日時計と水鳥2016年03月01日 06時56分50秒

春だなあ…と思っていたら、寒気がどっと流れ込んできました。
こういうのも、この時期ならではと感じます。

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ところで、昔、日時計に春を感じる…というようなことを書いた覚えがあります。
探してみたら、それは5年前の2月1日でした。

■日時計のおもてに春日は暮れ難し
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/02/01/5658945

5年前の自分は、ひと月早く春を意識したようです。
その年がたまたま暖冬だったのか、あるいはこの5年で寒がりになったのか、加齢を考えると、どうも後者っぽいですが、ちょっと興味深いです。

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で、今年は1か月遅れで日時計の登場です。


直径45ミリの小さな銀色の懐中日時計。
19世紀末のフランス製で、素材はニッケルのようです。


蓋をぱかっと開けると、南北を定める方位磁針、時刻を読む目盛り、そして横倒しにして格納できる、太陽の影を読むための「針」がその上にセットされています。

この日時計の針を、西洋ではgnomon(元のギリシャ語にならえばグノモン、英語式に読めばノーモン)と呼び、東洋では「晷針(きしん)」という難しい字を当てるそうですが、ここではシンプルに「時針」と呼ぶことにします。


この時針をよく見ると、一羽の水鳥が寄り添っています。
水鳥のくちばしが、また指針になっていて、時針の仰角を土地の緯度に合わせることができる仕組みです。


この時針をパチンと垂直に立てて、太陽の影から時刻を読みます。
緯度イコール北極星の高度ですから、時針の斜辺を北極星の高度に合わせれば、斜辺は地軸と平行になり、太陽はこの線分を中心に日周運動をすることになります。そうすることで、太陽の影をいちばん読み取りやすくするわけです。

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水鳥を時針にあしらう(あるいは時針そのものを水鳥の形にする)デザインは、日時計にあっては非常にポピュラーなものらしく、あちこちで見かけます。でも、なぜ水鳥なのか…というのは、パッと検索した範囲では分かりませんでした。

試みに、手元の『イメージシンボル事典』を引いたら、goose(ガチョウ、ガン)」の項目のいちばん最初に、「〔象徴〕 母性、創造、豊饒、太陽を表わす」とあって、ひょっとしたらそういう意味合いなのかもしれません。

事典の記述を読むと、イソップ童話に「金の卵を産むガチョウ」(よくばりな百姓が、金の卵を産むガチョウを殺して、腹から金を取り出そうとしてしくじる)というのがありますが、あの話はエジプトにいっそう古いルーツがあって、エジプトでは太古、混沌のガチョウが鳴き交わして金の卵(太陽)が生まれた…という創造神話があるのだそうです。

日時計に表現された水鳥の姿の背後に、そういう歴史があるのかないのか、まあここではロマンも含めて、「ある」と考えておくことにしましょう、


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ちなみに「水鳥」は冬の季語。でも、「水鳥の巣」になると夏の季語だそうです。
そして「白鳥帰る」は、春の季語。
そろそろ白鳥の北帰行が話題になる時期です。

【2016.3.3 付記】
 コメント欄でご教示いただき、日時計に寄り添う「水鳥」の正体が分かりました。正解は水鳥ではなく「雌鶏」。まことに先達は偉大であり、あらまほしきものです。

5年目の3月によせて2016年03月02日 21時47分04秒

私がのんびり日時計に春を感じていた5年前。
2011年の3月も、11日を迎えるまでは、至極のんびりしていました。
いや、当時は当時でいろいろあったはずですが、その後の出来事にくらべれば、まったくのんびりしたものでした。

そして、11日を境に世の中は大きく様変わりし、その様変わりした世の中を、私たちは生きています。あれは決して過去に属するのではなく、現在と地続きの出来事です。福島でも、宮城でも、岩手でも。

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「陸中野田」 地質図。
昭和37年(1962)、国の地質調査所(現・地質調査総合センター)が発行したもので、岩手県の北部、九戸郡野田村を中心に、久慈市から下閉伊郡普代村にまたがるエリアを図示しています。


