京都博物行(5)…ライオンゴロシの実(後編) ― 2015年07月16日 18時31分57秒
破廉恥漢に、ライオンゴロシのブーケを―。
さて、ライオンゴロシのつづき。
小川洋子さんが、ライオンゴロシのネタをどこから仕入れたかは不明ですが、ここで少しライオンゴロシの謎を追ってみます。
小川洋子さんが、ライオンゴロシのネタをどこから仕入れたかは不明ですが、ここで少しライオンゴロシの謎を追ってみます。
まず、前回引用したウィキペディアの記事は、清水秀夫氏の『熱帯植物天国と地獄』(エスシーシー、2003)を典拠に挙げています。ウィキペディアの出典リンク先で、その中身を一部閲覧できますが、件のエピソードについて、著者の清水氏は、先行書からの引用に続けて、「多分に作り話的要素はありますが、現物の凄まじい棘に接してみて、また実際に自分の手から血を流してみて、私自身その可能性を否定する気にはなれません」と、その真実性に一定の留保をつけています。
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さらにグーグルで書籍検索すると、川崎勉(著)『世界の珍草奇木』(内田老鶴圃新社、1977)という本が、ライオンゴロシを紹介する古い例として出てきます。同書は昭和52年に上梓されてから40年近く、今も版を重ねているロングセラーですから、その影響力はかなり大きいと想像しますが、そこには出典不明のまま、こんな記述があります。
「ライオンがその成熟期にライオンゴロシがはえている地に入ると、木質の果実のかたい刺はたちまちライオンの足にささり、歩くたびに深く肉に食いこんでいく。食いこんでいくにつれて痛みが倍加する。苦痛にたえかねて、もがけばもがくほど巨大な逆刺は、肉に深く食いこんでいく。もしもその果実を口でぬこうとすると、口の中に入ったらもうおしまいである。この逆刺は口唇に強くささってぬけなくなり、その口で物をほおばろうものなら、この果実は情け容赦もなく口唇を刺す。一口ごとに食物におされ、ライオンはそれをかんでぬきとろうとして口にきずをつける。ついには粘膜の中が化膿して、そのためライオンは物が食えなくなる。
〔…〕飢えと渇きと苦痛とで、やせおとろえて草原をいくライオンの姿は見るも無残である。
ついに力つきてその場に倒れ、草原に屍をさらすのは、まことに肌に粟する光景である。その屍もハイエナやハゲタカなどの掃除屋がかたづけ、巨大な白骨が横たわるころには、そのあたりにライオンゴロシの新しい群落ができる。動物の死による有機物は、この植物にとって絶好きわまる栄養となることであろう。じっさいライオンの口にこの果実がしっかりとくっついたために、そのライオンは餓死したことがたしかめられている。」 (川崎勉、『世界の珍草奇木』、pp.96-97より)
(川崎氏、上掲書より)
上で出典不明と書きましたが、この本の巻末には「参考文献」が列挙されていて、その中の一冊、上村登(著)『なんじゃもんじゃ―植物学名の話』(北隆館、1973)が、その出典であることは、文章の構成からみて一目瞭然です。煩をいとわず、『なんじゃもんじゃ』からも一部引用しておきます。
「成熟期にライオンが生育地に入ると果実の木質の堅い楔はたちまちライオンの足に刺さり、歩くたびに深く肉に食いこんでゆく、苦痛に耐えかねて除こうともがけばもがく程深く食いこむ。百獣の王といわれてもやはり四つ足動物の悲しさ、せい一ぱい脳味噌をしぼって口で引き抜こうとガッと咬みつけば、楔はライオンの上下両顎にグサッと刺さり、両顎が綴じ合わされて、巨獣の骨も砕くというあの恐るべき咬筋の力を以てしても抜くことができない。
〔…〕運よく口に刺っただけでこの植物の密生地を脱出しても、両顎を綴じ合わされて食物はおろか水さえも飲むことができなくて、飢えと渇きと苦痛で痩せさらばえた姿で、最後の力をふりしぼって果てしなき草原をよろめきさまようライオンの姿、ついに力尽きて草原に屍をさらす百獣の王、まことに肌に粟を生ずる情景であろう。やがて屍も腐り果て、巨大な白骨が横たわる頃には、そのあたりにはHarpagophytonの新しい群落ができる。百獣の王の屍が分解した有機物は、この植物の絶好の栄養となることであろう。」 (上村登、『なんじゃもんじゃ』、p.197より)
