不思議の森で石は夢見る2015年10月27日 07時22分22秒

八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」というのがあります。

八幡は千葉県の地名で、JR総武線には「本八幡(もとやわた)」という駅があります。で、「藪知らず」とは、この地にかつて不思議な森があり、そこに迷い込んだ者は方向を失い、二度と出てこれなくなる…という、土地にまつわる怪異譚です。今の市川市役所の向かい側にある、「不知森(しらずもり)神社」が、その故地だといいます。

江戸時代の地誌にも録されており、昔からよく知られた話ですが、江戸の頃から諸説紛々として、その由来ははなはだ曖昧です。いずれにしても、江戸よりもはるかに古い遠い昔の記憶を反映した伝承でしょう。

   ★

さて、今日の本題は藪知らずではなくて、その本八幡で来週末から始まるイベントの話題です。


■「石の夢」 時計荘×ROUSSEAU 企画展
〇会期: 2015年11月6日(金)~11月29日(日)
      11:00~18:00 (水・金のみ21:00まで)
      (会期中 11月9日(月)、16日(月)、24日(火)は休業)
〇会場: シャララ舎
      市川市菅野1-14-9(最寄駅 JR・都営新宿線「本八幡」、京成「京成八幡」)
      【MAP → http://shalalasha.web.fc2.com/about.html
〇主催: 時計荘・ROUSSEAU
〇出展者: 医療系雑貨生みたて卵屋、saki、ささきさ、シャララ舎、
      sleep epidemical laboratory、猫耳工廠、noir lapin、HASHIMOTO HIROMI、          
      beads accessory shop 玉、錬成機械工業、(協賛・天文古玩) 

   ★

主催者の時計荘さんは、鉱物結晶と鉄道模型用の極小フィギュアを組み合わせた不思議なジオラマ世界を、そしてROUSSEAUさんは、ガラスと金属による精巧な多面体テラリウムを生み出す作家さんで、共に「風景作家」と呼びうるようなお二人です。

今回の企画は、お二人のコラボレーションに、多くの作家さんが共鳴・共振して開催に至ったと聞きますが、まったく場違いな私がまじっていることからも、その共振現象がいかに大きかったか分かります。(「協賛・天文古玩」というのは、他にどう表現していいか分からなかったからで、要は会場に置かれるフリーペーパーに駄文を寄せただけのことです。)

企画の出発点から想像するに、ここで大きなテーマとなっているのは、「内なる風景への沈潜」であり、「大いなる世界の創出」なのでしょう。その世界創造のカギを握っているのが、「鉱石(いし)」です。確固とした世界を内包した鉱物には、人の内省を促す力がたしかにあります。

石の見る夢、人の見る夢。ふたつの夢が出会うところ―。

   ★

会場のシャララ舎さん―美しい琥珀糖専門のお菓子屋さんです―は、住宅街の只中にあって、藪知らずほどではないにしろ、ちょっと分かりにくいところにあるようです。
入ったら最後、二度と出てこれなくなる…ことは多分ないと思いますが、そこで出会った夢の世界に囚われてしまうことは、大いにありえます。

コメント

_ S.U ― 2015年10月27日 07時58分35秒

これまた不思議な組み合わせですね。
 お菓子屋さんと幾何学造形、幾何学と天文の組み合わせはわかりますが、お菓子屋さんと天文古玩さんとなりますと、なんのことやら・・・
 
 石を模したお菓子はけっこうありますね。私は、もともとは、アメリカ先住民族の造形あたりからデザインされているのではないかと思っていましたが、日本でもけっこう人気のようです。人が石を食べたがるのはけっこう普遍的な気持ちなのでしょうか。でも、星は別物で、これが星に結びつくためには、タルホの「星店」クラスの発想の飛躍が必要なのでしょうか。(これは以前にも議論したように思いますが、結論を忘れました)

_ 私筆嘘 ― 2015年10月27日 13時28分45秒

シャララ舎さん近いので自転車で行ってみます♪
琥珀糖ですか陽の光に透かして見たくなるとこが共通点かな
あっ!旧HN Sii Taa です

区で運営してたSNSが閉鎖になってしまったので
新しいHNはマイペンライと読んでください。

_ 蛍以下 ― 2015年10月27日 15時41分18秒

S.Uさんのコメントから連想したのですが、長野まゆみさんの『野ばら』に、柘榴を食べていて、なかなか飲み込めず、吐き出すとそれは石だった…という、もどかしい夢を見ているような描写がありました。
私自身、美しい鉱物や星を目にすると、その「美」を独占することはできないという事実に、もどかしさを覚えたり、それらと自分が隔絶して存在しているという気がして孤独を感じたりするのですが、時計荘さんの作品などを拝見すると、美を捕え、それを小箱に封じ込めたようなイメージが喚起されます。標本作りやコレクションなどとも通じる「世界創出」感ですね。
あと、星を食べるイメージですが、一番古い例は何なんでしょうかね?日本だとやはりタルホでしょうか。

