京都博物行(3)…パイプウニの骨格(後編)2015年07月13日 06時17分58秒



このパイプウニを、ウサギノネドコさんでは、ナウシカの王蟲(オーム)にたとえて販売されていました。この体型と目玉のような突起は、たしかに王蟲の姿を思わせますね。まさに異形の者という感じです。


くるっと裏返すと、そこにはっきりと見える五放射相称構造。
それにしても何なんですかね、この五放射相称って。

(1883年にニューヨークで刊行された比較解剖学図譜より)

動物とは文字通り「動く物」で、ごそごそ動きながら栄養を摂るのが基本ですから、前後(というか上下というか、ともかく口とお尻)は意味のある区別―すなわち非相称―で、同時に左右は相称の姿をしている種類が多いのは、そのせいでしょう。

一方クラゲみたいに、口だけあってお尻がないような連中は、より単純に四放射相称や二放射相称で十分だ…というのも、何となく分かる気がします。

しかし、ウニの場合、1、2、4、8、16…と倍々ゲームで受精卵の卵割が進んだ果てに、五放射という「奇数」がいきなり出現するのが、何となく天然自然の理に反するというか、いかにも不可解な感じです。

(同上)

この辺は同じ棘皮動物の仲間のヒトデもそうです。
ひょっとして、この奇怪な連中から星が生まれ、そこからさらに人も生じたのではないか…何でも人間は星から生まれたそうだし…。

というようなことを、カウンターでひとりごちていると、隣で黙って飲んでいた男の眼鏡がきらりと光り、周りの客もいつの間にか星の姿になって、非常に剣呑な目に合いかねないことを、足穂読者は知っています。

(星と人)

   ★

真面目な話、進化の枝分かれからいうと、棘皮動物は、クラゲよりも、タコよりも、エビよりも、ミミズよりも、ずっと人に近いそうです。
そして、元々左右相称だったものが、進化の過程で二次的に放射相称の姿になったので、ある意味、彼らは人よりも一歩先を行っているのかもしれません。

Mogidou2015年07月13日 21時55分56秒

今眼前に起きている事態を、的確に表現する言葉はないか?
そんなことを考えながら歩いていたら、パッとある単語が脳裏に浮かびました。

 没義道 (もぎどう)
 「人の道にはずれてむごいこと。非道なこと。」

もはや「義」も「道」もすたれきった感があります。
この際、歯に衣を着せず、明確に私の意見を述べておきます。
安倍晋三は没義道な首相であり、自民党・公明党は没義道な政党である、と。


京都博物行(4)…ライオンゴロシの実(前編)2015年07月15日 06時37分36秒

日本国民の1人として強行採決に強く反対します。
まさに国民を愚弄するものです。

  ★


ウサギノネドコさんで手に入れた白い箱、その中身は「ライオンゴロシ」。


パイプウニ同様、これまた異形の姿ですが、こちらは何やら邪悪なムードです。
この恐ろしげな植物について、ウィキペディアはこう記しています。

「ライオンゴロシ(学名 : Harpagophytum procumbens)は、ゴマ科の植物の1種である。木質でかぎづめのある果実をつけることが特徴で、英名の「devil's claw」(悪魔のかぎづめ)、「grapple plant」(絡み合う植物)の由来となった。〔…〕果実のかぎづめにより動物の毛やひずめに絡み付き、それによって、広く散布され、自生範囲を広げている。

(まさに「悪魔のかぎづめ」)

ライオンの口にこの果実が絡み付くと、その痛さのあまり、餌をとることができず、餓死したことから「ライオンゴロシ」という名がつけられたと言われる。」

   ★

ライオンゴロシの名と、それにまつわるエピソードが広く知られるようになったきっかけは、作家の小川洋子さんが、小説「冷めない紅茶」(1990)の中で、登場人物にそれを語らせたことではないかと思います。

植物の雑学本では、今も「事実」として書かれている、このエピソード。
しかし、標準的な参考図書である「原色世界植物図鑑」(北隆館、1986)を見ると、そこにライオンゴロシの和名はなく、「ハルパゴフィツム・プロカムベンス」という学名のまま登場し、「果実は成熟すると、長さ3cm位のかぎ形の突起に包まれ、動物にはいやがられる」とあるのみで、それ以上の記述はありません。


それに、ウィキペディアを見る限り、この植物とライオンを結びつけて記述しているのは日本語版のみで、少なくとも英・独・仏語版のウィキペディアには、ライオンに関する言及は見当たりません。

となると、タコノマクラとか、リュウグウノツカイとかと同じく、ライオンゴロシも、その奇妙な姿形に由来する空想的な名称…という可能性はないでしょうか?

