「星を売る店」の神戸(4)2015年06月13日 10時40分58秒

(今日は2連投です。以下、前の記事の続き)

私は「星を売る店」は非常に技巧的な作品だと思います。
そこには、ストーリーと無関係なように見えて、実は全体を象徴する「或るもの」が繰り返し顔を出します。それは即ち「マジック」です。

「私」は散歩を始めるとすぐに、シガレットを使った手品のことを思い出します。

 Tという男が、いったいどこで覚えたのか、ポケットに入れた紙箱の中から寸秒のあいだにタバコを抜き取る。先日私が湊川新開地の入口でスターを二箇買って、その一つをかれに手渡した時、奴さん、もうその中の一本を口に咥えている!〔…〕先生、「奇術すなわち練習なり」とか何とか云って、再びポケットに手を入れたと思ったら、さらに一本、蠟引きの吸口をつけてまで取り出した。

「私」もそれを真似て、その後何度も練習するのですが、どうも上手くいきません。この日も散歩しながら、ポケットの中でゴソゴソやってみますが、てんでダメです。
トアロード沿いに坂を下った「私」は、さらにチャイナクォーター(南京町)の小路で、中国人の大道芸を見物します。

 …華人があぐらをかいて、色のはげた赤毛布の上に皿を三つならべていた。
「一二三!」と声をかけて、伏せてある皿をのけると、下には黒いつぶが数個ずつおいてある。「ほいッ!」とつぶをひとまとめに皿の下に入れて、他の皿も同様に左右に伏せた。一二三でまんなかの皿をのけると、そこは何にもなく、ヤッと左右の皿を取ると、つぶはちゃんと四箇ずつに分れて現れた。

その後、この中国人は小さな蛇を鼻孔から押し込んで、口から出すという芸を披露したすえに「イノチガケ、イノチガケ」とアピールして、観客からお代を求めます。
もちろん、これは命懸けなどという代物ではなく、至極他愛ない芸なのですが、そうした他愛なさは、煙草抜きにも、豆粒の移動にも共通しています。なぜ作者がそんなことに字数を費やすのか、不思議なぐらいですが、そこに足穂の冷静な計算があるのでしょう。

(すずらん灯が並木のように続く夜の元町通。昭和戦前の絵葉書。繁華なはずなのに、妙に森閑としています。)

「私」は、ここで友人のNと出会います。Nは歩きながら、盛んに話しかけます。

 このあいだ君の創作をよんだよ。―ありゃ面白い。出たらめをかいて小づかいが取れるっていうから、愉快な話さ。あれをよんで、神戸にそんな事件があったかナ、と云っていた奴がいたぜ。

この「創作」が、前年(大正11年、1922)発表した「星を造る人」を指すことは明らかでしょう。これは世界的魔術師・シクハード氏が、神戸上空に無数の星を飛ばせる畢生の魔術を披露し、神戸の街を大混乱に陥れるというファンタジーでした。

この箇所には、3人のマジシャンが登場します。
まずは「スターメーカー」の異名をとる、シクハード氏
そして、そんな「出たらめ」をパッと金銭に換える、イナガキタルホ
さらに、そうしたエピソードを織り込んで、「星を売る店」というフィクションにリアリティを与え、読者に背負い投げを喰らわせようと企む作家、稲垣足穂

自己作品への言及、繰り返し起こる視点の転換、世界の複雑な入れ子構造。
それによって、読者はすっかり足穂の術中にはまってしまいます。
歩きながら「私」が、Tの煙草抜きの件を持ち出すと、Nは一笑に付します。

 全神戸に唯一つの謎あり、それは余輩(わがはい)のタバコ抜きなり、なんてぬかしているが、あれにはしごく簡単なたねがあるんだ。本当に箱から抜くんじゃないとおれは睨んどる。べらぼう奴(め)、それにきまっているじゃねえか。〔…〕真に受ける奴の方がどうかしている。

この「T」は無論タルホ自身のことでしょう。
すなわち、作者・足穂は「星店」の世界において「私」と「T」に分離し、自らをだますと同時に、読者をもだまし、そして「真に受ける奴の方がどうかしている」と、ニヤリとして見せるわけです。何と小憎らしい男でしょうか。しかし、読者はその「イノチガケ」の口上に、喜んで投げ銭をしてしまう…。

   ★

他にも、この作品にはいろいろと仕掛けが施されている気がしますが、それはまたその都度振り返ることにします。
ちょっと作品論めいた話になったので、ここで時計の針を戻して、再び「私」とともに、往時の神戸散歩を続けます。

(この項つづく)

業界瑣談…理系アンティークショップ「Q堂」にて2015年06月14日 15時23分02秒

昨日の2連投が響き、足穂の話題からちょっと脇に寄り道します。

  ★

こんにちは。

「やあ、Tさん、久しぶり。」

噂によると、何でもすごい本が入ったそうじゃない。

「地獄耳だねえ。うーむ、確かに入った。ドゥジャンの北アフリカ産オサムシのモノグラフ。図版アトラスだけのはぐれ本だけど、この図版と来た日にゃ、そりゃもう…」

わあ、これいいね。…でも、高いんでしょ?

