再び「My Dear Caterpillars」(1) ― 2015年11月27日 19時48分53秒
(昨日のつづき)
さて、本題の「My Dear Caterpillars」。
表紙には大きく「MY DEAR CATERPILLARS」と書かれていますが、これは副題を英訳したもので、正式な書名は『日本産スズメガ科幼虫図譜』といいます。
■松浦寛子(著)
『日本産スズメガ科幼虫図譜―わが友いもむし』
風知社、2004年(第2刷 / 初版第1刷は 2002年刊)
『日本産スズメガ科幼虫図譜―わが友いもむし』
風知社、2004年(第2刷 / 初版第1刷は 2002年刊)
この本とは、昔の昆虫図譜を探しているときに出会ったのですが、ご覧のように昔どころか、ごくごく最近の出版物です。それでも購入する気になったのは、少女時代から筋金入りのアマチュア昆虫家だったという著者の経歴と、この特殊な内容の本が、ネット上で多くの人から好評を博している事実に興味を覚えたからです。
★
巻末の著者紹介によれば、松浦寛子氏は、昭和8年(1933)、東京・青山の生れ。
本業は伝統織物である佐賀錦の作家さんだそうです。
その松浦氏と昆虫との関わりは、本書の「はじめに」で詳述されています。
「〔…〕丁度終戦の年1945年に小学校を卒業したが、すでにこの年、カリエスという骨の結核にとりつかれていて、その後十年余りにも亘る歳月を闘病生活に費やさねばならなかった。そんな私に生きる喜びを与えてくれたのは、ほかでもない、小さな虫の世界の生命の営みであった。卵、幼虫、蛹、成虫と完全変態する蛾の一生は、唯々目を見張るばかりの不思議の世界だった。翅の模様の微妙な美しさ、幼虫の興味尽きない生活のいろいろ、そして閉ざされた蛹の中から魔法のように飛翔する世界への変身。」
病躯を抱え、その観察のフィールドは、自宅の庭と近所の空地に限られながらも、松浦氏の目は、昆虫の世界に大きく見開かれました。そして十代の終わり、1952年からは、本書の元となるスズメガの観察とスケッチに打ち込まれることになります。
「体の具合の良い時には家の外まで出歩くこともできたが、悪くなると寝たきりになり、採った幼虫を枕元に置いて腹這いになって写生したものだった。」
幸い23歳の時に、手術が成功して健康を取り戻され、1963年からは信州の山荘を利用できるようになったことで、氏とスズメガとの関わりは、いっそう熱を帯びることになりました。そして、ご家族を介護されるため、途中ブランクをはさみながらも、氏のスズメガへの興味は静かに持続し、これまで描きためた大量の記録を一書にまとめたいという思いが徐々に萌したのでした。
「それでも、日本産全部の76種まではまだ遠い。もう一年、もう一年と待つうちに老いは容赦なく忍び寄る。私はもう決断せねばならない時を迎えたと思う。ここから先、また見つかった種は出来れば、補遺として出す事も出来るかも知れない。ともかくも、私は50種を越えた今、50年の記録を一つの区切りとしてここに纏めることとした。」
「蛾の幼虫」と聞いただけで、身構える人もいると思います。
しかし、この「現代の虫愛づる姫君」が、53種類ものスズメガの幼虫や卵を入手し、自ら育て、観察し、スケッチを繰り返した…その膨大な時間と努力と愛情を思うとき、この図譜の重みが実にただならぬものであることは、万人が認めるでしょう。そして「My Dear Caterpillars」の語が伊達ではないと思うはずです。
しかし、この「現代の虫愛づる姫君」が、53種類ものスズメガの幼虫や卵を入手し、自ら育て、観察し、スケッチを繰り返した…その膨大な時間と努力と愛情を思うとき、この図譜の重みが実にただならぬものであることは、万人が認めるでしょう。そして「My Dear Caterpillars」の語が伊達ではないと思うはずです。
(次回、図譜の中身を見にいきます。この項つづく)
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