「星を売る店」のドアを開ける(8)…星は口腹を満たす(中編)2015年07月01日 19時42分22秒

足穂の季節・6月もあっという間に終わってしまいましたが、「星店」の話題はもう少し続きます。

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 奇妙なことに、紅いのはやはりストローベリ、青いのはペパーミント、みどり色のは何とかで、黄色はレモンの匂いと味とに似かよっているとのことでございます。もっともいくらかの癖を持っていますが、それもお馴れになると、かえって離れがたい魅力になるとか申しております。

星の色彩を、爽やかなフルーツとミントの味と香りに喩えた、古今無双の名調子。
この辺の描写が、「星を売る店」全体の印象を決定づけている気がします。

そして、ここでも欠かせない名バイプレイヤーが「煙草」。

 少々ぜいたくでございますが、粉末にしてタバコの中へ巻きこまれますと、ちらちらと涼しい火花が散って、まこと斬新無類の夏向きのおタバコとなります。

「星を売る店」の印象を、これまでくりかえし「涼しげ」と表現しました。
ここに至って、ズバリ「涼しい火花」が登場します。
作者自身が「涼しい」と書くのは、作品冒頭の「海の方から、夕凪時にはめずらしく涼しい風が吹き上げてくる」に続いて二度目ですが、それが「ちらちら散る花火」であるというのは、これまた繊細といおうか、優美といおうか、その発想自体、まことに涼しげだと思います。


で、星を粉末にするには、やはり涼しげなガラスの乳鉢を使うべきだと思いました。
そして、その乳鉢はぜひ戦前のドイツ製であってほしく、そういう他の人にとってはどうでもいいこだわりを見せたため、「星店」の再現は存外―お金はともかく―時間がかかったのでした。


星の粉末を巻き込む煙草は、もちろん「STAR」。
主人公の目の前で、友人Tが初めてタバコ抜きの手品を披露したとき、手にしていたのも、やはりこの「STAR」でした。(この煙草は、以前クシー君の作者・鴨沢祐仁氏にお供えしたものです。参照→ http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/01/12/


タバコがあれば、当然マッチもなければならず、星を射抜く「STAR ARROW」(たぶん神戸製)と、新月と星が鮮やかな「ID-KA-CHAND」(パキスタン製)のマッチラベルも添えておきます。

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昨日のカクテルグラスや、次回登場予定のフラスコなんかと併せて、これら一連の品はガラス戸棚の最下段にさりげなく並べる予定。

(この項つづく)

「星を売る店」のドアを開ける(9)…星は口腹を満たす(後編)2015年07月02日 18時43分59秒

 さらにこのままフラスコの中に入れて、アルコオルランプか何かで温めながら、少しずつ蒸気をお吸いなされるなら、オピァムに似た陶酔をおぼえ、その夢心地というのがまことにさわやかで、中毒のうれいなどは絶対になく、非常にむつかしい哲学書の内容なんかも、立所に判るそうでございます。


Opium、阿片。
この店員の説明は、かなりアブナイ感じのするもので、「中毒のうれいなど絶対にない」と言われても、迂闊に手を出すことは憚られます。(仮に身体依存性はなくても、強固な精神依存性を生じかねません。この種の快はいったん味わうと、容易に離れがたいからです。)


この一文、「キラキラしたお星さま」は、決して愛らしい賞玩品なんぞではなく、一方には人間を手玉に取ったり、破滅させたりする剣呑な顔があるゾ…というほのめかしになっているのかもしれません。これは「一千一秒物語」以来、足穂が星に対して抱いているイメージでしょう。


しかし、それでも人は星に惹かれ、じっと見つめ、思わずポンと口に放り込む誘惑に駆られます。美しい対象は、得てしてそういものだと思います。

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「それで―」と待ちかねて私は口を挟んだ。
「いったい何物なんです?」
「星でございます」
「星だって?」

さて、物語は、ここから遥かな異国における星捕りの話題に入って行きます。

(この項つづく)

「星を売る店」のドアを開ける(10)…神戸発 エジプト行2015年07月03日 18時08分41秒

 「あの天にある星か? とおっしゃるのでございましょう」と相手は指で天井を指した。
「おうたがいはもっともでございます。手前どもにいたしましても、最初はふに落ちかねたものでございますが、いまもってお客様同様うたがっていると申し上げてもよいのでございます。

ここまで滔々と弁じてきた店員ですが、ここに来て急に弱気な発言に転じています。

けれども何しろ、あの窓に出ている絵ビラですが、あそこに示されているのと同じ手続きによって採集され、その事実なることはエジプト政府も夙(つと)に承認していると申しますから、星だということを信じないわけには、まいりかねるのでございます。