「うん、高い。だからどう売ろうかと思って。バラして市に出すか。」

そりゃ駄目だよ。まあ、バラしてもらえば、僕にも手が出るかもしれないけど…でも、せっかく完品なのに。

「いや、実は図版15と18が切り取られている。だからいっそう迷ってね。確かにバラせば売り切る自信はあるんだ。でも、本まるごと1冊だと、ちょっとね。まあ、神田のFさんとこにでも寄託すれば、固定客が買ってくれるだろうけど、マージンが馬鹿にならないから。」

なるほど、この商売も楽じゃないね。いいものを仕入れれば、右から左に売れるわけでもないんだね。

「そりゃそうさ。近頃は特に悩むよ。以前なら売れ筋で、入荷と同時に売れたものが、最近はどうも荷が動かない。まあ狭い世界だし、一通り行き渡れば、飽和状態になるのは目に見えてるんだ。何かいい才覚はないかい?」

僕に商売向きのことなんて分からないよ。でも、いろいろ横目で見ていると、少し感じることがないでもない。…こういうアンティークの世界ってさ、あるアイテムに人気が出ると、売り手も買い手もワーッとそこに押し寄せるじゃない。それで一通り売り切ったら、また次のアイテムを探し求めて移動する…そういうのって、何だか焼畑農業みたいだなあって、前から思ってた。

「あはは。まあ、他人のことは言えないけど、この業界は確かに前近代どころか、いっそ縄文ムードがあるね。そもそも、アンティークは自分で作るわけにはいかないから、どうしても狩猟採集生活っぽくなるわけさ。」

なるほど。でも、一般論としてはそうでも、博物趣味の世界もそれでいいのかな?

「というと?」

そもそも、人は何を求めて、こういう古い標本とか、博物図譜とか、理科機器を買うんだろうね。まあ、純粋にデザインの面白さもあるんだろうけど、それにしたって、それだけにとどまらない、何かプラスαの部分が、その魅力の相当部分を占めていると、僕は思うんだけど。Qさんには釈迦に説法かもしれないけど、その吸引力の源は、古人の眼を通して見た自然の驚異とか、玄妙な学問の佳趣とか、当時の社会そのものへの関心とか、そうした科学と歴史…いわば文化そのものへの憧れじゃない。

「たしかにね。」

なのに、現状は見た目だけのインパクト勝負になってる。それだと、訴求力があるのは、モノ自体が新鮮な、最初のうちだけになっちゃうのは当然だよ。でも本当は、こういう博物系の品って、ルックスだけのアイドルじゃなくて、みんな味のある伝統芸人なんだから、売り手の方も、その魅力を上手にプロデュースする勧進元にならないといけないんじゃないかな?

「ああ、それは分かる。商売人としてTさんの言いたいことを、あえて下世話に取るとね、それは結局「箔付け」の話になるんだ。モノ自身を、より大きなストーリーを構成するピースの1つにして、そのストーリーの魅力で勝負する手法というかな。たしかに僕も含めて、その辺のところはちょっと弱いかもね。」

何かいいモデルがあるといいね。

「あるよ、あるある。僕は元々和骨董の世界から入ったから分かるんだけど、それをいちばん上手にやってるのが、茶道具の世界だよ。あれこそ、モノとその背後のストーリーを抱き合わせで売る商売というかな。現代の作でも、家元の箱書き一つで古物以上の価値が生まれるし、あれは全くうまいシステムさ。まあ、往々にして欲に転んで、滑稽なことも起きるけど。」

ああ、なるほど。うん、仏教美術なんかもそうだよね。あれも来歴が好きだし、出所さえ確かなら、ほんのちっぽけな残欠でも売れるもんね。

「そうそう。」

Qさん、理系アンティーク界の茶道具商を目指したらいいじゃない。中島誠之助みたいになって、ぜひ鑑定団に出てよ。

「あはは。でも、そのためには僕自身がパリかロンドンの店で修行して、箔を付けるところから始めないとダメだね。こりゃ前途遼遠だ…。」

「星を売る店」の神戸(5)…シガレットのことなど2015年06月15日 19時47分48秒

さて、話が大幅に前のめりになりました。
主人公の「私」が家を出たところまで、場面を戻します。

この作品の主人公の動線には曖昧なところがありますが、

 青々と繁ったプラタナスがフィルムの両はしの孔のようにならんでいる山本通りに差しかかると、

…という冒頭部は、おそらく北野あたりに家があって、そこを起点に小路沿いに坂を下り、山本通りまで降りて来たところと読めます。ここでいう「山本通り」は、町名としてのそれではなく、今でいう「異人館通り」のこと。