〔…〕運よく口に刺っただけでこの植物の密生地を脱出しても、両顎を綴じ合わされて食物はおろか水さえも飲むことができなくて、飢えと渇きと苦痛で痩せさらばえた姿で、最後の力をふりしぼって果てしなき草原をよろめきさまようライオンの姿、ついに力尽きて草原に屍をさらす百獣の王、まことに肌に粟を生ずる情景であろう。やがて屍も腐り果て、巨大な白骨が横たわる頃には、そのあたりにはHarpagophytonの新しい群落ができる。百獣の王の屍が分解した有機物は、この植物の絶好の栄養となることであろう。」 (上村登、『なんじゃもんじゃ』、p.197より)
(上村氏、上掲書より)
ただし、太字で強調した部分を比べると分かるように、「口の粘膜が化膿して餌がとれなくなり死ぬ」というのは、引用者・川崎氏によるアレンジで、元となった上村氏の文では、単に「鈎針で口が綴じ合わされて餌がとれなくなる」とあるのみです。
それにしても「講釈師、見てきたような何とやら」と言うと、失礼のそしりを免れませんが、両書の記述には何となくそういう気配を感じます。
上村氏の『なんじゃもんじゃ』は、出典はおろか参考文献も一切書かれていないので、そこから先が茫洋としていますが、これまた調べて行くと、その謎はじきに解けました。
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冒頭で引用した清水秀夫氏の『熱帯植物天国と地獄』は、ライオンゴロシの文献調査の成果として、先行する著作を2冊挙げておられます。1冊は上村氏の『なんじゃもんじゃ』です。そしてもう1冊が、正宗厳敬(著)『植物地理学新考』(北隆館、1956)です。
上村氏の『なんじゃもんじゃ』掲載の挿絵は、かなり実物から乖離していて、これはモノを見ずに描いたんじゃないか…と疑われるのですが、よく見たら、その元絵は正宗氏の『植物地理学新考』(以下、『新考』)でした。
(正宗氏、『新考』より)
(上村氏、『なんじゃもんじゃ』より。上下を逆転して再掲)
したがって、上村氏が正宗氏の『新考』を参照したことは、ほぼ確実です(たまたま両者が同じ本を参照した可能性もありますが、だとしたら、このような奇妙な変形は普通生じないでしょう)。
そして、『新考』は川崎氏の『世界の珍草奇木』の参考文献としても挙がっており、確かに『新考』の一部は、川崎氏の文章にも生かされています(先回りして書くと、引用箇所末尾の「じっさいライオンの口に〔…〕、そのライオンは餓死したことがたしかめられている」とある部分です)。
『新考』からも該当箇所を引用しておきます。
「ライオンゴロシは南アフリカ産で、その果実の先端が弯曲して、丈夫な附着器となっている。この種は地表に密着して生え、果実はやや木質で扁平、径凡そ9センチばかり(第25図)、果実に裂片が出ており、強い鈎針が裂片の先端についている。果実の主体は径凡そ2.5センチで多数の種子を入れている。このような丈夫な爪を持っているので、この植物の生えている上をあるく動物には極めてたやすく附着する。そして一度つくとなかなか離れにくい。かつて、ライオンの口にこの果実がしっかりととりついたためにその獅子は餓死したことが報告されている。この場合は恐らくその獅子がこの植物の生えている所にふみ込んだため、果実が脚につき、それを口でぬきとろうとしたところ、かえって果実が強く口唇にくっつき、獅子は口を開くことも、果実をおとすこともできなくなったのであろう。」 (正宗厳敬、『植物地理学新考』、pp.30-31より)
さらに補強しておくと、以上の三書(『世界の珍草奇木』、『なんじゃもんじゃ』、『植物地理学新考』)は、ライオンゴロシの属名を「Harpagophytum」ではなく、「Harpagophyton」と誤っている点でも共通しています(ただし川崎氏の本では「Harpa‘q’ophyton」)。
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結局のところ、現在日本で流通しているライオンゴロシの話のネタ元は、正宗氏の『新考』なのだと思います。
そして、さすが学術書だけあって、『新考』はそのソースを明記しています。
それは、Sernander, R.(著)『Entwurf einer Monographie der Europaischen Myrmcochoren(欧州産アリ散布性植物集成稿)』(1906)という、『新考』からさらに半世紀さかのぼるドイツ語の文献です。
