天文呑気堂2015年09月08日 22時53分28秒

天文古玩を書くのに最も重要な要素は「呑気な気分」です。
しかし、そんなものは薬にしたくてもない状況が続いています。

(ダリ「内乱の予感」、1936)

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世間には、卑怯で汚いのが政治だという人もいます。
でも、それはちょっと違う気がします。
卑怯で汚い人間がいることを前提に、それにどう対抗するかを練り上げた智慧が政治の要諦じゃないでしょうか。その意味では、現在の日本は政治の応用問題があふれていて、それを鍛えるには恰好の場かもしれません。

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天文古玩を書ける世の中は、たぶんいい世の中だと思うんですが、なかなかどうも難しいですね。

閑中忙あり2015年09月16日 06時49分42秒

よお、調子はどうだい? ノンビリ昼寝して、だいぶエネルギーも補充できたろう。

いやあ、小人閑居して何とやら。ブログで使わない分、他で使ってしまうんで、あんまり補充もできないね。

やれやれ、国家がどうとか、時々大きく出るくせに、自分のこともままならないのか。

はは、そこが小人の小人たるゆえんでね。それにしても、世間は相変わらず騒がしいね。

奸賊はびこり、いずくに徳義の士あらんや…か。

本当だね。ときに最近薄気味悪く思うのは、安倍さんは、ひょっとしたら安倍さん自身が思っているよりも、いっそう邪悪な存在じゃないかと思えることさ。

さすがに邪悪は言い過ぎじゃないか。

いや、はっきりと邪悪だよ。何たって取り巻きが悪いもの。あんな平気で食言する破廉恥漢、かついだってしょうがないと思うけど、日本人は神輿でもなんでもかつぐのが好きだから…。それに何たって一国の総理大臣なんだから、かつぎがいがあるじゃない。でも、真に狡猾な人間にかかったら、安倍さんなんて簡単に転がされてしまいそうで、そこが何とも怖いね。

たしかに、武器を売る死の商人も、人材派遣という名の人あきんども、原発利権も、闇社会も、内外の筋の悪い連中が、いっせいに喜色満面で跳梁している気配があるな。

ただ、そういう「実利」を追う連中の肚は分かりやすいけど、何て言うかな、もっと人間の中にある良くないものが、安倍さんの周りには漂っているように思う。

何だか神がかってきたな。

ナチズムもさ、実利だけだったら、あそこまで邪悪にはなれなかったと思うんだ。いわゆる「霊的熱狂」がその背後にはあったよね。

そういや、「安倍首相がヒットラーだったら、あんな風にデモが許されるわけがないwww」…という冷笑的な書き込みを見たよ。

確かにね。そもそも比喩というのは、両者が違うことを前提にしているわけだから、安倍さんがヒットラーとイコールとは思わないんだけど…。まあ、支持率も低下気味で、その命脈も先が見えた感はあるけど、安倍さんの後釜を狙う人間には事欠かないし、要は安倍さん個人よりも、「安倍的なる存在」が権能を手にしたことが問題なのかもしれないね。―とはいえ真面目な話、今後もし、反・安倍や反・自民の態度を鮮明にした人が、公職や公的地位を追われるような事態になったら、それこそ明白な危機だと思うんだ。ナチが政権を完全に掌握したとき起こったのも、まさにそれだからね。用心しないと。

でも、そんなファシズム体制をアメリカが容認するはずない、という意見もあるぜ。

もちろんアメリカも一枚岩じゃないし、批判は出るだろうさ。
でも、先方の権力者や取り巻き連中にしてみれば、アメリカの商売に不都合がなければ―むしろその方がうまい商売ができるなら、進んで容認するんじゃないの。

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それにしても、「ネトウヨ」っているじゃない。彼らは一体何を主張したいんだろう?

