神戸、『博物蒐集家の応接間』へ(2)2015年12月15日 06時46分20秒

トアロードウェストの「ロクガツビル」に入っているランスハップブックさんが、今回の会場です。

 動物、植物、鉱物の三界にまたがる美しい博物画や、天文画の数々。
 昔々の書物の古びた頁の表情。
 壁には東方教会の聖像を護っていた真鍮飾りが並び、
 棚には謎を呼ぶ「隠秘学」的画像が堆積し、
 卓上には奇妙な硝子や銅の化学機器が配され、
 それらの隙間から、「生ける死者たち」―剥製、標本がじっとこちらを見ている…

そんな場所で、薄緑の光をたたえたアブサンを振る舞われ、名だたる蒐集家である各店舗のオーナー諸氏の話に耳を傾けたら、はたしてどんな気分になるか?

私はこのときかなり気分が高揚していたので、会場では一切写真を撮らずに来てしまいましたが、どうかその場面をご想像いただきたいものです。

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私は主催者ではないにしろ、主催者に近い側だったので、あんまり節操なく買いあさるのはよろしくないと自重し、今回は二品だけ購入しました。


一つは鉱物マッチラベルのセットです。


時代・メーカーともに不明ですが、オフセット印刷なので、時代はある程度下るものでしょう(1950~70年代ぐらい?)。以前メルキュール骨董店さんが取り扱われていた際は(今回は別店舗からの出品でした)、スイス製と伺いました。

「たかがマッチラベル」とはいえ、これら一連の作品は、そのデザイン力において傑出したものを感じます。世にある鉱物画はわりと「色彩美」に注目しがちですが、ここではもっぱら「形象美」に注目し、それをモノクロの点描と線画、そして抑え気味に加えた単色で表現しており、何とも硬派な印象を受けます。いかにも鉱物らしい鉱物画です。

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そして、このマッチラベルと共に買ったのが「海の青」を封じ込めた小壜です。

(この項つづく)

神戸、『博物蒐集家の応接間』へ(3)2015年12月16日 06時55分23秒

(昨日のつづき)


黒い木製スタンドに並んだ、青~緑~黄色のグラデーション。


スタンドには「BTB」のラベルが貼られています。

BTB(そのフルネームが「ブロモ・チモール・ブルー」だと、さっき知りました)は、中学や高校の理科の実験で使った記憶のある方も多いと思います。要はその色変化によって対象の酸性/アルカリ性を測る試薬です。

ラベルの記載によれば、ここにはpH5.8から7.4(弱酸性~中性)に対応した、BTB溶液の色見本が並んでいたようです。


しかし、手元の品は同じpH測定用でも、BTBではなくBCG溶液(ブロモ・クレゾール・グリーン)を用いたもので、スタンドだけ手近なBTB用のを転用したのでしょう。
BCGもBTBと同じく、黄~青の色変化を見せますが、その測定範囲は、BTBよりも酸性寄りで、ここにはpH4.0~5.6(弱酸性)に対応した色見本が並んでいます。

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さて、私がこの比色計に「海」を感じたのは、はっきりとした理由があります。
この美しいアンプルセットを見たとき、他ならぬ神戸海洋気象台が編纂した『海洋気象観測法』(大正10年)に載っていた、水色番号」の話をパッと思い出したからです。


それはpHとは関係なしに、硫酸銅の青色液と、中性クロム酸カリの黄色液をさまざまな割合で混和し、その青のグラデーションを海の青さを測る尺度として用いるという、何とも優美なイメージを喚起するものでした。

■海の青さを測るには…水色番号の話
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/03/10/4936682

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このBCG比色計は、海の青を測るには、いくぶん黄色に偏りすぎですが、私はこの壜を眺めながら、神戸港の寒そうな青白い水をまざまざと思い出したのでした。


(この項さらにつづく)

