ハッカ風味の星のシガレット2016年01月30日 07時49分57秒

今朝…といっても、日が昇る前の真っ暗な時間帯ですが、その真っ暗な空の底から、かすかに青味が差してくる気配を感じながら、傘を杖代わりに、コツコツと黒い街を歩いていました。

別に夜の散歩者を気取ったわけではなくて、よんどころない事情があったせいですが、雨に濡れた道路にボンヤリと街灯が反射し、あたりの空気がいかにも「森閑」としているのが、心地よいと思いました。

昔は、昼と夜の境がはっきりしていて、夜が更ければ、町場でも森閑とした空気に事欠かなかったと思うのですが、今ではその辺のけじめがなくなって、森閑さを求めようと思ったら、未明の街をさまよわねばなりません。今でも夜と朝の境目は、かなり明瞭に残っているようです。

夜の散歩者も、今では「朝の散歩者」たらざるを得ず、すこぶる健康的になった観があります。

   ★

さて、森閑とした夜の散歩者に似合う、エフェメラルな星の世界。


上はサザンクロス、すなわち南十字星を描いたシガレット・パッケージです。
メーカー名の「M.B.C.」については詳細不明(中国タバコかもしれません)。いずれにしても、戦前のものです。

昨日の「巴館」のマッチラベルとカラーリングが似ており、こちらもミントの清涼感にあふれた佳品。タイトルに書いたように、実際にハッカ風味だったかどうかは不明ですが、もしそうだったら素敵ですね。


南十字星は、それ単独で「みなみじゅうじ座」という星座になっていて、これは全天でいちばん小さい星座です。南天を流れる濃い銀河の只中に浮かび、その縦棒はまっすぐ天の南極を指しています。

パッケージでは右下に見える濃紺の雲状のものは、おそらく「コールサック(石炭袋)」の名で知られる暗黒星雲。実際には十字の左下に位置するので、これだと裏焼になってしまいますが、おそらくはデザイン上の要請で、左右の位置を変えたのでしょう。

   ★

ここがジョバンニたちを乗せた銀河鉄道の終着駅です。

コメント

_ S.U ― 2016年01月30日 09時01分35秒

これはコールサックのイメージなのですか。天体の形をここまで引用するとは珍しいです。
 私は、第一印象で南洋諸島の島の形かと思いましたがそうではないようです。椰子の葉陰のかたちでもたぶんないです。

 業務連絡の件、了解しました。ご面倒をおかけいたします。

_ 玉青 ― 2016年01月31日 16時13分21秒

しっかり調べたわけではありませんが、昭和戦前の人にとって南十字星の名はわりと親しい存在だったらしく、また南十字がメディアで紹介されるときは、おそらくコールサックの話題も抱き合わせで出たと思うので、パッケージデザインとしても「あり」じゃないでしょうか。

今、試みに「南十字」をタイトルに持つ書籍・雑誌を国会図書館で検索すると、明治・大正期には全然なくて、最も古いのが
○鶴田雅二 著『南十字』(向山堂書房、昭和3)
という本でした。こうした本が生まれた背景には、おそらく大正11年に、南洋諸島が日本の委任統治領になり、国内の目がにわかに南方に向いたことがあるのでしょう。

そして、このあとは、
○安藤盛 著『南十字星に祷る』(伊藤書房、昭和8)
○古田中正彦 著『南十字星:南洋紀行』(アトリヱ社、昭和9)
○築地藤子 著『南十字星の下に:少女小説集』(古今書院、1939.6)
という風に続きます。この時期の基調はもろに「南方憧憬」ですね。

その後、
○南洋一郎 著『南十字星の下に:開拓冒険』(偕成社、1941.6)
と、「南方経営」に軸足が移っていき、

さらには
○陣中新聞南十字星編輯部 編『南十字星文芸集:比島軍派遣軍 陣中新聞. 第1輯』(比島軍派遣軍宣伝班、1942.6)
とか、
○高石寛夫 著『南十字星:詩集』(日本歌謡詩報国会、昭和18)
のように、文芸や詩の世界もすっかりきな臭くなって、南方への憧れは悲惨な結果に終わります。

こうした史実の中に例のシガレットを配すると、カッコいいとばかりも言っておられませんが、まあ星に罪はありませんし、記事中ではあえて触れませんでした。

_ S.U ― 2016年01月31日 19時21分27秒

私が子どもの頃にはもちろん「ラバウル小唄」はもう追憶の歌になっていましたが、それでも「南十字星」はけっこう有名でした。現在よりは間違いなく格段に有名だったでしょう。「南十字の星に泣く」という流行歌があったのを憶えています。今調べて聴いてみると、これはハワイアン歌手である日野てる子の歌で、ハワイアンというよりはブルースです。それから、西城秀樹が「南十字星」という歌を歌っていたのがついでに引っかかりましたが、これは私の記憶にはありませんでした。さすがに西城秀樹になると戦前とは切り離されたイメージですが、両方ともまずまずよい曲でした。

 それから、当時大人気だったゴジラをはじめとした怪獣映画で、キングコングもモスラも南洋の島から日本にやってきました。こういうのにも戦時中からの南洋への親近感というのが(いくぶん屈折ししながら)当時はまだ引きずっていたのではないかと思います。

_ 玉青 ― 2016年02月01日 20時15分35秒

『南洋(叢書・イメージの昭和史 第3巻)』(ちくま、2007)
…というのは、今でっち上げた架空の本ですが、あってもおかしくはないですね。
いや、本当にあるかもしれません。

ある年齢より上の人にとって、「南方」といえば「雄飛」と「戦死」、「南洋」といえば「土人」…というステロタイプな連想が働くと思いますが、その強烈な文化的負荷に注目し、文芸や映像などに描かれたイメージを一通りなぞるだけでも、なかなか興味深い本ができそうです。そして、その中では南十字星についても、当然一章をもうけねばなりませんね。

(とはいえ、なんだかミントの清涼感が、だんだん昭和歌謡の濃い味わいに置き換わっていくようで、複雑な思いです。)

_ S.U ― 2016年02月01日 22時20分48秒

>ミントの清涼感が、だんだん昭和歌謡の濃い味わいに
 申し訳ないです・・・(笑)。どうも私の近現代史と日本民俗学のベースの一つとして実体験としての昭和歌謡史があるらしく、こちらのほうが「趣味」としては他分野よりも古いのでついついいかんともしがたく触れてしまいます。

 ただ、昭和歌謡にもハッカの香りのする曲はいくつかあり、それらはどちらかというと南洋ではなく大陸方面(上海租界、満州、シベリア国境)のほうにあるようです。また触れさせていただく折りもありますでしょう(←反省してない)。

_ 玉青 ― 2016年02月02日 20時32分11秒

あはは。
どうぞ大陸に雄飛して、またご議論の続きをお願いいたします。(^J^)

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