突き詰めて言うと中国脅威論だろ。

うん、中国共産党の一党独裁とか、覇権主義に対する警戒の念っていうのは分からなくもないよ。僕だってきっぱりとそれには反対さ。でも「ネトウヨ」が香港の民主化デモを支持したって話も聞かないし、何だか話のつじつまが合わないじゃないか。それに安全保障上の危機に関しちゃ、日本の喉元に突き付けられた北方四島の方が、よっぽど不安定要素なのに、この間、ロシアに話題が集中したふうでもない。いかにも妙だよね。

彼らの世界地図には、日本、韓国、北朝鮮、中国、それにアメリカしか無いんじゃないの。そもそも、韓国と中国が同じ価値観を共有していると思いこんでいる時点で、認識が相当おかしい。 

イスラム国に日本人ジャーナリストが首を切られるのを見て喝采したりして、彼らはいったい何を奉じているのかな?我が同胞ながら、イスラム国よりも不気味なものを感じるよ。

それこそ「人間の中にある良くないもの」が噴き出した図だな。


秋来ぬと目にもさやかなり2015年09月19日 09時46分02秒



空はうららかに晴れ、涼しい風が吹いています。
庭前には萩が咲き、秋の気配もすっかり板についた感じです。

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日本がいかに没義道な国になろうと、それで地球が滅ぶわけじゃない。
ましてや宇宙は寸毫も変わりゃしない。

…と、天文趣味の徒たるもの達観できるといいなあと思いますが、ちっぽけな星の片隅に身をゆだねているちっぽけな存在としてみれば、やっぱり心穏やかでいることは難しいです。でも、ここは敢えて呟いてみますか。

日本がいかに没義道な国になろうと、それで地球が滅ぶわけじゃない。
ましてや宇宙は寸毫も変わりゃしない。

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秋風とともに、天文古玩も少しずつリハビリを始めることにしましょう。


お宝オーラリー2015年09月21日 17時15分23秒

いろいろなことがあり、「天文古玩」本来の記事を書くのは久しぶりなので、勘を取り戻すために、今日は絵に描いたような天文古玩を登場させます(といっても、他人のふんどしです)。

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先日、アンティーク望遠鏡のメーリングリストで、「望遠鏡じゃないけれど、これは一見の価値あり(It's not a telescope, but it's quite spectacular.)」というタイトルでメールが流れてきました。そこでリンクを張られていたのが、ドーンとこれ。


ボーナムズというのはイギリスに本拠を置くオークション会社で、サザビーズやクリスティーズほどではないものの、1793年創業の立派な老舗だそうです。

来たる10月27日にロンドンで開催される同社のオークションは、「科学・技術・からくり音楽の機器類」を集めた売り立てで、そのロット番号104が、この見事なオーラリー。

ハンドルを回すと、水・金・地・火・木・土・天の6惑星が、太陽の周りをゆっくり回るという雅味に富んだもので、本体は真鍮、惑星は象牙の削り出し。

(でもこの象牙のせいで、米国には持ち込み禁止と註が付いています。これはお体裁で書かれているわけではなく、アメリカではオバマ政権になってから、象牙品の輸入が―たとえ歴史的な品でも―厳格に制限されていて、今や「ご禁制品」扱いの由。)


オーラリーの右下に見える、木製台座に乗ったのは、「テルリウム」(左)と「ルナリウム」(右)だと説明には書かれています。

ここに出てくる「オーラリー」「テルリウム」「ルナリウム」は人によって用法が異なり、用語にかなり混乱が見られますが、上記のテルリウムは、太陽の周りを公転する地球の動きを、ルナリウムは地球・月・太陽の三者の位置関係を示す器具だと説明にあるので、要は「二球儀」と「三球儀」のことです。まあ、名称はともあれ、いずれも見事な工芸品の域に達していることは異論のないところでしょう。

これらはいずれもイギリスのMatthew Berge の作品で、バージは天文ファンには「ラムスデン式アイピース」でおなじみであろう、Jesse Ramsden (1735-1800)の下で職長として働いていた人物。ラムスデンの死後は、その工房を引き継ぎました。したがって、これらの機器も1800年をあまり下らない時期に作られたものと考えられています。(以上はボーナムズの文章の受け売り)

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さて、気になるお値段の方は、落札予想額 5万~7万英ポンド、日本円で 930万円~1,300万円と出ています。これはかなり強気の値付けだと思いますが、話半分としても相当なものです。

いったい誰が買うんでしょうね。
これぐらい隔絶していると、羨ましいとか、妬ましいという気も起こりませんが、買った人はぜひ大事に持ち伝えて、次代に無事引き継いでほしいと願うばかりです。