神戸、『博物蒐集家の応接間』へ(4)2015年12月17日 06時44分27秒

いっときの夢のように、神秘の応接間は消え、美しい記憶だけが、今は人々の心に残っています。そして、私の分身がその記憶のかけらとして存在する事実は、とても光栄なことに思います。

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2月の名古屋では、「銀河鉄道の夜」に出てくる時計屋の店先をイメージしてモノを並べました。今回は何といっても神戸ですから、足穂氏に敬意を表し、星を造る人」のイメージをモノで表現しようと思いました。

ただ、物質世界に囚われている身として、脳内イメージだけで事が運ぶわけもなく、必然的にモノの運搬作業がそこに伴います。そして、私は非常に面倒くさがりなので、今回は可能な限りコンパクトにまとめることとし、ごく少数のものをサラッと並べるにとどめました。足りないところは、見る人の想像力にお任せしようという策です。

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ディスプレイ自体は、antique SalonさんとLandschapboekさんの手で美しくしつらえていただきました。写真を撮り洩らしたのは、返す返すも残念ですが、その一部は、antique Salonさんのツイートに写り込んでいます。
https://twitter.com/antiquesalon/status/675871226716286976

で、今回はものぐさを決め込んだ埋め合わせとして、少し「遊び」の要素を混ぜておきました。といっても、その場に並べた「手相カード」の1枚にQRコードをしのばせておき、そこから隠しページに飛べるという、ごく他愛ない仕掛けです。(ご覧になった方は気づかれたでしょうか?)


上のQRコードがそれですが、改めて読み込むまでもなく、以下のリンク先をご覧いただければ… http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/starmaker/

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何となく浅知恵という気もしますけれど、これもやりようによっては、もっと面白い応用が利くかもしれません。




出でよ渾天儀(1)2015年12月18日 06時50分46秒


(南京紫金山天文台、2006年)

我ながら義理堅い―と思ったことがあります。
いや、義理堅いというよりも、執念深い。

何を言っているのかというと、5年近く前、コメント欄で私は一つの宿題をもらいました。それは、西洋のアーミラリー・スフィアとは一味ちがった、中国風の渾天儀(こんてんぎ)の土産物はないだろうか?それも架台にドラゴンが絡み付いた、迫力満点のやつは?…というものでした(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/05/13/5861129)。

私はそういうものを確かに見た気がするので、必ずやあるであろう…と、そのときは思い、かつそのようにお答えしました。でも、これが思ったより難物で、その実物を見ぬまま、空しく四年半の時が経過したのでした。

されど、「思う念力岩をも通す」と言います。
今年になって、ついにその実物に出会うことができました。
これを竜神の加護と言わずして、何と言いましょう。

…と、最初から大層勿体ぶっていますが、これは勿体ぶるだけの価値があるので、実物の登場は次回に。

   ★

ときに、今日もそうですし、前々回の「水色番号」の件もそうなんですが、この頃やたらと古い記事に言及していて、元々「郷愁」をキーワードにしたブログではあるものの、自らの過去記事に郷愁を感じるようでは、かなり末期的な感じです。

老人は思い出に生きると言います。
「天文古玩」も10周年を前に、すっかり老境に入った観があります。

でも、だからといって他にどうすることも出来ないので、力尽きてコトリと逝くまで、この先も後ろ向きの、もといノスタルジアに満ちた記事を書き続けることでしょう。
願わくば、そこにリリシズムが相伴いますように。

(勿体ぶった繰り言として、この項つづく)

出でよ渾天儀(2)2015年12月19日 12時37分17秒



全体のデザインからすると、南京の紫金山天文台に置かれている渾天儀のミニチュアのようです。素材はおそらくブロンズ(青銅)でしょう。


こちらが、南京にある本家本元のオリジナル。
これは、現存する中国最古の渾天儀であると同時に、なかなかドラマチックな過去を持っています。末尾の参考ページ 1)~3)の情報を総合すると、大略以下の如し。

