい出会い、嬉しい出会い、思いがけぬ出会いが、たくさんありました。これまでネット上でしか言葉を交わしたことのない方とお目にかかると、いつも「リング」を地で行くような、不可思議な感覚を覚えます。

2次会まで参加し、ふと時計を見たらもう終電の時間になっていて、これは何かの間違いだろうと思いましたが、現実世界の時刻は実際その通りで、時間の流れる感覚がいつもとは明らかに違っていました。

また、事前にコメント欄で「ひょっとしたら賢治さんが来るかもしれないよ」と警告を受けていたのですが、それもまた事実となりました。昨日お目にかかった、賢治研究者のK氏。私の内なる声は、それが賢治氏ご当人であることを告げていました。少なくとも、賢治さんの魂が、K氏の現し身に受肉して来臨されたのは確かだと直覚しました。

いっぽうでは、お目にかかるのを楽しみにしていながら、すれ違いで終わってしまった方もいらっしゃいます。楽しみはまた後にとっておくことにします。

   ★

私が温かい思い出とともに寝床の中にあったとき、賢治さんは、もう一人のケンジさんとともに再び遠いところに還られたことを知りました。その志と無念の思いにいっとき落涙しながら、またいつかどこかでお会いできることを祈っています。


ありがとうケンジさん。良い銀河の旅を。

博物蒐集家の贈り物(1)…命をはぐくむ形2015年02月02日 06時58分16秒

たびたび書いているイベント「博物蒐集家の応接間」。

自分自身もその場にいたのに、今回はまったく買い物をしませんでした。
これは実に稀有なことで、だいぶ緊張していたのかもしれません。
でも、さりげなく贈り物を頂戴したので、上質な葉巻の香りのような、あの応接間の空気は十分持ち帰ることができました。(改めてどうもありがとうございました。)

まずLagado研究所の淡嶋さんからいただいたのは、多様な「かたち」を見せる自然界のモノたち。


コロコロして稜のある、栴檀(センダン)の種
プロペラからチョコンとぶら下がる、菩提樹(=シナノキ)の種
プロペラ本体の中央に身を隠した、ニワウルシの種
ニワウルシの種は、翼のねじれがまさにプロペラ効果を生み、風を受けて回転しながら飛んで行きます。

いずれも淡嶋さんが地元の京都で採取された、可愛い樹の子供たちです。
こうして私の元に来たことで、大樹になる夢を断たれて無念かもしれませんが、でも京都の秋の日差しを宿して、いつまでも身近にいてくれたらと願います。


これも京都生まれのミツバチの巣板
今回初めて意識しましたが、ハニカム構造の「ハニカム」って、Honeycomb(蜂蜜のくし)と綴るんですね。この元祖ハニカムに、昔の人は驚くべき造化の妙を見て、そこからさらに空間の最密充填のような数学的概念を発展させました。


左側の灰色の巣は、我が家の庭で見つけたアシナガバチの巣。
働き蜂が分泌する「蜜蝋」で作られたミツバチの巣に対して、こちらは樹皮を唾液でこねて作られています。材料は全く違うのに、似たような形のものができる不思議さ。

いや、上の最密充填の問題を考えれば、これは偶然ではなく必然なのかもしれませんが、その「最適解」を別工法で実現するに至った進化の妙は、やはり不思議と言わざるを得ません。

(この項つづく。次回はdubhe(ドゥーベ)さんからの贈り物)

博物蒐集家の贈り物(2)…燃える世界2015年02月03日 06時47分40秒

dubhe(ドゥーベ)さの紹介ページは以下。
http://ameblo.jp/salon-histoire-naturelle/entry-11974740018.html

dubheさんからは、激しく燃え、沸き立ち、煙を噴き上げる、太陽の手彩色銅版画を贈っていただきました。

(善き哉、博物学の佳趣…)

原図は綺想の科学者、アタナシウス・キルヒャー(1602-80)の手になるもので、彼の著した『地下世界(Mundus subterraneus)』(1665、1678)に収められています。

