2016年、迎春2016年01月01日 09時17分13秒

新年あけましておめでとうございます。


ここ数年の例として、干支にちなんだ星座を載せようと思いましたが、廃絶した星座も含め、西洋星座に猿をモチーフにしたものはないようです。でも、考えてみたら、ヒトだって立派な霊長類、サル目の一種じゃないか…と気が付きました。


とすれば、サル目の星座はいっぱいあります。
以前、午年のときにペガスス座を載せましたが、あんな具合に「サル目をモデルにした想像上の生物」まで含めたら、サルの仲間は天に満ち満ちています。


…と、今年もへその曲がったことを書き付けていく予定です。
どうぞよろしくお付き合いください。

(なお、1枚目の画像の右側に写っているのは、現生人類の第三大臼歯。一部の民族に見られる歯列矯正の習慣に基づき抜去されたもの。)

船乗りと旅人は星図を携えて2016年01月02日 08時59分23秒

年末に書いたように、天文航法で海を越える船乗りには、星の知識が欠かせません。
雲の上を飛ぶ飛行機乗りや、森や平原を進む旅人もそうです。
そんな人向けに出された星図。


■Julius Bortfeldt(編著)
 Stern-Karten für Seeleute und Reisende sowie alle Freunde des  
 Sternenhimmels.
 『船乗りと旅人のための星図 ― そしてすべての星を愛する人のために』
 L. v. Vangerow (Bremenhaven)、1899



表紙はほぼ新書版のコンパクトなサイズですが、中身は折り畳み式になっていて、広げると47×72cmほどの大きさになります。

星図自体は、天の赤道を中心に赤緯±50°の範囲を描いた長方形の星図と、南北両極を中心とした2つの円形星図から成る尋常のものですが、船乗りと旅人向けを謳うだけあって、


あちこちに船のイラストがちりばめられ、


北極のシロクマや、熱帯のジャングルまでもが描かれています。


左右の表は、主要な恒星の赤経・赤緯一覧。


編著者の序文は、1800年代最後の年の年頭に書かれています。

 1899年1月5日、ブレーメンハーフェン。
 ラーン号の船上にて。
 二等航海士 ボルトフェルト

ブレーメンハーフェンはブレーメン州の港湾市です。著者のボルトフェルトは、ここからニューヨークまで就航していた「ラーン号」に乗り組む生粋の船乗りで、専門の天文学者ではありません。

(月の大西洋をゆくラーン号。1899年の消印が押された絵葉書。
http://static0.akpool.de/images/cards/72/720397.jpg

   ★

船尽くしの記事を、まずは新春の宝船代わりに。
それにしても、この真っ青な星図からは、本当に潮風が匂い立つようで、見ているうちに爽やかな気分になります。

星の林2016年01月03日 08時55分52秒

お正月らしく和の情緒を出します。

(和紙木版刷りの糸綴じ)

上はその中身が分からないまま、題名に惹かれて購入した本。
新春の運試しといったところです(この本は昨日届きました。今年の初荷です)。

タイトルは『狂歌 星のはやし
「星の林」といえば、万葉集所載の柿本人麻呂の歌「天の海に雲の波立ち月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」が有名ですが、この本はいったいどんな中身なのか?

   ★

早速ページをめくると、この本は幕末~明治を生きた狂歌師「星廼屋輝雄(ほしのやてるお)」を会主として、明治29年(1896)初春に開かれた歌会の作品を編んだ、狂歌集のようです。

星廼屋輝雄―。 うーむ、実に素敵な名前です。
冒頭近くに書かれた伝を読むと、その本名は山田英胤、通称は庄蔵、文政4年(1821)の生れ。日本橋浪花町に住み、商いを業とし、若い頃から初代・星廼屋輝世の門人となり、初号は「芦廼屋一本(あしのやひともと)」。明治27年(1894)に、師の星廼屋を襲名し、二世・星廼屋輝雄となった…とあります。

(星廼屋輝雄肖像。「ながいきの恥多けれど甲斐ありて 孫彦星を見るぞ嬉しき」)


序に曰く、ひとつ星見つけて齢の長しとあふがるる星の屋の翁は、こぞの秋初(め)つかた、夕づつの影ほの暗く暁の星の光漸くうすれゆきしをかこたれしが、そのうき雲はいつしかに星の名におふ箒にや打払はれけむ、木がらしさそふ冬のあしたには…」