下の神戸地図は以前も載せましたが、ちょうど「星を売る店」が発表された年、大正12年(1923)に出たもので、ここにトリミングした範囲が、作中の「私」の行動範囲をそっくりカバーしています。


この地図で云うと、右上の角が北野町。その南側に山本通があります。山本通の表記が2個所、上下(南北)に並んでいますが、この2つの道筋に挟まれた地区が、町名としての「山本通1丁目、2丁目…」で、主人公が今歩いているのは、その北側の街路です。「私」は今この道を西に向かって歩いているところ。

「私」は煙草抜きの手品の練習をしながら、ぶらぶらトアホテル(東亜ホテル)のところまで来て、そこを左折して、トアロードを下って行きます。

 〔…〕取り出したタバコはよじれていた。さらに試みた。もうてんでダメだ。…トアホテルの下に出ている。
 これじゃタバコはみんな駄目になってしまうと気がついて、私は無難な一本に火をつけると、かどを曲って、広い坂路を下り出した。

(上掲地図の一部。すみれ色の線が主人公の動線)

このとき彼が手にしていたのは、「ABC」の紙箱だと文中には書かれています。
「星店」に出てくるモノで、正体が分からないモノは沢山あるのですが、文中に盛んに出てくる煙草の銘柄もその一つです。

・ABC
・スター
・ジャコ
・サルタンス
・アイシス


このうち「スター」は日本の煙草で、これ[→リンク] のことと思いますが、あとはさっぱり分かりません。ただ「ABC」に関しては、銘柄ではなく社名、つまりドイツのバッチャリ社が「A.〔=August〕 Batschari Cigarette」、略して「ABC」というロゴを自社製品に刷り込んでいたので、あるいはそれかもしれません(違うかもしれません)。

(1916年のバッチャリ社の雑誌広告。煙草の銘柄は「ヴェルトシュテルン(世界の星)」。約19×27cm)

昔の煙草メーカーは、いずれもイメージ戦略を重視し、才能のあるデザイナーを重用していたので(日本でもそうでした)、バッチャリ社のアイテムも、そのクオリティの高さから熱心なコレクターが多いと聞きます。上の広告なんかは、いかにもタルホ好みの世界です。

ちょっと後の方の描写になりますが、「私」と友人のNは、盛んに紫煙をくゆらせ、煙草談義に余念がありません。

N「この匂いはなんだな、飛切り上等のプレーンソーダと似合うね。」〔…〕
私「ジャコっていうのは貴婦人向きだね」〔…〕
N「君にはサルタンスのお月様がいいんじゃないのかい?」
私「アイシスは安くて、しかも品がいいよ」

煙草は手品の題材となり、「私」に霊感を与え、星を売る店の店員も「星」を煙草に応用することをしきりに勧めます。この作品世界では重要なキーアイテムですが、読者は足穂氏の煙に巻かれぬよう、十分用心しなければなりません。

   ★

なかなか肝心の店にたどり着かず、もどかしいですが、この項ジワジワつづけます。
何の構想もなしに書いているので、どうしても冗漫になります。

(次回はトアホテルの話)

「星を売る店」の神戸(6)…トアホテル2015年06月16日 21時45分44秒

「私」はトアホテル前の角を折れて、トアロード沿いに坂を下ります。

<異人館の町>と<旧居留地>、すなわち様々な外国商人の私的空間と公的空間を結び、彼らの生活を支えたトアロードは、ハイカラ神戸の背骨を為す道でした。それは同時に「山」と「海」を結ぶ道でもあり、そのアップ・アンド・ダウンの感覚が、行き交う人の心をいっそう浮き立たせたと想像します。

「星を売る店」の中で、トアロードはこんな描写になっています。

 理髪館や、花屋や、教会や、小ホテルや、浮世絵と詩集を出した店や、女帽子店やが両がわにならんで、下方から玉子色のハドスンがリズミカルな音を立てて登ってくる。商館帰りのアルパカ服がやってくる。白い麻服にでっぷりした軀(からだ)をつつんで、上等の葉巻の香を残してゆくヘルメットの老紳士があり、水兵服の片手をつり上げて他方の手でスカートをからげてせっせと帰途を急ぐ奥さんもある。チューインガムを噛みながら、映画の話をして行きすぎる半ズボンの連れもあり、青い布を頭に巻いたインド人もその中にまじっている。