でも、仮にそうだとしても、ライオンも、ライオンゴロシも生息しない日本で、なぜそんなもっともらしい説が生まれ、恐ろしげな名がついたのか?
―これは調べる価値があります。

(以下、謎解きは後編につづく)

京都博物行(5)…ライオンゴロシの実(後編)2015年07月16日 18時31分57秒

破廉恥漢に、ライオンゴロシのブーケを―。


さて、ライオンゴロシのつづき。
小川洋子さんが、ライオンゴロシのネタをどこから仕入れたかは不明ですが、ここで少しライオンゴロシの謎を追ってみます。

まず、前回引用したウィキペディアの記事は、清水秀夫氏『熱帯植物天国と地獄』(エスシーシー、2003)を典拠に挙げています。ウィキペディアの出典リンク先で、その中身を一部閲覧できますが、件のエピソードについて、著者の清水氏は、先行書からの引用に続けて、「多分に作り話的要素はありますが、現物の凄まじい棘に接してみて、また実際に自分の手から血を流してみて、私自身その可能性を否定する気にはなれません」と、その真実性に一定の留保をつけています。

   ★

さらにグーグルで書籍検索すると、川崎勉(著)『世界の珍草奇木』(内田老鶴圃新社、1977)という本が、ライオンゴロシを紹介する古い例として出てきます。同書は昭和52年に上梓されてから40年近く、今も版を重ねているロングセラーですから、その影響力はかなり大きいと想像しますが、そこには出典不明のまま、こんな記述があります。

 「ライオンがその成熟期にライオンゴロシがはえている地に入ると、木質の果実のかたい刺はたちまちライオンの足にささり、歩くたびに深く肉に食いこんでいく。食いこんでいくにつれて痛みが倍加する。苦痛にたえかねて、もがけばもがくほど巨大な逆刺は、肉に深く食いこんでいく。もしもその果実を口でぬこうとすると、口の中に入ったらもうおしまいである。この逆刺は口唇に強くささってぬけなくなり、その口で物をほおばろうものなら、この果実は情け容赦もなく口唇を刺す。一口ごとに食物におされ、ライオンはそれをかんでぬきとろうとして口にきずをつける。ついには粘膜の中が化膿して、そのためライオンは物が食えなくなる。

〔…〕飢えと渇きと苦痛とで、やせおとろえて草原をいくライオンの姿は見るも無残である。

 ついに力つきてその場に倒れ、草原に屍をさらすのは、まことに肌に粟する光景である。その屍もハイエナやハゲタカなどの掃除屋がかたづけ、巨大な白骨が横たわるころには、そのあたりにライオンゴロシの新しい群落ができる。動物の死による有機物は、この植物にとって絶好きわまる栄養となることであろう。じっさいライオンの口にこの果実がしっかりとくっついたために、そのライオンは餓死したことがたしかめられている。」 (川崎勉、『世界の珍草奇木』、pp.96-97より)


(川崎氏、上掲書より)

上で出典不明と書きましたが、この本の巻末には「参考文献」が列挙されていて、その中の一冊、上村登(著)『なんじゃもんじゃ―植物学名の話』(北隆館、1973)が、その出典であることは、文章の構成からみて一目瞭然です。煩をいとわず、『なんじゃもんじゃ』からも一部引用しておきます。

 「成熟期にライオンが生育地に入ると果実の木質の堅い楔はたちまちライオンの足に刺さり、歩くたびに深く肉に食いこんでゆく、苦痛に耐えかねて除こうともがけばもがく程深く食いこむ。百獣の王といわれてもやはり四つ足動物の悲しさ、せい一ぱい脳味噌をしぼって口で引き抜こうとガッと咬みつけば、楔はライオンの上下両顎にグサッと刺さり、両顎が綴じ合わされて、巨獣の骨も砕くというあの恐るべき咬筋の力を以てしても抜くことができない。