星尽くしのなかなかの美文。その趣旨は、明治28年(1895)秋口から病臥していた星廼屋翁が、幸い冬の訪れとともに本復し、その快気祝いを兼ねて狂歌の会を催すことになった…というものです。


当日の詠題は、「床上げ祝」「春の食物」「有名芸人」。
「床上げ祝」を詠むときは、特に上下二句の頭に「ほ」と「し」の字を置くべし…という趣向でした。


(五首目) 張って幾萬歳を祝はばや つづみうつ床上げの餅」


(一首目) 莱の千歳の鶴を友にせむ 百四病と仲違ひして」
 
  ★

ドイツの船員が大西洋上で満天の星をふり仰いでいた頃、日本の片隅では、こんな江戸時代そのままの「星を詠う集い」が開かれていたんですね。

しかし、この太平ムードはなかなか捨てがたいです。
120年経った日本においても、お屠蘇気分によく適います。

自然との再会を求めて2016年01月04日 20時09分03秒

「天文古玩」も、内容がマンネリなのはしょうがないとして、書き手である私自身の気分にマンネリの気味があるのはどうにも良くないです。

   ★

何か清新な気分が欲しいと思って、こんな本を手にしました。


■結城伸子(著)
 『海と森の標本函―「自然の落としもの」を拾いあつめて愛でるたのしみ』
 グラフィック社、2014

オールカラーの美しい本です。
フジイキョウコさんの『鉱物アソビ』(2008)に端を発する、“暮らしの中で楽しむ博物趣味”の流れに位置づけられる1冊と思いますが、ここでは海と森で見つかる自然の造形美がテーマとなっています。

ウニ、海藻、ドングリ、コケ、キノコ、種子…
海や森で出会う、愛すべき自然物はたくさんあって、思わず拾い上げたり、何となく家に持ち帰ったりする方も多いでしょう。

でも、それを美しいまま手元にとどめて置くのは、なかなか難しいものです。
本書はそのための方法はもちろん、それらがさらにインテリアの一部として溶け込んでいる実例を、著者自身の手になる写真で、鮮やかに示してくれています。

   ★

そうした標本やインテリアの写真はもちろん美しく、大いに目を喜ばせてくれます。
でも、私がいっそう心を打たれたのは、著者・結城さんの心の中にある風景です。


結城さんは北海道のご出身で、本州の鬱蒼とした樹林とは異なる、北の森に寄せる思いを、「森という場所」という一文に、次のように記しています。

 「わたしの実家の近くには緑豊かな森林公園がありました。公園のなかにはよく通っていた図書館があり、いつも自転車で川を渡って森の小径をくぐり抜けていくというのがお決まりのルートでした。〔…〕
 故郷を離れてから数年後、ひさしぶりにあの森を歩いてみたら、「ああ、これだ…」と一気になつかしい気持ちがあふれました。きらきら輝く澄みきった川、すがすがしい気が漂う森。野の花も瑞々しいコケもそこらじゅうに広がっていて〔…〕」

ああ、なんと豊かな経験でしょう。思わずため息が出ます。
こんな場所が日本にあるとは、にわかに信じがたい思いですが、でも北海道にはきっと今でもあるのでしょう。

 「エゾリスもヒグマも生息する豊かな原生林が広がる森に市民の憩いの場があるという、いまから思えば稀有な場所ではあるのですが、やはり子どもの頃に慣れ親しんだお気に入りの場所というものは、自分の心地よさの基準であり、ずっと変わらないものなんだなあとしみじみ思ったのです。」

結城さんはこんなふうに一文を結んでおられますが、そうしたお気に入りの場所を持てた子どもこそ、実に幸いというべきです。そして、こうした「記憶の中の森」があるからこそ、本書は単に見てくれだけのものに終わってないのだと感じます。

   ★

記憶の中の光景といえば、そもそも私が理科室に惹かれ、自分の部屋の中に生み出したかったのは、こんな風情ではなかったか?


