世紀の発見(とその後)…カテゴリー縦覧:天文余話編2015年04月05日 17時08分41秒

今日は雨。昨日の皆既月食もまったく見えず、夜桜と赤銅色の月のコントラストを楽しむことはできませんでした。

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ときに、先月24日、ピッツバーグから驚きのニュースが報じられ、ATS(Antique Telescope Society)のメーリングリスト上で、色めき立ったメンバーによる大量のメッセージのやりとりがあった…という話題を書き付けておきます。

そのニュースとは、アメリカを代表する望遠鏡製作者、ジョン・ブラッシャーの工場跡地から、ブラッシャー本人が残したタイムカプセルが偶然掘り出されたというもの。

(John Brashear 1840-1920)

Al Paslow氏による、その第1報は以下のようなものでした。(以下、適当訳です)

皆さん、こんにちは。
私は今日、ブラッシャーの工場の撤去作業をしていた作業員の1人が、建物の礎石からタイムカプセルを見つけたと知らされて、同社の跡地に行ってきました。

我々は、タイムカプセルを無傷で保存する方法をあれこれ考えましたが、最終的に、カプセルを開けて、中から何が見つかるか、カメラで記録しようじゃないかということになりました。

こうして、3人の撤去作業員と私が、このハンダ付けされた真鍮製の小箱の中身を、121年ぶりに目にした、最初の(そして唯一の)人間となったのです。

最初に出てきたのは、ジョン・ブラッシャーのサインが入った手紙でした。それから1891年以降の新聞記事。その最新の日付は、たぶん1894年8月4日だと思います。また、ジョンの両親を含むブラッシャー家の写真と、おそらくピッツバーグとアレゲニー両市にかかわる、当時の著名人の写真もありました。

最も興味深い発見は、「アメリカで最初に作られた光学ガラスの1つ」と書かれた一個のガラス塊と、ジョンの妻、フィービーの髪を収めた錠前の入った封筒です。

それ以外に注目すべきものとしては、Warner & Swasey社〔望遠鏡の架台やドームを作っていた老舗のメーカー〕から届いた、ブラッシャーの新工場完成を祝う手紙(Worcester Warner と Ambrose Swasey のサイン入り)、「William Thaw〔ピッツバーグの富豪〕雑録」とラベリングされた、保存状態の良い写真入りの冊子、さらに箱の底には、工場の平面図と青写真が入っていました。

今晩中に、私のウェブサイトにその写真と、できれば動画も投稿します。

この発見は、科学と天文学の歴史において、間違いなく重要なものです。タイムカプセルの中身の多くは、見事な状態を保っています。古い写真の中には色褪せたものもありますが、多くの写真は、箱に収められた当日と同じぐらい良い状態にあるように見受けられます。

工場の撤去作業も終わり、今日の午後現在、跡地が藁で覆われてしまったことは、とても残念に思います。

そして、パズロー氏のサイトに掲載された、その歴史的場面が以下。


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ここまでは、ワクワクする夢のある話です。
しかし現実というのは、いろいろあって、夢だけでは終わりません。結局、この件はタイムカプセルの所有権をめぐる裁判沙汰に発展しました。

■4月1日付け TRIB Live News
 「係争中のブラッシャー・タイムカプセル、歴史センターが一時預かり」

http://triblive.com/news/adminpage/8092960-74/history-center-pittsburgh#axzz3W9wiHGxP

ピッツバーグ市と、ヘーゼルウッドにある請負業者との間で所有権が争われている、ジョン・ブラッシャー工場跡地で発見されたタイムカプセルの中身は、現在ハインツ歴史センターが、その番に当っている。

アレゲニー郡裁判所の民事訴訟判事マイケル・A.デラ・ヴェッキアは、水曜日、同市がジェイデル・ミニーフィールド建設サービス社に対して、当該物件を歴史センターに移すよう求めていた、緊急差し止め命令を認可した。

ピッツバーグ市は、遺棄された建物を所有していたが、3月16日に壁が倒壊した後、壁および隣接する建物の撤去費用として、ジェイデル・ミニーフィールド社に23万5000ドル〔約2822万円〕を支払うことを同意していた。同社は法廷文書の中で、市と結んだ契約は、タイムカプセルの「サルベージ権」を同社に認めており、市は撤去作業費用の支払いを保留することで、同社に「経済的嫌がらせ」をしようとしていると主張している。

ビル・ペデュート市長は、「あれはピッツバーグ市民のものです」と述べている。「ジョン・ブラッシャーは国の内外で著名であり、彼はピッツバーグの歴史と不可分です。」
ジェイデル・ミニーフィールド社とその代理弁護士からの電話回答は今のところない。

ブラッシャーは、世界的な科学者・博愛主義者として知られている。彼は1920年に亡くなるまで、この工場で望遠鏡用の鏡とレンズを製作し、工場及び隣接する家屋は、国の歴史地区に指定されている。彼の遺灰は妻の遺灰と共に、彼が創設に関わり、指導したアレゲニー天文台に埋葬されている。

礎石の内部から発見されたカプセルには、工場の職人たちの写真や、1894年の日付を記した文書、ブラッシャーの妻フィービーの髪を容れた錠、そしてアメリカで最初に作られた光学ガラスの1つと記された品が入っていた。

ペデュート市長は、市が勝訴した場合、ただちに所有権を歴史センターに譲渡するつもりだと語っている。歴史センター館長兼CEOのアンディ・メイジックによれば、すべての資料は、専門家によって既に写真撮影が終わり、現在、空調管理された収蔵庫に保管されているとのことである。「もしこの資料が歴史センターのものとなれば、我々はそれを他のブラッシャー・コレクションと一体のものとして扱うでしょう」と同氏は語っている。

ピッツバーグ市は、ジェイデル・ミニーフィールド社が、ペリーズヴィル通り沿いの撤去現場でタイムカプセルを開封したことを提訴し、同社がカプセルの内容を棄損した可能性と、同社にはそれを取得するいかなる権利もないと主張している。一方、同社は法廷文書の中で、同社が「必要なすべての注意」を払って資料を扱っており、資料には何のダメージもないと述べている。

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発見者に全く悪意はなかったし、本来明るいニュースのはずなんですが、えらいこじれてしまいました。世の中には、こういうことも時にあります。

ATSのメンバーの意見もいろいろで、ピッツバーグ市の強硬な態度と、もともと跡地を放置していた無責任をなじる声もありました。また、こういう場合の処理の仕方がはっきりしない法の不備を指摘する声もありました。

まあ、あるメンバーが言っていたように、会社側が「歴史的価値」と「金銭的価値」を取り違えて、欲の絡んだソロバンをはじいたのが、そもそもボタンの掛け違いの始まりで、やっぱり欲とは恐ろしいものだ…というのが、私の素朴な感想です。