 〔…〕運よく口に刺っただけでこの植物の密生地を脱出しても、両顎を綴じ合わされて食物はおろか水さえも飲むことができなくて、飢えと渇きと苦痛で痩せさらばえた姿で、最後の力をふりしぼって果てしなき草原をよろめきさまようライオンの姿、ついに力尽きて草原に屍をさらす百獣の王、まことに肌に粟を生ずる情景であろう。やがて屍も腐り果て、巨大な白骨が横たわる頃には、そのあたりにはHarpagophytonの新しい群落ができる。百獣の王の屍が分解した有機物は、この植物の絶好の栄養となることであろう。」 (上村登、『なんじゃもんじゃ』、p.197より)

(上村氏、上掲書より)

ただし、太字で強調した部分を比べると分かるように、「口の粘膜が化膿して餌がとれなくなり死ぬ」というのは、引用者・川崎氏によるアレンジで、元となった上村氏の文では、単に「鈎針で口が綴じ合わされて餌がとれなくなる」とあるのみです。

それにしても「講釈師、見てきたような何とやら」と言うと、失礼のそしりを免れませんが、両書の記述には何となくそういう気配を感じます。

上村氏の『なんじゃもんじゃ』は、出典はおろか参考文献も一切書かれていないので、そこから先が茫洋としていますが、これまた調べて行くと、その謎はじきに解けました。

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冒頭で引用した清水秀夫氏の『熱帯植物天国と地獄』は、ライオンゴロシの文献調査の成果として、先行する著作を2冊挙げておられます。1冊は上村氏の『なんじゃもんじゃ』です。そしてもう1冊が、正宗厳敬(著)『植物地理学新考』(北隆館、1956)です。

上村氏の『なんじゃもんじゃ』掲載の挿絵は、かなり実物から乖離していて、これはモノを見ずに描いたんじゃないか…と疑われるのですが、よく見たら、その元絵は正宗氏の『植物地理学新考』(以下、『新考』)でした。

(正宗氏、『新考』より)

(上村氏、『なんじゃもんじゃ』より。上下を逆転して再掲)

したがって、上村氏が正宗氏の『新考』を参照したことは、ほぼ確実です(たまたま両者が同じ本を参照した可能性もありますが、だとしたら、このような奇妙な変形は普通生じないでしょう)。

そして、『新考』は川崎氏の『世界の珍草奇木』の参考文献としても挙がっており、確かに『新考』の一部は、川崎氏の文章にも生かされています(先回りして書くと、引用箇所末尾の「じっさいライオンの口に〔…〕、そのライオンは餓死したことがたしかめられている」とある部分です)。

『新考』からも該当箇所を引用しておきます。

 「ライオンゴロシは南アフリカ産で、その果実の先端が弯曲して、丈夫な附着器となっている。この種は地表に密着して生え、果実はやや木質で扁平、径凡そ9センチばかり(第25図)、果実に裂片が出ており、強い鈎針が裂片の先端についている。果実の主体は径凡そ2.5センチで多数の種子を入れている。このような丈夫な爪を持っているので、この植物の生えている上をあるく動物には極めてたやすく附着する。そして一度つくとなかなか離れにくい。かつて、ライオンの口にこの果実がしっかりととりついたためにその獅子は餓死したことが報告されている。この場合は恐らくその獅子がこの植物の生えている所にふみ込んだため、果実が脚につき、それを口でぬきとろうとしたところ、かえって果実が強く口唇にくっつき、獅子は口を開くことも、果実をおとすこともできなくなったのであろう。」 (正宗厳敬、『植物地理学新考』、pp.30-31より)

さらに補強しておくと、以上の三書(『世界の珍草奇木』、『なんじゃもんじゃ』、『植物地理学新考』)は、ライオンゴロシの属名を「Harpagophytum」ではなく、「Harpagophyton」と誤っている点でも共通しています(ただし川崎氏の本では「Harpa‘qophyton」)。

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結局のところ、現在日本で流通しているライオンゴロシの話のネタ元は、正宗氏の『新考』なのだと思います。

そして、さすが学術書だけあって、『新考』はそのソースを明記しています。
それは、Sernander, R.(著)『Entwurf einer Monographie der Europaischen Myrmcochoren(欧州産アリ散布性植物集成稿)』(1906)という、『新考』からさらに半世紀さかのぼるドイツ語の文献です。

その内容は未確認ですが、表題から察するに、これはアリが種子を運ぶことで分布を広げる植物種についての解説書で、おそらくその冒頭近くで、アリ以外の動物散布についても概説されている章節が含まれているのでしょう。