自然のかけらを集め、そこから自然への思い出が呼び覚まされるような空間。

たぶん、今の私は、自分の目で星を見上げることも含めて、自然から遠ざかりすぎています。収集の内容も人工物に偏っているし、それ以上に、そこにあるのは「他者の自然に対する思い出」ばかりで、私自身の思い出がありません。当面しているビマン的閉塞感の原因は、おそらくそれでしょう。

今の私は、もっと生の自然と交感することが必要です。

天の星、地の星2016年01月06日 06時58分36秒

自然との再会…と言ったそばから何ですが、人間臭いものに引き寄せられる性情は容易に改まらないもので、天上で光を放つ星と同時に、こんな↓星を見れば、やっぱり興味をそそられますし、しばし見入ってしまいます。


1910年頃のフランスの絵葉書。
最初見たときは、何だかさっぱり分かりませんでしたが、絵葉書の左肩には、
 
 CARNAVAL D’AIX (エクスの謝肉祭)
 L'astronomie sur l'étoile filante (流れ星の天文学)

という文字が見えます。

「エクスの謝肉祭」とは、南仏プロヴァンスの町、エクサンプロヴァンス(Aix-en-Provence)で春先に行われるお祭りで、今も賑やかに山車や人形が練り歩くのだそうです。この奇抜な山車も、ほぼ百年前、その出し物の1つとして作られたのでしょう。


めかしこんだ馬が引っぱる星のハリボテをよく見ると、真ん中には流星の女神様がいて、それをトンガリ帽子の天文家たちが、四方から望遠鏡で眺めている…という場面構成。山車の裾を覆う幕も、飛行機に三日月と、空と縁のある柄になっているのが微笑ましいです。

   ★

なんぼ私でも、このハリボテと、遥けき天体が等価だというつもりはないんですが、面白さという点では、なかなか劣らぬものがあります。(ここでさらに、「1枚の絵葉書にも、大空の如き興趣あり」…とか言い出すと、話がちっとも前に進みませんが、まあそれはそれ、これはこれでしょう。)

二たび三たび、ヴンダーカンマーについて考える2016年01月08日 07時08分51秒

昨日ご紹介したバーバラさんの文章を読んで、私はアメリカのヴンダー趣味の徒の行動原理というか、頭の中がようやく分かった気がします。

これまで、そうした人のキャビネットを眺めながら、「たしかにこれは私の棚とよく似ている。でも、同じようでいて、何かが違う。この人たちが愛でているのは、いったい何なのだろう?」…というのが、ずっとモヤモヤしていました。

バーバラさんは、ずばり書いています。

「今日見られる個人コレクションの多くは、整然とした科学的研究を目指すのではなく、個人の美意識と興味関心を表現し、好奇心と驚異の念をそそる品を展示するため」にあるのだと。

そしてまた、博物学(昆虫コレクション、鳥の剥製、動物の骨格標本など)」は、医学用品、葬儀にまつわる品、あるいは宗教にまつわる工芸品など」と完全に並列する存在であると同時に、単にカッコいいと思えるだけの品…という場合もある」と。

  ★

結局、ヴンダー趣味の徒の行動原理は、ナチュラリストのそれとは全く異なるものであり、往々にして「理科室趣味」と対立するものです。

もちろん単なる理科室趣味が、「整然とした科学的研究」の実践であるとは言い難いですが、少なくとも、そこには科学的研究への‘憧れ’があり、科学的研究の‘相貌’―しばしば古き時代のそれ―をまとうことに、腐心しています。要は「科学のミミック」です。

それに対して、現代のヴンダーカンマーは、(いささか特異な)美意識の発露であり、すぐれてアーティスティックな営みです。

これまでも、何となくそうではないかと想像していたものの、バーバラさんのように、それを正面から書いてくれる人はいませんでした。

   ★

ヴンダー趣味と理科室趣味の棚は、やっぱり似て非なるものです。

おそらく両者の差は、自らのコレクションを語る時の、語彙の選択の違いに現れる気がします。理科室趣味の徒は、棚に置かれた標本の学問的分類にいっそう敏感で、対象を動/植/鉱物学的語彙を以て叙述することに、いっそう喜びを感じるはずです。

例えて言うならば、一個のしゃれこうべを前にして、理科室趣味の徒は、医学解剖学と自然人類学について語り、ヴンダー趣味の徒は、美術解剖学と文化人類学について語る…そんなイメージです。

(ファーブルの仕事部屋。理科室趣味の徒が魅かれるのは、たぶんこんな風情。出典:ジェラルド・ダレル、リー・ダレル(著)、『ナチュラリスト志願』、TBSブリタニカ)

   ★

もちろん、一人の女性の意見を以て、全体を推し量るのは危険で、アメリカ一国に限っても、ヴンダー趣味の徒には、さまざまな言い分があることでしょう。
でも、バーバラさんは以前、シカゴ歴史博物館で、布織関係の収蔵品の目録作りをされたこともあるそうなので、ヴンダー趣味と、現代の博物館の違いに相当程度自覚的であり、その意見には聞くべきものが多いように思います。