こういうふうに文のトーンが弱まるのは、足穂が私小説的リアリズムに接近したときの‘癖’で、この前後の店員とのやりとりは、ほぼ史実をそのままなぞっています。

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歴史的事実として、足穂が初めて「星店」を訪問したのは、大正12年(1923)夏のことです。「星店」が当時オープン直後だったのは、作中に書かれているとおりで、その後、「星店」がいつまで営業を続けたかは不明ですが、少なくとも昭和6年(1931)まで店が存続していたことは、他の史料から確認できます。

そして、「なんだか女性めく、若い、色の白い男」と書かれた、この優男の店員。
彼の名は、魚田和三郎(うおたわさぶろう、1899~?)
魚田は神戸商業学校の卒業生で、足穂とは妙にウマが合ったらしく、一時さかんに手紙のやりとりを重ねたことが、足穂の年譜に書かれています。

昭和以降、魚田はドイツ人商店主から「星店」の切り盛りをすべて任され、その実質的経営者といってよいぐらいでしたが、彼がエジプトに「星」を発注した際の状袋が残されています。


当時、「星」を仲介していたのは、アレキサンドリアに住むHaig Garinianという男でした。


赤・青・紫の三ツ星マークは、「星店」の商標。


それにしても、この異常に几帳面な字はどうでしょう。
まさに「星店」の店員のイメージそのままではありませんか。


「星を売る店」のラストを知っている者にとっては、この富士山の切手も、何やら意味ありげに見えます。


封筒の裏面。この書状は昭和6年(1931)6月12日付けで、「星店」の歴史も終わりに近い頃のものです。魚田は、「星」の取引に関しては非常な用心をして、すべて私書箱扱いにしていました。

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ちなみに、「魚田」の本来の読みは「うおた」ですが、普段は「いおた」を名乗ることが多く、若い頃の足穂と魚田の交遊から「クシー君とイオタ君」の物語も生まれた…ということを、先日、作者である鴨沢さんのエッセイを読んで知りました。

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…というような、埒もないことを、1枚の封筒からボンヤリ空想してみました。
もちろん、上に記したことは全て梅雨空の下で発酵した空想です。
足穂氏、鴨沢氏、そして見も知らぬ魚田氏に陳謝と感謝をいたします。

(この項つづく。次回も空想のつづき)

「星を売る店」のドアを開ける(11)…エジプト政府のお墨付き2015年07月04日 15時46分06秒

蒸し暑いですね。ちょっと贅沢して、エアコンを付けました。

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その事実なることはエジプト政府も夙(つと)に承認していると申しますから、星だということを信じないわけには、まいりかねるのでございます。

さて、昨日も引用したこのセリフ。
あまり細部にこだわるのも変だとは思いますが、突き詰めて言うと、「星店」のリアリティを支えているのは、この「エジプト政府のお墨付き」に他ならないので、この箇所は決してゆるがせにはできません。


さあ、どうぞご覧ください。これぞエジプト政府より正式に発給された、そのお墨付きでございます」と、店員が恭しく奥から取り出してきたのがこれです(…そう空想しながら眺めてください)。


王冠だっていかめしいし(当時のエジプトは王政です)、


刻印も実に立派です。
紙幅39cmほどありますから、なかなか堂々としたものです。
それに、これが「エジプト政府の発行した証明書」であることは、まぎれもない事実なのです。それが何の証明であるかは定かでないにしても…。

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エジプトの売り手の説明によると、上の証明書には1935年の日付が入っているそうで、古いといえば古いですが、エジプト政府は、星の採集を「夙(つと)に承認している」そうですから、もうちょっと古い証文も探してみます。


すると、こんな手書きの証明書が出てきました。
発行日は1913年4月25日。



これまた立派なエジプト政府の公印と刻印が、ギュッと捺してあります。


この証明書は古い手漉きの紙に書かれており、そこに見事な星の透かし紋様と、1911年の年次が入っています。これこそ「真正の星たることを証す」エジプト政府発行の証明書に他なりません。

…ということを真顔で申し立てると、嘘偽りの罪でエジプト王に罰せられるかもしれませんが、でも、この紙の正体は「無罪宣告証明書」だそうですから、たぶん大丈夫でしょう。

(この項もう少しつづく)

「星を売る店」のドアを開ける(12)…黒き道士、虎山(こざん)に星を逐ふ話2015年07月05日 20時10分42秒

今日は所用で京都へ。
所用の合間に、以前から気になっていた「ウサギノネドコ」さんを訪問し、その後Lagado研究所で、オーナーの淡嶋さんから近況などを伺い、大いに心のコリがほぐれました。会って話をすることって、やっぱり大事ですね。