図の北端、久慈市の小袖海岸が「北の海女さん」の活動地で、ドラマ「あまちゃん」の舞台にもなりました。久慈市街はこの図の北側に離接しています。


あの震災で、陸前高田市や大槌町、釜石市では千を超える犠牲者が出ました。
久慈市にも高さ8メートルを超える大津波が押し寄せ、市内では5名の方が亡くなり、野田村では実に39名もの方が亡くなられています。

歴史を振り返れば、岩手県沿岸部は、たびたび津波の被害を受けた土地で、明治29年(1896)の三陸沖地震の際の津波は、実に死者1万8千名余りという大惨害でした。今からちょうど120年前のことです。

地球が秘めた巨大な熱エネルギーは、地殻と海水の運動エネルギーに変換され、人間の生活をこれまで何度も打ちのめしたのです。

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右手の濃いオレンジ(Gpk)とピンク(Gk)の層は、中生代・古白亜紀に属する「花崗斑岩」と「角閃石黒雲母花崗岩」。その隣の薄いオレンジ(KUI)は「久喜層)礫岩」、薄茶(Mu)は「礫岩・砂岩・泥岩および凝灰岩」、茶(MI)の層は「港層)礫岩」で、いずれも新生代・古第三紀のものです。

さらに野田村の内陸部に続く、S、Ku、Km、Kl、Tの各層は、いちいち名称は挙げませんが、いずれも約8千万年前の新白亜紀に属し、「久慈層群」と総称されます。名高い久慈の琥珀もここから産出します(商業ベースの鉱稼働は既に終了しているので、「産出した」と、過去形で書くのが正しいかもしれません)。


各時代の地層が帯状に並んでいるのは、地下でこんなふうになっているからです。
堂々たる花崗岩体。巨大な久喜断層。複雑な地層輪廻…。

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大地の物語は、ヒューマンスケールを超越しており、人間の物語とは通常交わることがありません。だからこそ、大地も人間も安心して、お互いのペースで生きられるのでしょう。

でも、ときに二つの世界が交錯し、大地の物語が人間の物語を侵食することがあります。それは、人間が大地の物語を直接目にする得難い機会ですが、本来交わるべきでないものが交わると、多くの場合、悲劇で終わるのが常で、地震や噴火もその例に漏れないと感じます。

平行世界2016年03月03日 20時48分41秒

どんなに大地が動こうが、火口から溶岩が噴き出そうが、
単にそれだけならば、人間には無害です。

―それが1万年、1億年かけて生じる出来事ならば、という条件付きですが。
そして、それが1分、1秒で生じるとなると、途端に人間生活に干渉してきます。

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昨日書きたかったのは、異なるスピードで時の流れる世界が並存している不思議さ…みたいなイメージでした。でも、よく考えたら、これは自分の頭で考えたことではなくて、昔、小説や漫画で読んだ記憶が残っていたのだと思います。

すぐに思い出すのは、たむらしげるさんの短編作品「クジラの跳躍」です。

(河出書房新社刊 『水晶狩り』 所収)

人間には感じ取れぬほどゆっくり波打つガラスの海。
空中で静止したトビウオの群れ。
何日もかけて徐々に海上に姿を現す巨鯨。
その姿を一目見ようと集まる群衆。


同じ海には大型客船が浮かび、「彼ら」とは異なるタイムスケールで生きる人々が乗っています。そんな人々の視界を一瞬かすめて跳んだクジラ。


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たむらさんが描きたかったのは、何かの寓話というよりは、一個の美しいイメージだと思いますが、考えてみれば、すぐそばにいるのに、決して言葉を交わすことのない人、お互いの存在すら意識しない人は大勢います。この物語が心に残るのは、そういう生の真実を捉えているからでしょう。

クジラの跳躍を、かりそめのことと思う人もいれば、永遠と感じる人もいる。
クジラは「震災」の隠喩にもなるし、他にもいろいろなメタファーとなって、そこに新たな意味を付与することができます。(でも、こういうのはあまり理屈で解釈してはいけないかもしれません。)

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ちょっと見方を変えると、「異なるスピードで時が流れる世界の並存」は、この宇宙ではごくありふれた光景です。電車に乗っている奥さんと、家で帰りを待つ旦那さんでは、腕時計の進み方が違うことをアインシュタインは説き、これまでの実験結果は、全てその正しさを裏付けています。(原子時計を使わなくても、その正しさは容易に体感できます。)

