不思議の国の天文時計2015年09月28日 20時27分45秒

愛らしい天文時計といえば、こんな品もあります。


アリス風の少女が、猫の背に乗って天文時計のネジをきりきり巻いている、不思議な影絵芝居。

造形作家・川口喜久雄氏(シルエット工場主宰)の作品で、以前も猫が望遠鏡を覗くユーモラスな作品をご紹介しました。



6.5センチ角のアクリルケースに閉じ込められた黒い影たちの世界。


影というのは、実体あっての影のはずですが、この影の世界の住人は、さらに足もとに影を落としており、いったい何が実で何が虚なのか、見ているうちに頭がボンヤリして、昔習ったプラトンの「洞窟の比喩」(我々が実体と思いこんでいるのは、ひょっとして洞窟の壁に映る影のようなものに過ぎないのではないか?)を思い出したりします。

コメント

_ S.U ― 2015年09月29日 21時30分06秒

うーん、影に影を描くとは・・・
画家がイラストに影を描くのはおもにリアリティを出すためだそうですね。それなのにこれはどういうつもりなのでしょうか。プラトンよろしく、この世のリアリティはしょせんすべて影だと言いたいのでしょうか。
 それでも、チェシャ猫は、猫が消えても笑いだけ残ったと言いますから、影の影くらいはお安いご用かもしれません。

箒木に影といふものありにけり   虚子

ひょっとしてこれですね。非存在と見えるものにこそ真の存在があるということか。

_ 玉青 ― 2015年09月30日 22時09分13秒

およそ光あるところに影あり…とサスケのオープニングでは語っていました。
でも、古語で「影」とは「光」の意味でもあると知ったときは、少なからず感動しました。影とは実に不思議なものです。まあ、私もいい年になって、ちょっと「影のある男」をやってみたいのですが、なかなか難しいものですね。(^J^)

_ S.U ― 2015年10月01日 08時38分58秒

>古語で「影」とは「光」の意味でもある
 そういえば、日影と言えば今ではシャドーの影の意味ですが、月影は今でもおもに月光の意味ですよね。星影というのはもう星の光としか考えられないでしょう。
 江戸時代の自然科学の本では、「影」を明瞭に光の意味で使うには「景」という字を使っていたと思います。私の印象からの推測ですが「景」も「影」も降り注ぐ光の効果なのですが、前者は漠然と照っている状態を表し、後者は明暗がくっきりとして何らかの形や模様を描き出しているイメージではないでしょうか。模様を見るためには光の濃い所薄い所の両方が必要です。印影、撮影、投影ということばもありますので、そのように思いました。(文献をちゃんと調べていないので間違っているかもしれません)
 これが正しいなら、「影のある男」というのは、いろいろな模様があって深い含蓄のある男という意味ですね。

_ 玉青 ― 2015年10月03日 12時56分57秒

そういえば「景」は「かげ」ですね。さっそく字書を引いてみると、

【なりたち】形声。日と、音符京(くぎる意→竟)とから成り、くぎられた強い光、ひいて「けしき」、転じて、光によってできる「かげ」の意を表す。

とありました。「影」の方は、これに三本線をくっつけたもので、この三本線は光が輝く様を表わすそうで、何だかグラフィカルですね(この部首を「さんづくり」と呼ぶことを初めて知りました)。…となると、いっそう明るい感じですが、これもやっぱり「かげ」の意味に転じたのは、仰る通り「光と影」の両方があって初めて対象が見えるからで、結局目に映る対象の総体が「かげ」なのでしょう。(影ばっかりだと何も見えず、「闇」と呼び名が変ります。)

_ S.U ― 2015年10月03日 16時21分13秒

うーん。してみると「影」も「景」も大差なく、どちらも「『光と影』の両方があって初めて対象が見える」という事実に依っているのですね。「カゲ」が「光」と「影」の両方の意味を持つとはいい加減な言葉だと思いましたが、実は科学的に冷静な見方だったようです。

 江戸時代の科学書で、「影」と「景」を対比させて区別しているのを捜してみました。

 麻田剛立は、「日景」として太陽の見かけの位置(つまり太陽の光がやってくる方向)を表しているようです。「月景」は、月の位置に関わらず用いているようで、これは月が光っていようが光っていまいが(日食時のように)どちらでもいいようです。また、一般に、夜の暗さや月食の時に問題になる地球の影は「地影」と書いて「地景」とは書かないようです。

 三浦梅園の『玄語』地册では、「日景」「を麻田剛立に近い「日輪」とか「太陽の光」の意味で使い、「日影」は宇宙空間での光のある所(日)と光の無い所(影)の総体(あるいは対比)として使っているようです。「月景」は月面の照り方の状況を言うようです。この書物は用語を自分で独自の定義していて、解釈も難解なのでよくわかりません。

 ということで、江戸時代の天文関係者は、すでに「景」を見た目の光がやってくる状況として、「影」を光が無い状態として、区別しようとしていたようです。が、天文家の定義する言葉など、あまり一般の参考にはならないかもしれません。

_ 玉青 ― 2015年10月04日 13時47分21秒

うーむ、何だか混沌としていますが、大局に立てば「およそ光あるところに影あり」に再度話は終息しそうでしょうか。
これまでは専ら漢字の話でしたが、日本語の「かげ」もおそらく「かがやく」や「かぎろひ(曙光)」と同根語だと思うので、(黒い影よりも)まず光に注目した言葉だったかもしれませんね。(そういえば、「かぐや姫」の名も「かがよひ」(=かがやき)との関連が指摘されているそうです。)

_ S.U ― 2015年10月05日 08時23分16秒

>日本語の「かげ」もおそらく「かがやく」
 これは説得力のある説明ですね。
 たぶん「かがやく」は擬態語としての発祥ではないかと思います(例えば「太陽が、かっかっと輝く」という感じの)ので、「かげ」はその何らかの名詞形(光線のパターを指すような)だったのではないかと想像します。

_ S.U ― 2015年10月05日 08時25分00秒

>「光線のパター」
 脱字の見落としすみません。「光線のパターン」です。

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