カテゴリー縦覧…月・月食編:飛ぶ男、座る女2015年03月02日 07時06分42秒

弥生三月。ものみな芽吹く季節。
そしてまた世界は多事多難。
なのに、一人こずんでいるわけにもいきませんから、少しずつ前進します。

   ★

月下の恋人というのは、昔からありふれた画題です。
世紀の変わり目には、芝居の書き割りのような「ペーパームーン」をバックにした、恋人たちの記念写真も大層流行ったようで、下の絵葉書も、そういう流行を受けて作られたものでしょう。


スタジオ撮影の写真に、手描きの背景を加えた、一種のコミック絵葉書。
さっと尾を曳いて空を飛ぶ、凛々しい男性と
彼に手を握られ、うっとりと見上げる、なよなよした女性。


たぶん、彗星と月の邂逅を表わした絵だと思いますが、颯爽とした彗星と、優婉な月…という、その時代のイメージが投影されているのが興味深い点です。
(この絵葉書には、1904年の消印がありますから、1910年のハレー彗星を当て込んだものではなさそうです。)

さて、この絵葉書。よーく見ると、左肩に「1」と番号が書かれています。
この後、絵葉書は「2」「3」「4」と続くのですが、コメット氏とルナ嬢はその後どうなったか?

(この項つづく)

カテゴリー縦覧…月・月食編:飛ぶ男、座る女の行く末2015年03月03日 06時39分04秒

彗星氏と月嬢の恋模様のつづき。


ルナ嬢に言い寄るコメット氏。颯爽としたイメージは最早なし。
土星がその様を、遠くから眺めています。


ああ、デレデレ。


1枚目とは立場が完全に逆転。
それを反映して、月のフォルムも三日月(ただし下弦)から半月へと満ちてきました。
こうなると、宇宙を旅するコメット氏も、ルナ嬢の掌中から逃れることはできません。

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4枚の絵葉書には、みなフランス東部、ヴォージュ県リフォル・ル・グランという小さな町の消印が押されています。


それを受け取ったのは、やっぱりリフォル・ル・グランに住むマドモアゼル、ジャンヌ・コロンビエ嬢。差出人の名前がないのは、書かなくても誰か明らかだからでしょう。
所番地もなしで手紙が届く、小さなコミュニティの中で咲いた人生のドラマ。

コメット氏とルナ嬢は上のような次第ですが、
無名氏とコロンビエ嬢の方は、その後どうなったか?

こうして絵葉書が散逸もせず、今に伝わっているのは、彼女がこれを大事に持っていた証拠ですから(少なくともゴミ箱行きは免れたわけです)、たぶん二人には幸せな結末が待っていた…と思いたいです。

おまけ…百年の恋2015年03月04日 06時41分07秒

今回写真を撮っていて気が付いたのですが、前回ご紹介した四連絵葉書には、下の隅にこっそりメッセージが書かれていました。出歯亀よろしく他人の恋路をじろじろ眺めるのは余りに無作法…と思いつつも、やっぱり気になるものです。

でも、「Je…(ボクは…)」の続きが読めません。
読解できた方はこっそり教えてください。






カテゴリー縦覧:天空の光編…オーロラを宿す瞳2015年03月08日 10時07分57秒

温かくなりました。夕べの雨も、いかにも音が柔らかく感じられました。
だいぶ心身がすり減っていますが、今日は少しノンビリした気分で記事を書きます。

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例によって昔語りになりますが、今から3年前に、自分は黄道光をめぐって1つの記事を書きました。その記事自体、それからさらに3年前に書いた記事に言及する内容で、まさに天文古玩に歴史あり…と思わしむる内容です。

■炸裂する日本趣味

この記事は3回連載で、あとの2つにもリンクを張っておきます。

■妖しい絵の素性を探る(前編・後編)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/17/
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/18/

かいつまんで言うと、こういうことです。
かつてeBayに、何だか妙な水彩画が出品されたことがあります。どうも気になったので、正体不明のまま落札して、後から調べたら、それはフランスのフラマリオンが著した天文ベストセラー、 『アストロノミー・ポピュレール』 (初版1880)のドイツ語版が出た際、新たに追加された挿絵の原画だと分かり、ちょっとビックリしたという話。

(『アストロノミー・ポピュレール』初版(1880)と、そのドイツ語版『ヒンメルスクンデ・フューア・ダス・フォルク』(1907頃)の表紙)

