「リアル」な自然とは…GW雑感2015年05月03日 19時45分26秒

今日は憲法記念日。
憲法をめぐっては、従来からやれ改憲だ、護憲だと議論があり、最近は「加憲」という妙な言葉も耳にします。

憲法というと、私は昔社会科で習った「あたらしい憲法のはなし」というのを懐かしく思い出します。これは昭和22年(1947)、まだ焦土の広がる中、文部省が出した子供向けの新憲法解説書です。その全文を青空文庫で読めることを先ほど知って、生まれて初めて、その全文を読んでみたんですが、何と言いますか、本当に時代というのは変るものだなあ…と痛切に感じました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

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ここしばらくは、例のタルホ関係の計画で脳内が満たされていて、なかなか文章を綴るどころの段ではありませんでした。しかし、この辺でちょっと一服して記事を書きます。

先日、ジャネット・マーシュの水辺の絵日記』の記事にコメントをいただき、個人的な自然体験のことが、ちょっと話題になりました。蛍以下さんからは、1980年代に遊びの世界が激変して、子供たちがピコピコしたゲーム類に一気に呑み込まれていったことを告げられ、確かにと思いました。

そして1990年の湾岸戦争の際には、「戦争の映像がまるでゲームにそっくりだ!」、「いや、その言い方は倒錯している。ゲームの方が実際の戦争にそっくりと言うべきだ」…というような議論があって、リアルとヴァーチャルの境界が不分明になったことを強く実感しました。

親たちは、子供が現実とゲームの区別が付かなくなることをおそれ、自然体験教室などもなかなか賑わったのでした。そうした流れは今も続いていると思います。

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ヴァーチャルとリアルの関係。これは事新しい問題ではありません。

たとえば昔は文学がそうでした。
今は本を読むことが何となく良いこととされているので、ピンときませんが、明治・大正の頃は、息子や娘が文学書なんぞを読みふけっていると、親はずいぶん心配したものだそうです。柔弱で不健全なものというネガティブなイメージに加えて、文学の世界に沈潜すると、現実に不適応をきたすのではないかと憂えたわけです。後の映画やテレビもそうですね。

江戸の頃でも事情は同じです。
江戸後期の筆録『世事見聞録』には、「世の中が芝居の真似をするやうになれり」とあって、現実が歌舞伎の世界をなぞる世相を皮肉っていますが、これは江戸時代のこととはとても思えず、まるで今の世を諷しているようです。

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ここから私の連想は突如飛躍するのですが、ヴァーチャルな世界というのは、そもそも言葉の世界自体がそうなのではないかと思います。

ヘレン・ケラーが言葉を獲得した瞬間。
あれは感動的な場面で、あるいは人類の精神史においても、あれに似た瞬間があったのかもしれません。人間は言葉を獲得したことによって、自らの経験を自由に描写できるようになりましたが、しかし実は言葉の誕生こそ、人間が「生(なま)の現実」から切り離された、原罪的出来事でもあったのではないか…と、ふと思います。

青い空と白い雲を前にした時の経験と、「アオイソラ シロイクモ」というコトバは全然別物なのに、その区別を人は忘れがちです。これは、別に言語学とか、記号論とかの、ヤヤコシイ議論を持ち出さなくても、ちょっと立ち止まれば誰でも分かることです。にも関わらず、それを難しいものと感じるとしたら、それはかなり言葉に絡め捕られている証拠です。

そして更に一歩進めると、人間の感覚的経験そのものが、「生の現実」とは別物なんじゃないかということに思いが至ります。つまり、人間は最初からヴァーチャルな世界しか体験できない存在なんだ…という考え方です。もちろん、これには反論もあって、感覚を超えたところに「生の現実」があるわけではなく、感覚的経験を通じて世界は自ずと「立ち現われる」のだという人もいます。

確かに、原理的にヴァーチャルしか体験できないなら、ヴァーチャルとリアルの区別は元々意味がなくて、「人間の感覚を超えた真の現実」などというのは、エセ宗教家の寝言だということになります。でも、実はこの辺になると、言葉があまりうまく機能しないので、議論はすぐに上滑りして、肚に落ちる結論にはなかなかたどり着けません。

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結局何を言いたいのか、自分でも分からなくなってきました。
たぶんこういう議論をしたくなるのは、ここしばらく、自然を相手に「無心」になることから遠ざかっているせいだと思います。光る川面に目を細め、水草の匂いを嗅ぎ、魚の胴の手触りを確かめるときは、およそこんなことは脳裏に浮かばないものです。