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さて、「星」は主にエジプトで商われているとはいえ、その産地はエジプトから更に遠く離れたエチオピアです。

 ここにリー大尉と申すのはすぐる大戦に相当名を売った、飛行機乗りだそうでございますが、このリー氏がなんでもカイロのバーで、隣席のアラビア人同志のあいだに交わされていた、ふしぎな話を耳にしたのでございます。かれはその会話に語られていたことの真相をきわめるべく、アラビア人のひとりをやとって、エチオピア高原のどこかにある奇蹟の地を訪れたのでございますね。その結果が、あのポスターにえがかれたのとそっくりのことを、眼の前に見ることになったのでございます。

古代より続く栄えある王国の版図内、冷涼なエチオピア高原の一角に、その奇蹟の地は存在します。そこは容易く星に手が届く、「世界でいちばん天に近い場所」。


その実景を髣髴とさせる絵葉書を見つけました。


アビシニアはエチオピアの古名です。
乾いた大地にそびえる奇峰は、「モンターニュ・デュ・ティーグル」、英語風にいえば「タイガー・マウンテン」。しかし不思議なことに、フランス語にしろ、英語にしろ、この地名で検索しても、現在エチオピア国内には該当する場所が見つかりません。絵葉書になるぐらいですから、有名な場所だと思うのですが、何だか狐につままれたような気分です。

まあ、探し方がまずいだけかもしれませんが、しばし「これぞ神秘の霧に閉ざされた謎の山」ということにしておきましょう。


浅黒い男たちが、この頂で盛んに網をふるって、星を捕える有様が思い浮かびます。

 〔…〕さてそうとした時に、なぜ世間がそれを知っていないか?これまたもっともな疑問でございましょう。世界中で一等天に近い所だという前述の場所では、星を取ることについて何とかいう長老が取り締まっているのだそうで、このハッサン・エラブサという男のきげんを取りむすばないことには、この星は手に入れがたいのでございます。こういう事情にあって、―当店はドイツの東洋更紗商人が経営しておりますが、いまここにあるだけの星を蒐め得たのは、めずらしいことだと同業者間にうわさされているほどでございます。


「それと申しますのも、当店のあるじがそのエチオピアの長老と格別昵懇のため、特に許しを得て卸してもらっている次第でして。―これは彼の地の族長が親しく身に着けていたのを贈られた指輪だそうでございます。」

…という風に、ここでも空想に尾ひれが付きますが、これがエチオピアの銀製指輪で(元の持ち主はそう述べています)、私がそれをドイツの人から入手したことは空想ではなく、たしかな事実です。


月星マークは、イスラムモチーフなのでしょうが、ここでは「星捕りの長老のしるし」ということにしておきましょう。

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 こう申し上げたところで、はたして皆さんがどこまで信用あそばすやら……いやそんなことより、この小さな店をあずかっているわたくしにして、うちのあるじがいかような手段でこの品を集め、どれくらいのねだんで売るつもりやら、またこれから先、どうして行くつもりやら……そんなこと一切にまるで見当がつかないのでございます。

店員の発言は妙にフワフワしていますが、物語はいよいよラストへ―。

(この項つづく)

「星を売る店」のドアを開ける(13)…物語は終わり、そして始まる2015年07月06日 23時26分25秒

「―それはそうといたしまして、あちらではあまりに星を採りすぎたために、天が淋しくなって、もう今日では遠方に残っている星だけがチラホラと光っているにすぎないと申します」

神秘の地・エチオピアでも星は払底気味だ…そう店員がまくし立てたところで、「私」はその話を遮ります。

「なるほど!―でも、候補地はぞくぞくと見つかっているのでしょう」
「候補地ですって?」
「そう、アンデス山、パミール台地、崑崙山(こんろんさん)、富士山というぐあいにね」
と私は云った。

ここで「星を売る店」は突然終わっています。
これは読者をかなり当惑させるラストです。結局のところ「私」―あるいは作者・足穂―は、何が言いたかったのでしょう?

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もちろん正しい答は分かりません。
でも改めて眺めると、この地名の並びは、アフリカのエチオピア高原から始まって、南米アンデス、そしてインドから中国へと連なるパミール高原や崑崙山脈を経て、さらに日本の富士山へと、物理的・心理的距離を徐々に縮めているようにも感じられます。
となると、実は「私」はこのあとに、「―そしてこの神戸の山からもね」という一句を続けたかったのではないでしょうか?

