めぐる命2016年03月19日 15時01分36秒

しばらくぶりに家でノンビリしています。
雨が上がり、空をゆく輪郭のぼやけた雲に、のどかな春を感じます。

こうして春が来て、夏になり、秋が来て、冬が来る。
仕事で忙しい忙しいと言いながら、その仕事だって、いずれは終わります。
そして、ぼんやりと季節の移ろいを眺めながら、死んでいくのでしょう。

私ぐらいの齢だと、まだ自分の死をそれほど切実に感じませんが、それでも他者の死はこれまでずいぶん目にしました。人はやっぱり死ぬものです。電車の中でも、「100年後には、ここにいる人はみんな居ないのだなあ…」と、何だか妙にしみじみすることがあります。

   ★

命の不思議さを封じ込めた木箱。


中身は蛙の発生過程を示すプレパラート標本です。



受精卵から、桑実胚、嚢胚を経て原腸胚まで10枚がセットになっています。


第1プレパラートの受精卵と第10プレパラートの原腸胚後期の比較。
たった1個の細胞が分裂を繰り返し、消化管の基礎である原腸が形成される段階まで、通常の環境だとおよそ3日以内に完了します。

しかし、この3日間で個体が経験するものの何と大きなことか。
個体発生が系統発生を繰り返すというのは、今や古風な学説かもしれませんが、それでもやはりその変化は、単細胞生物から多細胞生物へという、何億年にも及ぶ進化の歴史に匹敵する大した「事件」なのだと思います。


このパースペクティブは、生命に刻まれた「時間」そのものです。

原腸胚のあとは、神経管が形成される神経胚、口と尾が形成される尾芽胚を経て、1匹のオタマジャクシになります。そしてその身体はさらに変化を続けてカエルとなり、次の世代を産み落とし、死んでいきます。

   ★


メーカーの科学共栄社は、験電瓶の項に既出(http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/05/20/7317102)。


コメント

_ S.U ― 2016年03月20日 08時20分59秒

>電車の中でも、「100年後には、ここにいる人はみんな居ない
 人生80年を長いと見るか短いとみるかは人次第ですから、3日の発生過程を長いと見るか短いと見るか、カゲロウの成虫期間をどう見るかもカエルさんやカゲロウさん次第かもしれません。彼らに尋ねてみられないのが残念です。

 私について言えば、30年以上前の学生~青年時代に買った道具がそれほど劣化せずに今も手元にあり、それを今後さらに30年使い続けることは私には至難の事でしょうから、人生が長いとは言えないような気がします。でも、それまでに早々にくたびれて耄碌してしまう可能性も大きいのでそのような期間が長いこともまた望みません。難しいところです。

 ところで、素粒子物理学の歴史において、J/ψ中間子(ジェイ・プサイちゅうかんし)というのが有名です。この粒子は、1974年の発見当初、寿命が異様に長いのが謎で大騒ぎになった経緯があるのですが、その寿命たるや10のマイナス20乗秒(1垓分の1秒)くらいです。この時間は、J/ψ中間子さんが内心の葛藤を行うには十分すぎる時間なのでありましょう。

_ 玉青 ― 2016年03月20日 15時58分27秒

仮に私があと30年生きるとして、それは多くの虫たちにとって、30世代にも相当する時間ですから、結構な時間であることは間違いないですね。彼らにとって、桜の花は一生に一度見られるかどうかの、ハレー彗星みたいなものかなあ…と思うと、花の色もひときわ濃く感じられます。そして、その桜の花びらが散って、地面に落ちるまでの数秒間に、無限とも思える生成消滅を繰り返す存在もあるわけですね。「春の夜の夢の如し」と言いますが、春の夜の夢も、思えばずいぶん長いものです。50代で「早過ぎる死」を悼まれる人もあれば、10のマイナス20乗秒で長命を寿がれる素粒子もあり。まさに一瞬は永遠であり、永遠は一瞬。不思議です。実に不思議です。

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