博物学の「目的」とは?…カテゴリー縦覧:博物学編2015年05月04日 19時38分37秒

博物学の目的とは何でしょうか?
博物学というのは、人間の純粋な好奇心の発露ですから、強いていえば「知ること」それ自体が目的だということになります。

ところが「教育」というのは、どうもそれだけでは済まなくて、何か立派な目的がいるわけですね。先日、明治時代の教科書を開いたら、そのことが冒頭に出ていて、驚くと同時に、面白いと思いました。


上は明治30年代に、旧制中学校(すべて男子校です)や高等女学校で用いられた「博物」の教科書。


戦前は「博物」という授業がありました。当時の教育者の中には「博物」と「博物学」は違うと主張した人もいますが、上の表紙には「Natural History」と明記してあるので、まあ一般的には同じと解していいでしょう。

「博物」は、動物学・植物学・鉱物学の基礎を学ぶ科目で、これは自然界に存在するものを、これら3つの「界」(動物界、植物界、鉱物界)に区分して把握するという、古い古い三界説の伝統を引くものです。

そして、戦前の中等教育における理科のカリキュラムは、「物理・化学」とこの「博物」のペアから構成されており、それぞれが今の「第1分野」「第2分野」の淵源になっています。

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さて、その博物の教科書を編むにあたり、ドイツ留学中の気鋭の理学士・藤井健次郎(後に東京帝大教授)は、博物学の目的を以下のように宣言しました(平仮名表記に直し、適宜句読点を補いました)。


第一 動植鉱物学を修むるの階梯〔基礎〕を与ふること
第二 理学的思想を与へ、迷信を去ること
第三 観察力を養成し、五官の機能を完全ならしむること
第四 他の諸学科と相待ちて、思想発達上に於て偏頗〔偏り〕なからしむること
第五 親しく自然界を観察して、其完全なる理会〔理解〕を為さしめ、天然物を愛するの心情を喚起し、自然の美を認識し、優美高尚の性を得しむること
第六 実験によりて道理に基ける確信の道を開き、徳性を涵養すること
第七 天然物に就きて利用厚生の道を覚(さと)らしむること

何だか分かったような分からないような話ですが、博物の授業は、立派な人格を形成するためにあるという、道徳教育的な目的がそこに大きくかぶさっているのは、今の目から見ると一寸不思議な気がします。


さらにこれに続けて、この目的を敷衍し、より理解を全きものにするため、このような道歌めいた詩句が書かれています。

  完全無欠不足なき 天然界のさま見れば
  胡蝶も花も塊(つちくれ)も 天地万物それぞれに
  互に依りつ助けつつ おのがむきむき様々に
  所得ぬものなかりけり。

  動植鉱物さまざまに 優り劣りの差(しな)あれど
  同じ天地の物なれや 中にすぐれて霊長と
  世にもいはるる人々よ 天地の広き心もて
  天然物を愛すべし。

  少しの草木むしけらも みだりに折らず捕へずに
  おのもおのもに所得て 皆それぞれに其生(しょう)を
  全からしめ遂げしめよ これ万物の霊長の
  人の人たる徳ならん。

万物の霊長の責務として、自然界のすべてを愛し、慈しみ、いたずらにその生を奪ってはならない…。人間を「高貴な存在」と見て、一種のノブレス・オブリージュ(高貴なる者が負わねばならない義務)を課す考えです。これは今でも一部に共感を誘う考え方でしょう(賛否はあると思います)。

さらに興味深いのは、第一段にうたわれている「相互依存」の考え方です。
これは、19世紀ドイツの理科教育者ユンゲが唱えた「生活共存体」説に由来し、それが明治半ばの日本にも輸入されて、一時はだいぶ流行ったものらしいです。

地球上のすべての生命(さらに鉱物)は互いに依存し合い、有機的な全体を構成している…というのは、今でも「ガイア説」などに生き残っていて、いわゆるエコ・ムーブメントの根本教義の1つだと思います。それをあながちに否定する根拠もありませんが、上記のような歴史的外延を知っておくことは、議論に一層広がりを生むものと思います。

