動物標本社・米山米吉…カテゴリー縦覧:標本・理科模型編2015年05月31日 13時17分58秒

動物標本社 主任、米山米吉。 愛称はヨネ。
その剥製は精巧にして、酒精(アルコホル)漬を為すに注意周到なり―。

ヨネは外神田に店を構え、どんな動物でも思いのままに標本にできる男。
帝大教授連の信頼も厚く、顧客はやんごとなき筋から、諸外国の賓客、さらには下町の丁稚小僧にまで及びます。彼らが日々持ち込む、ときに奇怪な、ときに哀切な願いを入れて、彼は標本作りに励みますが、その過程で、予期せざる事件に巻き込まれることもしばしば。しかし、ヨネはそのつど卓越した標本作りの知識と技量で謎を解き明かし…

この明治の東京を舞台にしたミステリー、動物標本社・米山米吉シリーズは、今はまだ私の脳内にのみ存在するお話ですが、まったくの空想でない証拠に、米山米吉は実在します。


米山米吉がどんな男だったか、この資料以外に手元にないので詳細は不明ですが、彼が神田五軒町に店を持ち、すぐれた標本作りの腕前を持っていたことは確かです。彼は明治28年(1895)に京都で開かれた「第4回内国勧業博覧会」で、同業者中ただ一人有功賞牌を授与されたことを誇りに思っていました。


このカタログは、明治にさかのぼる同社の骨格標本目録。(古いものなので、現在は保護用のクリア表紙を付けてあります。)



内容はカタログと呼ぶには、ちょっと情報量不足で、各種の動物の骨格図の他、取扱い商品の例が、値段の記載がないまま列記されているだけです。


「ヒト」の骨格標本がないのが気になりますが、これは諸外国では定番商品で、此他何品ニテモ御注文ニ従ヒ調整可仕〔仕ルベク〕候」とあるので、必ずや別注を受けていたことでしょう。


実に立派なものです。
明治の後半には、京都の島津製作所でも、すでに一貫した標本作りの体制を整えていましたが、東京の町中にも、腕のいい標本職人が門戸を張っていたことが分かります。

ただし、動物標本社は米吉一代で終わったようで、その後、その名を聞きません(ご存知よりの方がいらっしゃいましたら、お教えください)。

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どうでしょう、米山米吉シリーズ、ものになるでしょうか?