この渾天儀が製作されたのは、明の正統年間(1436-1449)といいますから、約600年前のことです。

その後、王朝が清に替わった後も、長いこと北京の観象台に置かれていましたが、清朝末期になって、武装結社・義和団が蜂起した際(義和団事件、1900年)、乱を鎮定するという名目で、列強の8か国連合軍が北京に入城し、このときドイツ軍が、火事場ドロボウ的にこれをベルリンに持ち去ってしまいます。

ドイツが返還に応じたのは、ようやく1920年のことで、時すでに清も滅び、中華民国の時代です。そして1933年、中華民国の首都・南京の紫金山天文台に移設され、新中国成立後もそこにある…というわけです(北京の観象台に現在置かれているのはレプリカです)。


ミニチュアの方は、木製の台座が23cm四方、本体(球体部分)の直径が約12cmのかわいいサイズですが、こうして陰影を濃くすると、その存在感はなかなかのものです。
それに、あんまり大きな渾天儀が部屋にドーンとあると、迫力がありすぎて困るので、これはこれで良いのです。

   ★


こうして見ると目がチカチカして、何が何やらわけが分かりませんが、この渾天儀は、ざっと重の構造になっています(詳細は、参考ページ4)を参照)。


最外層は3個のリングから成る球殻です。

四方から竜が支える「地平環」(地平線を表わします)、それと直交して南北を貫く「天経環」(子午線に相当します)、さらに天の赤道にそって東西を貫く「天緯環」がそれです。これらは全て台座に固定されており、不動です。


その内側にあるのは、4個のリングから成る球殻です。

まず「赤道環」(上記の天緯管と平行して存在します)、それに斜交する「黄道環」、さらに赤道環に直交する2個の環の計4つです。(後2者の正式名称は不明ですが、黄道と赤道の交点、すなわち春分・秋分の2点を通る環を「分点環」、それと90度ずれて夏至・冬至の2点を通る環を「至点環」と、ここでは仮称します。)

【2015.12.26付記】

コメント欄でのご教示により、仮称「分点環」「至点環」は、「二分環」「二至環」がより適当と思いますので、そのように修正します。
なお、追加記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2015/12/26/)」もご参照ください。

これら4個のリングから成る球殻は、第1の球殻内部にあって、天の南北軸を中心に、くるくる回転します。(なお、ここにさらに白道環を加えた渾天儀もあるようですが、ここでは省略されています)。


さらにその内側には、3つの要素から成る一種の「円盤」が存在し、第2の球殻内部で、これも天の南北軸を中心に回転します。

円盤の円周部に当るのが、天の赤道と直交する「黒双環」(赤経線に相当します)、そして天の南北両極を結び、円盤の回転軸に相当する「直距」、さらに直距と中心を同じくし、黒双環に沿って自由に回転する「玉衡」です。

最後の「玉衡」は、このミニチュアでは1本の棒ですが、実物は中空の筒で、これで星を覗き見るようになっています。中国の渾天儀は、単なるデモンストレーション用ではなく、実用的な観測機器であり、目視観測のための玉衡と、その位置を読み取るための複数の座標環から出来ていた…というのが、その基本的な姿です。


このミニチュア、可動部はオリジナルとまったく同様の動きをしますし、環の目盛りも律儀に刻んであるので、単なる土産物にしては、なかなか精巧な作のように見受けられます。


そして実に竜々(たつたつ)しい。
この竜々しさのせいか、この品に入札した人は私以外にいませんでしたが、個人的には、今年最大の収穫と評価しています。

まあ、これが部屋の風趣に調和するかは一寸微妙ですが、そもそもこれが調和する部屋ってどんな部屋なのか、あまり想像がつきません。


<参考ページ>
1)天漢日乗

足穂氏、微苦笑す2015年12月20日 08時45分18秒

老いの繰り言はまだ続きます。

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(海の幸にめぐまれた明石を象徴する商店街、「魚の棚」。2015年)