私がその珍妙さに打たれたのは、Robert Kiener(1866-1945)というスイスの画家が描いた、「花魁風の女性が富士山の向こうに黄道光を眺めている」という奇怪な図です。オークションには、他にもキーナーの原画がまとめて出品されていたので、私はそのうちの幾枚かを併せて落札し、「これらはまた機会があればご紹介することにします」と、3年前の記事を結びました。

今日がようやく訪れたその機会。

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この本は天文学の入門書であり、総説です。
その「第3章 太陽」の「太陽エネルギーの変動」という節に、美しいオーロラの絵が登場します。


「Das Boreallicht 北極光」と題された絵。
オーロラは南北の高緯度地方で観測されますが、北半球では北極光、南半球では南極光と言い分けるのが昔風で(というか、昔の人は北極光しか知らなかった)、これは北方の光景です。

広々とした氷原に憩う、3頭のアザラシ。
その目は一心にオーロラに向けられていますが、変幻するドレープ状の光は、彼らの脳裏にどんなイメージを結んでいるのか?

我々は、紀行もののTV番組やネット動画で、氷原も、アザラシも、オーロラもよく見知った気になっていますが、それらが100年前の人々の想像力をいかに掻き立てたか、そこにこそ想像力を働かせてみたいところです。

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この挿絵はなかなか風情がありますが、原画はいっそう美しく描かれています。


印刷の方は発色がくすんで、濁った感じですが、キーナーの原画は、氷に宿る青も、濃い翠色の海も、灰青の空も、どこまでも澄んだ色合いです。これこそ塵埃をとどめぬ、極地の空気感。まことに爽やかです。


原画は26×39cmありますが、印刷に当たっては、それを20×30cmに縮小しているので、その点でも、ややせせこましくなっています。

そして、何と言っても、細かい筆のタッチと、オフセットの網点では鮮明さが全く異なります。



アザラシが跳ね上げる冷たい水のしぶき。



その瞳に映る光点。
これこそ本図における画竜点睛と言うべきもので、その小さな光の中に、雄大なオーロラが、星々の光が、そして宇宙全体が宿っているのを感じます。



流星ラジオの流れる夜…カテゴリー縦覧:流星・隕石編2015年03月09日 07時00分06秒

流星モチーフの切手は、ありそうで意外に少ないです。
下は、1957~58年の「国際地球観測年」を記念して、旧ソ連で出た切手。


左側は望遠鏡による太陽観測、右側は流星の電波観測を描いたもの。
夜のしじまを破り、星空を切り裂いて飛ぶ大流星が見事です。
観測者のレシーバーも、さぞ大きなノイズを拾ったことでしょう。

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「地球観測年」は、英語だと「International Geophysical Year」で、普通に訳せば「国際地球物理学年」です。その観測対象は、地上や地下の現象はもちろん、気圏を超えて磁気圏の現象にまで及んでいました。流星の観測は、たぶん高層大気の研究と結びついていたのだと思います。

ちなみに、南極の昭和基地は、この地球観測年に合わせて建設されたそうです。
また、おなじみのヴァン・アレン帯が発見されたのも、地球観測年の成果だということを、先ほどウィキペディアを読んで知りました。


【付記】
標題が毎回「カテゴリー縦覧」で始まるとうっとうしいので、サブタイトルを前に持ってくることにしました。

赤い惑星に命を灯して…カテゴリー縦覧:火星編2015年03月11日 00時02分06秒

午後からの雪で、庭木が季節はずれの雪帽子をかぶっています。
3.11の涙雪、というわけでしょうか。
ぐんと底冷えのする晩です。

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下に掲げたのは、戦前、東亜天文協会(現・東亜天文学会)が、「天界八景」と銘打って発行した絵葉書のうちの1枚。


スケッチを残した中村要(なかむらかなめ 1904-1932)は、東亜天文協会を主宰した山本一清の愛弟子で、火星観測に関しては、日本におけるパイオニアです。

彼は1922年、同志社中学卒業と同時に、山本が教授を務めていた京大宇宙物理学教室の門を叩き、18歳の若さで「志願助手」という身分で、スタッフに採用されました。

彼は生来の「星の虫」で、アカデミックなキャリアこそ乏しかったですが、まさに好きこそものの上手なれ、京大では手練れの観測家として、また反射望遠鏡の鏡面研磨の名人として鳴らし、多くの名鏡を世に送り出しました。


