平行世界2016年03月03日 20時48分41秒

どんなに大地が動こうが、火口から溶岩が噴き出そうが、
単にそれだけならば、人間には無害です。

―それが1万年、1億年かけて生じる出来事ならば、という条件付きですが。
そして、それが1分、1秒で生じるとなると、途端に人間生活に干渉してきます。

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昨日書きたかったのは、異なるスピードで時の流れる世界が並存している不思議さ…みたいなイメージでした。でも、よく考えたら、これは自分の頭で考えたことではなくて、昔、小説や漫画で読んだ記憶が残っていたのだと思います。

すぐに思い出すのは、たむらしげるさんの短編作品「クジラの跳躍」です。

(河出書房新社刊 『水晶狩り』 所収)

人間には感じ取れぬほどゆっくり波打つガラスの海。
空中で静止したトビウオの群れ。
何日もかけて徐々に海上に姿を現す巨鯨。
その姿を一目見ようと集まる群衆。


同じ海には大型客船が浮かび、「彼ら」とは異なるタイムスケールで生きる人々が乗っています。そんな人々の視界を一瞬かすめて跳んだクジラ。


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たむらさんが描きたかったのは、何かの寓話というよりは、一個の美しいイメージだと思いますが、考えてみれば、すぐそばにいるのに、決して言葉を交わすことのない人、お互いの存在すら意識しない人は大勢います。この物語が心に残るのは、そういう生の真実を捉えているからでしょう。

クジラの跳躍を、かりそめのことと思う人もいれば、永遠と感じる人もいる。
クジラは「震災」の隠喩にもなるし、他にもいろいろなメタファーとなって、そこに新たな意味を付与することができます。(でも、こういうのはあまり理屈で解釈してはいけないかもしれません。)

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ちょっと見方を変えると、「異なるスピードで時が流れる世界の並存」は、この宇宙ではごくありふれた光景です。電車に乗っている奥さんと、家で帰りを待つ旦那さんでは、腕時計の進み方が違うことをアインシュタインは説き、これまでの実験結果は、全てその正しさを裏付けています。(原子時計を使わなくても、その正しさは容易に体感できます。)

(何だか要領を得ませんが、このところ頭がいつもボンヤリします。)