_ 時計荘 zabiena ― 2015年10月28日 00時21分22秒

ご紹介いただき、誠にありがとうございます。
身に余るようなお褒めの言葉に・・・ちょっとたじろいではおりますがとても嬉しく拝読いたしました。

なんと申しますか、勢いだけで見切り発車の、ごった煮状態のとりとめもない仲間内の小さな展示ではありますが、玉青さんの寄稿のおかげさまでとても雰囲気が良くなったと思います^^

フリーペーパー、刷り上がりましたらお送りいたしますね。
この度は誠にありがとうございます。

不知森神社、通るたびに頭を下げておりますが、あそこだけ、街中にほんとに唐突に森が現れるのが不思議な感じです。
周り中が森だったころより、今の風景の方が異様な「別世界」を感じます。集団の中の孤独、街の中の森・・・不思議な光景ですね。

_ 時計荘 zabiena ― 2015年10月28日 00時24分16秒

みなさま。

この場をお借り致しまして、コメントでお越しくださると行ってくださっている方、ご声援いただきました方に御礼申し上げます。
ありがとうございます!ぜひお越し下さい。

_ 玉青 ― 2015年10月28日 19時53分23秒

〇S.Uさま

私は呑む方も呑むし、お菓子もいける口なので、そう意外な取り合わせでもありませんよ(笑)。
ときに石のお菓子と聞いて、子供の頃食べた不思議な品の記憶がよみがえりました。改めて探したら、それは「富士の石」というものでした。灰色の溶岩を模した砂糖菓子で、見た目は本当に溶岩そっくりですが、食べるとやたら甘いという。(他の火山でも似たようなお土産があるようですが、地理的に考えて富士の石だと思います。)
足穂がイメージした、透明でミントの香りがする代物とはおよそ異なるので、これはこれで独立に考えられたものでしょうが、面白い思いつきですね。

〇SiiTaaさま、こと私筆嘘さま

再度のご来訪ありがとうございます。
マイペンライとは、また一度聞いたら忘れられないHNですねえ。(^J^)
ともあれ、お近くであればぜひお尋ねください。
そして私筆嘘さんの創作世界が、そこからさらに広がりますように!
(コメタリウムの衝撃は忘れがたいです。また新作のご紹介を楽しみにしています。)

〇蛍以下さま

美をいかに己のものとするか。
お金を出せば自分の物になる…なんて単純なものでないことは確かですし、そもそも星はどうやったら買えるのか?(神戸で買えるという噂は耳にしましたが…)
まあ、考えてみれば、自分の肉体や精神ですら、自分の思うようにはならないのですから、遥かな存在を自分のものにしようと思うこと自体間違いなのでしょう。できるのは、せいぜい「向き合うこと」ぐらいですかね。

>星を食べる

これは足穂の創案だと思っていますが、しっかり調べたことはありません。
でも、日食や月食に対して、「星食」という語がありますよね。月や惑星が、遠くの恒星を覆い隠すという。これは手前の天体を主語にすると「星を食す」ことになるので、漢籍には「食星」という文字もあるようです。お月様はしょっちゅう星を食べている、星のグルマンなのかも。

〇zabienaさま

この度はお声がけいただき、ありがとうございました。
上の文中、シャララ舎さんを藪の中みたいに書いてしまったのは、ちょっと気が咎めていますが、でも不思議な気が周囲に流れている感じを是非出したくて…
そういえば、地図で拝見すると、シャララ舎さんのすぐそばもお宮さんなのですね。そして石の夢が漂う会場には巫女がおわす…となると、これはやっぱり不思議な感じが濃いです。

_ S.U ― 2015年10月29日 07時16分53秒

>「富士の石」
 初めて知りました。これは見事に溶岩ですね。そういえば、子ども心には、氷砂糖も黒砂糖も石みたいだと思いました。

>星を食べる
 足穂より古いかどうかは知りませんが、「古典的なぞなぞ」に「星は星でも食べられる星はな~んだ」「ウメボシ!」というのがありますね。・・・オソマツ・・・ 
 金平糖は戦国時代からあるので、これで星を食べることをイメージ出来たと思うのですが、古典に載っているか、また捜してみます。