彼が最も火星の観測に力を注いだのは、1924年と26年の接近時で、雑誌「天界」に頻々と報文を発表し、そのスケッチは、アメリカの「ポピュラー・アストロノミー」誌でも紹介されたそうです。

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溌剌たる20代を、愛する星に捧げ得た中村は、幸せな人だったと思います。

しかし、その幸せの絶頂の中で、彼は相次いで身内の死を経験し、さらに乱視により視力が低下して、思うように観測ができない状態に陥ってしまいます。自ら鋭眼を誇り、観測こそ生きがいであった人にとって、それがどれほど辛いことかは、察するに余りあります。

苦悶の末に、彼は郷里(滋賀県)の自宅で自ら死を選びました。
時に1932年(昭和7年)9月24日、享年28歳。

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この東亜天文協会の絵葉書セットは、昭和14,5年頃の発行とおぼしく、すでに中村の死から7~8年が経過していますが、故人のスケッチを、あえて絵葉書に含めたことには、深い鎮魂の意が込められていたのではないでしょうか。
深夜の雪を眺めていると、どうもそんな風に思えます。



【参考】
日本アマチュア天文史編纂会(編)、『改訂版 日本アマチュア天文史』、恒星社厚生閣、1995

科学技術と人類の未来、とは2015年03月11日 23時08分41秒

今日は鎮魂と黙祷の日。
そして、復興の来し方・行く末を省みる日です。

日頃、指弾されることの多い我らが総理も、さすがに今日は国民全員と思いを一つにして、記念式典に臨まれたことでしょう。ニュースの「本日の首相動静」にも、

午前9時18分、官邸着。
午前9時19分から同52分まで、「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」理事長の尾身幸次元科学技術担当相。

とあって、まこと時宜を得た面談だと思いました。

政治向きのことにうといので、私自身は、尾身氏も、「科学…フォーラム」のことも、ろくに知らずにいたので、改めて検索してみたら、首相が今朝一番に面会された尾身幸次氏は、官僚から政治家に転身した人で、記事では「元科学技術担当相」とありますが、さらにその後、安倍氏の擁立に奔走して、第1次安倍内閣では、財務大臣を務めた方だそうです。そして、「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」というのは、尾身氏自身の発案で発足したNPOだという話。

一NPOとはいえ、このフォーラムはなかなか大掛かりなものです。
例えば、同フォーラムの公式サイト(http://www.stsforum.org/?lang=ja)からは、昨年10月5日~7日に京都で開かれた、年次総会と国際フォーラムを報じる、産経新聞の紙面にリンクが張られています(http://www.stsforum.org/files/media_coverage/2014/MediaCoverage_page_47.pdf)。

内容は…というと、「技術革新と多国間協力で温暖化に対処/相次ぐ異常気象 気候変動へ懸念」という大見出しが躍っていて、安倍首相が会合の冒頭、水素を使った燃料電池の普及に、はっぱをかけている様が書かれています。

「安倍政権が「水素社会」の実現を政策の大きな柱に掲げる背景には、二酸化炭素(CO2)の排出が原因のひとつとなる地球温暖化の防止がある。」

なるほど。

集中豪雨で土砂災害/「2050年にはCO2排出量を10年の74%程度にまで減らさねばならない。もし減らす努力が30年にまで持ち越されれば、(世界の平均)気温が2度上昇する事態は避けられない」/東芝の西田厚聰相談役は、こう警告した。温暖化は豪雨や旱魃、強い台風といった形で世界に強い影響を与える。日本でも異常気象が相次いでおり、危機感は一層強まる。」

おお、東芝がそんなにも地球環境を憂えていたとは。
それにしても、ずいぶん脅かすなあ…と思いながら、最後の方まで読んでいくと、

「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)はFCVやエネファームの普及などにより、国内で30年に1兆円の水素エネルギー市場が生まれ、50年には8兆円に拡大すると予測している。/だが、ここでも最大の課題はコストにある。〔…〕そのためには、量産化によるコストダウンが不可欠だ。/量産体制を構築するため、エネファームを製造するパナソニックや東芝は、欧州向けの売り込みにも乗りだした。国際的な普及が進めば、日本市場へも好影響が期待できる。」