(何だか要領を得ませんが、このところ頭がいつもボンヤリします。)

琥珀色の時間2016年03月04日 20時07分10秒

久慈で産出した未加工の琥珀原石。


これは以前、東急ハンズで買いました。たぶんハンズは、久慈で唯一琥珀の採掘を続けている上山(かみやま)琥珀工芸店さんから仕入れたのでしょう。


一昨日の地質図に付属する解説書(昭和37年=1962発行)には、琥珀のことがこう書かれていました。

 「琥珀  久慈の陸薫(くりのご)とよばれ、その産出は古くから知られている。琥珀は久慈層群の種々の層準に含まれ、まれながら野田層群からも石炭に伴って産出する。多くの場合、石炭や炭物質に富む泥岩に伴って産する。現在では琥珀の採掘は行われていないが、玉川層中のものを稼行した跡がみられる。」

昭和30年代には、久慈における琥珀の採掘は、ほぼ廃滅状態にあったようです。

その後、昭和50年代に入り、地元の町おこしの努力の中で、東京から企業を誘致して、輸入琥珀の加工販売を始めたり、琥珀博物館をオープンしたり(博物館の経営母体は、もともとソ連と琥珀取引をしていた企業の関連会社だそうです)、さらに地元産の琥珀に愛着を持って、再び採掘を始める上山氏のような人が現れたりして、現在の「久慈といえば琥珀、琥珀といえば久慈」という観光ブランドが成立したという話。

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有名なバルト海沿岸の琥珀が、ざっと3千5百万年前の「新生代第三紀」に由来するのに対し、久慈の琥珀は、8千5百万年もの時を経た「中生代白亜紀」のものですから、その歴史と風格において、一段まさっています。


琥珀は他の化石と違い、透明で内部を覗き込めるところがいいですね。

光にかざせば、琥珀の内部にも光がいっぱいに満ちて、「この中に8千5百万年の時が封じ込められているのか…」と、容易に思いを馳せることができます。

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琥珀を見ると、すぐ琥珀色の液体に連想が飛び、さらには連想するだけで終わらず…
あまり褒められたことではないんですが、この人造琥珀液の中にも、一定の「時」が封じ込められており、いろいろ思いを馳せるには良い相手です。


まあ、「琥珀を見ると琥珀色の液体を飲みたくなる」というのは嘘ではないですが、琥珀を見なくても飲みたくなるので、なんだかんだで中身はすぐ減ってしまいます。



何だか分からないけどスゴイ天球儀2016年03月05日 08時48分42秒

現在進行中のオークションに干渉することは、極力避けているのですが、しかし、即落価格が設定されているのに、依然どなたも落札される気配がないので、これはご紹介しても良いでしょう。

eBayで、ある天球儀を見かけました。

何だか分からないけどスゴイ(Not sure what it is for sure. It looks great.)
…と、売り手自身が書いているので、見ているほうも何だか分からないのですが、確かに珍とするに足る品です。

(以下、画像寸借)

カボチャの天球儀。
小さなパンプキン(直径約5センチ)の表皮に星座をカービングして、そのまま乾燥させたもののようです。


しかし、そもそも、なぜこんなものが作られたのか?

採れたカボチャが、あまりにも真ん丸だったので、作り手は何か丸いものを作ろうと思った。そして、彼(彼女)はカボチャと同時に星を愛していたので、ふと両者を合体させようと思った。…そんな想像も浮かびます。

アメリカの西の端、ワシントン州に住む売り手は、いろいろな古物を雑然と商っている方のようです。このカボチャも、おそらく他の古物と一緒に、無造作に彼のもとに持ち込まれたのでしょう。いずれにしても、経緯・来歴は一切不明で、何だか分からないけどスゴイとしか言いようがないものです。

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昔、カボチャで天球儀を作る専門の職人がいた…とは思えませんが、昔、カボチャと星を愛する人は確かにいました。そのことを偲ぶよすがとして、この天球儀は存在する価値があります。