(ブログの方は、少しづつリハビリを始めます)

9月の星座…グラスゴーの街から2015年09月23日 09時56分56秒

そういえば、休みにかまけて、月々の星座めぐりを怠っていました。


9月も半ばを過ぎ、白鳥と鷲の2羽の鳥は徐々に西へと向かい、その後ろから大きなペガススの四辺形と、水瓶を捧げ持つ若者が空に姿を見せる時分となりました。


今日のスカイラインは、スコットランド南部の大都市・グラスゴーの街です。
中央から右手にかけてそびえるのは、グラスゴー大学と、それに隣接するケルヴィングローブ美術博物館の建物と尖塔群。

キャプションを読んでみます。

 「9月の星座。この星図を使って、皆さんは9月中旬から10月中旬までの星たちを学ぶことができます。皆さんは今、グラスゴーから南を見ているところです。右手には美術館が見えています。9月半ばの午後9時頃には、イギリス中のどこからでも、ほぼこれと同じ位置に星が見えるでしょう。」

尖塔の真上に浮かぶのはやぎ座(Capricornus)。
その左手にはみずがめ座が並び、みなみのうお座のフォーマルハウトを見下ろしています。

 少年(ガニュメデス)の持つ水瓶から零れる水を、南の魚が飲んでいる。ひときわ煌(かがや)く一等星は、魚の口(フォーマルハウト)。十月の星図を眺めていた銅貨は、それを折りたたみ、まだ星などひとつも見えない真昼の天(そら)を見あげた。

…という、長野まゆみさんの『天体議会』第2章の冒頭のままの光景です。

この辺はフォーマルハウト以外にも、やぎ座のデネブアルゲディ、セクンダギエディ、みずがめ座のサダルメリク、サダルスウド…と、エキゾチックな星名に事欠かず、特に冷涼なイギリス北部に住む人にとっては、激しく南方憧憬を掻き立てられたんじゃないでしょうか。


ところで、今日9月23日の出来事を見ると、古代ギリシアの劇作家・エウリピデスの誕生日(紀元前480年)…というような、大層昔のことも書かれていますが、天文趣味人にとって見逃せないのは、1846年のこの日、海王星が発見されたことでしょう。(前回のオーラリーに天王星までしか表現されていなかったのは、もちろんまだ海王星が発見されていなかったからです。)

ネプチューンはローマ神話による呼び名で、ギリシア神話ではポセイドンと名が変りますが、一説によればポセイドンとメドゥサの間に生まれたのが、天馬ペガススだとか。


人間の想像力の何と奔放なことか。


天体観測図鑑2015年09月25日 15時47分57秒

雨に濡れた金木犀が強く匂う日。

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きらら舎(実店舗はCafé SAYA)のSAYAさん、「ささきさ」のTOKOさんという、創作家おふたりのユニット「ルーチカ」(http://stelklara.net/ruchka/)。
両氏の想像力と手わざが生み出したオリジナル商品の数々は、理科趣味という、一種捉えどころのないものに、明確な輪郭を与えたものと感じます。

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そのラインナップのひとつ、「ルーチカの自由研究的小冊子」と銘打った「ルーチカ図鑑」シリーズについては、以前もご紹介したことがあります。


今夏、その最新号である「天体図鑑」編が出版されました。


テーマにふさわしい深い紺の表紙が印象的です。
下の月面図は内容の一部。

主に文章はSAYAさん、イラストはTOKOさんが担当されて、序文のあとは「惑星」、「月」、「銀河鉄道の星探し」、「天体観測」、「天体観測博物誌」、「ルーチカ天体観測辞書」と章節が続きます。30ページほどのブックレットですが、中身は濃いです。

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今回、ルーチカ図鑑をご恵与いただいたのは、上の図版ページを作成されるに際し、少し画像提供に協力したのと、


「天文博物誌談義―地学準備室にて」という駄文を載せていただいたからです。


そのおかげで、思いがけずこんな素敵な品まで頂戴して、これは役得以外の何物でもありませんが、多難な世を歩む折節、たまにはこういうことがあっても許されるでしょう。

頂戴したのは、星座早見型のメッセージカード(ちゃんと星座早見として使えます)と半透明の封筒をセットした「星座早見手紙」2種と、それぞれ星座と人工衛星・探査機をプリントしたマスキングテープ2種。

