地学の誕生未満2015年11月07日 10時39分52秒

このところ割と記事の更新頻度が高いので、ちょっとクールダウンが必要です。
心が一寸ざわつくときは、バタバタせずにペースダウンするのが吉…と、これまでの経験は教えています。そんなわけで、ぼんやりと思いつくことを書きます。

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このブログはワープロソフトで下書きしてから貼り付けているんですが、その<Blog下書き>というファイルの隅には、記事以前の記事、いわば「記事の水子」があちこちに漂っていて、目にするたびに微かないたましさを感じます。

下の記事もその一つ。「その1」と銘打っていますが、「その2」以下はありません。たぶん今年の2月に書きかけて、放置したものです。

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「地学」の誕生(1)

先月(1月13日)、地学の短歌について記事を書いて以来、地学という教科の歴史が気になって、少し調べています。

検索すると、地学という言葉自体はなかなか古く、明治の初めにはすでにありました。
例えば慶應義塾が版元になって出た『地学事始』(松山棟庵記述、明治3年=1870)とか、明治6年(1873)に出た『訓蒙図解 地学の文』(色川御胤、産霊舎蔵版)など、書名からして、いかにも文明開化の時代を思わせます。
ただし、ここでいう「地学」はgeography、すなわち「地理学」の意です。

その後、ややあって「地学」はgeology(地質学)の意味で使われることが多くなります。
その最初期の例は、明治10年(1877)に出た『窮理地学初歩』(日刻著、片山平三郎版行)で、その後、『地学要略』(富士谷孝雄 著・版行、明治16年=1883)とか、陸軍士官学校が編んだ『地学教程講本』(明治15年=1882)とか、年を追ってその例は増えます。

端的に言って、明治の後半以降、昭和戦前まで、「地学」とは「(鉱物学を含む広義の)地質学」の謂いであった…と言えると思います。

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現在、高校で習う「地学」は、それとはいささか趣を異にします。
もちろん地質学は、今でも地学の主要分野には違いありませんが、高校で習う地学には、それと並んで天文学に関する事項が大きなウェイトを占めていますし、さらには気象学も入ってくるので、本気で学ぼうと思ったら、ものすごく大変な教科です。

この現在いうところの「地学」が誕生したのは戦後のことで、なぜこのような「壮大な」教科が生まれたのか、本当に本当のところはよく分かりませんが、少し分かったことを書き付けます。

(この項つづく)

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「この項つづく」とありますが、「その2」以下は、断片的なメモが書き付けてあるだけで、文章になっていないし、そのときの自分が何を書こうとしていたのか、今となっては思い出せません。「少し分かったこと」とは、いったい何だったのか?

この話題は今でも気になっているので、9か月前の自分が、もう少し頑張って文章にしていてくれたらなあ…とちょっぴり残念です。
こういうのを「死んだ子の年を数える」というのでしょう。