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博物の教科書1冊からも、いろいろなことに連想が及びます。
人間と自然の関係、その関わりの歴史、さらに人間と自然の関係をある時点でどう概括するか、まあ、あまり大きなことをこのブログで論じてもしょうがありませんが、興味深い題目であることは間違いありません。

この教科書をめくっていると、他にもいろいろ面白い点が目につくので、もう少し内容を見てみます。

(この項つづく)

『近世博物教科書』に見る明治の授業風景2015年05月06日 09時57分39秒

(前回のつづき)

(愛らしいカラー口絵。残念ながら多色刷りはこのページだけです。)

明治30年代の理科のテキスト『近世博物教科書』。
その内容を見ていて、面白いなと思ったのは、教科書の欄外に赤インクで細かくメモがとってあることです。


たとえば「牛」のページ。
教科書本文は「牛ハ古ヨリ六畜中ノ一ニ数ヘラレタル、最モ有用ノモノナリ…」云々から始まって、その身体的特徴や、習性、反芻のこと、家畜としての歴史などが淡々と書かれています。

それに対してメモの方は、その要点を抜き出して箇条書きしてあるので、最初見たときは、元の持ち主(この几帳面さは女学生っぽい気がします)が、自学自習のために書き付けたのかと思いました。


でも、よく読むと、上のように本文には全く出てこない記述もあるので、これは授業中に、先生が言ったことを口述筆記したものに相違ありません。(日本語として「てにをは」がおかしいのも、その場で忙しく書き付けたものであることを窺わせます。)

(文字が古めかしくてちょっと読みにくいので、以下に転記しておきます。家畜に付ての説/牛は古来六畜の一として有用なりしも 発達繁殖せざるは 仏教の影響をうけて肉食を避けしに依り 従ひて之を農業に応用することなし 又之を愛する情念に乏しくなりき故 獣類に対する智識等は全く絶無の姿となりしのみならず 根跡ありしを以て東京附近には動物虐待防止会なるものをも起れり。

先生が教科書に沿って説明するのを聞きながら、生徒たちが必死でメモをとっている授業の光景が思い浮かびます。きっとところどころ、「これは大切なことだから、ちゃんと書き取っておくように」という指示があったのでしょう。


そう思うと、このとぼけた蛙の絵を見ながら、真面目にメモを取っている姿も微笑ましいですし、


これはたぶん先生が板書したのを写したのでしょうが、果たして先生/生徒いずれの技量に問題ありや、あんまりサソリに見えません。



教科書本文にもちょっとした発見があって、上は「アゲハチョウ」についての解説ですが、その中に「ゆずぼう」、「おきくむし」というのが出てきます。


アゲハの幼虫をユズボウ、蛹をオキクムシというのですが、オキクムシは即ち「お菊虫」で、例の皿屋敷のお菊が、後ろ手に縛られている姿になぞらえた呼び方、ユズボウは耳慣れぬ称ですが、柚子をはじめとする柑橘樹に付く「柚子坊」の意でしょう(ウリ坊みたいで、ちょっとかわいいですね)。ともあれ、こういう民俗語彙が、他の科学的記述に混じって突如出てくるのが、面白いと思いました。

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果たして明治の女学生は、動物虐待について、「長舌ニシテ昆虫ヲ得ル」とのさまがえるについて、はたまたお菊虫や柚子坊について、どんな印象を持っていたのか、その辺も大いに気になるところです。

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【付記】
オマケですが、文中に出てくる「動物虐待防止会」というのは、明治35年(1902)に発足した組織で、当時の日本の動物愛護運動については、以下に詳しい記述があります。文化史的にも興味をそそられる内容です。

■近森高明、「動物<愛護>の起源―明治三〇年代における苦痛への配慮と動物愛護運動―」、京都社会学年報第8号(2000)、pp.81-96.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192592/1/kjs_008_081.pdf

ヴンダーカンマーの遺風…カテゴリー縦覧:博物館編2015年05月07日 06時17分31秒

博物館の絵葉書を、これまでしょっちゅう取り上げたような気がしたのですが、意外にそうでもありませんでした。今日はこんな絵葉書です。


フランス北部、ベルギーとの国境に近いサントメールの町にある博物館の古絵葉書。
キャプションには、サントメール博物館(Musée de Saint-Omer)とありますが、現在の正式名称は「サンドラン賓館博物館(Musée de l’hôtel Sandelin)」といいます。

