土星キャラ立ち史(その2)2015年03月15日 08時22分08秒

土星が擬人化される歴史を考えていて、ふと「Saturn hat」で検索したら、Cappello Romano」というのがヒットしました。

カペロ・ロマーノとは、直訳すれば「ローマの帽子」の意で、カトリックのお坊さんがかぶっている(あるいはかぶっていた…最近は流行らないそうです)つばの広い丸帽子のこと。

(カペロ・ロマーノをかぶった聖職者。撮影John Paul Sonnen。Wikipediaより)

で、そのカペロ・ロマーノの別名が「サトゥルノ」で、イタリア語でずばり土星の意味。
神父さんがカペロ・ロマーノをかぶる習慣は、17世紀に始まり、1970年代ぐらいまで一般的だったとウィキペディアには書かれていますが、17世紀はまさに土星の輪が発見された時代にあたります(1655年にホイヘンスが発見)。

もちろん、土星の姿を見て、神父さんが帽子のデザインを考えたはずはないので、それは偶然の一致でしょうが、土星の輪のイメージが一般化するにつれて、同時代の神父さんがかぶっていた帽子との類似は、いやでも人々の目に付いたことでしょう。

カペロ・ロマーノに対して、「サトゥルノ」の異称が、いつから使われるようになったか分かると面白いのですが、それは未詳です。でも、語感としては、親しみと同時に一寸滑稽な、いっそ軽侮するようなニュアンスも感じられるので、神父さん自らがそう呼んだというよりは、周囲の人が面白半分に言い出したことではないでしょうか。

その後、19世紀半ばにイギリスで山高帽(ボーラーハット)が創案されて、世界中に普及し、「土星と帽子」のイメージは、そちらに取って代わられた感もありますが、土星の擬人化の初期においては、神父さんのシルエットと強く結びついており、ある種の抹香臭いイメージを引きずっていたんではないかなあ…と、これは漠然とした想像です。

(山高帽をかぶったチャップリン。Wikipediaより)

コメント

_ S.U ― 2015年03月15日 12時34分55秒

 土星の環は何に喩えても愛嬌がありますね。この神父さんの帽子はどう見ても土星です。早野凡平さんに土星ネタはありましたでしょうか。

 私がいちばん好きなのは、タルホ先生の『第三半球物語』「泣き上戸」に出てくるバーの入り口に環をはずして置いておいたら盗られてしまった土星氏の話です。その後に出てくる2人の彗星のやりとりも訳がわからないほど秀逸です。

_ 玉青 ― 2015年03月17日 07時10分04秒

これはありがたいご示唆。さっそく足穂に引き付けて記事を書いてみました。
ところで、今回、復刻版を読んだら、初出のストーリーは土星が血相を変えて飛び出していくところで終わっていて、彗星のやりとりは後から付加されたものと知りました。言われてみると、たしかに初出の形態でも、話としては一応完結しているので、はたして足穂が何を思って後段を補ったのか、これは一杯やりながら談ずるのに、ちょうどいいテーマじゃないでしょうか。(^J^)

_ S.U ― 2015年03月17日 17時46分47秒

>彗星のやりとり
うーむ。最初はなかったのですか・・・ でも、この議論は付け足される価値があったと断言したいほど面白いです。

 この彗星のやりとりは、タルホ先生が抱いたであろう「宇宙は広いのに何故に土星の環は薄い」という疑問から発したものと考えられます。が、これ以上の考察はやはりグラスを交わしながらやるのが適当でしょうね。

 また、彗星が議論しているのは宇宙の次元数に他なりませんが、現代物理学では、宇宙には4次元時空のほかに「余剰次元」という土星環のように薄くて観測し難い未知の次元の方向があるということが盛んに議論されています。だから、「君は僕たちが何次元の宇宙に住んでいると思っているのだ!」と、ゼミの宴会で物理学者の卵たちが、口角泡を飛ばしてテーブルを叩いて議論する光景が現に世界中で展開され、中には泣き出す者もいると、私は強く強く期待します。

 それから、何でこの土星氏が「ルールブリタニヤ」を歌っているのか、これも何かのカギになっているかもしれないと思いました。

_ 玉青 ― 2015年03月19日 06時59分36秒

ぼんやり読んでいましたが、なるほど、たしかにあの短い文章は、足穂のトポロジー趣味や、宇宙論好みの発露ですね。それにしても、ホーキ星がふたりで酒を飲みながら、余剰次元を談ずる…何とイカレタ(素敵なの意)発想なのでしょう。

そういえば、ルールブリタニヤは、『一千一秒物語』にも出てきますね。
「星?花火?」の冒頭、ルールブリタニヤを歌いながら帽子を放り上げたら、星にぶつかって星が落ちてきた云々という、これまたタルホ界ならではのストーリー。
あれは一体何ですかね、曲趣からすると、あまり物語にそぐわない気もするのですが、ハレーの故国イギリスに敬意を表しているんでしょうか。

_ S.U ― 2015年03月19日 18時49分17秒

>曲趣からすると、あまり物語にそぐわない気もする
 うーん、この土星氏にはちょっと勇ましすぎるかもですね。
 『ヰタ・マキニカリス』の「海の彼方」には"Over There"の口笛というのが出てくるので、先生は米英軍楽隊ブラスバンド系が音楽のお好みだったのかもしれません。

_ 玉青 ― 2015年03月20日 20時29分52秒

足穂先生は、どちらかというとババリア的な、欧州風の味わいもありますが、母校・関学はアメリカのプロテスタント系の学校でしたから、知らず知らずのうちに、英米の空気に親和性を生じていたのかもしれませんね。

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