_ 玉青 ― 2015年10月29日 22時05分35秒

金平糖と星の関係は気になります。金平糖は口にするものですから、金平糖を星に見立てれば、ただちに星を食べる比喩につながりますよね。足穂の先例は、意外に早く見つかるかも。S.Uさんの調査結果が楽しみです。

_ S.U ― 2015年10月30日 07時41分18秒

問題は、江戸時代の人たちに金平糖の形が本当に星の形に見えたかということですね。普通、日本人にとって星型とはまん丸○ですから。いわゆる星形☆もありますが、どれほど普及していたかどうか。

 西鶴の『日本永代蔵』の巻五第一に金平糖の製法の議論が出ているという情報を得たので読んでみましたが、砂糖が吹き出すとあっても星形という記述はなかったです。またぼちぼち探します。

_ 玉青 ― 2015年10月31日 08時48分12秒

おお、これはまた興味深いテーマが出ましたね。
金平糖を離れますが、星の形象の問題は、誰かまとめて論じた人はいるのでしょうか。

ヨーロッパでは古代・中世から一貫して「星型の星」(★やそれに類する、光芒を周囲に尖らせた星の表現)が優勢で、その用例はエジプトやペルシャなどオリエント世界にも広がっていますが(あるいは影響―被影響関係が逆かもしれません)、インドになるとかなり怪しくて、中国はさっぱりです。

本を見ていたら、辛うじて清代の南北両天図に「星型の星」を用いた例を見つけましたが(グリニッジの海事博物館所蔵)、それは星座こそ中国の伝統星座を用いているものの、明らかに西洋星図を模したものと見受けられました。

当然のごとく日本も小円ばっかりで、「星型の星」は近世以前はさっぱりですね。
五芒星・六芒星の称は昔からあったので、あのギザギザの形と夜空の星を結びつけて考える人もいたと思うのですが、それを星図などに描いた例は今のところ見つかりません。

_ S.U ― 2015年10月31日 17時11分42秒

>金平糖を離れますが
 これはまたお決まりの脱線ですが、これはこれで超重要課題のようでやむを得ないですね。
 星の形象を論じたものは、天文学史では見た覚えがありません。国章や武家の紋章学か何かでは見つかると思いますが、近世以前では天の星との直接的関係は希薄のように思います。

 残念ながら、私もギザギザの星は、蘭学関係者がらみのものしか知りません。晴明神社の紋章が五芒星であることはよく知られています。陰陽道の星占いはしましたが、占いに五芒星が使われた例はあるのでしょうか。聞いたことはありません。晴明神社の説明では、これは「桔梗」の花を模したものという説もあるようです。

 どちらかというと、こういう東洋の伝統的学問とは別に、江戸の庶民が天の星と金平糖を見比べて直感的に「星だなぁ」と思ってくれた例があるといいのですが、金平糖の食べ比べ大会のような古典文献はないものでしょうか。

_ 玉青 ― 2015年11月01日 12時26分23秒

うーん…依然、謎を解く手がかりが得られず呻吟しています。

しかし、最初に蛍以下さんが提出された疑問、
>星を食べるイメージですが、一番古い例は何なんでしょうかね?
…については、答が分かった気がします。

他でもない、弘法大師空海です。
彼が若年の頃、土佐で修行中、突如明星がその口に飛び込んで卒然と大悟した…というエピソードを思い出しました(典拠は彼自身の著書『三教指帰』で、本人が言うのですから多分そうなのでしょう)。

空海と足穂、「日本食星史1000年」を彩る二大巨人というわけです。(^J^)

_ S.U ― 2015年11月01日 17時00分42秒

おぉ、空海は星を呑んだのですか。これは、古い例がわかってよかったです。(意図して呑んだものか、天意で飛び込んできたのかはわかりませんが、そういうことがあるという発想は偉大ですね)

 お陰様で、形象の問題と飲食の問題が切り離されたので、少し気が楽になりました。

_ 蛍以下 ― 2015年11月01日 19時23分53秒

あ!確かに空海にそんな話がありましたね。
一時期、空界に興味があって読みあさりましたが、すっかり忘れてました。
虚空蔵菩薩の真言(ノウボウアキャシャギャラバヤオンアリキャマリボリソワカ)を百万回唱える求聞持法という修行で、これを成し遂げると、一度見聞したことは決して忘れない記憶力を授かるという密教の修行ですね。空海が室戸岬の洞窟で結願したとき金星が口に飛び込んできたという。
私もトライしましたが1万回位で挫折しました。

