ラテンアメリカの星2016年03月08日 20時22分34秒


(1894年の消印を持つ古絵葉書)

ラプラタ川の河口に開けた、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス。
その郊外に立つ、アルゼンチンで2番目に古い天文台が、このラプラタ天文台です。

(以下は英語版ウィキペディア他の拾い読み。)
ラプラタ天文台の前身は、1872年に創設されたアルゼンチン国立気象局です。
その後、1882年に生じた金星の太陽面通過を観測するために、フランスの遠征隊がやってきて、アルゼンチンと共同観測を行なったことをきっかけに、この地に天文台建設の議が起こり、1883年から建設が始まったのが、このラプラタ天文台だという話。そのこともあってか、同天文台の初代台長には、フランス人のFrancisco Beufが抜擢されています。

(実に堂々たる姿)

いっぽう、アルゼンチンでいちばん古い天文台は、ブエノスアイレスから北西に650キロほど入った「コルドバ天文台」で、1871年に創設されました。

(コルドバの位置)

コルドバ天文台の建設を推し進めたのは、当時のアルゼンチン大統領、ドミンゴ・サルミエント(1811-1888)で、同天文台の初代台長として白羽の矢が立ったのは、アメリカ人、ベンジャミン・グールド(1824-1896)でした。ラプラタ天文台の前身である、アルゼンチン国立気象局を立ち上げたのも、この二人の協力によるものです。

(コルドバ天文台。Wikipediaより)

その後、コルドバ天文台は、南天恒星の詳細なデータをまとめた「コルドバ星表」の刊行によって、天文学史に大きな足跡を残しました。

   ★

こうして、19世紀の後半、日本で新式の天文台が産声を上げつつあったとき、地球の裏側のアルゼンチンでも、為政者の手で、天文学の近代化が急速に進められつつありました。

この進歩的な自由主義者にして、文人政治家のサルミエント大統領は ―政治家としての総体的手腕はさておき― その学問・教育分野における功績において、実にめざましいものがありました。

コルドバ天文台の開所式における、彼のスピーチも、「もし、私が基礎科学の発展を支持しなければ、文明諸国の仲間入りという理念を放棄したことになる。」というもので、その壮志たるや、まことに天晴れです(小暮智一著、『現代天文学史』、p.62)。

時代背景が異なるので、直接比べることはできないでしょうが、ひるがえって現代の為政者はどうか…というのは、当然脳裏に浮かぶところで、何だか最近みみっちい話が多いんじゃないか、こんなことでは「文明諸国」から弾き出されるんじゃないかと、いささか侘しい気持ちにもなります。

コメント

_ S.U ― 2016年03月10日 07時38分10秒

>何だか最近みみっちい話
 全く同感でありまして、昨今は政治のみならず、学問研究についても短期的成果を求めたり研究業績を1~2年で評価したりするみみっちい話が多いです。人類全体のための政治、学問という視点がすっぽり抜け落ち、次年度の予算の配分を考えることだけに腐心しているためにこういうことが起こるのでしょう。

 ボン星表からコルドバ星表の完結までには70年を要したそうですが、今日の天文学が着実に先端科学の地位を確保しているのはこういう先達の努力に土台があることをしっかり認識して行動してほしいものです。せっかく認識していても、わざわざ逆の行動を取る人が多いのは困ったものです。

_ 玉青 ― 2016年03月10日 20時51分23秒

S.Uさんに同感していただければ甚だ心強いです。
まあ、「小学問」ならば小さな財布でも間に合うかもしれませんが、「大学問」にはそれなりの財布がいるわけで、その辺をはき違えると、いたずらに「死に金」が増えて、結句損だ…ということになりかねない気がします。

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