いずれもルーチカ購買部http://kirara-sha.com/ruchka.html)で購入可能です…と書こうとして、改めて確認したら、「天体図鑑」以外は売り切れでした。

となると、これはますます役得で、こういうことで浅薄な笑みを浮かべると、不快に思われる方もいるでしょうが、重ねて申しますが、長い人生、たまにはこういうことがあってもいいのです。

暗い日2015年09月26日 13時35分42秒

世間の動きとは別に、気ままにモノを買うことは続いています。
しかし、そんな日々の買い物にも、その時々の思いは自ずと反映するものです。


先日届いたガラス製のステレオビュー(19世紀イギリス製)。

普通のステレオ写真は紙焼きですが、これは幻燈スライド風の画面を左右に並べて、光にかざして眺めるようにできています。
なぜこういう手の込んだことをするかといえば(製造費も輸送費も、紙焼きよりずっと高くついたはずです)、同じ絵柄でも、反射光で見るのと透過光で見るのとでは、印象がかなり異なり、それによってリアリティが増したり、モノによっては幻想味が濃くなったりするからではないでしょうか。

―とはいえ、これも今では省みられることのない、過去の視覚玩具に過ぎません。


この朽ち寂びた風情が、今の気分にとてもしっくりきます。
今の私は、いささかデカダンスの気分に流されているのでしょう。

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そこに写っているのは、これまた陰鬱な情景です。
黒い雲に太陽が呑み込まれる寸前の光芒。
これはまさに透過光向けの画題で、この光と影のニュアンスは、反射光ではよく味わえないでしょう。

見かたによっては美しいとも、壮麗とも見えるかもしれませんが、今の私にはひたすら昏く寂しい光景に見えます。でも、その暗さこそが、大いなる慰藉を与えてくれます。

お伽の国の天文時計2015年09月27日 20時17分24秒

時刻と同時に、月の運行や、惑星の位置、星座の動きなどを表示する「天文時計」というのを、ヨーロッパの街角で折々見かけます(私の場合、写真やテレビで見るだけですが)。あれはいかにもお伽チックな、「欧羅巴」的な匂いのするものです。

中世の終わりからルネサンスにかけて、ああいうからくり仕掛けが各地で流行り出したのは、都市化によって人々の「時」や「暦」に対する観念が変りつつあったことの反映であり、同時に諸侯や自治都市が富と権力を誇示する意味合いもあったのでしょう。

それだけに、時として「恐れ入ったか!」とばかりに、見る人を威圧するようなデザインの天文時計も見受けられます。

そんな中、下の天文時計はわりと小造りの、いかにもお伽の国から飛び出したような愛らしさがあります。


ベルギー北部、リールの街に立つ、Zimmertoren(ツィマー塔)の絵葉書。

古めかしい絵葉書ですが、消印は1952年なので、そんなに古いものではありません。でも、古めかしく見えるのも道理で、この絵葉書は何と石版刷りです。戦後になってからも、石版がこんなところで使われていたと分かる、貴重な作例です。


キャプションが、オランダ語(上)とフランス語(下)の2本立てになっているのは、両国語を併用しているベルギーならではでしょう。


この塔の下に立って見上げると、たぶんこんな雰囲気。


肝心の文字盤はこんな感じです。てっぺんの球は月の満ち欠けを示すムーングローブ、一番下にあるのは地球儀で、その他10個の文字盤が、中心の大時計を取り巻いています。

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驚くべきことは、このいかにもメルヘンチックな時計が、中世・ルネサンスなんぞでなく、20世紀に入ってから作られたものであることです。

たしかに、時計を取り付けた塔そのものは、14世紀にさかのぼる歴史的建造物(古い城砦の一部)に違いないのですが、そこに天文時計を取り付けることを提案し、それを寄贈したのは、時計メーカーにして、自ら天文家であった Louis Zimmer(1888-1970)で、時計の据え付けが終ったのは、実に1930年のことでした。