_ 玉青 ― 2015年11月02日 07時13分06秒

〇S.Uさま

私もちょっとホッとしました。(^J^)
引き続きご考究をお待ちします。

〇蛍以下さま

おお、蛍以下さんも真言陀羅尼を!
私の場合、空海ほどの記憶力は要らないですが、最近物忘れが激しいので、人並みの記憶力がほしいです。100回唱えるぐらいで何とかならんものでしょうかね。

_ 蛍以下 ― 2015年11月02日 15時04分44秒

>100回唱えるぐらいで何とか

ちなみに一万回唱えた私の場合、例えば、本屋の書棚から目当ての本を探し出すのが早くなるとか、失くした鍵とかメモとかの在り処が分かる(それらを置いた時の状況を思い出せる)といった程度の注意力はつきましたね。霊験なのか疑わしいですが^^
あとは、明晰夢をみるとか。

ただ、不飲酒戒を破りながらの修行のせいか、夢と現実が混乱するような恐怖や、原因不明の背中の激痛、頭蓋の中でシンバルのような音が鳴って金縛りにあうなどといった不調が出てきて、怖くなってやめました。
そのとき、学研の『密教の本』という本で鬼子母神の真言を覚え、10回程度唱えると、不思議とそれらの不調は治まりました。密教の信者ではないのでプラシーボ効果ではないと思うのですが、だとすればやはり効くのでしょうか。謎ですね。

_ S.U ― 2015年11月03日 09時19分45秒

蛍以下様、玉青様、
 空海が金星を呑んだのはいつのことか一応ネットで検索してみますと、延暦 12年(793年)ということになっていますので、おそらくこれが最古でしょう。明け方だったということなので、旧暦延暦12年の明けの明星が見える期間なら年初に限られるようです。また、相当あやしげですが、ネット論者に金星の太陽面経過と関連づける推定もありました。この現象は789年と797年のユリウス暦5月に起こっていますが、明け方ではありませんでした。

 私のうちは密教(真言宗)で(私は信心のほうはさっぱりです)、「十三仏真言」にこういうのがリストされているというのは存じておりましたが、虚空蔵菩薩とその効用については聞いたことがありません。在家勤行の範囲の外ではないでしょうか。百万回ともなると家業も休まないといけませんしね。「十三仏」のWikipediaによると、十三仏はそれぞれ追善供養を担当し虚空蔵菩薩は三十三回忌とありますので、我が家では祖父さんの法事の時に一度だけ唱えられたくらいかもしれません。

 昔の田舎では図書館もなく記憶力は重要で、記憶の良い子供は「坊さんになれ」と言われていました。記憶力の良い人は坊さんになって呪文の修行でますます記憶力がよくなり、坊さんになれない人は呪文も知らずさっぱりという構図かもしれません。

_ 玉青 ― 2015年11月03日 11時58分34秒

〇蛍以下さま

昔から、修行中に魔に魅入られた(たぶん精神疾患を発症したのでしょう)お坊さんの話は多いですが、やっぱりこういうのは面白半分でやってはいけないのでしょうね。それだけ自分の心の奥深くに沈潜する行為であり、だからこそ修行にもなるのでしょうが…

〇S.Uさま

お調べありがとうございます。
そうするとまだ平安遷都前で、ずいぶん古い話なのですね。やはりこれが最古でしょうか。

気になるのは「味」の方ですが、調べてみたら、金星は「適度な歯ざわりがあり、甘味酸味ともバランスがとくとても上品な味わい」だそうです。
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/apple-Kinsei.htm

(いつもの混ぜっ返しですみません・笑)

_ Ha ― 2015年11月20日 19時16分33秒


五芒星(ペンタグラム)「☆」は、日本では長らく星の形とはみなされていなかったようですね。安倍晴明の五芒星は「晴明桔梗」ですし。
たしか荒俣さんの『広告図像の伝説』だったか?に、明治初期の岩倉具視の訪米使節団が星条旗(the Stars and Stripes)を見て「条(すじ)に桜の紋」と記述したという話が書いてあったように思います。また、ヨーロッパではペンタグラムは魔よけの護符として古くから軍服などに用いられていて、明治政府が帝国陸軍の軍服を新しく作るときにフランスの軍服(帽子の頭にペンタグラムの刺繍があったりする)をそっくり真似したため、ペンタグラムが陸軍の徽章としても使われるようになり、これが「星の形」として一般に広まったという説が有力だといったことも、たしか同書に書いてあったような…。
#うろ覚えで申し訳ありません。内容を確かめようと『広告図像の伝説』を探したのですが、部屋のどこかに埋もれてしまって出てきません…(汗)


