大彗星来たる…カテゴリー縦覧:彗星編2015年03月23日 06時25分40秒


(太平洋上に湾曲した尾を曳くマックノート彗星。ウィキメディア・コモンズより)

2006年に発見され、2007年にはその偉容で人々を圧倒したマックノート彗星

日本からは観測しづらく、一般にはあまりなじみがなかったかもしれませんが、多くの天文ファンは、オーストラリア辺りで撮影された、その壮麗きわまる姿 ―その幅広の尾は、全天を横切るかに見えました― に胸を高鳴らせたものです。

その明るさは金星の最大光度をも上回り、日中でも視認できるほどで、まさに「2007年の大彗星」の名に恥じぬものでした。

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さて、以上は前振りです。
マックノート彗星は、近年観測された中では図抜けた大彗星ですが、そのマックノートすら及びもつかぬ超弩級の彗星が、かつて空を飛びました。

1965年に発見された池谷-関彗星、正式名称は Ikeya-Seki C/1965 S1。
1965年9月18日、いずれもアマチュア天文家であった浜松の池谷薫氏と、高知の関勉氏が同時に発見し、両氏の名を冠して命名された彗星です。

池谷-関彗星が、どれほど凄まじいものであったか。
星の明るさ(等級)は、数字が小さいほど明るくなりますが、冒頭のマックノート彗星は、1等星をはるかに上回るマイナス5.5等級に達しました。

対する池谷-関彗星はマイナス10等級で(注)、これはざっとマックノートの62倍になります。すなわち、「あの」マックノートが62個合体して飛来したのに相当する明るさであり、これは文句なしに20世紀最大の彗星で、21世紀に入ってからも、これを超える彗星は未だありません。

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池谷-関彗星が発見されて、今年でちょうど半世紀。


この彗星が、日本のみならず、世界中にどれほどの驚きと感動を与えたか。


遠いオランダで作られた、この記念バッジを見ても、当時の人々の興奮が伝わってくるような気がします。(バッジ表面の「1965年10月21日」というのは、彗星が近日点を通過した日で、このとき彗星は最も明るくなりました。)


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(注)彗星の明るさについては、以下のページに拠りました。

Brightest comets seen since 1935:International Comet Quarterly
 http://www.icq.eps.harvard.edu/brightest.html

日本語版ウィキペディアには、 「日本では、10月21日正午ごろ(日本時間)の近日点通過時には、彗星が推定-17等級に達し、約60分間の間満月よりも明るくなったのが観測された」という、途方もない数字が記載されています。ただ、該当する記述は英語版ウィキペディアにはなく、海外の人は、もうちょっと内輪に数字を見積もっているようです。

下のページを見ると、「彗星発見者たちの故国・日本では、池谷-関彗星が『満月の10倍も明るく』見えたとの記載がなされており、これはマイナス15等級に相当する」と書かれていて、特に否定はしないまでも、何となく日本人が身びいきで過大に言っているのではないか…と言外に匂わせている気配です。

The 9 Most Brilliant Comets Ever Seen
 http://www.space.com/17918-9-most-brilliant-great-comets.html

コメント

_ S.U ― 2015年03月23日 19時39分01秒

1965年の池谷-関彗星は、私がリアルタイムの体験を覚えているもっとも古い突発的天文現象ですが、残念ながら自分の目ではなくテレビニュースで見ただけです。

 さて、この「日本びいき」ですが、この彗星は近日点通過が日本時間の13時頃だったので、日本からはもっとも明るくなった彗星がコロナグラフで撮影できたけれど他の国からは観測そのものが難しかったということがあるかもしれません。とは言っても、写真からの推定でも、その精度の評価はやはり難しいでしょうね。

 普通に言われているもっとも明るい彗星は、1882年9月の大彗星ですが、近日点通過時の写真やスケッチは見たことありません。

_ 玉青 ― 2015年03月24日 07時01分22秒

あ、S.Uさんはリアルタイムで経験されたのですね。
まあ、私もこの世に居ることは居たんですが、当時はようよう人語を解するようになったばかりの頃ですから、もちろん全く記憶にありません。まことに残念です。それでも伝説の彗星と同じ時を共有できたことは、大いに誇りたいと思います。

(付け句でご唱和ありがとうございました。花が咲いて浮かれていたら、またぐっと冷え込みましたね。)

_ S.U ― 2015年03月25日 08時20分36秒

>伝説の彗星
 彗星の何たるかを知らない小学低学年生も気にしたのですから、よほど騒がれたのだと思います。たぶん連日のニュースだったと思います。ちなみに1965年後半の科学ニュースとして、他に朝永博士のノーベル賞、台風による大雨、11月23日の日食(これも見てはいない)、を憶えています。それから、ジェミニの飛行をきっかけに「ランデブー」という言葉がはやりました。このころは世の中も私もちょっと自然科学づいていたかもしれません。

_ 玉青 ― 2015年03月25日 21時06分11秒

振り返るといろいろありますね。人間とは畢竟体験の束ですから、60年代の科学的イベントの数々が、今のS.Uさんの血となり肉となっているのは間違いないところかと思います。そしてまた滋養の多い時代だったと言えるかもしれませんね。

_ S.U ― 2015年03月26日 19時38分17秒

>60年代の科学的イベント
 そうですね。当時は、小学生でも科学の進歩に身近に接することができ、人類の科学史の中に生きているというのが子どもながらに実感できましたね。というわけで、それ以降、ずっと科学史漬けになって現在に至っておる次第です。

_ 玉青 ― 2015年03月26日 21時36分43秒

そして今やS.Uさんご自身が科学史の一部…と言っても過言ではありませんね。(まだ「史」は早いかな?)

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