   ★

…と、何だか「理科室趣味代表」のような顔をして、エラそうに書いていますが、私の部屋にしたって、ピンバッジや、絵葉書、果ては煙草の空き箱など、現実の理科室には在り得ないモノであふれており、すでに(‘憧れ’はともかく)科学的研究の‘相貌’からは、ずいぶん遠い所に来てしまっています。

それに結局のところ―。
露悪的でさえなければ、私はヴンダーカンマーが好きだし、やっぱり興味深く思います。そして、いつか昔々の元祖ヴンダーカンマーに身を置き、この目で見たいという欲求は変らずあります。

(この話題、上手く語り切れない不全感がいつも残るので、また折に触れて取り上げます。)

電子の鍋2016年01月09日 08時30分01秒

鍋物が恋しい季節ですね。


ガラスの球体中に据えた、かわいらしい銀の鍋。
この鍋は一見空っぽですが、ひとたび火が入れば、中で盛んに具材が煮えてきます。その具材とは、「電子」。


この大きな真空管(全長27cm)は、当初、X線管と聞きましたが、よく調べたらX線管そのものではなくて、X線装置用の大型整流管のようです。1970年頃のもの?


まったく同じ物は見つかりませんでしたが、フィリップス社の類似管は、以下のページに載っていました。

■The Cathode Ray Tube site:X-ray tubes
 http://www.crtsite.com/page5-2.html

上のページを下の方までスクロールすると、「Philips Kenotron type 28136」という整流管が紹介されており、「ケノトロンは、X線管に必要な高電圧を得るための整流管(rectifier tubes (valves))で、ドイツでは ventilröhre の名称で知られる」という説明が添えられています。

整流管とは、電流を一定方向にしか流さない作用を持つデバイスで、要はゲルマラジオでおなじみのダイオードの親玉みたいなものです。それによって交流を直流化し、高電圧の直流電源を得ることを可能にする仕組みです。


真空中で煮える「科学の鍋」。
この鍋にふたたび火が入ることはないでしょうが、ガラス越しに、そこで生じるはずの電子の熱い振る舞いを想像すれば、ちょっとした燗のお供にはなるでしょう。

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前回の記事では、<自然物人工物>を対比し、そこに<科学アート>のコントラストを重ねました。でも実際には、「科学の人工物」もあれば、「自然のアート」もたくさんあるし、さらに「科学をアートする」試みや、「アートを科学する」試みもあるわけで、「理科室趣味とヴンダー趣味の境界は、そんなに明瞭なものではないぞ…」と、記事を書いた後で、ちらっと思いました。

たぶん、上の真空管も、多様な受け止め方をされる品だろうと思います。


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▼閑語 (ブログ内ブログ)

どうも為政者に物申す人は、次々とTV番組から排除されているみたいですね。

物申されるのが嫌なら、為政者は物申されないよう行いを改めるか、物申されたことに対してきちんと答えるべきで、薄ら笑いを浮かべて、相手をはぐらかしたり、何やら後ろ暗い力を使って相手を排除したりするなんて、断じてあってはならないことです。

その断じてあってはならないことが横行しているのを目の当たりにして、さながら現代のヴンダーカンマーに身を置いている気分ですが、ただし、このヴンダーカンマーは、驚異には満ちているものの、目を喜ばせる要素は皆無です。

注意してくれる人がいるうちが華だよ…と、昔、年長の人から教わり、自分がその齢になって本当にそうだなあと思うんですが、今の為政者には、無用の忠言のようです。

怪光線現る…理科室のX線2016年01月10日 16時57分52秒

昔(戦前)の理科室にはあって、今の理科室には決してないもの。
それはX線発生装置です。

【2016.1.12付記】  その後、X線装置は、今も現役の理科教具であることを知りました。したがって、上の記述は訂正が必要です。1月11日の記事のコメント欄を参照してください。

下は昭和12年(1937)に出た、島津製作所の理科教材カタログの1ページ。
中央上に載っているのが、「L形をなせる木製台に感応コイル、蓄電器、転極器、エッキス線管、管挟台、蛍光板及同保持器を装置したる」ところの「教育用エッキス線装置」で、金100円也。