■サンドラン賓館博物館公式サイト
 http://www.musenor.com/Les-Musees/Saint-Omer-Musee-de-l-Hotel-Sandelin/

名前にホテルと付いていますが、ここはいわゆる「宿屋」ではなく、貴人が客をもてなす館として設けられた建物です。元はサントメールの領主館だったものを、18世紀後半にフランス貴族のサンドラン家が買い入れて改装し、後に博物館に転用された由。

最初の博物館は、1829年に同地の農林・考古学会(la Société d’Agriculture et d’Archéologie)が設置したもので、このときは主に動物の剥製、化石、民族学資料を展示する場でした。その後、徐々に中世遺物がコレクションに加わり、さらに1899年に市立博物館となるに及んで、サントメールの歴史資料と近世以降の美術作品の展示をメインとする<歴史資料館・兼・美術館>に生まれ変わりました。

この絵葉書は20世紀初頭、まだ同博物館がそれ以前の姿をとどめていた時期に作られたものでしょう。そのため、最初の画像のように、剥製がずらり並んでいるかと思えば、


こんないかめしい武具があったり、



中世にさかのぼる雑多な小像や器物が棚を埋め尽くしていたりで、一応分野別に整理されているものの、その全体はいかにも混沌としています。19世紀には、既にヴンダーカンマーは過去のものとなっていましたが、まだその遺風が辺りに漂っている感じです。

あるいは、近代博物館の展示原理の普及には、地域によってタイムラグがあり、パリを遠く離れたサントメールでは、依然ヴンダーカンマー的な展示を好む気風が強かった…ということでしょうか。まあ単に、小博物館の「脱抑制的勇み足」とも言えますが(日本でもありがちです)、そこにこそヴンダーカンマーの本質が端無くも露呈した…と言えなくもありません。

個人的には、こういう混沌とした雰囲気がわりと(いや、大いに)好きです。

哺乳類6500万年…カテゴリー縦覧:動・植物編2015年05月08日 06時48分33秒

「近年、哺乳類の分類学はかつてない勢いで刷新されつつあり、ほんの10年か20年前の知見が、ひどく時代遅れのものとなる状況が生まれている。」

ウィキペディアの「哺乳類」の項を見たら、そう書かれていて、今更ながら驚きました。それは新たな化石の発掘が続いたことと、分類学に遺伝子解析の手法が導入され、従来とは異なる説が急浮上したことによるものだそうです。

とはいえ、現生哺乳類の祖が白亜紀に生まれ、新生代(6500万年前~)になって爆発的に放散進化したというストーリーは、今も動きません。

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岩陰で憩う1匹のネズミ。


その「岩」は、実はたった1個のクジラの椎骨です。


もはや何をかいわんや…という感じですが、クジラの方は450万年前の地層から発見された化石ですから、すでにその頃には、絢爛豪華な「哺乳類の進化劇場」も終演間近だったことが窺えます。(…と思いきや、突如上手の方から舞台に駆け込み、いきなり主役面で踊り出したのがヒトというわけです。)

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それにしても、現生哺乳類の祖(ネズミに似た姿のエオマイア類がそれと考えられています)に物思う力があり、己が子孫のその後の歩みを知ったら、どんな感慨を抱くことか。

こんどのお盆やお彼岸には、この遠いご先祖様にも手を合わせて、新生代6500万年の来し方行く末に思いをはせたいです。

黄金虫…カテゴリー縦覧:昆虫編2015年05月09日 09時15分41秒

エドガー・アラン・ポオが書いた暗号ミステリーの古典、黄金虫
私はずっとあれを「こがねむし」だと思っていました。昔読んだ本には、たしかにそうルビが振ってあったからです。


でも、ポオの原題は「The Gold-Bug」で、これは日本語で言うところの「コガネムシ」を意味するわけではないのだから、おうごんちゅう」と読むのが正しい…という説を耳にし、なるほどと思いました。(ちなみに、ウィキペディアには「おうごんちゅう/こがねむし」と両論併記されています。)

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まあ、いずれにせよ「ゴールドのコガネムシ」なら、全く問題なしです。


金細工めいた姿の、レスプレンデンス・プラチナコガネ(コスタリカ産)。
自分のグニャグニャした身体とは大違いで、とても同じ星に住む生物とは思えません。


中南米に生息するプラチナコガネの仲間は、その鮮やかなメタリックカラーで人々の目を惹き、専門のコレクターも多いと聞きますが、私はコレクターではないので、手元にあるのはこの3個体だけです。


