天の川原にゆれる薄2015年07月07日 22時14分16秒

今宵は七夕。
セオリー通り、今年も雲が一面空を覆っていますが、天上では人々の好奇の目を避けて、二星がゆっくり逢瀬を楽しんでいることでしょう。

七夕にちなみ、今日は和の風情を出して、1枚の短冊を載せます。


詠題は「七夕草花」。


「ひさかたの 天の川原の初尾花 まねくかひある こよひなりけり」

薄の穂が風になびくことを、人が手招きする様になぞらえて「招く」と表現します。
七夕の夜、天上では薄の若穂が涼しく揺れ、地上では嬉しくも大事な客人をこうして迎えることができた…という挨拶の歌でしょう。

作者は、植松茂岳(うえまつしげおか、寛政6年-明治9/1794-1876)。
尾張藩校で長く講じた、名古屋の国学者・歌人です。

この茂岳の名が天文学史の本にも顔を出すのは、彼には国学の立場から天文学を論じた『天説弁(文化13/1816)という著書があるからです。

これに対し、同じ国学の立場から、平田篤胤は『天説弁々』という反論の書を出し、茂岳はそれに応えて『天説弁々の弁』という再反論の書を出した…と聞くと、あまりにもベンベンしすぎて笑ってしまいますが、「これらの書物は平田篤胤派と、本居大平派の古道学者両派の言葉の上の論争で、天文学の立場から見れば、これという価値を見出すことはできないものと考えられるので、これ以上立入らない」と、識者はあっさり切り捨ているため、肝心の中身はよく分かりません。(引用は、渡辺敏夫氏の『近世日本天文学史(上)』より)

   ★

その内容はともかく、星に心を寄せた、この風雅な国学者の歌を読んで、まっさきに思い浮かべたのは、「銀河鉄道の夜」の以下のシーンです。

 「〔…〕おや、あの河原は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって〔…以下略…〕
                      (『銀河鉄道の夜』、「六、銀河ステーション」より)

銀河の川原には一面に薄が茂り、さらさらと風になびいている…
この美しいイメージは、賢治のはるか以前から、日本の文芸の世界に連綿と続いてきたらしいことを、茂岳の短冊を見て知りました。

コメント

_ S.U ― 2015年07月08日 20時34分29秒

 私は神道や国粋の価値を軽んずるものではまったくありませんが、国学者の宇宙論はどうみても自然哲学の基礎を欠いているようで、渡辺敏夫氏の見解に同意します。平田篤胤派と本居大平派の論争というのは、遠藤潤氏の論考によると、
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f40-2.pdf
天地の成立と諸神の事跡をどちらを先と見るか、またその可知性に関する議論であったようです。まあ神学論争ですね。

 でも、八百万の神を採る人の宇宙の景色は美しいですね。宇宙の創生がどうあれ、現在の宇宙の景色がバリエーションに富んでいてどれもこれもただただ美しい、というのは間違いのない真理だと思います。

_ 玉青 ― 2015年07月09日 20時41分08秒

的確な資料をご紹介いただき、ありがとうございます。
遠藤氏の論文を斜め読みし、またS.Uさんの要約に接し、天地生成論が彼らの論争の主要テーマになっていることは、おぼろげに理解できましたが、眼前の天文現象については、具体的に何がどう論じられているのか、なかなか理解が及びませんでした(たぶん論じていないのでしょう)。
まあ、ここで国学的天文論に深入りする必要もないでしょうが、こういった「ロスト学問」の存在を知ることは、常に興味深い体験であり、現在を見つめ直す契機となりますね(理解しがたいのが難点ですが…)。

_ S.U ― 2015年07月09日 21時59分53秒

>「ロスト学問」
 そうですね。国学が天体の生成の問題まで手を伸ばしたのが、必然だったのか、それとも平田篤胤らの個人的な天賦の才によるものかは私にはわかりませんが、いずれにしても、彼らが不利なところからスタートしてすぐにロストになったのは気の毒だったと思います。
 
 平田篤胤は、著書『仙境異聞』で、天狗の修行をした少年に、磁石の原理や、星の正体、太陽の正体とか、地震や海の干潮の理由などを尋ねています(仙境異聞下  仙童寅吉物語二之巻)。そんなことなら尋ねる相手を間違えていると思いますが、そういうことを含めて何でも聞きたくなる性格の人だったということがよくわかります。

_ 玉青 ― 2015年07月11日 14時27分29秒

>尋ねる相手を間違えている

あはは。
ある意味、国学に拠って天然自然の理を極めようとした彼らのつまずきの根を端的に物語る至言ですね。いわゆる「木に縁って魚を求む」の類と言いましょうか。

_ S.U ― 2015年07月11日 20時09分02秒

>「木に縁って魚を求む」
 平田篤胤は、現代のオカルト志向科学オタクの方々の先駆者のように思います。ある意味で困った人たちなのですが、どうも憎めなくて、それでもやはり科学界の大事なお客さんのように思います。
 彼の著作は、科学民俗学的には貴重な研究ですね。

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