10月の星座…グリニッジを望んで ― 2015年10月20日 07時18分47秒
1月から始まったこの企画、今日は秋も深まった10月の星座です。
いささかマンネリ気味とはいえ、記事を書くたびに「もうひと月経ったか…」と驚きます。まこと光陰とは矢の如きもの。
いささかマンネリ気味とはいえ、記事を書くたびに「もうひと月経ったか…」と驚きます。まこと光陰とは矢の如きもの。
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今日は首都ロンドンに戻り、グリニッジ天文台の上空に広がる星空を観察します。
「10月の星座。この星図を使って、皆さんは10月中旬から11月中旬までの星空を学ぶことができます。皆さんは今、テームズ川越しに、グリニッジの方を見ており、地図上で「0」と記された子午線の近くにいます。子午線を定めた望遠鏡のある建物は、天文ドームの隣にあります。」
テームズ川に揺れる灯りが首都の華やぎを伝え、その上空には、くじら座(Cetus)、うお座(Pisces)、みずがめ座(Aquarius)が東西にゆったり延びています。
グリニッジの上にぽつんと輝くのは、「みなみのうお座」の主星フォーマルハウト。
最初、この12か月の星図シリーズを見たとき、エドウィン・ダンキンの『真夜中の空』の子供版…という印象を持ったのですが、ダンキンの本でもグリニッジがランドマークだったので、この図はいっそう『真夜中の空』めいて感じられます。
(E.ダンキン『真夜中の空』(1869)より。画像再掲。こちらには1893年竣工の大ドームがまだ描かれていません。元記事は http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/12/21/)
頭上を見上げれば、小ぶりな星座がにぎやかにひしめき、天頂近くにアンドロメダ銀河(Great Nebula of Andromeda)がボンヤリ浮かんでいます。
こうして見ると、カシオペヤの位置がずいぶん高いですね。日本だと上り詰めても高度60度ぐらいですから、やっぱりイギリスは北の国です。
こうして見ると、カシオペヤの位置がずいぶん高いですね。日本だと上り詰めても高度60度ぐらいですから、やっぱりイギリスは北の国です。
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これまた恒例の「今日は何の日」。
星図の隣に写り込んでいたのは、1827年の今日(10月20日)に起こった「ナヴァリノ海戦」の絵です。
星図の隣に写り込んでいたのは、1827年の今日(10月20日)に起こった「ナヴァリノ海戦」の絵です。
当時バルカン半島を支配していたオスマン帝国に対し、ギリシャ独立支援を名目に英仏露の連合艦隊が戦いを挑み、大勝した事件です。西洋と東洋の力関係が明確に逆転した出来事だった…と言えるかもしれません。
極東日本の歩みも、こうした世界史的動きと無関係ではなかったと思います。
急速な近代化と膨張主義に伴う光と影―。
急速な近代化と膨張主義に伴う光と影―。
ナヴァリノ海戦から1世紀有余、1944年の10月20日には、米軍がフィリピンのレイテ島に上陸。日本の敗色はいよいよ濃くなりました。
コメント
_ S.U ― 2015年10月21日 21時39分50秒
おぉ、こんな空で、カロライン・ハーシェルは、NGC253を発見したのですね。
_ 玉青 ― 2015年10月21日 23時57分40秒
改めて見たら、すごいですね。
この高度でよく見つけたものです。
この高度でよく見つけたものです。
_ S.U ― 2015年10月22日 07時45分36秒
思うに、カロラインがこれを発見できたのは、彼女がコメット・ハンターであったからに違いありません。とても乱暴に言えば、ウィリアムとジョンは「カタログ」をつくるために掃天した人ですから、わざわざ不利なところを作戦領域に選ぶことはないのですが、コメット・ハンターは他の人が捜す気が起こらないようなところを狙ってこそ真価を発揮するからではないでしょうか。
_ 玉青 ― 2015年10月22日 20時19分48秒
言ふなればカロリンは星界の低徊趣味者にして、兄ヰリヤムの高踏趣味とまさに好一対と申すべく、以てその資質の差を窺ひ知るに足る挿話と言へるやも…
_ S.U ― 2015年10月23日 08時38分05秒
低徊趣味とは何のことぞやと思ひて電網辞書に尋ぬるに「俗事に紛れず天然人跡を楽しむること」といふ。されど、夫れ「星界における低徊趣味」は天地逆様にして、窓辺、縁側などより天なる星を眺むる折に、地なる家々の火かげの灯り灯らず、或ひは人影などの動くに気づき図らずも俗事に気を捕らわるる性質を言ふにやあらむ。
_ 玉青 ― 2015年10月23日 21時05分13秒
あはは。
試みに玉生問ふて曰く、低徊に天地二様の別あるは如何なる理ぞや。
U師答へて曰く、地に清雅を逐ひ天に艶冶を求む、是二様と見えて其本は一也。汝、天地雅俗の差別に迷妄する勿れ。真人の道は将に其の間の間に在りと。
試みに玉生問ふて曰く、低徊に天地二様の別あるは如何なる理ぞや。
U師答へて曰く、地に清雅を逐ひ天に艶冶を求む、是二様と見えて其本は一也。汝、天地雅俗の差別に迷妄する勿れ。真人の道は将に其の間の間に在りと。
_ S.U ― 2015年10月24日 07時21分59秒
(笑)これは禅問答ですか。禅問答なるもの今まで一度たりとも理解できた試しはありません。というか、いつもモヤモヤしたものが心に残り、修行にならない感じです。
ここに門前に在りたる一箇の小僧、この問答を聞きていふやう、汝が言に従はば天地の低徊、二とするも可なり一とするも可なり。然らば、カロリンのかの業、如何に定むること能うべけんや、とすれば、二を一とするは禅の極意にして天象を天意として俗事となすは天学者の本意なり、とぞ言はれける。
ここに門前に在りたる一箇の小僧、この問答を聞きていふやう、汝が言に従はば天地の低徊、二とするも可なり一とするも可なり。然らば、カロリンのかの業、如何に定むること能うべけんや、とすれば、二を一とするは禅の極意にして天象を天意として俗事となすは天学者の本意なり、とぞ言はれける。
_ 玉青 ― 2015年10月24日 17時28分46秒
其の時卒然として天より声在り「善哉、善哉」。
―と、まとめておきましょう。(^J^)
―と、まとめておきましょう。(^J^)
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