天空の色彩学(その4)…カテゴリー縦覧:恒星編2015年03月28日 14時04分43秒

(昨日の続き)

スミス邸に集った男女の顔ぶれを、その肩書で見ると、
2人のミセス、4人のミス、3人のミスター、1人のドクター、1人のキャプテン(これはスミス自身のこと)。

彼らが二重星コル・カロリを眺め、そこに見た色は、
「淡い白と菫色」、
「ほんのりした黄色と生気のない紫」、
「黄色っぽい色とライラック」、
「煤けた明るい黄色とライラック」、
「白とプラム色」、
「褪せた黄色と青」、
「クリーム色と菫クリーム色」、
「淡い青ともっと濃い青」、
「白っぽい色と明るい紫」
であり、
スミス自身は「白とプラム色の紫」を見ました。


彼らははたして同じ色を見たのでしょうか?

ここには、経験を言語化することの難しさが、そしてまた言語を通して経験を推し量ることの難しさが、よく出ています。仮に二人の人が、まったく同じ色を経験したとして(それはたぶん検証不可能でしょうが)、彼らは、それを違う言葉で表現するかもしれません。反対に、同じ言葉を使って表現しても、実はまったく違う色を経験しているのかもしれません。(もちろん心理学者は、巧妙な実験デザインによって、この問題にアプローチしていますが、でも最後に横たわる「本当に本物の経験」がどんなものであるかについては無力です。)

まあ、こうして並べてみると、似たようなものを見たんだろうなあ…という気はします。

それに、難しい話は抜きにして、1829年6月の宵を、この11人に男女が愉しく過ごしたことは間違いないでしょう。彼らは互いに自分の経験を披歴し、コメントしあい、そして再び望遠鏡を覗いて、互いの言葉を確認し…。そう、人はたとえ全く同じ経験はできないにせよ、それを語り合い、思いを共有することはできます。そのプロセスこそが大事だと思います。

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さて、スミスのもう一つの「実験」の材料は、はくちょう座β星、すなわち白鳥のくちばしに輝く、美しい二重星・アルビレオです。

アルビレオといえば、「銀河鉄道の夜」に登場するアルビレオ観測所を思い出す方も多いでしょう。

 あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟(むね)ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉(サファイア)黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。

実に美しい描写です。
しかし、アルビレオを2種類の宝石にたとえるのは、賢治の独創ではありません。

賢治自身がそうはっきり書いているわけではありませんが、賢治の天文知識の多くは、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(1922)に拠っていることが例証されており、果たして同書を見ると、連星中の大きな方の星は三等星で、色はトパーヅのやうな黄色に輝き、小さい方は、サフワイヤのやうな碧色をしてゐます(p.197)とあります。

その吉田は、同書の序文で「本書は〔…〕ヘクター・マクファーソン氏著『肉眼実際天文学』を台本として、編述したものである」と断っていますが、これは Hector Macpherson の『Practical Astronomy with the Unaided Eye』(1915頃)という本を指します。そしてマクファーソンは、アルビレオを「the larger star, of the third magnitude, being topaz yellow and the smaller one sapphire blue(p.62)と表現しており、吉田はそれをそっくり生かしていることが分かります。

さらにマクファーソンは、自著巻末で、E. Walter Maunder の『望遠鏡を使わない天文学 Astronomy without a Telescope』(1902)を推薦図書に挙げており、「では」とマウンダーの本を開くと、やっぱり「the principal star, of the third magnitude, being topaz yellow, the companion, of the seventh magnitude, sapphire blue(p.72)という、ほぼ同じ表現が出てきます。

この引用の連鎖をさらにたどることもできるでしょうが、その先にスミス提督の「トパーズの黄色とサファイアの青」があることは、ほぼ確実です。即ち、銀河鉄道の夜の鮮烈な描写に心打たれた人は、間接的にスミス提督の恩沢を蒙っているわけで、スミスはあながち遠い昔の、遥かな異国の人とばかり言い切れません。

(スミス、マウンダー、マクファーソン、吉田源治郎を経て賢治に至るアルビレオ・コネクション)

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とはいえ、こんなふうにアルビレオを宝石にたとえる表現が世間にあふれてくると、それ自体陳腐なステロタイプとして、人々の目を曇らせることにもなります。星好きの人は、一度この星の色が、自分自身の目と心に、実際にはどう見えるかを振り返ってみるのも良いのではないでしょうか。

話が脇にそれましたが、スミスが行った「実験」というのは、まさにアルビレオが人々の目にどう見えるかを探る試みで、彼は自分よりも前の世代の天文家の記述を拾い、また同時代の人に一種のアンケートを実施しました。その結果一覧がなかなか興味深いです。


あの大ハーシェルは、1781年にそれを「淡い赤と美しい青」と書き留めました。
息子のジョン・ハーシェルは、「白または黄色っぽい白と青」と述べています。

小さい方の星はブルーか?グリーンか?
スミスの愛する奥方は、「オレンジイエローと緑がかった青」と語り、息子のピアッジ・スミスは反対に「黄色と青味がかった緑」だと言いました。鷹の目を持つと評された鋭眼の観測家ドーズは、「クロッカスイエローと緑がかった青」と述べ、ミセス・スミスの側に立ちます。親友のリー博士は、「ピンクがかった黄色とセルリアンブルー」であり、リー夫人は「オレンジと緑

イタリアの色見巧者、ベネディクト・セスティーニの目には、「オレンジゴールドと紺碧」と映り、偉大なアマチュア天文学の父、トーマス・ウェッブは、「きれいな黄色とウルトラマリンブルー」と表現しました。分光学の大家で、新たな天空色彩学を切り開いたウィリアム・ハギンスは、シンプルに「黄色と青」です。

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ここでこの連載の最初に戻ります。
『夜の魂』の著者、チェット・レイモは、スミス提督の想像力に感嘆しました。しかし、スミス一人に限らず、そもそも人間の眼と脳が世界を染め上げる能力こそ、真に驚嘆すべきものではないか…と、上の表を見て思います。

(色鮮やかな宇宙。David Malin の天体写真集、『The Invisible Universe』、1999)