実際、足穂の前作『星を造る人』では、スターメーカーこと魔術師シクハード氏が、神戸・諏訪山から星の花火を打ち上げ、青、白、赤、藍、乳白、おぼろ銀、海緑、薔薇紅、オレンジに輝く星の群れが神戸上空を乱舞し、人々の心を奪い去りました。

シクハード氏による星製造の要は、「或る特殊な技術を用いて抽出されたファンタシューム」なる物質だといいます。足穂が両作品を通じて星に仮託したのは、結局「幻想とファンタジー」そのものなのでしょう。

それは遠い異郷に満ちているばかりでなく、この日本にも、そして我々が住んでいるこの町にだって、その術さえ心得ていれば、いつでも溢れ出てくることを、足穂は伝えたかったのではないでしょうか。この解釈は、あるいは理に勝ち過ぎているかもしれませんが、でもそう考えると、多少腑に落ちる気がします。

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こうして、饒舌な店員のお株を奪った「私」は、再び神戸の山腹から、菫色のバウを結んで、ファンタジーを振り撒きながら今日も下りてくる…というエンドレスな構造を作品に読み取るのも、また一興ではありますまいか。

みなさんは、このラストをどう解釈されますか?

天の川原にゆれる薄2015年07月07日 22時14分16秒

今宵は七夕。
セオリー通り、今年も雲が一面空を覆っていますが、天上では人々の好奇の目を避けて、二星がゆっくり逢瀬を楽しんでいることでしょう。

七夕にちなみ、今日は和の風情を出して、1枚の短冊を載せます。


詠題は「七夕草花」。


「ひさかたの 天の川原の初尾花 まねくかひある こよひなりけり」

薄の穂が風になびくことを、人が手招きする様になぞらえて「招く」と表現します。
七夕の夜、天上では薄の若穂が涼しく揺れ、地上では嬉しくも大事な客人をこうして迎えることができた…という挨拶の歌でしょう。

作者は、植松茂岳(うえまつしげおか、寛政6年-明治9/1794-1876)。
尾張藩校で長く講じた、名古屋の国学者・歌人です。

この茂岳の名が天文学史の本にも顔を出すのは、彼には国学の立場から天文学を論じた『天説弁(文化13/1816)という著書があるからです。

これに対し、同じ国学の立場から、平田篤胤は『天説弁々』という反論の書を出し、茂岳はそれに応えて『天説弁々の弁』という再反論の書を出した…と聞くと、あまりにもベンベンしすぎて笑ってしまいますが、「これらの書物は平田篤胤派と、本居大平派の古道学者両派の言葉の上の論争で、天文学の立場から見れば、これという価値を見出すことはできないものと考えられるので、これ以上立入らない」と、識者はあっさり切り捨ているため、肝心の中身はよく分かりません。(引用は、渡辺敏夫氏の『近世日本天文学史(上)』より)

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その内容はともかく、星に心を寄せた、この風雅な国学者の歌を読んで、まっさきに思い浮かべたのは、「銀河鉄道の夜」の以下のシーンです。

 「〔…〕おや、あの河原は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって〔…以下略…〕
                      (『銀河鉄道の夜』、「六、銀河ステーション」より)

銀河の川原には一面に薄が茂り、さらさらと風になびいている…
この美しいイメージは、賢治のはるか以前から、日本の文芸の世界に連綿と続いてきたらしいことを、茂岳の短冊を見て知りました。

「星を売る店」のドアを開ける(補遺)…星の灯り2015年07月09日 20時35分40秒

足穂の「星を売る店」について、そこに登場するモノに注目しながら、一通りストーリーをなぞりました。

本当は、ここで一連のモノをずらりと並べて、存分に「星店」ごっこを楽しみたいところですが、いったんしまった物を、再び引っ張り出すのは大変なので、それは今後のお楽しみにとっておくことにして、ここでは、仮にモノたちが見場よくガラス棚に並んだとして、それをさらにどう見せるか、その「見せ方」の工夫を考えてみます。

そのポイントの1つにライティングがあります。
当然、夜の街に浮かび上がる「星店」のショーウィンドウを彷彿とさせるべく、ショーウィンドウに見立てたガラス棚を明るく照らすスポットライトは不可欠です。そして、棚に並んだ「星」をキラキラ光らせるサブの照明も、ぜひほしいところです。

さらに、ガラス棚の隣には汽車や風車のおもちゃを並べるので、そこにも明かりが必要です。原文には「花ガスの下の陳列箱の上に、おもちゃのレールに載った機関車と風車が置いてある」とあって、足穂のイメージに従えば、おもちゃ類の上にガス灯式の装飾照明が吊るされていたようです。