気になるのは、このゼルナンダーの本で、ライオンゴロシがどう表記されているかです。ライオンゴロシは、ドイツ語でも英名と同じく、「悪魔のかぎづめ(Teufelskralle)」と呼ばれているそうで、となると、「ライオンゴロシ」は正宗氏の純然たる「創作的意訳」の可能性もあります。

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いずれにしても、やはりこの件は外国に由来するのでした。
ゼルナンダーのさらなる典拠(=直接の出典)は不明ですが、その大元(元ネタの元ネタの元ネタ!)も、しばらく検索を続けたら、分かった気がします。

この辺は、完全にグーグルブックのお手柄ですが、「Harpagophytum procumbens lion」で書籍検索すると、19世紀の博物学関連の文献がいくつか引っかかります。内容は大同小異なので、一例として、『グラスゴー博物学会紀要第3巻(Transactions of the Natural History Society of Glascow vol.3』(1892)というのを見てみます。


 「だが、この科における最も目覚ましい例は、間違いなく通称「絡み草grapple-plant」、即ちハルパゴフィツムの類であろう。ハルパゴフィツム・プロカムベンスの実には、その表面から1~2インチほど放射状に突き出した、1ダースほどの硬くて平らな上向きの棘がついている。それぞれの棘の先端は、強力な湾曲した鉤針状の、相手に絡みつくのに適した形をしており、さらにその鋭利な縁の部分にも鉤針が付いている。アフリカでこの実を観察した、故リビングストン博士は、その鋭い棘は最も丈夫な革をも切り裂くだろうと述べている。この恐るべき実は、ライオンをも斃すことが認められている。もしその1つがライオンの皮膚に付着し、ライオンがそれを取り除こうとすれば、ハルパゴフィツムの実は、ほぼ確実にライオンの口へと移ることになる。鋭い棘によってできた傷でライオンは半狂乱になるが、この邪魔者を取り除こうとするあらゆる努力は空しく、単に新しい傷を負うだけの結果に終わる。そして最後はこの責め苦によって死に至るのである。」

文中のリビングストンとは、アフリカ探検家として名をはせた、イギリス人宣教師、David Livingstone(1813-1873)のことです。

この文章は少なからず曖昧で、リビングストンが何をどこまで言ったのか、はっきりしません。ライオン云々は、別の人が言い出したようにも読めます。しかしいずれにしても、19世紀末の博物学界では、この話は事実と認定されており、リビングストンの令名とともに流布していたことは確かです。そして、ことアフリカ南部の文物紹介について、リビングストンの右に出る人はいないので、この話題の究極の火元は、19世紀のイギリスにあったと見てよいでしょう。

その逸話が20世紀初頭のドイツ語の本に引用され、さらに半世紀後、日本の書籍に再引用されて、以後、連綿と語り継がれてきた…というわけです。

ともあれ、これは19世紀の博物学的想像力が生んだ「残酷なロマンス」であり、ファンタジーなのだと思います。それが本国でフィクションとして捨て去られた後も、極東の地で化石化して生き続けているとしたら、それはそれで素敵なことではないでしょうか。


   ★

何だか今の屈託がそのまま形になったような、長々しい文になりましたが、ライオンゴロシの話はひとまずこれで終わりです。次回はラガード研究所へ。

京都博物行(6)…ラガード研究所にて2015年07月17日 18時35分13秒

コンチキ コンチキ コンチキチン。
祇園祭のことを思うと、いろいろな日々の憂いも、すべて夢のような気がします。
栄華も戦乱も越えて響くお囃子の向うにあるのは、人間の勁(つよ)さでしょう。
人間とは勁いものです。

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さて、脳内の暦によれば、今は7月5日。
ウサギノネドコさんで、バス乗り場を教えていただき、京都の町中をバスで移動。
これは京都に限りませんが、バス路線というのは、外来者に非常に分かりにくいので、バス一本で移動できることが分かって、大助かりでした。緑したたる京都御所の北、冷泉家住宅の脇を通って、洛東・北白川にのんびり向います。

ラガードさん訪問は2回目ですが、今回も目指すビルが分からず、その前をウロウロすること数度。外から見えるところに看板がないので、場所は非常に分かりにくいです。秘密基地というか、秘密結社というか、とても「秘密」の似合う店です。

■Lagado研究所 http://lagado.jp/index.html

大体、上のサイトの「ABOUT」のページ(http://lagado.jp/about/index.html)は、アバウトすぎて、全然aboutになってないし…というところからも、このお店(とオーナーの淡嶋さん)の性格はよく分かるのです。

