『近世博物教科書』に見る明治の授業風景2015年05月06日 09時57分39秒

(前回のつづき)

(愛らしいカラー口絵。残念ながら多色刷りはこのページだけです。)

明治30年代の理科のテキスト『近世博物教科書』。
その内容を見ていて、面白いなと思ったのは、教科書の欄外に赤インクで細かくメモがとってあることです。


たとえば「牛」のページ。
教科書本文は「牛ハ古ヨリ六畜中ノ一ニ数ヘラレタル、最モ有用ノモノナリ…」云々から始まって、その身体的特徴や、習性、反芻のこと、家畜としての歴史などが淡々と書かれています。

それに対してメモの方は、その要点を抜き出して箇条書きしてあるので、最初見たときは、元の持ち主(この几帳面さは女学生っぽい気がします)が、自学自習のために書き付けたのかと思いました。


でも、よく読むと、上のように本文には全く出てこない記述もあるので、これは授業中に、先生が言ったことを口述筆記したものに相違ありません。(日本語として「てにをは」がおかしいのも、その場で忙しく書き付けたものであることを窺わせます。)

(文字が古めかしくてちょっと読みにくいので、以下に転記しておきます。家畜に付ての説/牛は古来六畜の一として有用なりしも 発達繁殖せざるは 仏教の影響をうけて肉食を避けしに依り 従ひて之を農業に応用することなし 又之を愛する情念に乏しくなりき故 獣類に対する智識等は全く絶無の姿となりしのみならず 根跡ありしを以て東京附近には動物虐待防止会なるものをも起れり。

先生が教科書に沿って説明するのを聞きながら、生徒たちが必死でメモをとっている授業の光景が思い浮かびます。きっとところどころ、「これは大切なことだから、ちゃんと書き取っておくように」という指示があったのでしょう。


そう思うと、このとぼけた蛙の絵を見ながら、真面目にメモを取っている姿も微笑ましいですし、


これはたぶん先生が板書したのを写したのでしょうが、果たして先生/生徒いずれの技量に問題ありや、あんまりサソリに見えません。



教科書本文にもちょっとした発見があって、上は「アゲハチョウ」についての解説ですが、その中に「ゆずぼう」、「おきくむし」というのが出てきます。


アゲハの幼虫をユズボウ、蛹をオキクムシというのですが、オキクムシは即ち「お菊虫」で、例の皿屋敷のお菊が、後ろ手に縛られている姿になぞらえた呼び方、ユズボウは耳慣れぬ称ですが、柚子をはじめとする柑橘樹に付く「柚子坊」の意でしょう(ウリ坊みたいで、ちょっとかわいいですね)。ともあれ、こういう民俗語彙が、他の科学的記述に混じって突如出てくるのが、面白いと思いました。

   ★

果たして明治の女学生は、動物虐待について、「長舌ニシテ昆虫ヲ得ル」とのさまがえるについて、はたまたお菊虫や柚子坊について、どんな印象を持っていたのか、その辺も大いに気になるところです。

--------------------------------------------
【付記】
オマケですが、文中に出てくる「動物虐待防止会」というのは、明治35年(1902)に発足した組織で、当時の日本の動物愛護運動については、以下に詳しい記述があります。文化史的にも興味をそそられる内容です。

■近森高明、「動物<愛護>の起源―明治三〇年代における苦痛への配慮と動物愛護運動―」、京都社会学年報第8号(2000)、pp.81-96.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192592/1/kjs_008_081.pdf