…とあって、思わず膝を打ちました。何と分かりやすい記事でしょう。
「なるほど、世の中はこういう風に動いているのか」と、何だか島耕作の漫画を読んでいるような気分になりました。

そして、ことは水素エネルギーにとどまらないわけで、

「経済産業省の石黒憲彦経済産業審議官は、日本の気候変動に対する取り組みを説明。CO2を排出しない原発を「重要なベースロード電源」と位置づけたエネルギー基本計画に触れ、原子力発電所の安全性構築や再生可能エネルギー導入などを主な課題に挙げた。」

原発も重要な役割/CO2の削減には、原子力発電所の活用も有効な手段となる。日本では東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、原発の安全性を判断する新規制基準が昨年7月に施行された。/東芝の西田相談役は「再生可能エネルギーの将来への期待は高いが、エネルギーミックスの中で一部の役割を担うべきだ」とし、改めて「原子力はベースロード電源だ」と主張した。」

…と、結局話はそこに落ちていきます。

「科学技術と人類の未来」を話し合うのは、なるほど大切なことでしょう。
でも、正直、「どの口でそんな寝言が言える。そんなことは福島を収束させてから言え」という気持ちもあります。

エネルギー問題を熱心に論ずる政財官界の人々は、本当に「人類の未来」を憂えているのか、ひょっとして儲けがなければ、人類の未来も、地球の行く末も知ったこっちゃないのか、疑心暗鬼にかられる己を愧じますが、それにしても3.11の今日、官邸でいったいどんな話があったんでしょうね。

粋な衣装のお大尽…カテゴリー縦覧:木星編2015年03月13日 07時10分50秒



その巨体を、ゆらりと宙に浮かべた木星。

ガリレオも観賞した4大衛星のダンス、美しい縞々模様、それに何といっても大赤斑。
小さな望遠鏡でも見ごたえ十分の天体で、私は子供のころから大好きです。ひょっとしたら土星より好きかもしれません。

写真に掲げたのは19世紀末にイギリスで作られた幻灯スライドです。


明るいところで見ると、こんな表情。凝った装飾をほどこした、いかにもヴィクトリアンな雰囲気ですが、この繊細な紋様も、実際の投影時にはまったく見えないので、まあ無駄といえば無駄です。でも、真の衣装自慢は、外から見えない着物の裏地にこだわると聞きますし、このスライドにも、そんな粋な美学を感じます。


メーカーはロンドンの Eyre & Spottiswoode 社。
ここは18世紀創業の王室御用達の出版社で、そんなこともあって、このスライドは豪華な衣装をまとっているのかもしれません。

土星キャラ立ち史(序論)…カテゴリー縦覧:土星編2015年03月14日 14時43分37秒


「土星だ」 「あんな所でサボッてやがる」 「いや たまには休息だって必要さ」
 たむらしげるさんの「冬のコンサート」より。単行本『水晶狩り』所収)

土星は天界の人気者。クシー君やタルホ氏の好伴侶でもあります。
でも、土星はいつから人気者になったんでしょうね?

土星の観測史については、多くの本に(Wikipediaにも)書かれていますが、土星の文化史、つまり文学や絵画、ポップカルチャーの中で、土星がどう扱われて来たかというのは、たぶん研究した人もいるのでしょうが、寡聞にして私は知りません(月に関しては、そういう本が結構あります)。

今のところ何も手がかりがないですが、一寸気づいたことをメモ書きしておきます。

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著者不詳の『The Wonders of the Telescope』(1823)という、ロンドンで出た本があります。天文趣味の本としては、ごく早期に属する本で、天界の見所を分かりやすく紹介した、文庫本サイズの可愛らしい本です。


その中の土星に関する章を見ると、冒頭近くに、イギリスの博物学者 Henry Baker(1698-1774)の「The Universe」という詩の一節が引かれています。

 Farthest and last, scarce warm'd by Phoebus' Ray,
 Through his vast Orbit Saturn wheels away.
 How great the Change, could we be wafted there !
 How slow the Seasons ! and how long the Year !

