カテゴリー縦覧…天球儀・地球儀編:汚れた地球儀との対話 ― 2015年02月18日 19時25分27秒
先日から始まった、ブログ・カテゴリーに沿って記事を書くという試み。
「天文古書」、「天文台」、「星図」…ときて、今日は「天球儀・地球儀」編です。
(そして、このあとは「プラネタリウム」、「天文機器」、「星座早見」…と続く予定です。)
「天文古書」、「天文台」、「星図」…ときて、今日は「天球儀・地球儀」編です。
(そして、このあとは「プラネタリウム」、「天文機器」、「星座早見」…と続く予定です。)
とにもかくにも、こういう風に機械的にテーマを設定されない限り、きっとこの場に登場しなかっただろうというモノがあります。たとえば下の地球儀。
本体は30センチ径、総高は60センチ近くありますから、かなり大きなものです。
一見して「汚い地球儀だなあ」と思われるのではないでしょうか。
私もやっぱり「汚い地球儀だなあ」と思います。
私もやっぱり「汚い地球儀だなあ」と思います。
今では表面のニスが黄変して、下の地図が見えにくくなってるし、しかも、ところどころ擦れ落ちて、白くまだらになっています。全体に傷みが激しくて、大きいだけに処置に困りますが、それでもあえて購入したのは、当時は(これを買ったのは9年前です)、今ほど古い地球儀が流通しておらず、結構珍しかったからです。
メーカーは大阪の奥村越山堂。
創業は不明ですが、戦前から戦後まで一貫して地球儀を製造していた会社です。
右側の凡例欄に「委任統治」の文字が見えるのが、その時代を物語っています。
創業は不明ですが、戦前から戦後まで一貫して地球儀を製造していた会社です。
右側の凡例欄に「委任統治」の文字が見えるのが、その時代を物語っています。
この地球儀は、第1次大戦後に、ドイツの植民地だった南洋諸島が日本の委任統治領になり(1922)、大陸に満州が成立(1932)する前、ちょうど大正から昭和へと時代が移り替わる頃に作られました。
中国では清王朝が滅亡し(1912)、中華民国の時代です。
後発の「列強」たる日本は、明治の後半から膨張主義政策を加速し、台湾割譲(1895)、さらに朝鮮併合(1910)と領土拡張を図った結果、地球儀に赤塗りの部分が増えたことが歴然としています。その上さらに欧州大戦によって焼け太りして、南洋進出を果たした格好ですが、その果てに何があったかはご存知の通り。
かじ取りの難しい時代だったことは確かでしょう。
そして、これも人類がこれまで数限りなく繰り返してきた、興亡の歴史の1ページに過ぎない…と、言ってしまえば、そのとおりです。
ただ、国家という装置が、その構成員の意志を超えて自律性を獲得したとき、いかなる結果をもたらすかという教訓は、この煤けた地球儀からも読み取れます。
ただ、国家という装置が、その構成員の意志を超えて自律性を獲得したとき、いかなる結果をもたらすかという教訓は、この煤けた地球儀からも読み取れます。
★
…と感慨にふけりつつ、やっぱりもうちょっと状態のいいものが欲しかったなあと思います。
そして、「地球儀はどうもせせこましくていけない、眺めるなら天球儀がいいね」と思って、天球儀を見たら、やっぱりそこにもせせこましく星座境界線が書き込まれていて、人間はどうも境界をはっきりさせないと落ち着けない生き物であることを再認識しました。
まあ、脳の視覚野には、対象の輪郭線を自動的に抽出する仕組みが備わっているそうですから、外界を認識するとは、半ば境界を認識することであり、ヒトが在りもしない境界線を引いてまで境界にこだわるのも、生物として然らしむるところなのかもしれません。
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