こんな情景は、実に当時の神戸でしか見られないものだったでしょう。

(灯ともし頃のトアロード。出典:『TOR ROAD STYLE BOOK―cosmopolitan street 神戸トアロード・ハイカラ散歩案内 1868-1999』、神戸新聞総合出版センター、1999)

そして、ここでトアロードの名前の由来となった、トアホテルを見過ごすわけにはいきません。「星を売る店」では、ずいぶんあっさりした描写になっていますが、ここは何と言っても、かの星造りの達人、魔術師シクハード氏が逗留していた宿です。

シクハード氏は、ある夜トアホテルで催された舞踏会において、人々の衣装やワイシャツやハンカチに、知らぬ間にハートやクラブの星模様を織り出すという驚異の技を披露しましたが、そのとき同時に、ホテル中のトランプが白紙になっていた…と言われます。

(明治44年(1911)10月23日の消印が押された、トアホテルの絵葉書。アメリカ人旅行者が、ウィスコンシン州の知人(恋人?)に宛てたもの)

明治41年(1908)に完成した、このお伽の城のような建物は、海辺に立つオリエンタルホテルと並んで「モダン神戸」の象徴であり、足穂が神戸を回想するとき、もっとも愛情をこめて語った対象でもあります。彼は、仮に自分の文学碑を建てるならこの場所に…とまで言いました。昭和25年(1950)、惜しくも火災で焼失。

   ★

ところで、足穂はトアホテルの中に足を踏み入れたことがあったのでしょうか?
彼がその内部を実見したという話は、ついぞ聞かないので、きっと外から覗き見るだけだったのでしょう。そして、今となっては、どんなに望んでも、その中に入ることはできません。でも、かつてその空間に身を置いたモノならば、簡単に手に入ります。


たとえば、このトアホテルのラゲッジ・ラベル。
これはアメリカからの里帰り品で、かつて米人宿泊客の荷物に貼られていたもののようです。

物に記憶があるのかどうか、定かではありませんが、私はわりとそういう想像をするのが好きで、この物言わぬラベルも、おりおり往時の華やかな空気を懐かしく思い出すことがあるんじゃないか…と、ふと考えたりします。

【付記】

上のラベルのデザインは、ホテルの敷地内にあった鳥居をモチーフにしたもので、かつては「トリイ・ホテル」がなまって「トアホテル」になったという説もありました。

足穂自身は素朴に「東亜ホテル」の意味と思ったり、あるいは「トリイ」説に傾いたりもしましたが、上掲の『TOR ROAD STYLE BOOK』を読むと、トアホテル開業以前、ここにはさる英国人の邸宅があり、彼は自邸を「The Tor」と称していたのが、その直接の由来である…という説が、今ではもっとも蓋然性が高いようです。

Tor とは古英語で「丘」の意。当時、神戸の山手地区が「The Hill」と呼ばれたのにちなむネーミングだろうと推測されています。

(この項続く)

「星を売る店」の神戸(7)…星店へのナビゲーション(前編)2015年06月18日 06時58分55秒

この連載の第1回(http://mononoke.asablo.jp/blog/2015/06/10/)で、足穂の「星を売る店」は、大正時代に発表された当初、今とはずいぶん違う形だったらしい…と述べました。

そして、その初期形態を見るには、初版本を見るしかないと思っていたのですが、先日コメント欄で、ハヤカワ文庫の「日本SF古典集成〔I〕」に、それが収録されていることを教えていただきました。まことあらまほしきは先達哉。(chanson dadaさま、ありがとうございました。)

(ヨコジュンこと横田順弥氏編の『日本SF古典集成』。「星を売る店」は、師匠である佐藤春夫の「のんしゃらん記録」と並んでいます。)

両者を読み比べた感想として、本作は現行形態のほうが文学として遥かに成功していると思います。初期形態だと、「星店」を訪れた主人公が、店員と大げんかして幕になるのですが、その理由が「何光年も遠くの星を、竹竿で採れるはずがない」という、つまらぬ小理屈であったのは、一寸いただけません。それに、初期形態は全体に文章が冗漫で、説明口調です。

ただ、それだけに、いささか高踏的で分かりにくいところのある現行形態の欠を補い、解釈を容易にしてくれる長所もあります。

たとえば、主人公にタバコを勧められた友人が、こりゃカリガリ博士の馬車じゃねえかと返すシーン。私はあそこに、何か深遠な意味があるように思ったのですが、実はポケットの中で潰れた箱を、カリガリ博士の映画に出てくる、奇妙に歪んだ馬車に喩えただけのことでした。ちょっとガッカリですが、同時にスッキリしました。(なお、このセリフは、当初は友人ではなく、主人公のものでした)