しかし、それこそが魅力で、最近いろいろ屈託している私が、今回ぜひ再訪したかったのも、そういう力の抜けたところに触れたかったからなのでした。まあ、あんまり「癒しの空間」などという表現を安易に使いたくはありませんが、私にとってのラガード研究所はまさにそうした意味合いの場所です。

ちなみに前回の訪問記録は以下。

千年の古都で、博物ヴンダー散歩…ラガード研究所(1)、(2)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/10/27/
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/10/28/

カウンターで淡嶋さんにコーヒーをごちそうになりながら、ふと目の前を見たら、こんな紙片が束になって置かれていました。


ペルセウス座流星群観察会
「おや?」と裏返すと、そこにはササッとこんなお知らせが書かれていました。


この紙片は、来月鴨川で予定されている流星群観察会の告知用DMなのでした。
なんと1枚1枚、すべて淡嶋さんの手書き。

「消しゴムで消せるDMがあっても面白いかと思って…」

むう、常ならぬ発想です。
「手書き風」DMはあっても、本当に手書きする人は少ないでしょう。淡嶋さんは別にウケを狙ったり、パフォーマンスを企てているわけではなくて、真面目にこういうことをするので、だからこそ人を惹きつけるし、私も好きなのです。


研究所で淡嶋さんと交わした個人的な会話はさておき、ラガード土産を見ながら、あの空間を反芻してみます。

(この項つづく)

京都博物行(7)…ケセランパサラン2015年07月18日 11時22分19秒

雨上がる。
台風が通りすぎたらまた暑くなるかと思いましたが、今日は思いのほか涼しくて、鳴き交わす鳥の声にも、どこか静かな感じがあります。

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ラガード研究所には不思議なものがたくさんあります。
不思議でないものはないと言っていいぐらいです。


商品台には、何かボンヤリしたものが入ったサンプルびんが、たくさん並んでいました。その繊細な表情は、こうして近くから撮っても、なかなか写真に収めにくいです。


逆光で見ると、白くてふさふさしています。


そこに光が反射すると、しなやかな艶が感じられます。

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ケセランパサラン
ウィキペディアの項目名はケサランパサランですが、いずれにしても謎の存在であり、謎の言葉です。諸説を総合すると、この白い毛玉のような「生物」は、フワフワと宙を飛び、その飼い主に幸運をもたらす妖怪的な存在のようです。

ケサランパサラン(ウィキペディア) http://tinyurl.com/pq2c8ny

「本物のケセランパサラン」という言葉が何を意味するのか、これは名と体の関係を考える上で面白い問題ですが、いずれにしても、いろいろな物がケセランパサランに擬せられてきました。

ラガード研究所で扱っている「ケセランパサラン」は、言葉を変えると、「アメリカオニアザミの種子(冠毛)」です。アメリカオニアザミは、日本在来のオニアザミとは別種で、戦後日本に入ってきたヨーロッパ原産の植物。この立派な綿毛で風に乗り、分布域をぐんぐん広げたようです。


淡嶋さんに教えてもらって初めて気が付きましたが、よーく見ると、中心がドーナツ状になっています。このドーナツ部には、元々ちいさな種子本体が付いていたのですが、「種まき」が済んだ後も、なお綿毛だけフワフワ飛んでいるところを、淡嶋さんに捕獲された…というわけです。

(「青木野枝/ふりそそぐものたち」展図録と、ふりそそぐケセランパサラン)

「店の前にもたくさん飛んでくるんですよ。」
淡嶋さんは嬉しそうに話してくれましたが、それが商品として店頭に並んでいる様は、ケセランパサランの物語と同じくらい不思議な光景として目に映りました(つげ義春の漫画を一寸思い出しました)。


(この項つづく)

京都博物行(8)…星のコイン2015年07月19日 06時51分25秒



ラガード研究所で見つけた半ペニー硬貨。
六芒星(ダビデの星)を鋳出して、しかも中央に穴が開いているという変り者。

周囲には、「British West Africa 1937」の文字が見えます。
British West Africa(イギリス領西アフリカ)というのは、イギリスがアフリカ西部に何か所か分散して持っていた植民地の総称。強引にアフリカ大陸を九州にたとえると(あまりピンと来ないたとえで恐縮ですが)、佐賀から熊本にかけて、有明海に沿った地域がそれにあたります。現在の国名でいうと、ガンビア、シエラレオネ、ガーナ、そして域内最大のナイジェリア。

