再び「My Dear Caterpillars」(2)2015年11月28日 10時09分34秒

松浦寛子(著)『日本産スズメガ科幼虫図譜』は、A4サイズの大型の図譜です。
収録されているのは、日本産スズメガ類全76種のうち53種。

(クロテンケンモンスズメとホソバスズメ)

カラー図版は見開きで、原則として左右それぞれ1種類のスズメガを取り上げ、その各齢幼虫(幼虫は卵から孵化し、脱皮して大きくなるごとに1齢、2齢…と数えます)と蛹、成虫の姿がスケッチされています。

再度強調しておきますが、これらの図はすべて松浦氏自身が、実物を手元に置いてスケッチされたもので、写真や文献を見て写したものは1つもありません。それに各齢幼虫と簡単にいいますが、幼虫を育て無事に蛹化・羽化させるのは、なかなかの難事で、見慣れない幼虫を飼っても、成虫になる前に死んでしまったら、自分が果たして何の幼虫を育てていたのか分からない…なんてことも起こります。

上に挙げたクロテンケンモンスズメも、1966年、1971年、1991年の各スケッチをまとめることで、その生活史の全体が表現されています。


次頁はこれも見開きで、前頁に掲載した種の解説になっているのですが、この私家版の図譜では、生物学的客観描写よりも、観察当時の個人史的事項や、その種への思い入れに紙幅が割かれ、滋味豊かな昆虫エッセイとして読むこともできます。


たとえば、このいかにも芋虫然としたコエビガラスズメの幼虫。
これも著者にとっては、鮮烈な記憶を呼び覚ます蛾の一種です。

 「1965年8月12日、初めて軽井沢の小瀬林道を歩いた日である。〔…〕右に左に気を配り乍ら幼虫を探して歩く私の目の高さの枝から、いきなり鮮やかな紫色の斜線が飛び込んできた。あお向けに体を反らして止まっている見事なコエビガラスズメの幼虫だ。写真などですでに私の頭には印象深くきざみ込まれている幼虫だが、現実に目の前に見るその鮮やかな色彩は衝撃的であり、三十数年もたった今でもその時の感激は消えていない。緑色の体に7本の斜線、それが紫、濃紫、白と三段に重なり、橙色の気門と、漆黒の尾角をそなえたまさに芸術品である。」 (19頁)

   ★

そもそも、山野で暮らす昆虫の生活史は分かっていないことが多く、スズメガ類にしても、成虫の姿は昔から知られていても、その幼虫がどんな姿で、何を食草にしているかは謎…という種類が多かったそうです(おそらく今でも全容は分かっていないでしょう)。

小学校のときにモンシロチョウの飼育観察をされた方は、同じ青虫から蛹になったのに、蛹の色が緑だったり、茶色だったりしたのを記憶されていると思いますが、スズメガの場合、すでに幼虫時代から色彩変異が顕著で、同じ種類でも褐色型の幼虫もあれば、緑色型の幼虫もあり、さらに身体の斑紋にも個体差があり…という具合で、そこに対象同定の難しさがあると同時に、観察のしがいもあるわけです。

蛾の生活史の解明が進んだのは1960年代のことで、それには主にアマチュア昆虫家の活躍によるものでした。「1960年代の中頃は、ガの幼生期の観察が最も盛んな時で、週末毎に、同好者の間では新発見によるショッキングなニュースが飛び交い、幼虫戦争と呼ばれる程、活況を呈していた。」と、松浦氏は書かれています(30頁)。もちろん、氏もその「戦火」をくぐり抜けたおひとりです。

蛾の生態もさることながら、本書の随所に顔をのぞかせる、そうした蛾類ファンの生態や交友記録も、部外者にはとても興味深いです。

   ★

有体に言って、私は個人的に蛾が苦手で、その幼虫にも積極的な興味はありませんでした。しかし、本書を読んでその印象はずいぶん変わりました。それは実に豊かな世界であり、一個の小宇宙を形成している観があります。

   ★

いや、単なる比喩ではなしに、文字通り芋虫はその身体に宇宙を内包しており、我々の住むこの宇宙も、実は一匹の芋虫に他ならないのだ!…という奇想の作品が、楳図かずお『14歳』で、これは『死霊』以上に形而上的な印象を与えるものでした。


一匹の芋虫から学ぶことは、まだまだ多そうです。


コメント

_ S.U ― 2015年11月28日 15時20分03秒

スズメガの幼虫は、緑の芋虫なのですか。これまた知りませんでした。ガの幼虫はおおむね毛虫で、緑の芋虫はアゲハチョウあたりだと思っていました。
 スズメガは、太っていてぶんぶんと花にたかってチョウやハチのような陽気さが少しある印象です。でもどちらにしても鱗翅目は苦手ですから、大勢に影響ありません。

_ 玉青 ― 2015年11月30日 17時06分27秒

戦闘機のようなスズメガは、幽霊じみたオオミズアオとは違う、一種の豪快さを感じさせますが、あのぶっとい胴で真一文字に向ってこられると、やっぱり逃げ出したくなりますね。(笑)

_ S.U ― 2015年12月02日 08時34分07秒

>一種の豪快さ
 私の印象では、スズメガは嫌いなガの中でも別格です。
 嫌いなチョウの中にも別格がいて、陽性なのはタテハチョウです。こいつは越冬する陽性とガのように翅を広げてとまるという陰性を兼ね備えています。冬眠する時は翅をとじています。へんなやつですが憎めません。ジャノメチョウは別の意味で別格で陰性のチョウの代表格ですが、あまりガと共通したイメージはありません。ガよりも地味な印象です。

_ 玉青 ― 2015年12月03日 06時22分45秒

邪気にも陰陽の二気あり、ですね。

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