そんなわけで、主人公の足取りと、「星店」が立っていた位置も、この初期形態を読むことで、いっそう明瞭になったので、これまでの復習を兼ねて、もう一度しっかり確認しておきます(以下、断りのない限りすべて初期形態からの引用です。現代仮名遣いへの変更は、ハヤカワ文庫版に従います)。

   ★

まず主人公が異人館通りに出た後、ぶらぶらトアホテルの前まで来るのは初期形態も同じですが、その距離は「ものの二三丁」と、一層具体的に書かれています。したがって、主人公の家は前に想像したよりもトアホテルに近いはずで、たぶん北野町3丁目あたりでしょう。大胆に推測すると、「私」は、ハンター坂を下り、現在「六甲昆虫館」の店舗(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/02/10/)がある場所から、トアホテルの方に歩みを運んだ…のではないでしょうか。

(MAP 1:初期形態の記述により修正した「私」の移動経路)

トアロードについては、三宮神社の前までつづいている広い坂路」と書かれているので、100%トアロードで間違いありません。「私」はそこを下りながら、これから一たいどこへ行こうかしら?」と考えつつ、元町を歩いてみよう」と心に決めます。

 私はすたすたと歩を進めた。が、ものの半丁も行かぬうちに、右の方に、キラキラと瓦斯に照らされた美しいショーウィンドーを見かけて、思わずその方に近づいて行った。

(MAP 2:トアロードから元町通り、さらに南京町へ)

「私」は三宮神社の脇から、元町通りの方に歩き出します。すると右前方に美しいショーウィンドウが見え、思わず吸い寄せられます。主人公の移動距離からすると、このショーウィンドウは、100メートル以上手前から見えていたはずで、それだけ光が鮮やかだったのでしょう。

 それは大きなパラソル店で、いろんな格好をした蝶々のような女の傘が、その大きなガラス板の向うに、一ぱいぶらくったり、花壇のように組み合わしてあるのだ。それらに、花やかな青い瓦斯の光が、水のようにながれて、そこだけ、この街上の夕方の光とは又まるで異った―云わば、水族館の魚を入れた箱をのぞいた時のような、不思議な別世界を造っていたからなのである。

しかし、そのすぐ手前、左に折れる細い路地の先に人だかりが見えたので、「私」はそちらに吸い寄せられます(吸い寄せられやすい男ですね)。

 〔…〕けれども、私の足がまだその店のまえに行きつくさないうちに、私の目はいち早く別のものを見つけて、私のからだをそこに立ちどまらしてしまった。その青い飾窓から二三軒ばかり手前にある幅一間ばかりの露路の向うに―中華街になっているところに、何か黒だかりが見えたのである。で、私は、こんどはパラソルの方を打ちやって、その方へつかつかと入って行った。

そこで中国人の大道芸を見物しているうちに、「私」は友人のNに声をかけられることになりますが、その場所は<MAP2>の○印の辺りじゃないでしょうか(土地勘がないので、この辺は適当です)。

(中編につづく)

「星を売る店」の神戸(8)…星店へのナビゲーション(中編)2015年06月19日 07時04分49秒

奇術見物を終えた2人は、おもむろに歩き出します。

 もうその時、最後の危険術が終ったので、集っていた人人は散りかけていたから、私とNとの足も、又向くともなく本通へ出て、鉄道の踏切の方にさしかかっていた。

この「本通り」は普通に考えると元町通りでしょうが、そうすると後の記述と位置関係が整合しないので、ここは<細い路地に対しての本通り>、すなわち南京町のメインストリートだと考えます。

また、文中の「踏切」は、昔の三宮駅(現在の元町駅)西側にあったそれでしょう。
この付近の高架工事が行われたのは、昭和9年(1934)だそうで、小説の舞台である大正時代には、踏切を越えないと南北の行き来はできませんでした(ここまでが、昨日の<MAP2>と対応します)。

しかし、踏切まで行かないうちに、二人はNの父親が経営するホテルで一緒に食事をすることに話を決め、道を引き返します。

 そこで、二人は又元来た路の方へ踵を反した。先ほどの露路へ入って、煉瓦建の下まで来ると、もううす暗くなりかかったなかで、青い帽子の中国人が、忙しく布や太鼓や皿を、古ぼけたカバンのなかへ、取りかたづけていた。〔…〕
 漢字をならべた赤い紙が見える窓や、褐色の豚肉がさがっている店や、又、そこにともっている灯を映した水のたまった狭苦しい石甃〔いしだたみ〕の上を歩きながら、私は〔…〕

怪し気なムードの漂う、雑然とした一角ですが、これまたいかにも神戸らしい、非日常的な空間です。二人はさらに線路を越え、しばし北上を続けます。

(MAP 3:南京町から、中山手通りに出て、生田神社裏へ)