行儀よく「蟲」の形に並んだ彼らは、いつも部屋の隅にあって、周囲にまばゆい金色の光を放っています。

世界は光り、脈動する…小さな銀河模型2015年05月10日 06時49分30秒

目に見える現象世界はまことに複雑でとらえどころがないが、その背後には必ずや基本となる要素があり、複雑に見える現象も、そうした基本要素の相互作用によって説明できるにちがいない―。

これは多くの文化圏で生まれた考え方で、科学と魔術が未分化な時代から、その精緻な理論化に向けて、人々は思索と観察を重ねてきました。例えば古代ギリシャでは、「地・水・火・風」の四大を、インドではさらに「空」を加えて五大を想定しました。一方、中国で生まれたのは「木・火・土・金・水」の五行説です。

五行説では各要素に色を配当し、「青・赤・黄・白・黒」の5色とします。
仏教の場合、五大の各要素に色を当てはめたわけではありませんが、一種の吉祥色として、やはり「五色(ごしき)」を挙げ、そのカラーバリエーションは五行と同じです(過去のどこかで混交が起こった可能性もありますが、まあ通文化的に基本色なのかもしれません)。

日本では「青・黒」を「紫・緑」に差し替えることが多く、「紫・赤・黄・白・緑」のカラーパターンが、お寺でも神社でもやたらと目につきます。鯉のぼりの吹流しもそうですね。要は世界を象徴する色というわけでしょう。

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…というようなことに思いが至ったのは、最近下のような品を手にしたからです。


「天の川銀河」の銀文字が光る化粧箱に入っているのは、



国立天文台(NAOJ)のお土産用キーホルダー。


手元の銀河模型の中で、これまでいちばん小さかったのは、タカラの「王立科学博物館Ⅱ」(いわゆる食玩です)に入っていた海洋堂制作のものですが、このNAOJのキーホルダーは、さらにその上(下?)をいく「最小の銀河模型」です。
この愛すべき佳品は、先日コメント欄でtis0さんに教えていただきました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/15/5163726#c7624839)。

しかも、この品は単に小さいばかりではありません。
なんと自ら光るんですよ。それもかなり烈しく。


冒頭で書いたようなことを考えながら、わが銀河系が5色に発光し、リズミカルに脈動する様を眺めていると、ちょっと不思議な気分になります。一種のサイケデリック体験かもしれません。

宝石王の小箱(前編)…カテゴリー縦覧:化石・鉱石・地質編2015年05月11日 06時46分44秒


(Julius Wodiska, A Book of Precious Stones. 1909)

ジェムストーン(gemstone)、ジュエル(jewel)、プレシャスストーン(precious stone)、セミ・プレシャスストーン(semi-precious stone)。

これらの用語は、たぶん業界の人には自明なのでしょうが、門外漢には今ひとつよく分かりません。とりあえず、ウィキペディア(日本語版、英語版)を参照したら、以下のようなことが書いてありました。

まず、ジェムストーンジュエルとは「宝石」、すなわち宝飾たりうる石のことで、最終的に加工されて宝飾品となったものは「ジュエリー(jewelry)」と呼び名が変わります。
そして、宝石の中でも、とりわけ価値が高く、高値で取引されるのが「プレシャスストーン(貴石)」で、現代の慣行によれば、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドの4種がそれに当たり、それ以外はすべてセミ・プレシャスストーン(半貴石)」に分類される由。(←英語版ウィキペディア「Gemstone」の項参照)

しかし、上の区分も絶対ではないらしく、日本語版ウィキペディアで「貴石」を引くと、国や専門家によりその基準は異なり、宝石業界内でも統一されていない」とした上で、上記の四大宝石に加え、アレキサンドライト、トパーズ、ジルコン、アクアマリン、キャッツアイ、トルマリン、ガーネット、ペリドット、カンラン石、ヒスイ、オパールも貴石の仲間に挙げています。
まあ、商策上「貴石」の範囲が広い方が、何かと便利なのかな…という気はします。

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ちょっと皮肉な書き方になりましたが、宝石の仲間にも浮き沈みがあり、価値が出たり引っ込んだりするのは確かなようです。そうした価値の転換を大規模に、しかも一代で成し遂げたのが、ブラジルのハンス・スターン(Hans Stern、1922-2007)なる人物。