私は4年前の夏に、神戸の西の町・明石を初めて訪問しました。

作家・稲垣足穂は、神戸の学校(関西学院)を卒業し、その後も神戸を舞台にした作品を多く書いていますが、彼は明石の両親宅から神戸まで通っていたので、そのホームタウンはあくまでも明石です。

このとき明石を訪ねたのは、彼の足跡をたどるためでした。

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今回、神戸を訪ねたついでに、私は4年前から心にかかっていたことを実行するため、明石を再訪しました。それが何かは、以下の記事に書かれています。


かいつまんで言うと、明石には、かつて少年時代の足穂が憧れの目を向けたハイカラな西洋雑貨店があり、驚くべきことに、そこは今も営業を続けているのです。
私は冥界の足穂に手向けるため、何かそこでモノを買わないといけないような気が、ずっとしていました。


今回、そこで目にしたのが、この土星のカフリンクス。
英国生まれのピューター製で、深みのある青のベルベットに、銀色の土星が鎮座している様は、いかにも足穂好みだと思えました。


糊のきいた真っ白な袖口に、鈍い銀の土星が顔をのぞかせているなんて、ちょっと素敵ではありませんか。

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…というのは、つまらない「嘘」です。
このカフスは、全然別のところで買いました。

かつてのハイカラ雑貨店も、今では地方の商店街に立つ小体(こてい)な洋品店以上のものではなく、そして地方の商店街は、現在おおむね苦境に立たされているのです。

宇宙的郷愁を感じさせる品を求めて、勢い込んで店に飛び込んだ私が、背中を丸めて店から出てきたとき、手にしていたのは、エコノミーで実用的な小銭入れでした。


まあ、「悄然」というほどでもないですが、なかなか現実と脳内イメージは一致しがたいものだ…と、いくぶん塩辛い気持ちになったのは確かです。(はたから見たら、きっと落語の「酢豆腐」に出てくる若旦那みたいな、滑稽な姿に見えたことでしょう。)

最高の思い出、最低の記憶2015年12月21日 06時22分55秒

年末ということで、普段手の届かないところを掃除していると、昔買った物があちこちから顔を出します。以前は、我ながら無分別な買い物が多く(←思慮分別も、対象をセレクトする意識も、共に希薄でした)、今となっては何故買ったのかよく分からない物も多いです。


この「最高最低温度計」も、そんな雑然とした物の一つですが、試みに写真に撮ってみたら、存外美しいものだと、今さらながら思いました(写真が下駄をはかせている部分もあるでしょう)。




形状、ガラスの透明感、刻字の陰影、そして古びた金属の質感。
「シャビー」という表現は、ひところ多用されすぎたきらいがありますが、やっぱりこういうのは「シャビー」という他なさそうです。


温度目盛りは、摂氏(C)と華氏(F)が併記されています。

この温度計は、かつて中部地方のさる測候所で実際に使われたものと聞きました。
およそ半世紀前、あるいはもっと昔、きっとこの温度計の示度が、天気予報の基礎データとなったこともあるでしょう。


細管の中を行き来する、青ガラスの温度指示子(左)。伝統的に「虫」と呼ばれます。
水銀柱に押された青ガラスは、水銀柱が引っ込んだ後もその場にとどまり、その日の最高・最低気温を教えてくれます。

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U字管式の最高最低温度計は、今も立派な現役で、素材こそ違いますが、ほとんど同じ姿をした商品がたくさん売られています(園芸とか食品製造とか、これを必要とする場は多いようです)。

「何でもデジタル」の世の中で、このアナログ感は捨てがたい。
やはりシンプルなものは強いですね。

光はかく振る舞う2015年12月22日 19時59分25秒

昨日の温度計の隣にあった謎めいた実験装置も、ついでに写真に撮ってみました。

(埃だらけでお見苦しいので、以下、画像は小さめ)