 その時、私たちはゴタゴタと曲りくねった狭い街区をぬけて、中山手の本通りに出た。うしろから自動車が一台そばをかすめて、ルビーのようなテールライトを、鳶色の夕やみのなかにうるませながら、向うの辻をまがって行った。
 〔…〕二人は、フランクリンがまがった辻を折れて、鬱蒼とした生田の森のうしろにあるBホテルの表門をくぐって、明々とかがやいた玄関の石段を上がった。

地図上、途中の経路はまったくの想像ですが、ともかくも二人は曲りくねりつつ、生田神社裏手のホテル(○印)にたどり着き、そこで夕食を共にします。

 Nに御馳走になった私は、七時頃葉巻をくわえて、そのホテルのつい近所に、最近、蓄音機の店を道楽に開こうとしているKのところに訪れた。

食事を終えた「私」は、ここでもう一人の友人を訪ねることにします。「ホテルのつい近所」とあるばかりで、その場所が今ひとつはっきりしませんが、この後に続く記述を考えて、上の地図の△マークの辺りに比定してみました。

(後編につづく。いよいよ「星店」へ)

「星を売る店」の神戸(9)…星店へのナビゲーション(後編の上)2015年06月20日 07時23分24秒

時計を見ると、もう八時になっている。
〔…〕で、早々に立ち上がってKに失敬した。

友人Kが開店準備中のレコード屋で、「私」は1時間ばかりレコードを聞かせてもらい、おもむろに辞去します。

 ぞろぞろと、人が出さかり初めた賑やかな通りをぬけて、私は三角形になった辻に出た。「さて、電車に乗ろうか?」と思ったが、何となく気分の爽快な夜であるし、ブラブラと歩いて帰るのも一興だろうと、私は中山手通りの南側の歩道を、コツコツと西へ歩を進めた。

「電車に乗ろうか?」の言葉から、「私」は今電停のそばにいるようです。
生田神社の最寄り電停は「中山手一丁目」で、ここは5差路にも6差路にも見える複雑な交差点です。はすかいになった道筋は、そこに三角形の小街区を形成しており、「三角形の辻」とはそれを指しているのではないかと想像します。

(MAP 4:生田神社脇から西へ)

結局、「私」は路面電車に乗るのをやめて、中山手通りを西に歩き出します。そうすると実際には自宅から遠ざかることになるのですが、この晩は興に乗って、わざと遠回りして帰ることにしたのでしょう。

 もうこのあたりは、人通りがほんのチラホラ見える切りだ。両側の家は大方、植込につつまれた西洋館で、このうす暗い広い路の左右にならんでいる瓦斯燈が、殊の他、静かな街区にふさわしい美観をそえている。
〔…〕私は又あたりを見まわさないではおられなかったと云うのは、そこはほんとうに私の好きな、これこそ注文通りとでも云いたい山手通りの美しい夜なのである。〔…〕遠い辻に現れて、又どこかへ消えて行くギラギラ目玉を光らした自動車や、又、前後からゴーッと通りぬけて行く明々としたボギー電車のなかに、非常にきれいな夢―言葉はおかしいが、そう云った感じのものが載っているような気がするのである。〔…〕ちょっと表現派の舞台を歩いているような感じを起させる。

周囲には静かで謎めいた、“表現派”風の街並みが続きます。
そこを抜けると、再び賑わいのあるエリアに出ます。

 で、こうして、私の足はともかく、坂上の緑色の灯の下までやって来たのである。〔…〕私はやはりそのままに、南側の歩道にそって、坂下に向って歩きつづけたのである。このあたりには、カフェや、ビリヤードホールがあって、人影も又かなりたくさんに見かけられる。ところが、ありや、たしか中山手三丁目の辻だったろうか、何にせよ、新規に建った四階の石造の小学校から、A公園までの中間であった。

さて、「私」は今どこにいるのか?
文中には「中山手三丁目の辻」とあり、これはトアロードとの交点です。地図でいうと、「中山三」(印刷がかすれて「中山二」に見えますが、「中山三」です)の電停の位置で、角に北野小学校が立っています(現在は統廃合により閉校。その校舎は「北野工房のまち」という観光施設に転用されています)。

しかし、「私」はこの時すでに、「新規に建った四階の石造の小学校から、A公園までの中間」に至っているはずで、中山手3丁目ではどうも話が変です。しかも北野小学校が「石造」(鉄筋コンクリート)になったのは昭和6年(1931)で、しかも3階建ですから、文中の記述と照応しません。

(MAP 5:説明の便のため、左側に地図を足しました)

結論から言うと、これはもっと西側の山手小学校(現・こうべ小学校)のことだと思います。ここに小学校が2つ並んでいるのは、男子(諏訪山)と女子(山手)を別学としたためで、山手小学校のほうは、大正10年(1921)に、鉄筋コンクリート4階建に建て替わりました。文中の記述とピタリ合います。