この六芒星デザインのコインは、ナイジェリア独立前夜、ナイジェリアが自治権を獲得した時代まで用いられました(そちらは発行者が「British West Africa」から「Federation of Nigeria」に改鋳されています)。


裏側には英国国王にしてインド皇帝のジョージ6世(国王在位1936-1952)の名が見えます。すなわち今のエリザベス女王のお父さんです。

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この硬貨、たいそう変ったデザインですが、コインマーケットでは割とありふれたものと聞きました(発行量が多いのでしょう)。それに表面も大層すすけており、コインコレクターは高評価を付けないと思います。

しかし、その向うに想像される歴史は、実に奥深いものがあります。
この80年間で世界の地図がどれほど書き換わり、どれほどの血が流されたか。
この煤こそが、歴史そのものでしょう。


そして何と言っても、このコインは、他の何処でもない、あのラガード研究所にあったのです。そして、あの仄暗い店舗の隅で、鈍い星の光を放っていたのです。そのことの意味は他の人には伝わりにくいかもしれませんが、私にとってはとても大きいのです。


星のコインは、淡嶋さんからいただいた、ラガード研究所特製の蠟引き小箱にぴたり収まりました。蓋をそっと開けて中を覗き込めば、これからいつでもあの空間を感じることができるでしょう。


さあ、皆さんもどうぞ「あの世界」へ―。


(『ガリバー旅行記』に登場する本家「ラガード」は、日本の東方に浮かぶバルニバービ島に築かれた都市。しかし空中都市ラピュータに圧伏され、苦戦中です。)

7月の星空…ブラックプールの海辺から2015年07月20日 06時51分13秒

朝からアブラゼミがしきりに鳴いています。
今日は暑くなりそうです。

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あっという間に、また1か月が過ぎました。恒例の今月の星空、7月はブリテン島中部、アイリッシュ海に面したリゾート地・ブラックプールの夜景です。


ひときわ目立つのは、1894年にできたブラックプールタワー(高さ158m)。
立ち並ぶリゾート施設の灯りが海面にきらきらと映り、それと競うかのように、空の上では星たちの競演が繰り広げられています。


以下星図のキャプション。

 「7月の星座。この図を使って、皆さんは7月中旬から8月中旬の星座を学ぶことができます。皆さんは今ブラックプールから南の方を向いているところです。でも、行楽を楽しむ人は、イギリス国内ならどこに出かけても、これと同じ壮大な眺めを楽しむとができるでしょう。朱色のアークトゥルスと鋼青色(steely-blue)のヴェガを比較するには、今が1年で最もふさわしい時期です。」

7月の夜空といえば、日本ではこと座のヴェガ(織姫)とわし座のアルタイル(彦星)に目が向きますが、イギリスの星好きは、ヴェガとうしかい座のアークトゥルスの対照を楽しむようです。

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ようやく各地で梅雨明けのニュースも聞こえて来ました。
日本の星好きも満を持して活動再開ですね。

がんばれニューホライズンズ2015年07月21日 06時09分18秒

先日、探査機ニューホライズンズが、ついに冥王星に達したと報じられ、その鮮明な画像に目をみはった方も多いことでしょう。

(ニューホライズンズ公式ページ http://pluto.jhuapl.edu/

そんな遠くの目標まであやまたず飛ぶだけでも大したものですが、さらに数々のミッションをこなし、記録し、報告し、地球側は地球側で、そのか細い声を細大漏らさず聞き取り、再びデータとして復元する…まったく気の遠くなる作業です。そして、それを現にやったのですから、これはもう大偉業です。

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それにしてもニューホライズンズの打ち上げが、2006年1月19日(日本時間1月20日)だと聞いて、個人的に感慨深いものがありました。何となれば、このブログのスタートが同年1月23日だからです。

探査機が宇宙空間を一心に飛んでいる間に、故郷の惑星は太陽の周りを9回半回り、その上では多くの悲・喜劇が繰り広げられ、そして1人の男性は訥々と文章を綴りづづけていた…というわけです。

だから何だということもありませんが、そのことで探査機にいっそう親しみを覚えたのは事実です。できることなら、ニューホライズンズが運用を終えた後、3日間だけ長くこのブログを続けられれば…と思いますが、さすがにそれは難しそうです。(彼は原子力電池が切れるまで活動を続け、それは2026年と予想されている由)。

その旅路の平安なることを願います。