70ドル出して、カボチャと星を愛した人の形見を手に入れたいと思われた方は、どうぞ以下のページへ(値引き交渉も可能です)。



文化を覗き見ること、最早叶わず。2016年03月06日 15時56分38秒



高さ20センチの古い木箱。


上下スライド式の扉には「文化顕微鏡」の文字。
この品は、過半この古風な文字に惹かれて買ったようなものです。


中身は当然ながら顕微鏡。


接眼レンズも対物レンズも固定された、戦前の児童・生徒用の小型顕微鏡です。


それにしても、時の流れの何と容赦ないことか。
かつて子供たちの憧れを一身に集めたであろう、つやつやしたボディも、今や錆と剥げが著しく、無残な姿です。




その鏡の面はすっかり曇り、


もはや文化の影を映さず。
嗚呼、文化教養ノ果ツルトキ、文化顕微鏡モ亦其ノ身ヲ空シクセムト欲スル乎…

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ときにこの文化顕微鏡。
その大時代な名称と箱の書体から、いかにも明治・大正チックな匂いがしますが、特許番号を頼りに調べたら、昭和3年(1928)に作られたもので、存外新しいものでした。



何が新案特許で、何が文化かというと、光学系は特に関係なくて、鏡筒を上下してピントを合わせるラック・ピニオン機構に一工夫した点が新しい…ということのようです。

ラテンアメリカの星2016年03月08日 20時22分34秒


(1894年の消印を持つ古絵葉書)

ラプラタ川の河口に開けた、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス。
その郊外に立つ、アルゼンチンで2番目に古い天文台が、このラプラタ天文台です。

(以下は英語版ウィキペディア他の拾い読み。)
ラプラタ天文台の前身は、1872年に創設されたアルゼンチン国立気象局です。
その後、1882年に生じた金星の太陽面通過を観測するために、フランスの遠征隊がやってきて、アルゼンチンと共同観測を行なったことをきっかけに、この地に天文台建設の議が起こり、1883年から建設が始まったのが、このラプラタ天文台だという話。そのこともあってか、同天文台の初代台長には、フランス人のFrancisco Beufが抜擢されています。

(実に堂々たる姿)

いっぽう、アルゼンチンでいちばん古い天文台は、ブエノスアイレスから北西に650キロほど入った「コルドバ天文台」で、1871年に創設されました。

(コルドバの位置)

コルドバ天文台の建設を推し進めたのは、当時のアルゼンチン大統領、ドミンゴ・サルミエント(1811-1888)で、同天文台の初代台長として白羽の矢が立ったのは、アメリカ人、ベンジャミン・グールド(1824-1896)でした。ラプラタ天文台の前身である、アルゼンチン国立気象局を立ち上げたのも、この二人の協力によるものです。

(コルドバ天文台。Wikipediaより)

その後、コルドバ天文台は、南天恒星の詳細なデータをまとめた「コルドバ星表」の刊行によって、天文学史に大きな足跡を残しました。

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こうして、19世紀の後半、日本で新式の天文台が産声を上げつつあったとき、地球の裏側のアルゼンチンでも、為政者の手で、天文学の近代化が急速に進められつつありました。

この進歩的な自由主義者にして、文人政治家のサルミエント大統領は ―政治家としての総体的手腕はさておき― その学問・教育分野における功績において、実にめざましいものがありました。

コルドバ天文台の開所式における、彼のスピーチも、「もし、私が基礎科学の発展を支持しなければ、文明諸国の仲間入りという理念を放棄したことになる。」というもので、その壮志たるや、まことに天晴れです(小暮智一著、『現代天文学史』、p.62)。

時代背景が異なるので、直接比べることはできないでしょうが、ひるがえって現代の為政者はどうか…というのは、当然脳裏に浮かぶところで、何だか最近みみっちい話が多いんじゃないか、こんなことでは「文明諸国」から弾き出されるんじゃないかと、いささか侘しい気持ちにもなります。