一方「A公園」とは、明治44年(1911)にオープンした大倉山公園とおぼしく、これは「ハイカラ神戸」の西を画すランドマークです。「A公園」とは単なるアノニマスな表記かもしれませんが、大倉山は元々「安養寺山」と呼ばれたので、そのイニシャルを取ったとも考えられます。

結局、中山手三丁目の辻」は足穂の勘違いということになるのですが、なぜ彼はそんな間違いを犯したのか?これは「星を売る店」の成立事情にも関わることです。

(予想以上に長くなったので、ここで記事を割ります)

「星を売る店」の神戸(10)…星店へのナビゲーション(後編の下)2015年06月20日 07時48分41秒

(今日は2連投です。前の記事も併せてお読みください。)

(MAP 6:「私」の夜の散歩道)

上の地図で、<中山手三丁目>から県庁前の<下山手四丁目>にいたるまで、市電が斜めに街区を横切っているのは、いったいどういうわけか、不思議に思われないでしょうか? 私も最初訳が分かりませんでした。

しかし、よく話を聞いてみると、この市電路線(山手上沢線)が開通したのは、大正10年(1921)8月のことで、それに合わせて道筋の付け替えが行われたのだそうです。この地図の発行準備段階では、まだその詳細が不明だったため、とりあえず旧来の地図に、予定経路だけ朱線で刷り込んだのでしょう。

(現代の地図。画面中央下、「兵庫県公館」が旧県庁舎の位置)

   ★

市電開通とともに、この付近は急速に街並が整備されました。
下の絵葉書は、当時のこのエリアを写したもので、疾駆する自動車とモダンなボギー電車が、タルホ的世界を彷彿とさせます。

(夕映えの神戸山手通り。昭和初年の絵葉書。正面は東方の布引~摩耶山系。人工的に着色しているので、東に夕日が沈むような、変な具合になっています。)

左手前は第一神戸高等女学校。落成は大正13年(1924)。
その奥の塔のある建物は、兵庫県県会議事堂
さらに奥の、茶色く塗られた建物は、兵庫県試験場です。
また道路をはさんで右手にそびえる教会は神戸栄光教会で、これら3つの建物は、いずれも大正11年(1922)に完成しました。そして、この北側(画面左手外)には、前述のとおり山手小学校のモダンな校舎が大正10年(1921)に完成しています。

「星を売る店」の成立にとって、上記各年代には大きな意味がありそうです。

   ★  

足穂は大正10年(1921)に上京し、佐藤春夫の弟子として作家デビューしました。その後、大正12年(1923)に、兵役の観閲点呼のため明石に一時帰省し、そこで「星を売る店」を書いたのですが、執筆に先立って、彼は当然なつかしい神戸の町を歩き回ったことでしょう。

しかし、彼はそこに「自分の知らない神戸」を見出します。
 山手を往くボギー電車、
  見慣れぬ大通り、
   明治の洋館とは違った表情のモダン建築の数々…
足穂は小説の主人公と同様、そこに夢幻的な、表現派の舞台めいたものを感じ取ったに違いありません。

このとき、足穂は神戸をいわば「異邦人」として見る目を獲得し、それが「星を売る店」執筆の原動力となったのではないか…と私は想像します。足穂の「勘違い」も、彼の心の中の神戸地図に、突如として出現した、この奇妙な一角の影響かもしれません。

作中、「私」が「南側の歩道」にこだわったのも道理で、仮に北側の歩道を歩いていたら、そのまま中山手通りを直進する形になり、この新しい街路に踏み込むことはなかったでしょう。これは必然的に南側でなければなりません。

なお、この経路を歩くと、山手小学校の脇ではなく、その1ブロック南を通過することになりますが、それでもあえて小学校に言及したのは、足穂がこの場所を実見したとき、校舎建て替えのため、女学校の校地が一時更地になっていたため、山手小学校が素通しで見えたからだと推測します。

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さて、こうして、「私」は山手小学校と大倉山公園の中間にある交差点までやってきました。「私」はここで道路を渡って北側に移ろうとして、ついに「星店」を発見します。

 その辻から、北側の歩道にうつろうとした私は、辻をへだてた向うに―即ち、まんなかにスクエヤーをはさんだ歩道の私が立っている対辺のところに、青くかがやいた一つの美しいショーウィンドーを見たのである。

(画面をスクロールするのが面倒くさいので、MAP 6を再掲)

その場所は、下山手通5、6、7丁目の交差点のうちのどれか。
以前ご紹介した(http://mononoke.asablo.jp/blog/2015/04/29/)、ハイカラ神戸幻視行』の著者・西秋生氏は、7丁目説をとります。しかし、私はここであえて6丁目説をとりたいと思います。

