ある望遠鏡の謎を追う(後編) ― 2015年11月05日 20時04分21秒
この望遠鏡の素性が分かったのは、同じ望遠鏡を島津製作所の古い商品カタログで見かけたからです。
上がそのカタログ。
背後の青い表紙は、昭和7年(1932)に出た『初等教育理化学器械目録』、その手前のくすんだ表紙は、東京支店が大正4年(1915)に発行した『普通教育用理化学器械及薬品目録』です。
背後の青い表紙は、昭和7年(1932)に出た『初等教育理化学器械目録』、その手前のくすんだ表紙は、東京支店が大正4年(1915)に発行した『普通教育用理化学器械及薬品目録』です。
昭和7年のカタログの天文教具の1ページを見ると、右上に問題の望遠鏡が載っています。
商品説明を見ると、「天文望遠鏡…地上兼用/地上25倍、天文50倍 三脚付木箱入携帯用/60円」 とあります(大正4年のカタログにも、まったく同じ商品が載っていて、そちらは価格が32円になっています)。
同じページに載っている他の望遠鏡と比較すると、これは「相対的廉価版」の位置づけでしょうが、小学校の先生の初任給が、大正の初めで20円、昭和の初めで50円ぐらいでしたから、絶対的にいえばそれなりに高価なものです。子どもがお小遣いを貯めて買うのはちょっと難しかったでしょう。
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結局、この望遠鏡は大正~昭和の初めに島津が取り扱っていた品で、オークションの売り手も京都に店を構える古物商でしたから、直接島津に由来するものの線が濃い気がします。
とはいえ、その「素性」が分かっても、「正体」の方は依然あいまいです。
上記のカタログには、五藤光学の製品には「五藤式」の表示がありますが、この望遠鏡には何の説明もありません。島津が自前で望遠鏡を作っていた形跡はないので、いずれにしても他社製品のはずですが、その辺のデータが不足しています。
上記のカタログには、五藤光学の製品には「五藤式」の表示がありますが、この望遠鏡には何の説明もありません。島津が自前で望遠鏡を作っていた形跡はないので、いずれにしても他社製品のはずですが、その辺のデータが不足しています。
唯一の手掛かりは、この望遠鏡の商品番号「17A」にアンダーラインが引かれていることです。これはカタログの前書きに「目録中番号ノ下ニ―線を付シタルモノハ外国品ニシテ為替変動ニヨリ価額モ亦一定セザルモノ」とあるとおり、外国製―当時の言葉でいえば「舶来品」―であることを意味します。
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ただ、これだけ分かっても探索はなかなか難しいです。
以下、当時の島津の営業の実態がうかがえる、興味深い資料として、大正15年(1926)発行の『化学器械及薬品目録』の巻末ページを挙げておきます。
以下、当時の島津の営業の実態がうかがえる、興味深い資料として、大正15年(1926)発行の『化学器械及薬品目録』の巻末ページを挙げておきます。
当時、島津は欧米の上記各社と代理店契約を結んでいました。
ここに登場する望遠鏡関係は、独のエミール・ブッシュ社だけですが、さらに次のページを見ると、「弊社は下記製作者とは特約店の関係若しくは特に親密なる関係にあり従て其の製品は迅速に而も廉価に納入し得べし」とあって、そこにも多くのメーカーが挙がっています。
ここに登場する望遠鏡関係は、独のエミール・ブッシュ社だけですが、さらに次のページを見ると、「弊社は下記製作者とは特約店の関係若しくは特に親密なる関係にあり従て其の製品は迅速に而も廉価に納入し得べし」とあって、そこにも多くのメーカーが挙がっています。
(ドイツ各社)
(ドイツの続き、そしてイギリス、フランス、スイス、オーストリアの各社。フランスの項にはデロールの名も見えますね。)
(アメリカ各社)
これらのメーカーのうち、望遠鏡を扱っていたのは、独のカール・ツァイスを筆頭に、ごく一部のはずですから、それを抽出すれば次の手もあると思いますが、ちょっと面倒くさいので、今回の謎解きは一応ここまでにしておきます。(いずれまたヒョンなことで分かることもあるでしょう。)
コメント
_ S.U ― 2015年11月06日 08時12分54秒
_ S.U ― 2015年11月06日 08時31分29秒
(附記)ちょっと考え落としていましたが、インチ規格かミリ規格かという視点では、ネジのピッチにいちばん特徴があると思います。
_ 玉青 ― 2015年11月07日 10時46分52秒
一応「舶来品」の端くれですから、日本人の発想でないことは確かですね。
単純な話、口径が50mmか2インチか正確に測るだけでも、生産国は絞り込めそうですが、何せいったん箱詰めして、ふたたび雑物の奥に沈みこんだ今となっては、それもなかなか困難です。己の劣悪な収納環境を呪います。
単純な話、口径が50mmか2インチか正確に測るだけでも、生産国は絞り込めそうですが、何せいったん箱詰めして、ふたたび雑物の奥に沈みこんだ今となっては、それもなかなか困難です。己の劣悪な収納環境を呪います。
_ ガラクマ ― 2015年11月07日 15時17分13秒
私も、その望遠鏡が出ていたのは知っておりましたが、素性まで辿りつけそうにないので傍観いたしておりました。