一見して強烈な印象を与える図柄で、その訴求力から、後世繰り返しコピーされたようです(日本でも、司馬江漢が「太陽真形図」と称してコピーしています)。そのため、いただいた版画の直接の出所は不明ですが、おそらく1700年代のものの由。


見れば見るほどすさまじい絵です。

でも、太陽が高熱を発する球体であり、地球とは別の世界がそこに広がっていると見抜いた人が、その知識を図示するとしたら、いったい他にどんな絵が描けただろうか…とも思います。

高温を発する現象として、物質の燃焼しか知らなければ(かなり近い時代までそうでした)、太陽では目もくらむほどの火柱が立ち、絶えず煙が上がっていると考えても不思議ではありません。



21世紀を生きる我々だって、光球上にうねる巨大なプロミネンスの写真を見て、漠然と「炎のようなもの」と思っているのではないでしょうか。人間の心の中では、太陽は依然真っ赤に燃えており、このキルヒャーの絵こそ、より「心の真実」に適う姿のような気がします。

そして、Hαフィルターを用いた最近の太陽写真は、再びキルヒャーの絵に接近してるようでもあります。


人が純粋な研究目的にとどまらず、こういう画像をついつい撮りたくなるのは、やっぱり上のような理由が伏在しているからだ…と睨んでいます。

天文学史のイベント2題(その1)2015年02月04日 19時35分30秒

ちょっと小耳にはさんだ話題。
天文学の歴史を振り返るきっかけとなるイベントが、東西で開かれます。

   ★

1つ目はまもなく東京でスタートする「ルーヴル美術館展 / 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」です。


○公式サイトhttp://www.ntv.co.jp/louvre2015/
○会期: 2015年2月21日(土)~6月1日(月) 10:00~18:00
  ※5月5日、26日を除く毎週 火曜日 休館
  ※毎週金曜日、5月23-24日(土、日)、5月30-31日(土、日)は20:00まで開館。
  ※4月25日(土)は22:00まで開館
○会場: 国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)
  ※MAP → http://www.nact.jp/information/access.html
○巡回展: 6月16日~9月27日まで京都市美術館にて。

なぜ風俗画の展覧会と、天文学史が関係するかといえば、フェルメールの《天文学者》が展示されるからです。今回が日本初公開。
画像ではおなじみのあの傑作を、身近で見られる得難い機会です。

(ヨハネス・フェルメール作 《天文学者》、1668年)

同美術館の広報ページから、そのまま転載すると(http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/louvre2015/index.html

 《天文学者》はユダヤ系の銀行家一族、ロートシルド家に旧蔵され、第二次世界大戦中にヒトラー率いるナチス・ドイツに略奪されるという数奇な運命を経たのち、1983年にルーヴル美術館に収められました。同館に所蔵されるフェルメール作品は、2009年に来日を果たした《レースを編む女》と、《天文学者》の2 点のみです。そのため、常設展示に欠かせない《天文学者》は、ルーヴルを離れることがきわめて稀な作品のひとつでした。

…という背景を持った作品です。

展覧会の構成は、プロローグⅠ「風俗画の起源」に始まり、1章「労働と日々―商人、働く人々、農民」、2章「日常生活の寓意―風俗描写を超えて」…6章「アトリエの芸術家」と続きますが、《天文学者》は第2章の目玉になります。

再び、国立新美術館のページから。

 寓意を担う風俗画のなかできわめて独自な位置を占めるのが、フェルメールの《天文学者》です。この作品は、シュテーデル美術館に所蔵される《地理学者》と対をなし、天と地を象徴するものと解釈されます。とはいえ、この作品をなにより際立たせているのは、風俗描写も寓意的次元も超越するかのような光の表現の美しさ、ひとつの小宇宙のような詩情をたたえる静謐さでしょう。

   ★


この絵については、以前このブログでも、ちょっと変わった角度から取り上げました。

フェルメールの「天文学者」に見える謎の図
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/11/16/

絵の構成からすれば、後景の脇役に過ぎない、下の「画中画」の正体を考えるというものでした。そして、その答は依然出ていません。まあ、実物を見ても答が出るわけではありませんが、しかし改めて頭をひねる良いきっかけです。