実際の花ガスがどんなものかは、ちょっと曖昧ですが、その華やかな語感にしたがって、天井から星型のランプをぶら下げてはどうかと考えました。

これはモロッコで作っている現代の工芸品だそうで、買ったのはやっぱりエジプトの業者からですが、エジプト商人というのは、あの辺ではなかなか手広くやっているようですね。さかんに「星」を商っているのもむべなるかな、です。


ガスならぬ電気を灯せば、「星」に嵌め込まれたカラフルなジュエルが光り出し(といっても樹脂製の模造ジュエルですが)、


周囲にキラキラとした光を投げかけます。
本家「星店」に掲げられた星捕りのポスターには、「ルビーやエメラルドやトパーズやダイヤモンドをぶちまいた画面の夜空」が描かれていたそうですが、そんな風情もちょっと感じられます。

京都博物行(1)…ウサギノネドコにて2015年07月11日 14時20分24秒

この前の日曜日に京都に行ったことを、ちらりと書きました。
祇園祭の準備が進む京の町に、博物趣味がかすかに香ったことをメモ書きしておきます。

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京都駅から見ると北西の方角、二条城の西、御池通沿いに、「ウサギノネドコ」という不思議な名前を染め抜いた暖簾が出ています。ウサギノネドコとは、匍匐性のシダの一種、ヒカゲノカズラの異称だそうで、そのフワフワした感触が、いかにも「兎の寝床」のようだ…という見立ての由。

ウサギノネドコさんは、古い町屋を改装した宿屋で、ウサギならぬ人間の寝床でもあるのですが、同時に博物系の雑貨を扱う店舗でもあります。ただし、その切り口は「生物学的関心」よりも、「自然の造形の妙を愛でる」方向にあるので、理科趣味のお店というよりは、デザイン・アート系ショップといった方が伝わりやすいかもしれません。

お店の概要については、私がくだくだしく述べるよりも、公式サイトをご覧いただければと思います。

■ウサギノネドコ http://usaginonedoko.net/
  京都市中京区西ノ京南原町37
  TEL:075-366-8933
  店舗営業時間 12:00~18:00(火、木定休)

あるいは、紹介写真も豊富な下のページをご覧いただければ、お店の雰囲気がより詳しく分かることでしょう。

■名店手帖vol.15 「ウサギノネドコ」
 http://art-and-more.jp/2015/03/usaginonedoko.html

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見るそばから目を驚かせる博物系の品。
見れば触りたくなるし、触れば連れて帰りたくなるのが人情です。
実際には、連れて帰っても、それをディスプレイする空間は最早ありませんが、それでもその誘惑は抗いがたいものがあって、結局今回は白い箱黒い箱を小脇に抱えて、お店を後にしました。


この箱の中身がそれぞれ何で、そこに何を感じたかは次回に。

(この項つづく)

京都博物行(2)…パイプウニの骨格(前編)2015年07月12日 10時47分03秒

ウサギノネドコさんから持ち帰った黒い箱。


その中身は真っ白なパイプウニの骨格標本でした。


クッション用の包み紙も黒で、白と黒のコントラストが鮮やか。
本来はカラフルな体色のウニですが、きれいに漂白された骨格は、自然の造形の不思議さを存分に見せてくれます。


右側は、以前別のところで見つけた、パイプウニの棘。
ウニの死亡後、その棘はすみやかに本体から外れて、バラバラになってしまうのですが、「棘」と言いながら、パイプウニのそれは全くトゲトゲしていなくて、尖端の丸い棍棒状をしています。

パイプウニの英名は slate pencil urchin (石筆うに)と言うそうですが、これは石筆を知っている者にとっては、実にうまいネーミングで、そのずんぐりした棘の感じがよく出ています(細身のチョークみたいなものです)。

和名の「パイプ」も、その特徴的な棘の形に由来するのでしょう。
でも、あまりパイプらしくは見えないなあ…と思って、荒俣宏さんの『世界大博物図鑑』(別巻2 水棲無脊椎動物)を開いたら、かつてはウニの棘の一端に巻きタバコを入れる穴を開けて売っていた…という、大正時代の動物学者の文章が引かれていました。パイプというよりも、シガレットの「吸い口」として用いられたようです。

(同書はさらに続けて、この動物学者(谷津直秀、1877-1947)の子供時代には、小笠原産のパイプウニの棘が、本当に石筆の代用品として売られていたというエピソードも紹介しています。英語の「石筆うに」も、あるいはそれが由来かもしれません。)

(『世界大博物図鑑』のパイプウニは、キュヴィエ『動物界』(1836-49)からの転載)


(以下、後編につづく)