なお、五芒星などの星型多角形に関する議論は、かつて天文教育普及研究会のメーリングリストで話題になったことがあります。そのときの議論の内容が機関誌『天文教育』2002年7月号~2003年7月号に、5回にわたって掲載されました。以下のアーカイブで(第2章を除き)読むことができます。
#メーリングリストでの議論をまとめたものなのでかなり雑多な内容です。
 第4章だけ読んでいただければ十分かもしれません。
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●西村昌能+TENKYO-ML☆形チーム「星と☆形-The Symbol of Stars-」
第1章(2002年7月号)http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2002_07/2002-07-10.pdf
第2章(2002年11月号)(アーカイブ無し)眼球の構造と光芒について論じた内容でした
第3章(2003年1月号)http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2003_01/2003_01_9.pdf
第4章(2003年3月号)http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2003_03/2003_03_12.pdf
第5章(2003年7月号)http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2003_07/2003_07_11.pdf
(『天文教育』アーカイブ目次ページ)http://tenkyo.net/kaiho.html
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また、臼井正氏のホームページにもまとまった内容の論考があります。
http://homepage3.nifty.com/silver-moon/index.htm
星にまつわるエトセトラ → 星のしるし(上)(下)


アインシュタイン論などで有名な金子務氏も、形の文化会の機関誌『形の文化誌』(工作舎)に、短い論文を3本発表されています。
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●金子務「聖と呪の象徴図形-ダヴィデの楯と清明判紋」形の文化誌 No.4(1996)
●金子務「星型多角形の文化と受容-聖と呪の象徴図形再論」形の文化誌 No.6(1999)
●金子務「星はなぜ星形なのか」形の文化誌 No.9(2002)
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『形の文化誌』はまだ工作舎から購入できるかも?
http://www.kousakusha.co.jp/DTL/katachikai.html#backnumber

_ S.U ― 2015年11月22日 08時34分40秒

Ha様、文献の情報をありがとうございます。日本では、ペンタグラム☆は徹底的に星ではなかったようですね。実は、私にも星は☆にはあまり見えません。子どもの時に、☆がなんで星なんだろう、夜空が本当に☆  ☆ ☆☆のように見えたらもっと楽しいのにと思ったことを覚えています。ひょっとして、西洋人と東洋人で虹彩の形の違いで星の見え方が違うということもありうるのでしょうか。(『天文教育』の第2章が見たいです)。

 でも、五芒星でなくてマレーシアの国旗のような多芒星なら東洋人にも星がそのように見えるかもしれないと思います。よって、まだ金平糖には脈があると思っています。

_ 玉青 ― 2015年11月22日 09時48分51秒

○Haさま

わ、これはありがとうございます。
こんな丁寧な議論がすでに行われていたのですね!
星の表象、星型図形の成り立ち、星の語源…いずれも興味深いことばかりですね。
リンク先を一通り拝読し、大いに蒙を啓かれました。幾重にも感謝申し上げます。

ときに天文教育普及研究会さんのメーリングリストは、今もこんなふうに活発なのでしょうか。であればぜひ末席に連なり、聞き耳を立ててみたいと思います。

○ S.Uさま

アスタリスク的な星は、中心に光る本体があって、そこから光条が四方八方に広がっている様を表現しているのでしょうが、東アジア的感覚では、この永続的な本体部分のみが「在る」ものであって、それとかりそめの光条を同格の存在として表現することに、相当の違和感があったんではないかと想像します。東洋絵画で、全体に光と影の立体表現が発達しなかったのも、そうした認識論的問題が横たわっているのでしょう。

ただ、先日話題にしたように、漢字の「影」の右側にある三本の斜線は、光条の表現だそうですから、古代中国人の目に光条そのものが見えていなかったわけではもちろんなくて、事情はたぶん日本でも同じでしょう。…と書いたところで、「いや待てよ、光条表現といえば、身近な所にいくらでもあるじゃないか」と思いました。

https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/kaiga/kennponnixtukou.html