そのほかX線管の単品が、直径80ミリから150ミリまで、大きさに応じて20円~40円、ドイツ製の高級品は、同じく直径100ミリ~150ミリの品が、45円~60円…と出ています。小学校の先生の初任給が50円の時代の話です。

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島津製作所では、それ以前、大正5年(1916)に、理化学器械使用法(増補改訂第5版)』という冊子体のものを出しています。これは小学校(尋常小学校、高等小学校)の理科実験指南書であると同時に、自社製品の販促も狙ったものですが、これを見ると、「教育用エッキス線装置」が、(なんと!)「尋常小学校之部」に登場します。

(X線装置の配線説明図。島津製作所、『理化学器械使用法』より)

暗室内でX線管からX線が放たれると、そばに置かれたシアン化白金バリウム板が蛍光を発して輝き、その間に人の手や、いろいろな物を入れた小箱を置けば、X線の透過度に応じてバリウム板に物の影が鮮やかに浮かび上がり、子どもたちは大喜び…という実験だったようです。

この冊子でX線装置と並んで紹介されているのは、電鈴や電話機、発電機などで、そこには「電気を応用した科学の発明品」という以上の共通点はありません。

当時は、X線の理論など全部すっ飛ばして(そもそも理論が未完成でした)、単なる生徒を喜ばせる「おもしろ実験」や「理科手品」の一種として行われていた気配が濃厚です。

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昨日の記事で引用したThe Cathode Ray Tube siteのページにも、「家庭での娯楽用X線管」という題目で、

「こうした比較的小さなX線管は、学校用または家庭での娯楽目的のために使われたもので、小型の誘導コイルやウィムズハースト静電発生装置といっしょに、物理実験セットの一部として販売されていた。当時のカタログから採った下の図は、こうしたX線管が、どのように使われたかを示している」

…という記述があり、手の骨を覗き見たり、写真に撮っている男の絵が載っています。

X線の人体への影響は、1920~30年代にかけて徐々に認識されてきたようですが、それ以前は、理科教育に熱心な先生がいた学校ほど、子供たちが理科室でバンバン放射線を浴びていた可能性があります。実に危なっかしい話です。

   ★

とはいえ、X線管は理科室の歴史において無視できない役者なので、私も1つ手に入れました。


これまでは部屋の隅に漫然と置かれていただけですが、この機会にしげしげと眺めてみることにします。

(この項つづく)

X線管、細見2016年01月11日 09時29分19秒

(昨日のつづき)

昨日のX線管にぐっと寄ってみます。


さらに角度を変えて、上から覗き込むと、こんな感じです。


理解の便のため、昨日紹介した島津の『理化学器械使用法』に載っていた模式図を引用しておきます。


手元のX線管とは、若干「角」の長さが違いますが、基本は一緒です。

まず、長い角の先の電極「A」を電源のマイナス側につなぎ、次いで反対の短い角「C」をプラス側につなぎます。すると、マイナス(陰極)からプラス(陽極)に向けて電子の流れが生じ、それが途中45度の角度に配置された金属板にぶつかって、エネルギーの一部がX線の形で外に飛び出してくる…という仕組みです。

では、中間にあって斜めに突き出している「B」の名称は何ぞやというと、本文中の説明には、

「エッキス線を得るには、第一図の如きクルックス管を用ふ。Aは陰極にして、Bは陽極なり。陰極の表面より射出する陰極線は、其焦点に設けたる対陰極Cに衝突してエッキス線を生じ、硝子壁を通じて発散す。」 (引用にあたり句読点を補いました)

…とあって、Bは「陽極」だというのですが、電子線の焦点にあるという以上、(Cではなく)Bこそ「対陰極(anticathode)」と呼ばれるもので、たぶん図中のアルファベットの付け方が間違っているのでしょう(どちらも電源のプラスにつながれているので、手っ取り早く言えば、両方とも「陽極」には違いないでしょうが)。

   ★

念のため、別の資料も見ておきます。
以下は、永平幸雄・川合葉子(編著)『近代日本と物理実験機器』(京都大学出版会、2001)からの引用です(改行は引用者)。

「X線の発明後、直ちにその医学的応用の重要性が認められ、より強力で安定的なX線を発生する努力が続けられた。

まず電子線(陰極線)に対して表面が約45度傾く金属から強いX線が発生することが分かり、X線管の陽極と陰極の間に表面が白金(後にタングステン)の対陰極が挿入された。対陰極は陽極と繋がれたが、後に両者は一体となって陽極が対陰極の形をとることになった。