手前が対物側、奥が接眼部で、何やら覗きカラクリめいた装置です。


こうして角度を変えると、黒いボックスの中にガラス塊が配置されているのが見えます。


上から見たところ。右が対物側、左が接眼部です。
ご覧のとおり、ガラス塊は2個のプリズムで、対物側から入射した光がカクカク曲って接眼部に達し、向うの景色を覗けるというもの。要は、双眼鏡への応用でポピュラーな「ポロプリズム」の原理を説明するための、デモ用実験装置なのでした。


メーカーは東京麹町の大久保器械店。
文字が右書きですから、当然この装置は戦前のものでしょう。

この銘板とといい、真鍮製の支柱といい、「古風」の一語に尽きますが、単純な装置のわりに全体に何となく大仰な感じがあって、この大仰さこそ、昔の理科(と理科室)がまとっていたものだ…という気がします。
そして眺めているうちに、ふと理科室の埃くさい暗幕の匂いを思い出したりもします。

生徒たちは最初、明るい所で遠くの景色を覗いて歓声を上げ、次いで暗くした部屋で、実験用光源から射出された光線が屈曲する様を興味深く観察し、最後に先生の話を神妙に聞く…というふうに授業は進んだのでしょう。

この装置が口をきけたら、きっといろいろな思い出を語って聞かせてくれるのになあ…と、これはいつも古い物を前にしたとき思うことです。

理系古書、健在なり2015年12月23日 12時57分43秒

2015年を回顧するニュースがあちこちから聞こえてきます。

古書検索サイトのAbeBooks からは「取り扱い高額番付・2015」みたいな知らせが届き、「うーむ」と感慨深く眺めました。紙の本は売れない…と言いながら、やっぱり買う人は大勢いて、古書マニアも健在のようです。


このリストを見て少なからず驚いたのは、上位に名を連ねているのが、文学書の類よりも、むしろ理系・博物系古書だという事実です。この分野の人気が根強いことを知り、何となく心強く思ったので、どんな本が挙がっているのか眺めてみます(まあ景気のいい話だし、AbeBooksも怒るまい…と都合よく考えて、以下画像は寸借)。
 
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まず堂々第1位にランクインしたのが、イタリアで18世紀に出版された鳥類学書。

▲第1位
Saverio Manetti(著)
『Storia naturale degli uccelli trattata con metodo e adornata di figure intagliate in rame e miniate al naturale. Ornithologia methodice digesta atque iconibus aeneis ad vivum illuminatis』


お値段は19万1千ドル、日本円でざっと2,312万円で、これはAbeBooksがこれまで扱った最高値を更新するものでした。(以下、青字はリンク先ページから引用した、AbeBooksによる説明文。)

 「本書のタイトルは、『体系的な叙述を加え、縮小及び原寸大の銅版挿絵による装飾を施した鳥類の博物学』と翻訳することができる。1765年、フィレンツェで出版され、600枚もの美しい鳥類の手彩色銅版画を含んでいる。刊行はトスカーナ大公妃マリア・ルイーザの命によるもので、完成までに10年を費やした。本書の希少性(完品は過去40年間のオークションで、わずかに10部が出品されたのみ)とともに、その素晴らしい保存状態が、本書の価値をいっそう高めている。」

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そして、第2位も理数系の本です。

▲第2位
Nikolai Ivanovich Lobachevskii (著)
『Pangeometria』

 
書名は『汎幾何学』の意。1856年にロシアで出た、非ユークリッド幾何学の創始者、ニコライ・ロバチェフスキーによる著作です。価格は第1位に大きく水を開けられたものの、それでも34,245ドル、日本円で414万円。

幾何学の発展において重要な書」であると同時に、晩年視力を失ったロバチェフスキーが、口述筆記により執念で完成させ、直後に没したというドラマチックな背景も、高値に結びついた要因かもしれません。

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このあと、第3位に『チャーリーとチョコレート工場』の初版本が入り(2万5千ドル)、つづく第4位と第5位は、いずれも植物を扱った19世紀の博物学書です。

▲第4位
John Lindley(著)
『Sertum Orchidaceum: A Wreath of the Most Beautiful Orchidaceous Flowers』