カモメと南十字2016年03月09日 19時00分12秒



アルゼンチンの続きで、1枚の切手を載せます。


碧く澄んだ空。カモメ。南十字。
北十字が白鳥なら、南十字はカモメ…というわけでもないでしょうが、とてもスッキリとした好いデザインです。

この愛らしい小芸術は、1966年発行の「アルゼンチン海軍航空学校・創立50周年記念切手」。ちょうど50年前が50周年ですから、同校は今年で100周年を迎えることになります。1916年2月11日がその創立記念日で、場所はやっぱりラプラタだとか(https://en.wikipedia.org/wiki/Argentine_Naval_Aviation)。

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カモメと飛行機乗りというと、年配の人は「どこで死ぬやら果てるやら…」という「ダンチョネ節」の一節を思い出したり、「私はカモメ」のテレシコワさんを連想したりするかもしれません。そこには、自由に空を翔けながらも、何となく寄る辺ない感じが漂っています。

以前、群れ飛ぶカモメに深い寂寥感を感じたのも、やっぱりアルゼンチンの光景でした。


(画像再掲)

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昨日はドミンゴ・サルミエント大統領を大いに持ち上げましたが、アルゼンチンの政情は一貫して不安定で、国の歩みは苦難続きでした。
空をゆくカモメ、天をめぐる星を見上げて、深く吐息を漏らしたアルゼンチンの人も、きっと多かったのではないでしょうか。

カモメ飛ぶ港町の香り2016年03月10日 20時45分06秒

今日はカモメつながり、小芸術つながりです。


戦前の神戸製マッチラベル。
描かれているのは、まぎれもなく神戸の風景でしょう。
六甲の山並み、穏やかな海、汽船からたなびく煙、そしてカモメ。

潮の香と、遠い異国への夢が、画面から匂い立つようです。
そして実際、このマッチラベルはイギリスからの里帰り品なので、一度は「異人さん」のポケットに収まって、遠い異国の地を踏んだ品です。

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マッチラベルの背景に、こんな本を置いてみました。


■成田一徹(切り絵・文)『神戸の残り香』
 神戸新聞総合出版センター、2006

今もあちこちに残る「古き良き神戸」の面影を、味わいのある切り絵と文章で綴った画文集です。作者の成田氏は1949年生まれで、まださほどのお歳ではなかったのですが、2012年に惜しくも急逝されました。


表紙絵のテーマは「海岸ビルヂング」。
明治44年に建った元貿易商館のたたずまいに、明治人の矜持を見た成田氏は、そこにご自分の空想をちょっとまぶして、作品としています。

 「絵の中の赤絨毯と誇らしげな足どりのソフト帽の男は、もちろん良き時代の神戸を夢想した僕のファンタジーだ。」

うーむ、実に洒落てますね。
こんなふうに、ついファンタジーをまぶしたくなるのが神戸であり、そして、まぶしがいのある町が神戸なのでしょう。

この5年間2016年03月11日 06時49分58秒

このブログが始まって10年ということは、ちょうど「プレ3.11」と「ポスト3.11」に等分されるということです。そして、柄にもなく(且つブログの趣旨とずれるにも関わらず)、政治向きのことを口にするようになったのは、「ポスト3.11」の大きな特徴でしょう。

はじめは確か、震災対応で日本中がてんてこ舞いの最中、大阪維新の会が「君が代起立条例」を提出したと聞いて、「この大変なときに、他にやることはないのか」と噛みついたのが最初だった気がします。

その後、特定秘密保護法案があり、残業代ゼロ法案があり、安保関連法案があり、マスコミ攻撃があり、大学攻撃があり、原発再稼働があり…と書いていると、まさに肌に粟を生じます。

「天文古玩」はいわば呑気の問屋みたいなものですが、その「太平の逸民」にして、これほど危機感を覚えるということは、世間はおしなべて危機の只中にあると見て間違いないでしょう。

天災による人心の動揺があったとはいえ、わずか5年にしてこの惨状。
国破れて山河在り、その山河をも破らんとする不徳義漢の行いにより、この国は民のかまどの煙はおろか、草一本生えぬ荒涼たる土地になりはしまいか…と怖れます。

世が乱れてくると、「一期は夢よ、ただ狂え」とばかりに、進んで狂い回る人も出てきますが、政治家自らが狂い回っていてはしょうがないわけで、もっと真面目にやれと、苦言を呈したいです。