   ★

会期中、関連イベントとして、以下のような不思議な催しもあります。

対談 「天文学者×占星術師 フェルメール《天文学者》をめぐって」
 ○対談者: 渡部潤一(国立天文台副台長)、鏡リュウジ(占星術研究家)
 ○日時: 4月18日(土)14:00-15:30
 ○会場: 国立新美術館 3階 講堂
 ○備考: 定員260名、要事前申込み

Astronomer と Astrologer が分離して以来、両者の間には激しい角逐がありました。
当代きっての天文啓発家・渡部氏と、占星術研究家・鏡氏との対談が、いったいどんな塩梅で進むのか、ぜひ拝聴したい気がします。
(でも聞くところによれば、渡部氏と鏡氏は以前も対談されているそうで、21世紀の天文家と占星術家は、昔と違って、意外に和気藹々とやっているのかもしれません。)


(ちょっと長くなったので、「西」の展覧会は次回に回します。この項つづく)

天文学史のイベント2題(その2)2015年02月06日 06時45分50秒

東に続いて西の話題。
こちらは先月からすでに始まっており、今月いっぱい続くイベントです。

■企画展 「江戸時代の天文学」

○日時: 1月20日(火)~3月1日(日)  9:30~17:00
○会場: 大阪市立科学館 展示場4階 (大阪市北区中之島4-2-1)
      MAP → http://www.sci-museum.jp/info/access.php
○展示テーマと主な展示資料
  1 日本の天文学(江戸~明治期の暦、『天文大成管窺輯要』ほか)
  2 江戸時代の星座(『天経或問註解』、『天文図』ほか)
  3 江戸時代の天体観測(『烏刺奴斯諸数並図』、『平天儀図解』、
    最古の惑星スケッチほか)
  4 西洋天文学の導入と暦作り(ラランド『天文学』原本および天文方による翻訳本)

   ★

大阪と天文学は深い結びつきがあります。

近世後期の日本の天文学をリードした麻田剛立(あさだごうりゅう 1734-1799)は、元・豊後杵築藩の御殿医でしたが、天文研究への思い断ちがたく、ついに脱藩して大阪に至り、私塾・先事館に拠って、自ら研究に没頭すると同時に、多くの逸材を育てました。

後、江戸にあって天文方に任じられた高橋至時(たかはしよしとき 1764-1804)と、地元大阪の富裕な質商、間重富(はざましげとみ 1756-1816)はその代表格で、この二人の力で、寛政の改暦(1798)という偉業は成し遂げられました。

ちなみに、映画になった『天地明察』の主人公、渋川春海(1639-1715)が行ったのは、貞享の改暦(1685)です。渋川春海と麻田剛立は、ともに天才肌の理論家と言っていいでしょうが、時代が100年離れているので、直接のつながりはありません。

ただ、上記・高橋至時の次男、景佑(かげすけ 1787-1856)は、後に渋川家を継ぎ、家筋としては初代春海から数えて九代の後裔になります(若死にする人が多かったのか、代替わりが非常に早いです)。そして、この高橋改め渋川景佑が、天保の改暦(1844)を成し遂げた…というわけで、こういう人のつながりは、あるいは文化的遺伝子(ミーム)の発現例なのかもしれません。

さて、かようなわけで大阪は剛立以降、天文学のメッカでもありましたので、その遺風を慕って大阪に足を運ぶことは、大いに意味のあることです。

   ★

こちらも同じく大阪市立科学館で併催。

■企画展 「はやぶさ帰還とイトカワの石」

○日時: 2月5日(木)~2月22日(日)  9:30~17:00 
○主な展示物: イトカワの石(微粒子)実物 大きさ 55マイクロメートル

以下、引用。

小惑星イトカワの石(微粒子)の実物を、関西で初公開します。
これは、2010年に地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」により世界で初めてもたらされた、小惑星の試料です。来館者には、この地球外の物質を顕微鏡で直接観察していただきます。
また、あわせて、世界で初めて小惑星の石(微粒子)を地球に持ち帰った「はやぶさ」の地球帰還に関する資料や隕石などの地球外物質に関する展示も展開します。

