カテゴリー縦覧:天空の光編…オーロラを宿す瞳 ― 2015年03月08日 10時07分57秒
温かくなりました。夕べの雨も、いかにも音が柔らかく感じられました。
だいぶ心身がすり減っていますが、今日は少しノンビリした気分で記事を書きます。
だいぶ心身がすり減っていますが、今日は少しノンビリした気分で記事を書きます。
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例によって昔語りになりますが、今から3年前に、自分は黄道光をめぐって1つの記事を書きました。その記事自体、それからさらに3年前に書いた記事に言及する内容で、まさに天文古玩に歴史あり…と思わしむる内容です。
■炸裂する日本趣味
この記事は3回連載で、あとの2つにもリンクを張っておきます。
■妖しい絵の素性を探る(前編・後編)
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/17/
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/18/
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/17/
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/18/
かいつまんで言うと、こういうことです。
かつてeBayに、何だか妙な水彩画が出品されたことがあります。どうも気になったので、正体不明のまま落札して、後から調べたら、それはフランスのフラマリオンが著した天文ベストセラー、 『アストロノミー・ポピュレール』 (初版1880)のドイツ語版が出た際、新たに追加された挿絵の原画だと分かり、ちょっとビックリしたという話。
かつてeBayに、何だか妙な水彩画が出品されたことがあります。どうも気になったので、正体不明のまま落札して、後から調べたら、それはフランスのフラマリオンが著した天文ベストセラー、 『アストロノミー・ポピュレール』 (初版1880)のドイツ語版が出た際、新たに追加された挿絵の原画だと分かり、ちょっとビックリしたという話。
(『アストロノミー・ポピュレール』初版(1880)と、そのドイツ語版『ヒンメルスクンデ・フューア・ダス・フォルク』(1907頃)の表紙)
私がその珍妙さに打たれたのは、Robert Kiener(1866-1945)というスイスの画家が描いた、「花魁風の女性が富士山の向こうに黄道光を眺めている」という奇怪な図です。オークションには、他にもキーナーの原画がまとめて出品されていたので、私はそのうちの幾枚かを併せて落札し、「これらはまた機会があればご紹介することにします」と、3年前の記事を結びました。
今日がようやく訪れたその機会。
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この本は天文学の入門書であり、総説です。
その「第3章 太陽」の「太陽エネルギーの変動」という節に、美しいオーロラの絵が登場します。
「Das Boreallicht 北極光」と題された絵。
オーロラは南北の高緯度地方で観測されますが、北半球では北極光、南半球では南極光と言い分けるのが昔風で(というか、昔の人は北極光しか知らなかった)、これは北方の光景です。
オーロラは南北の高緯度地方で観測されますが、北半球では北極光、南半球では南極光と言い分けるのが昔風で(というか、昔の人は北極光しか知らなかった)、これは北方の光景です。
広々とした氷原に憩う、3頭のアザラシ。
その目は一心にオーロラに向けられていますが、変幻するドレープ状の光は、彼らの脳裏にどんなイメージを結んでいるのか?
その目は一心にオーロラに向けられていますが、変幻するドレープ状の光は、彼らの脳裏にどんなイメージを結んでいるのか?
我々は、紀行もののTV番組やネット動画で、氷原も、アザラシも、オーロラもよく見知った気になっていますが、それらが100年前の人々の想像力をいかに掻き立てたか、そこにこそ想像力を働かせてみたいところです。
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この挿絵はなかなか風情がありますが、原画はいっそう美しく描かれています。
印刷の方は発色がくすんで、濁った感じですが、キーナーの原画は、氷に宿る青も、濃い翠色の海も、灰青の空も、どこまでも澄んだ色合いです。これこそ塵埃をとどめぬ、極地の空気感。まことに爽やかです。
原画は26×39cmありますが、印刷に当たっては、それを20×30cmに縮小しているので、その点でも、ややせせこましくなっています。
そして、何と言っても、細かい筆のタッチと、オフセットの網点では鮮明さが全く異なります。
アザラシが跳ね上げる冷たい水のしぶき。
その瞳に映る光点。
これこそ本図における画竜点睛と言うべきもので、その小さな光の中に、雄大なオーロラが、星々の光が、そして宇宙全体が宿っているのを感じます。
コメント
_ S.U ― 2015年03月08日 16時35分12秒
_ 玉青 ― 2015年03月09日 07時06分17秒
ラッセンって、やっぱり誰もが何となく気になる人らしく、「ラッセン論」の本が最近…といっても一昨年に出たことを知りました(『ラッセンとは何だったのか?』、フィルムアート社)。ラッセンは1つの文化現象であり、同時代の文化現象は大抵いちばん論評が難しい対象ですから、これは相当チャレンジングな本ですね。遠からず、ぜひ読んでみたいと思います。
キーナーは、この北極圏の絵だけ見ると、ちょっとラッセンぽいですが、他の絵はだいぶラッセンから遠いので(花魁は極めて遠いでしょう・笑)、その外形的類似は、単に偶然の一致かもしれませんね。
キーナーは、この北極圏の絵だけ見ると、ちょっとラッセンぽいですが、他の絵はだいぶラッセンから遠いので(花魁は極めて遠いでしょう・笑)、その外形的類似は、単に偶然の一致かもしれませんね。
_ S.U ― 2015年03月10日 08時04分29秒
>花魁は極めて遠いでしょう
確かにキーナーにはこのような「もっさい」絵がありますが、ラッセンにはありませんね。また、ラッセンに東洋趣味の絵がないかちょっと探してみましたが簡単には見つかりませんでした。まあ、ラッセンの絵も別の観点では「もっさい」といえますが。(「もっさい」は方言でしょうか。デザインが垢抜けしていないというような意味です)。
でも、世界史的にはラッセンの走りがきっとあるはずで、ちょっとまた気にしてみたいと思います。
確かにキーナーにはこのような「もっさい」絵がありますが、ラッセンにはありませんね。また、ラッセンに東洋趣味の絵がないかちょっと探してみましたが簡単には見つかりませんでした。まあ、ラッセンの絵も別の観点では「もっさい」といえますが。(「もっさい」は方言でしょうか。デザインが垢抜けしていないというような意味です)。
でも、世界史的にはラッセンの走りがきっとあるはずで、ちょっとまた気にしてみたいと思います。
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ラッセン風の絵画の評価もなかなか微妙なものがありますね。