収まるべきところに収まったということで喜んでおります。日の目を見ず貴重な文化的な財産が蔵から蔵へ、ということにならなくて良かったです。私も記憶にとどめておきます。目録も貴重ですね。
ありがとうございます。
ちなみに、明治35年前後に村上春太郎先生が村上式新式望遠鏡を島津製作所に製作させ、著書「天文学一夕話」にカタログ風の絵が載っていたのを思い出しました。その時代になると島津製望遠鏡が世にでていたことは分かります。
また、明治31年の大阪用達合資会社の目録にも舶来品とは別に国産望遠鏡の記載がありましたので、どこかで量産品(?)があったはずなので誌が、それ以上は分かりません。
その辺、分かったら楽しいですね。
収まるべきところに収まったということで喜んでおります。日の目を見ず貴重な文化的な財産が蔵から蔵へ、ということにならなくて良かったです。私も記憶にとどめておきます。目録も貴重ですね。
ありがとうございます。
ちなみに、明治35年前後に村上春太郎先生が村上式新式望遠鏡を島津製作所に製作させ、著書「天文学一夕話」にカタログ風の絵が載っていたのを思い出しました。その時代になると島津製望遠鏡が世にでていたことは分かります。
また、明治31年の大阪用達合資会社の目録にも舶来品とは別に国産望遠鏡の記載がありましたので、どこかで量産品(?)があったはずなので誌が、それ以上は分かりません。
その辺、分かったら楽しいですね。
_ S.U ― 2015年11月07日 23時22分40秒
>何せいったん箱詰めして~沈みこんだ今
今や英米独に里帰りしたくらいの心理的距離かもしれませんね(笑)
今や英米独に里帰りしたくらいの心理的距離かもしれませんね(笑)
_ 玉青 ― 2015年11月08日 09時42分46秒
〇ガラクマさま
ああやっぱり…と深く頷きました。
ご教示ありがとうございます。島津が望遠鏡を手がけていたことは、恥ずかしながらまったく知らずにおりました。それと、明治時代に国産望遠鏡の生産が行われていたことも。何事も聞いてみないと分からないものですね。
それにしても、江戸の望遠鏡製作技術が絶え、日本光学はまだ成立前だった、明治期の望遠鏡製作の実態は気になりますね。娯楽用の需要は一貫してあったでしょうから、あるいはそうした類のものでしょうか。はたまた時代的に軍用でしょうか。いずれにしても、地上用なら何とかなったかもしれませんが、天体用も既にあったとなると(現に村上式がそうですね)、これは完全に日本望遠鏡史におけるミッシングリンクのような気がします。新資料の発見が待たれます。
〇S.Uさま
まことに。さればこそ往時の舶来品の如く、いっそう有難味が増すわけです。(笑)
ああやっぱり…と深く頷きました。
ご教示ありがとうございます。島津が望遠鏡を手がけていたことは、恥ずかしながらまったく知らずにおりました。それと、明治時代に国産望遠鏡の生産が行われていたことも。何事も聞いてみないと分からないものですね。
それにしても、江戸の望遠鏡製作技術が絶え、日本光学はまだ成立前だった、明治期の望遠鏡製作の実態は気になりますね。娯楽用の需要は一貫してあったでしょうから、あるいはそうした類のものでしょうか。はたまた時代的に軍用でしょうか。いずれにしても、地上用なら何とかなったかもしれませんが、天体用も既にあったとなると(現に村上式がそうですね)、これは完全に日本望遠鏡史におけるミッシングリンクのような気がします。新資料の発見が待たれます。
〇S.Uさま
まことに。さればこそ往時の舶来品の如く、いっそう有難味が増すわけです。(笑)
_ ガラクマ ― 2018年03月30日 01時50分46秒
2月に島津製作所の学芸員の方と鹿児島大学に、村上先生の望遠鏡を探しに行きました。 残念ながら情報は得られませんでしたが島津製作所製のたくさんの顕微鏡類とMAX KOHL(独)製の子午儀等を拝見しました。
Ottway(仏)製の天体望遠鏡と合わせ、島津製?かもしれない反射望遠鏡も村上先生の記録にありましたし、島津製作所は戦前、エミール・ブッシュ、五藤光学、ZEISS以外の望遠鏡も取り扱っていたかもしれませんね。
興味がつきません。
Ottway(仏)製の天体望遠鏡と合わせ、島津製?かもしれない反射望遠鏡も村上先生の記録にありましたし、島津製作所は戦前、エミール・ブッシュ、五藤光学、ZEISS以外の望遠鏡も取り扱っていたかもしれませんね。
興味がつきません。
_ 玉青 ― 2018年03月30日 07時22分25秒
いやあ、これは!
3年ぶりのコメントに、以前の記憶がまざまざとよみがえりました。
ガラクマさんが精力的な調査を続けられていることに、改めて最大限の敬意を表したく思います。「現物」発見には至らなくとも、実地調査の成果も数々おありだったようですし、村上氏の事績を「窓」として、明治期の国内望遠鏡事情が今後もっと明らかになりますように!同じく興味が尽きません。
3年ぶりのコメントに、以前の記憶がまざまざとよみがえりました。
ガラクマさんが精力的な調査を続けられていることに、改めて最大限の敬意を表したく思います。「現物」発見には至らなくとも、実地調査の成果も数々おありだったようですし、村上氏の事績を「窓」として、明治期の国内望遠鏡事情が今後もっと明らかになりますように!同じく興味が尽きません。
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対物、接眼のレンズの口径、レンズを止めるセルのサイズやエッジ加工、刻印あたりに特徴はないでしょうか。