ベーカーの在世中は、天王星の発見前ですから、まだ土星が最遠の惑星で、そこはろくすっぽ日の光も差さぬ暗い世界であり、その巨大な軌道を、土星がゆっくりゆっくり回っていく様を詠んだもののようです。

『The Wonders…』の著者は、土星の輪の発見を、ガリレオから説き起こし、それが現在(19世紀初め)においても、依然として天界最大の謎の1つであり、それが一定の位置にあり続ける理由や、組成については皆目分からないながらも、おそらくは輝く雲状の物質であるか、あるいは、同一平面上に並んだ無数の衛星ではないか…という推論に言及しています(結局、後者が正解だったことを我々は知っています)。

(素朴な土星の挿絵が、三つ折りになって綴じられています)

そして、その輪についても、スコットランドの劇作家、David Mallet (c.1705-1765)という人の「The Excursion」という詩を引いて、文飾を施しています。

 ―― even here the sight Amid these doleful scenes new matter finds
 Of wonder and delight ! a mighty ring !

暗く寂しい、太陽系の果てに輝くもの、それがあの壮麗な環だ!というわけです。
そしてまた、先のベーカーの詩の続きが、ここで引用されます(当時は詩文の引用が、科学書でも常套でした)。

 One Moon on us reflects its cheerful light ;
 There, seven attendants brighten up the night ;
 Here, the blue firmament bedecked with stars ;
 There, over head, a lucid Arch appears.

地球には月が1つしかないのに、土星には7つもある。その7つの月が輝く上に、さらに頭上には巨大な輪があって、まばゆいアーチを描いている。だから、土星から見た世界は、決して暗くも、寂しくもないんだ…というわけでしょう。

   ★

18世紀人は、土星の輪に強い関心を示し、それをいろいろ詩に詠んでいたことが分かります。探せば、他にももっと例は見つかることでしょう。

土星の輪が、多くの衛星とともに、暗い土星を明るく照らすというイメージは、フランスのフォントネル(Bernard Le Bovier de Fontenelle, 1657-1757)の大ベストセラー『世界の複数性についての対話』(初版1686)に由来するのではないかと思います。

フォントネルは我々の住む地球以外にも、生命はあらゆるところに存在可能であり、もちろん土星にだって人間が住んでいておかしくはない。そこは太陽からきわめて遠いが、その衛星と輪の照り返しが、その難点を補ってくれるに違いない、自然は何と上手くできているのだろうか…というような論を展開しています。

(この項、尻切れトンボでいったん終わります。今後もそのつど材料は挙げていきます。)

土星キャラ立ち史(その2)2015年03月15日 08時22分08秒

土星が擬人化される歴史を考えていて、ふと「Saturn hat」で検索したら、Cappello Romano」というのがヒットしました。

カペロ・ロマーノとは、直訳すれば「ローマの帽子」の意で、カトリックのお坊さんがかぶっている(あるいはかぶっていた…最近は流行らないそうです)つばの広い丸帽子のこと。

(カペロ・ロマーノをかぶった聖職者。撮影John Paul Sonnen。Wikipediaより)

で、そのカペロ・ロマーノの別名が「サトゥルノ」で、イタリア語でずばり土星の意味。
神父さんがカペロ・ロマーノをかぶる習慣は、17世紀に始まり、1970年代ぐらいまで一般的だったとウィキペディアには書かれていますが、17世紀はまさに土星の輪が発見された時代にあたります(1655年にホイヘンスが発見)。

もちろん、土星の姿を見て、神父さんが帽子のデザインを考えたはずはないので、それは偶然の一致でしょうが、土星の輪のイメージが一般化するにつれて、同時代の神父さんがかぶっていた帽子との類似は、いやでも人々の目に付いたことでしょう。

カペロ・ロマーノに対して、「サトゥルノ」の異称が、いつから使われるようになったか分かると面白いのですが、それは未詳です。でも、語感としては、親しみと同時に一寸滑稽な、いっそ軽侮するようなニュアンスも感じられるので、神父さん自らがそう呼んだというよりは、周囲の人が面白半分に言い出したことではないでしょうか。

その後、19世紀半ばにイギリスで山高帽(ボーラーハット)が創案されて、世界中に普及し、「土星と帽子」のイメージは、そちらに取って代わられた感もありますが、土星の擬人化の初期においては、神父さんのシルエットと強く結びついており、ある種の抹香臭いイメージを引きずっていたんではないかなあ…と、これは漠然とした想像です。

(山高帽をかぶったチャップリン。Wikipediaより)