地学、社会化す2015年11月09日 22時51分56秒

まったく叙述が順序立っていませんが、思い出したことを書きます。
昨日もチラッと書いたように、地学誕生前後の息遣いや体温を感じたくて、しばらく前に当時の資料を少し探索しました。


地学が教えられるようになったのは、新制高校が発足した昭和23年度(1948年度)からで、左に写っているのが、その記念すべき最初の教科書です。昭和23年2月に発行されたもので、著作者は文部省、発行者は大日本図書です。

右側に写っているのは、その大日本図書が出した教師用解説書。翌年の昭和24年(1949)10月に出たものです。左側の「官版」の教科書が、いつまで使われたかは不明ですが、少なくとも昭和24年度には、すでに民間教科書の発行が始まっており、この解説書は、大日本図書発行の『高等学校の科学:地学Ⅰ、Ⅱ』用に編まれたものです。


文部省版教科書の奥付。
手元にあるのは、上述の通り昭和23年2月に出ていますが、よく見るとそれは「修正発行」であり、「第二次発行」だと書かれています。そして前年の昭和22年(1947)4月には、すでに最初の印刷が行われていたので、おそらく昭和22年度には、試行的に地学の授業が一部で始まっていたのではないかと想像されます。


こちらが文部省版の目次。
最初の地学の教科書は、わずかに88頁。その中にこれだけの内容が盛られています。でも本当にダイジェストという感じで、ぎゅう詰め感は余りありません。内容も、小・中学生でも理解できそうな平易な叙述です。

たとえば文中には、しばしば例題が出てくるのですが、もし、うるう年を設けなかったら、どんな不都合が生じるか」とか、とび〔鳶〕などが、羽ばたかないでも高い所に昇ることができるのは、どうしてであろうか」とかいうレベルで、これなら楽しく学べそうです。

ただ、これも過渡期の産物だったのでしょう(明治の初めの教科書にひどく似た印象を受けます)、翌年出た大日本図書の教科書解説を見るかぎり、球面天文学、大気の運動、結晶面の記述…etc、込み入った数式が早くもページを埋めており、まあ高校理科ですから、その方が自然ですが、苦手な生徒にとっては(そして予習する先生にとっても)大変だったでしょう。ただでさえ壮大な科目が、その細部まで十全な理解を求められれば、大変になるのは当たり前で、地学離れの芽は早くもここに胚胎していた…と思います。


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ときに、地学の黎明期を語る上で見逃せないのは、地学と民主教育運動の関わりです。地学という新しい科目が誕生し、それを結節点に、各地の研究者・教育者・学生が集まり、一つの運動体となっていた…というのは、今となってはなかなか見えにくいことですが、これは史実として押さえておきたい点です。

(『みんなで科学を―地団研30年のあゆみ―』、1978年)

その全国組織として、地学団体研究会(地団研)があり、その創設は昭和22年(1947)、まさに教科としての地学誕生と時を同じくしています。

地団研創立時の目的は、学問の自由(研究の自由・批判の自由・平等なる発言権)を確立する」ことであり、学会の民主化に努力する」ことでした。さらに「御用科学・学閥・官僚主義・分派行動・独裁を排撃する」という、強い言葉も見られます。もちろん、そのバックボーンとなった左派イデオロギーにしても、それ自体が新たな権威に堕した時点で、学問の自由を著しく脅かすものたりえるわけですが、少なくとも戦前の学界の空気を知る人にとって、当時、こうした主張が非常に清新に感じられたことは確かでしょう。帝大を頂点とする明治以来の学問のピラミッド体制は、それほど根深いものであり、「恨み骨髄」という人も多かったと思います。

かつて各地で行われた「日曜巡検」という地学観察会を、私は過去記事の中で羨みましたが、これも“学問をみんなのものに”という理念に裏打ちされた活動だったようです。

まあ、政治向きのことはさておき、私の個人的嗜好として、「青い山脈」や「コクリコ坂から」的な世界で営まれた、大らかな地学の世界には、憧れと懐かしさが入り混じったものを強く感じますし、やっぱりうらやましいです。