「マイクロメートル」のことを、私は今でも「ミクロン」と脳内変換するんですが、55ミクロンといえば0.055ミリ。グーグルの教えるところによれば、ヒトの毛の平均の幅が80マイクロメートルだそうですから、毛をスパッと切って、その上に余裕で乗っかるぐらいの大きさです。

しかし、この一粒の資料を持ち帰るために、人々とハヤブサが経験したものの総量を考えると、これこそまさに「偉大なる微塵」と呼ぶにふさわしい。

   ★

江戸の苦闘、平成の苦闘。
人は苦闘を重ねて、宇宙に挑んできたことが、モノを通して実感される催しです。

と同時に、この200年足らずの間に生じた技術的革新に、改めて目を見張ります。
その変革もまた苦闘の連続から生まれたのであり、あまり苦闘していない自分としては、後ろめたさを感じるほどです。

パリ天文台、あるいは時の流れの不思議2015年02月08日 10時34分36秒



意識して買っているわけではありませんが、天文関連の品を探しているうちに、パリ天文台の絵葉書も少しずつたまってきました。

20世紀初頭、ベル・エポックの空気が流れるパリ天文台。

もちろん、パリ天文台は健在なので、ここに写っているのと同じような光景は、テロで騒然とする今でも、現地に行けば目にすることができるはずです。

でも、同じようでいて、どこか違う。
改修されて形の変った箇所もあるでしょうし、そうでないところも、100年の星霜を経て、少なからず古びが増していることでしょう。そして、絵葉書の隅に写っている人たちは、すべてこの世を去って久しい。

そう思うと、この古風な石版の絵葉書たちが、一層いとしいものに思えてきます。

   ★

…と、当たり前のことを殊更に書いたのは、私はどうも時間と空間を取り違える癖があるからです。

例えば、子供のころ住んでいた、東京のT町。
私は今でもT町に行けば、懐かしい友達が子供の時の姿のままで飛び出してきて、「○○ちゃん、遊ぼう!」と声をかけてくれるような気がします。いや、単にそういう気がするだけでなく、それは明白な「事実」のように感じられます。

現在の私と当時の私との間には、越えられない時間の隔たりがあるのに、私はそれをT町までの空間の隔たりに置き換えて、そこに行きさえすれば、時間も越えられると思い込んでいるのです。

そして、学生時代に住んでいたK町に行けば、今でも昔のままの生活にスッと入り込める気がするし、結婚当初住んでいたN町に行けば、幼い息子を連れて歩いている自分自身に会えそうな気がします。

   ★

冒頭では、自分に言い聞かせるように書きましたが、私はやっぱり心のどこかで、パリに行けば、そこに100年前のパリがそのままあるような気がしています。(まあ、日本に比べれば、建物も街並みも古いことは確かでしょう。)

   ★

私が将来(ごく近い将来です)認知症になったら、きっと「(今はもうない昔の)家に帰る!」と騒ぎ立てて、周囲を困らせることでしょう。
人間が体験する時間、そして記憶とは本当に不思議なものです。

タイム・パスポート2015年02月09日 19時50分37秒

連想尻取りで記事を続けます。
そういえば、以前こんなものを取得したのを思い出しました。
私は自由に時間旅行ができるのでした。


どうです、いいでしょう?
しかも、これはジョーク・グッズなんかじゃありませんよ。
日本の自治体から正式に発給されたものです。

…と言っても、やっぱりジョークですが、お役所にしては上出来の洒落です。


東経135度、日本標準時の子午線が通る町・明石
明石市では「子午線の町」をPRするために、毎年6月10日の時の記念日に、子午線通過記念グッズを市内で配布していて、そのデザインは毎年変わるのですが、2001年は21世紀最初の年ということもあり、かなり知恵を絞ったらしく、こういう洒落たものができました。


「本パスポートの所持人として21世紀を支障なく旅行できるよう関係の諸官に要請します。」 …なるほど、我々はみな21世紀という時代を旅している旅行者なのですね。


ちゃんとビザの欄もあり。


中身は明石の観光案内と「時のミニミニ辞典」から成っています。

そのうち、「時に関することわざ」の項を読んで、思わずうなりました。昔の人は、なんと上手いことを言うのでしょう。
認知症間際の遺訓代わりに、その一部を転記しておきます。