それは、Sernander, R.(著)『Entwurf einer Monographie der Europaischen Myrmcochoren(欧州産アリ散布性植物集成稿)』(1906)という、『新考』からさらに半世紀さかのぼるドイツ語の文献です。
その内容は未確認ですが、表題から察するに、これはアリが種子を運ぶことで分布を広げる植物種についての解説書で、おそらくその冒頭近くで、アリ以外の動物散布についても概説されている章節が含まれているのでしょう。
気になるのは、このゼルナンダーの本で、ライオンゴロシがどう表記されているかです。ライオンゴロシは、ドイツ語でも英名と同じく、「悪魔のかぎづめ(Teufelskralle)」と呼ばれているそうで、となると、「ライオンゴロシ」は正宗氏の純然たる「創作的意訳」の可能性もあります。
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いずれにしても、やはりこの件は外国に由来するのでした。
ゼルナンダーのさらなる典拠(=直接の出典)は不明ですが、その大元(元ネタの元ネタの元ネタ!)も、しばらく検索を続けたら、分かった気がします。
ゼルナンダーのさらなる典拠(=直接の出典)は不明ですが、その大元(元ネタの元ネタの元ネタ!)も、しばらく検索を続けたら、分かった気がします。
この辺は、完全にグーグルブックのお手柄ですが、「Harpagophytum procumbens lion」で書籍検索すると、19世紀の博物学関連の文献がいくつか引っかかります。内容は大同小異なので、一例として、『グラスゴー博物学会紀要第3巻(Transactions of the Natural History Society of Glascow vol.3』(1892)というのを見てみます。
「だが、この科における最も目覚ましい例は、間違いなく通称「絡み草grapple-plant」、即ちハルパゴフィツムの類であろう。ハルパゴフィツム・プロカムベンスの実には、その表面から1~2インチほど放射状に突き出した、1ダースほどの硬くて平らな上向きの棘がついている。それぞれの棘の先端は、強力な湾曲した鉤針状の、相手に絡みつくのに適した形をしており、さらにその鋭利な縁の部分にも鉤針が付いている。アフリカでこの実を観察した、故リビングストン博士は、その鋭い棘は最も丈夫な革をも切り裂くだろうと述べている。この恐るべき実は、ライオンをも斃すことが認められている。もしその1つがライオンの皮膚に付着し、ライオンがそれを取り除こうとすれば、ハルパゴフィツムの実は、ほぼ確実にライオンの口へと移ることになる。鋭い棘によってできた傷でライオンは半狂乱になるが、この邪魔者を取り除こうとするあらゆる努力は空しく、単に新しい傷を負うだけの結果に終わる。そして最後はこの責め苦によって死に至るのである。」
文中のリビングストンとは、アフリカ探検家として名をはせた、イギリス人宣教師、David Livingstone(1813-1873)のことです。
この文章は少なからず曖昧で、リビングストンが何をどこまで言ったのか、はっきりしません。ライオン云々は、別の人が言い出したようにも読めます。しかしいずれにしても、19世紀末の博物学界では、この話は事実と認定されており、リビングストンの令名とともに流布していたことは確かです。そして、ことアフリカ南部の文物紹介について、リビングストンの右に出る人はいないので、この話題の究極の火元は、19世紀のイギリスにあったと見てよいでしょう。
その逸話が20世紀初頭のドイツ語の本に引用され、さらに半世紀後、日本の書籍に再引用されて、以後、連綿と語り継がれてきた…というわけです。
ともあれ、これは19世紀の博物学的想像力が生んだ「残酷なロマンス」であり、ファンタジーなのだと思います。それが本国でフィクションとして捨て去られた後も、極東の地で化石化して生き続けているとしたら、それはそれで素敵なことではないでしょうか。
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何だか今の屈託がそのまま形になったような、長々しい文になりましたが、ライオンゴロシの話はひとまずこれで終わりです。次回はラガード研究所へ。
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