他でもない、仏様の光背です。
ここから神格化された星と光背の組み合わせや、光条表現を伴う星の絵まではあと一歩のように思うのですが、あと一歩のようでいて、なかなかこの一歩が遠いですね。

_ S.U ― 2015年11月22日 14時41分01秒

 もし、日本人が古くから「実在」と「虚像」を区別していたならば、たいへん冷静な分析眼で興味深いことと思います。

 仏像画/彫刻の東西比較等、私は知識がありませんが、光背の動機としては、まず、 ①西洋の宗教画の影響 ②雲・霧や空気中の粒子による散乱光の印象 の可能性を考えます。
 光背は日本で古くから多用されているので①は可能性が低いとしますと、②で日本の気象状況を反映したとするのはどうでしょうか。旭日旗は本当に朝日が散乱であのように見えたのだと思います。星で散乱光が見えるのは暗いだけに難しいでしょうから、星の光芒は眼の中だけの現象で、朝日の光条は空気中の粒子(粒子といえども実体)のによると区別していたのなら、すばらしいです。

 ちなみに「気象」の言葉ですが、これは、気(実体)と象(見た目)という意味ですよね。これを対立概念と取ると、雲や霧は気ですが虹や薄明は象と言えるので、案外区別できていたのではないかと思います。朝日の光条はどちらに分類されるかわかりません。

_ 玉青 ― 2015年11月23日 10時44分56秒

地平線から射す光や、雲間から射す光、太陽の光は条件によって、本当に光背風に見えますね。光背のデザインもいろいろですが、放射光はもっぱら弥陀三尊用のもので、梵語の「阿弥陀」は「無量光」の義とされ、本来は太陽を神格化したもののようです。そして、ヘレニズム時代に西方系の要素を取り入れて成立した仏様という説も根強いので、結局、S.Uさんが挙げられた2つのルーツは(時代の幅を大きくとれば)どちらも該当するのではないでしょうか。

星の光条は、太陽ほどあからさまに見えるわけではないので、「これは単にそう見えるだけで、本当の星はやっぱり小さな点々なんだ。だから点々で描くのが本当なんだ」…と、あえて言葉にすると、昔の人はそういう気分だったのかもしれませんね。逆に太陽の方は、「これだけはっきり見えるんだから、これは本当に光の帯がずいと伸びているに違いない」と思うのも無理からぬところです。

(それにしても、記事からだいぶ遠ざかってしまいました。)

_ S.U ― 2015年11月23日 13時13分33秒

>放射光はもっぱら弥陀三尊用
 そうだったのですか。勉強になります。
 だとすると、星を神格化した東洋の仏像、神像に放射光の光背が付いているとこの問題は反証的に解決することになりますので、今後気をつけて捜してみたいと思います。

>記事からだいぶ遠ざかってしまいました
 元はというと、石とお菓子でしたからね。

_ Ha ― 2015年11月24日 19時09分47秒

>S.Uさま

西村さんのHPに草稿らしきものが置いてあります。
実際に『天文教育』に掲載された文章とは少し違うかもしれませんが、大差なさそうですので、こちらをご参照ください。

「Dr.熊のページ」
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/kuma.htm
科学史分野
→シリーズ 星形と星の名前
 星と☆形2


>玉青さま

天文教育普及研究会のメーリングリストは、残念ながら事務連絡的なメールがほとんどです。天文古玩的な話題が出るのはごくまれ(せいぜい年1回程度?)で、最近はそういう話題になっても会話がすぐに終焉してしまいます。
研究会やシンポジウムなどの情報源としては重宝するのですが…。

_ 玉青 ― 2015年11月25日 06時48分20秒

ありがとうございます。
なるほど、常時活発というわけでもないのですね。
ちょっぴり残念ですが、でも自分の全く知らないところで、素敵なやりとりがこれまでずっと続いていたと知ったら、それはそれでショックでしょうから、まあよしとせねばなりませんね。(^J^)

_ S.U ― 2015年11月25日 18時16分50秒

Ha様、
 西村さんの文献のご紹介ありがとうございます。虹彩以外にも様々な眼の理由を実験的に研究していらっしゃるのに感服しました。原因は単一ではないようですね。回折によるものと屈折によるものの両方が議論されているようです。人種による違いは議論されていないようでした。

 ただ、虹彩の縁にギザギザが見あたらなくても光芒が出来る可能性は残っていると思います。きれいな多角形の絞りでも写真に光条が写りますし、目に見えないくらい小さなギザギザが回折格子の役割をなすこともありえますので、また今後気をつけてみたいと思います。

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