「負うた子を三年探す」  自分がおんぶした子供をどこにいったと3年も探すこと。手近にあるのに気がつかずあちこち訪ね歩くこと。
(日本に、こんなメーテルリンクみたいな諺があったとは知りませんでした。)

「他人は時の花」  他人の好意は咲いてすぐ散る花のように、ほんの一時のものなので頼りきってはいけないという教え。
(深いですね。)

「松の木柱も三年」  腐りやすい松の木の柱でも、3年程はもつことから、どんなものでも当座の役にはたつことのたとえ。
(松の木柱でずっと済ませてきたツケに苦しむ我が身。)

「無精者の一時働き」  ふだん怠けているものが急に思い立って働いても、それは一時的なもので長続きはしないこと。
(ああ耳が痛い。)

「人の意見は四十まで」
  40歳を過ぎた人間にいくら説教しても効き目がないこと。またその年齢になれば本人に任せるべきだということ。
(分かります。でもやっぱり耳が痛い。)

   ★

21世紀を旅する人よ、先人の知恵、ゆめ軽んずべからず。

あの人がいない…2015年02月10日 20時01分28秒

昨日のおまけ。
タイム・パスポートが配られた2001年の前年には、こんなものが子午線通過記念に配られました。


2000年は20世紀最後の年であり、ミレニアムの年でもあるという、これまた大きな節目の年でしたから、明石市も気前よく張り込んだのでしょう、ドーンとトランプです。

(7.5×6cmの小ぶりなカードですが、数を作るには相当予算もかかったはず)

明石ものしりトランプ」と銘打って、明石の名物・名所・祭り等を逐一紹介しています。

でも、いくら眺めても、あの人はいません。
明石の水産業に貢献した、中部磯次郎なる人物が、巨大な銅像になって登場しているのに、あの人の姿はまったくありません。あの人に縁の深い月照寺も、無量光寺も出ているし、あの人が愛した可憐な桜鯛だって紹介されているのに、あの人だけがいません。ただ、晩年のあの人を思わせる蛸入道が、青空をバックにふらふら揺れているのみです。

   ★

稲垣足穂って、本当にふるさとでは扱いが小さいですね。
意図的に隠蔽している…ということもないでしょうが、地元の関心はごく薄いようです。
まあ、賢治で町おこしはあっても、足穂で町おこしは金輪際ないでしょうが、それでも、足穂の方では思い出のたっぷり詰まった明石の町を、終生なつかしく筆にしていたことを思えば、何となく侘しい気がします。

言技(ことわざ)一本2015年02月11日 18時04分34秒

明石市のおかげで、時間旅行の許可は得られたのですが、残る問題は、渡航手段をどうするかですね。とりあえず、1日に24時間進む船のチケットは確保しましたが…

   ★

思うところあって、明石市提供の「時に関することわざ」のつづき。

「上り一日 下り一時」  一日がかりの長い上り坂も、下る時はわずかな時間しかかからない。ものごとの建設は時間がかかるが、破壊はたやすいということ。

「千日の萱(かや)を一日に焼く」  屋根を葺くのに使う萱を、千日かけて刈り集めたのに、たった一日で燃やしてしまうこと。永年築いた実績を一瞬のうちになくすことのたとえ。

こういう類似したことわざが複数あるのは、人々が長い年月の間に、繰り返しその実例を目にし、心に刻んで来たからでしょう。現政権を見ていて、私もまたそのことを心に刻んでいます。

時間旅行は楽しいばかりではありませんね。
旅は憂きもの、時には心の痛む光景も目にしなければなりません。

(こういう物言いに対して、「旅人を気取って、傍観者でいるだけではいけないよ」と、苦言を呈される方もいらっしゃると思います。まさにその通りだと思います。まあ、旅人がよんどころなく騒動に巻き込まれて…というのが、ドラマの定石ですから、私にしたってどうなるかは予想もできません。)