ツィマーはさらに1960年には、この塔の隣に「驚異の時計(The Wonder-Clock, 蘭:Wonderklok)」というのを据付け、その何が驚異かといえば、その針の回転は世界で最も遅く、一周するのに2万5800年もかかるという代物だそうです。(2万5800年というのは、地球の歳差運動、すなわち地球の自転軸の向きがゆっくり回転している現象に対応するものです。)

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…というようなことを、今回 Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Zimmer_tower)を読んで知り、世の中聞いてみないと分からないことが多いなあと感じました。

上のリンク先には、文字盤の詳細の説明も載っているので、とりあえず画像だけ貼っておきます。



不思議の国の天文時計2015年09月28日 20時27分45秒

愛らしい天文時計といえば、こんな品もあります。


アリス風の少女が、猫の背に乗って天文時計のネジをきりきり巻いている、不思議な影絵芝居。

造形作家・川口喜久雄氏(シルエット工場主宰)の作品で、以前も猫が望遠鏡を覗くユーモラスな作品をご紹介しました。



6.5センチ角のアクリルケースに閉じ込められた黒い影たちの世界。


影というのは、実体あっての影のはずですが、この影の世界の住人は、さらに足もとに影を落としており、いったい何が実で何が虚なのか、見ているうちに頭がボンヤリして、昔習ったプラトンの「洞窟の比喩」(我々が実体と思いこんでいるのは、ひょっとして洞窟の壁に映る影のようなものに過ぎないのではないか?)を思い出したりします。

アリス150歳2015年09月29日 20時22分51秒

昨日の記事を書いた直後、「今年は『不思議の国のアリス』出版150周年なので、アリス本でも買われてはいかがですか?」…という営業メールが、古書検索会社から届きました。その偶然の一致に驚くと同時に、へえと思いました。


■Alice at 150: Wonderful Editions  http://tinyurl.com/nr5zgtj

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が、有名なジョン・テニエルの挿絵を添えてロンドンのマクミラン社から出たのは1865年で、日本でいうと明治維新の3年前のことです。

1865年の刊記を持つ「本当の初版」は、印刷の質に画家のテニエルが不満をもらしたため、直ちに回収され、改めて1866年の刊記を持つ版が作られました。(ただし、それが店頭に並んだのは1865年の暮れのことで、これも古書市場では「初版」として扱われています。)

時折、何億円という値が付いてニュースになるのは、1865年の「本当の初版」の方で、回収漏れとなった、ごくわずかな部数(数部ないし20部内外)が、世界のそこここに存在するという話。

1866年の「普通の初版」の方は、上記のAbeBooksのサイトによれば、数十万円から100万円ぐらいなので、まあ常識の範囲内と思いますが、それでもずいぶん高価なものです。

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「アリス」の物語は、作者ルイス・キャロル(1832-1898、本名Charles Lutwidge Dodgson)がオックスフォードの数学者だったこともありますし、個人的には、野崎昭宏氏の数学エッセイに、その理知的な諧謔がよく引用されていたこと、そして中学生の頃、すばらしく勉強のできる同級生が、会話の中で触れていたことが懐かしく思い出されて、私の中では単なる児童文学というよりも、すぐれて数理的な幻想譚のような印象が育っています。


そんなわけで、わが家にもアリスの本があります。
といっても、高価なものではありません。テニエルの挿絵に彩色をほどこして、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』(初版1871)を2冊セットにした、アメリカのランダムハウス社から出た普及版(1946)です。




それと、グウィネズ・ハドソン(Gwynedd Hudson)の軽妙な挿絵に惹かれて手にした、Hodder & Stoughton社版(初版は1922年。手元のは「Centenary Edition」と銘打って、作者の生誕100周年を記念して、1932年に出たもの)。

こういうのは凝り出すとキリがありませんが、何せ「数理的世界」ですから、あまりモノにはこだわらずにおこうと思います。(と言いながら、それだけの経済力が伴わないのは、肝心の数理的世界から縁遠かったからではないかね…という苦い反省も一寸あります。)


(なお、表題で「アリス150歳」と書きましたが、主人公のアリスは7歳という設定らしいので、正しくは157歳かもしれません。)