 
『セルトゥム・オルキダケウム』というラテン語タイトルは、「蘭の花輪」の意。換言して「最美のラン科植物の花々による花輪」という副題がついています。価格は24,643ドル、日本円で298万円。

 「蘭に関するあらゆる本の中でも、最も稀で最も魅力的な本の初版。49枚の手彩色石版画を含む。リンドレー(1799-1865)は植物学者・園芸家にして、ラン学のパイオニア。」

▲第5位
Jaume Saint-Hilaire(著)
『Plantes de la France』

『フランスの植物』と題された大部な本です。価格は22,549ドル、日本円で273万円。
 「偉大な植物学書のひとつ。10巻本で出た初版。元は1819年から1822年にかけて、予約購読者を対象に(著者サン=イレールが自費を投じ)94回分割払いの分冊形式で頒布したもの。千点の銅版刷りの多色図版を含む。」

   ★

次いで第6位は、ちょっと毛色の変わった数学書。

▲第6位
Robert Record(著)
『The Grounde of Artes』

著者のロバート・レコード(1512頃-1558)は、イギリスの物理学者・数学者で、等号記号(=)の発明者にして、加算記号(+)を英語圏に初めて紹介した人として知られるそうです。

本書、『諸技法の基礎』は、商売向きの算術解説書。
価格は22,083ドル、日本円で267万円。

 「初版は1543年に出ており、本書は1579年の印刷。現代の教科書と同様、本書も繰り返し編集の手が加わっており、1699年までに少なくとも45種類の新版が出ている。この1579年版には、〔有名な錬金術師・占星術師である〕ジョン・ディーの手になる編集が含まれる。」

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このあと、第7位はジョージ・エリオットの『牧師館物語』初版、第8位はトールキンの『指輪物語』全3部作初版(うち1冊は著者サイン入り)、第9位は英国王室付き出版業者であるバスケット家が手掛けた18世紀の『聖書』が入り、いずれも1万9千~2万ドルの値を付けています。

そして第10位には、現代の宇宙物のノンフィクションがランクイン。

▲第10位 
Martin Caidin(著)
『The Astronauts: The Story of Project Mercury, America's Man-in-Space Program』

この『宇宙飛行士たち―アメリカ有人宇宙飛行計画、マーキュリー・プロジェクト物語』(1960)が、初版本とはいえ、堂々18,500ドル(224万円)の値を付けたのは理由があって、アラン・シェパードやジョン・グレンなど、マーキュリー計画に関わった7人の宇宙飛行士全員のサインが入っているからです。


以下、ベスト10からは漏れましたが、11位と12位にアイザック・ニュートンの著作が並んで入っているのも目を惹きます。

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デジタル・ライブラリーで何でも読める世の中ですが、美しい挿絵を愛でる博物学書の人気が、今も高い理由はよく分かります。液晶画面で見るのは、やっぱり味気ないですから。

でも、そうした要素とは縁遠いはずの、物理学書や数学書の類も、依然として古典籍としての需要があるという事実は、モノの持つ力を雄弁に物語っているようです。
少なくとも、一部の人にとって、具体的なモノが放つ魅力は、「情報」や「バーチャル体験」に還元できない性質のものであり、たとえて言うなら、中世の人々にとって、聖杯や聖槍が持っていた意義に相当するものかもしれません。


星降る夜に耳をすませば2015年12月24日 19時33分51秒

今宵はクリスマスイブ。

「キリスト教徒でない者にとって、クリスマスは別にめでたくもないが、クリスマスを祝うことができるのは、つくづくめでたい…」と、ゆうべ湯船につかって、師走の雨の音を聞きながら思いました。こんなキナ臭い世の中ですから、なおさらその思いが深いです。

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静かな夜の訪れとともに、
子どもたちの願いをかなえる鈴の音が、今日は世界中を巡るそうです。
どうか地に平和を、そして幼き者に笑顔を―


(A. ギユマンの『Le Ciel』 -1877-より、12月20日深夜のパリの星空)