その伝記を、これまた英語版ウィキペディア(http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Stern)を参照して、かいつまんで要約してみます。

ハンス・スターン(ドイツ語読みすればシュテルン)はエッセンに生まれたユダヤ系ドイツ人で、第2次大戦勃発とともに17歳でブラジルに移住しました。

早くから宝石業界で働き始めたスターンは、それまで軽視されていた、多くの色鮮やかな石を採鉱現場で目にし、これを外国からの旅行者相手に販売してはどうか…と考えました。こうして1945年に産声を上げたのが、「H. Stern(アガ スターン)」社です。
彼の目論見は見事大当たりし、今やブラジルの宝石産業はドル箱ですし、彼の会社は全世界に150以上の店舗を展開するまでになっています。

(H. Stern ラスヴェガス店。撮影:Gryffindor、Wikimedia Commonsより)

スターンの業績を一言で云えば、要するに半貴石の地位向上です。

「主要な国際宝石研究機関が、有色宝石に与えていた『semi-precious』という定義をこぞって改め、以来『precious colored stones(有色貴石)』と呼ぶようになったとき、彼の人生の大きな目標の1つは達成された。スターンは『‘半妊娠’の女性や‘半正直’な男がいないように、半貴石も存在しない』というフレーズを残した。」

後にニューヨークタイムズは、彼のことを「king of the colored gems(有色宝石の王)」とたたえました。

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ちょっと不似合いな宝石の話題を出したのは、スターン社の可愛いお土産品を見かけたからですが、ちょっと長くなったので、モノの方は次回に回します。

(この項つづく)

宝石王の小箱(後編)…カテゴリー縦覧:化石・鉱石・地質編2015年05月12日 07時01分22秒

(昨日のつづき)

モノというのは、岩波新書よりも一回り小さな木箱です。



どうと言うことのない箱ですが、そのサイズと、側面に丸みを持たせてあるところが、いかにも愛らしい感じです。(時代的には1960年代ぐらいのもののようです。)


蓋の裏には、緑と黄色のブラジリアン・カラーの帯。


そして肝心の中身は、宝石12種のサンプルです。
個々の宝石は豆まきの豆のような、文字通り「豆粒サイズ」ですが、カットした状態と、ラフな原石がペアになって、行儀よく並んでいます。


豆粒サイズとはいえ、そこは宝石王の小箱ですから、多結晶(微晶集合体)の不透明な石は単純なカボション・カットにするいっぽう、



単一結晶の透明な石には、一層の輝きを与えるべく、多面体のファセット・カットが施されています。

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宝石というのは、お金の絡むことが多いので、時に俗な感じを受けます。

しかし、鉱物学者の砂川一郎博士によれば「宝石は地下からの手紙」であり、金銭的価値とは別に、それ自体興味深い対象です。この砂川博士の言葉は、「雪は天からの手紙である」という、中谷宇吉郎博士の名セリフをもじったものでしょうが、雪の結晶が、高空の気象条件を雄弁に物語るように、宝石の結晶も、地下深くの組成・温度・圧力を、我々に無言で教えてくれます。


まあ、私の食指が動いたのは、そんな結晶成長学の奥深さに打たれたからではなく、単にこの「ズラッと感(参照:http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/11/23/7500805)に惹かれたせいですが、改めて「大地の手紙」に目をやれば、そこに見た目の美しさ以上のものを感じる…ような気もします。(単に気がするだけです。)



19世紀の人体工場…カテゴリー縦覧:解剖編2015年05月13日 07時09分57秒



C. Crommelinck,
  Atlas du Nouveau Manuel d’Anatomie Descriptive et Raisonné.
   『新版詳説解剖図譜』
  Delevingne et Callewaert (Bruxelles), 1841.

解剖の話題ということで、ベルギーで出た古い解剖図集を開いたら、のっけからこんな図でした(しばらくぶりに開いたので、その存在を忘れていました)。


私が子供のころ、人体を工場にたとえた説明図が、よく科学読み物とかに載っていましたが、その濫觴はかなり古そうですね。


解説ページにも、この第1図については「29ページを見よ」とあるだけで、何の説明もありません。29ページというのは第1図そのもののことですから、まあ一目瞭然、説明不要ということでしょう。

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最初から毒気を抜かれましたが、これだけだとあんまりですから、他のページも見てみます。

(この項つづく)