また鮮明なX線像を得るには対陰極に照射する電子線を集中させてX線源を小さくする必要がある。そのために陰極表面は放物面とした。このX線管は希薄残留気体の放電によるのでガス入り管(冷陰極管)と呼ばれる。」 (p.280)

この説明に従えば、やっぱり途中から斜めに突き出しているBは「対陰極」で、陰極の正反対の位置にあるCが「陽極」のようです(両者は後に一体化したので、逆にいうと、対陰極があるのは、X線管としては古いタイプと分かります)。
また、陰極の形状が凹面になっている理由も、これで明快に分かりました。

   ★

とはいえ、英語版 Wikipedia の「X線管」の項を見たら、斜めに突き出しているのは「対陰極」ではなく、やっぱり「陽極」で、電極の配列は「陰極-陽極-対陰極」の順になっているのが一般的だ…という趣旨の記述があって、もういっぺん話がひっくり返ります。

何だか曖昧模糊としていますが、たぶんX線管の製品化にあたっては、最初いろいろな試行錯誤があり、人によって電極の呼び方に差があったせいではないでしょうか。

   ★

なお、上記Wikipediaの記事には、次のような図が載っています。

(ウィキメディアコモンズより)

キャプションには、1900年代初頭のクルックスX線管。右側は陰極、中央は陽極(左側の放熱板に接続されている)。図の10時の方向にある電極は対陰極である。上部にある装置はガスの圧力を調整する「調節器(softener)」である…とあります。

「陽極」と「対陰極」の異同については改めて繰り返しませんが、ここに出てくる「調節器」とは何かをメモしておきます。この名は、昨日登場した島津製作所の古いカタログにも出ていました。


この部位は、手元のX線管(書き洩らしましたが、これはイギリスの人から買いました。メーカー名は不明です)にはないのですが、これがどういう仕組みで、どんな働きをしていたかについて、前記『近代日本と物理実験機器』には、こんな説明がありました。

「放電とともに真空度が上がり放電し難くなってX線の強度が落ちるが他方ではX線の硬度〔引用者注:物質を透過する度合いのこと〕が増す。そこでX線の強度と硬度を一定に保つために、X線管内の気圧を一定に保つ必要が生じ、そのための調節器が付けられた。封入した雲母等を加熱して気体を放出させ管内気圧を調節したのである。」 (永平・川合上掲書、p.280)

初期のX線管は、X線を生み出すために必要な電子を、管内にわずかに残っている気体の電離によって得ていました。そのため、気体の状態変化の影響を受けて、動作が安定しないという弱点を抱えていました。この点は、後に陰極を加熱し、そこから放出される「熱電子」を用いる方式の採用によって解決されましたが(この改良型X線管を「クーリッジ管(熱陰極管)」と呼びます)、初期にあっては、この調節器によってその弱点を補っていたわけです。

   ★

…と、知りもしないことを、さも知っているように書くものではありません。

そもそも私の場合、放射線とX線の関係や、X線の正体とは?というレベルにとどまっているので、昔の「X線遊び」に興じた人たちを笑う資格は全くありません。迂闊な話です。でも、こうしていろいろ調べたおかげで、X線のことがボンヤリ分かりました。

今さら感はありますが、一応おさらいしておきます。

この「怪光線」は、文字通り「光」、すなわち電磁波の一種です。
そして、一口に「放射線」といっても、そこにはX線やガンマ線のような電磁波の仲間(電磁放射線)と、アルファ線やベータ線のような物質粒子の流れ(粒子放射線)の2種類がある…というのは、3.11のとき耳にした記憶がありますが、忘れかけていました。
また、他の放射線が放射性物質の崩壊によって生じるのに対し、X線は電子が高速で金属にぶつかったときに生じるというように、その発生源が異なることも、今回認識を新たにしたことです。

(X線管の祖先に当るクルックス管。「クルックス氏」と「氏」の字が入るのは、古風な呼び方。島津の理科教材カタログ(昭和12=1937)より)

さらに、理科室趣味の観点からいえば、愛すべき「クルックス管」とX線管は、元々同じもので、X線をより効率的に発生するよう進化したクルックス管を、特にX線管と呼んだという歴史的経過や、この初期のX線管(=クルックスX線管)が、1930年代まで教育現場で使われていたことも知りました。

以上を以て、今回の収穫とします。


改めてガラス球に目をやれば、電子の流れとX線の放射が、今や目に浮かぶようです。