さして深い理由はないのですが、6丁目のほうが、より小学校と公園の中間点に近いし、「私」がここで道路を渡ったのは、そろそろ家路に就こうとしたからだと思うのですが、そのためには6丁目の方が動線がスムーズだからです。

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もちろん真実は分かりません。
でも、現時点では「下山手6丁目交差点の西北角」を第一候補に推します。
地図上で青い星マークを付けた位置がそれ。これぞ「星店」の立っていたとおぼしき場所。(これは現在の「下山手6丁目」の表示信号よりも、1本西の筋になります。「星店」の位置には、現在ガソリンスタンドが営業しています。)


ストリートビューの画像を借りると、今ではこんな光景(矢印がガソリンスタンド)で、いくぶん散文的なムードであることは否めません。でも、若き日の足穂が見たら、このマッチ箱のような建物群こそ「表現派」めいて感じられたかもしれません。(お向かいの「アストロ工具」さんが、ちょっと星っぽいですね。)

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さて、彷徨の末にやっと「星店」にたどり着きました。
以上は長い前振りで、以下、話題は「星店」そのものに移ります。

(この項つづく)

そういえば…2015年06月20日 09時22分24秒

そういえば…

「私」と私が神戸をさまよっている間も、手荒い風がビュービューと世間を吹きまくっていました。そして、昨日のNHKの19時のニュースは本当に非道いと思いました。もちろん「合憲派の憲法学者」の意見を紹介しても構わないんですが、だったらその数百倍の時間を割いて「違憲派の憲法学者」の意見も報道しなければ、不公正のそしりを免れないでしょう。あるいは、他のいろいろな問題についても、広く少数意見を紹介するとか。

あんまりだ…と思って、私は昨日、生まれて初めてNHKに電話しました。予想通り「ご意見として承ります」と簡単にあしらわれ、「まあ、オペレーターの人に怒ってもしょうがないか…」と、分別を働かせて電話を切りましたが、でも後から「じゃあ、誰に対して怒ればいいんだろう?」と疑問がわきました。いったい何のために開設されている窓口なのか?どう考えても、単なるガス抜きにしかなっていないし、ガスを抜かれた感じもしない。

「星を売る店」のドアを開ける(1)2015年06月21日 11時13分57秒

静かな日曜日。
でも、耳を澄ますと遠雷が聞こえ、ざっと一雨来そうな空の色です。

ときに、ブログの趣旨とおよそ不似合いな、政治向きのことを書くと、ややもすると不興を買うことがあります。私としても、そんな生臭いことを書かずに済む世の中が、早く来てほしいと心底望みますが、でも現在の状況は、基本的にノンポリの私から見ても、相当危機的です。ここで物を言わないと、たぶん一生言う機会はないでしょう。
駄馬なりとも天下の秋に際会すれば駆けざるべからず、の心境と申しますか。

それでも、しばし心を静めて、呑気という貴い徳を追い求めることにします。

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(戦前のシガーラベル。既出ですが、イメージにピッタリなので再登場)

昨日までのところで、ようやく「星を売る店」までたどり着きました。

これまで用法が不統一でしたが、以下、話を簡明にするため、足穂の文学作品は「星を売る店」、そこに登場する、星を商っているお店は「星店」と呼ぶことにします。また「星店」の記述については、再び現行形態に戻り、作品発表時の初期形態については、話の流れの中で、参考程度に触れるにとどめます。

(…と書いているうちに、ざっと降って来ました。)

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 が、この時横切ろうとした辻の向うがわに、ふしぎな青色にかがやいている窓を見た。青い光に縁がある晩だ、こんどは何者であろう、と近づいてみると、何と、その小さいガラス窓の内部はきらきらしたコンペイ糖でいっぱいでないか!

 ふつうの宝石の大きさのものから、ボンボンのつぶぐらいまで、色はとりどり、赤、紫、緑、黄、それらの中間色のあらゆる種類がある。これが三段になったガラス棚の上にのせられ、互いに競争するように光っている。

部屋が暗いので、写真は追々準備するとして、構想のあらましだけ書いておきます。

以前、試みた「ジョバンニが見た時計屋の店先」は、実際のショーウィンドウをお借りして、そこにいろいろなモノを並べてみましたが、「星店」のショーウィンドウは、「小さいガラス窓」だそうですから、いっそのこと、飾窓そのもののを、自分の部屋に作ってしまおうと思います。

…といっても、小さなガラス棚をショーウィンドウに見立てるだけのことですが、既にそのための棚を先日買いました。そこにカラフルな“星”を並べたり、他にも「星店」にちなんだモノをいろいろ配して、あの涼しげな、そして奇妙な作品世界を、ささやかながら味わおうという計画です。

(この項つづく)