原子を感じた日 ― 2016年04月11日 21時00分49秒
今、私が坐っている机の左手には幅広の本棚があります。
それぞれの棚には、本以外のものもゴチャゴチャ置かれていて、この前の薬匙以来、それを順番に記事にしているわけですが、左の棚が終ったら右の棚、机の下、後ろの棚、物入れ、押入れ…というふうに順番に「棚卸し」をしたら、ずいぶん気分がスッキリするだろうと思います。
平成になって28年、世紀が替わってからでも16年。
この間に増えたモノは、相応の量になっていて、それはその時々の自分の興味関心を物語るものですから、いわばちょっとした「モノで綴る自分史」です(ずいぶんかさばる自分史ですね)。
この間に増えたモノは、相応の量になっていて、それはその時々の自分の興味関心を物語るものですから、いわばちょっとした「モノで綴る自分史」です(ずいぶんかさばる自分史ですね)。
ゴチャゴチャの棚は、ゴチャゴチャした頭と心の反映のようにも見え、記事にすることでその素性来歴を整理したら、少しは頭の中も風通しが良くなるのではないか…という期待があります。
本当は買った順に時系列で並べると、文字通り自分史っぽくなるのですが、もはやその辺は分からないことが多くて、「ずいぶん昔」とか、「数年前」とか、「わりと最近」ぐらいの区別がボンヤリつくぐらいです。
★
今日のモノは「ずいぶん昔」に属します。絶対年代でいうと、平成の初めごろ。
これは何だといえば、ただの金属の球と立方体です。
素材は、銅、アルミ、鉛、ステンレス、真鍮。
銅・アルミ・鉛は言うまでもなく単一の金属であり、ステンレスは鉄にクロムを、そして真鍮は銅に亜鉛を混ぜた合金です。
素材は、銅、アルミ、鉛、ステンレス、真鍮。
銅・アルミ・鉛は言うまでもなく単一の金属であり、ステンレスは鉄にクロムを、そして真鍮は銅に亜鉛を混ぜた合金です。
これらは東急ハンズの「素材」コーナーに置かれていたもので、もともと何か決まった用途があるわけでもないのでしょう。
私も最初は、単なるオブジェのつもりで手にしたと思います。
でも、かわるがわる手に載せているうちに、ふと「同じ大きさなのに、ずいぶん重さが違うなあ」と思いました。そして「ああ、そうか」と思いました。別に空気が混ぜ込んであるわけでもなく、ギュッと詰まった金属なのに重さが違うのは、原子そのものの違いを手が感じ取っているのだと。
(鉛は自重で変形しています)
昔の科学者も、質量を有力な手掛かりに、物質の振る舞いの背後にある「世界の真実」を探求しましたが、このささいな経験によって、そのことが理屈抜きに直覚されたのでした。(もちろん原子量の話とかは、学校で教わったはずですが、それまであまり身になっていなかったのでしょう。)
こうした経験が下地になって、後に元素コレクションへの興味が派生するのですが、それはまた別のところで話題にします。
コメント
_ S.U ― 2016年04月13日 19時12分45秒
_ 玉青 ― 2016年04月14日 19時58分52秒
ええ、お任せください。常温で気体の元素や放射性物質なんかを除いて、ポピュラーな元素はたいてい手元にあります。…といっても、出来合いのセットを買っただけなので、別に威張るようなものではないんですが、それでも元素の「ズラッと感」は格別で、眺めていると、何だか自分が神様になったような気がします。
_ S.U ― 2016年04月15日 06時50分40秒
おぉ、それはさすがにすばらしいコレクション!
調べてみますと、密度最大はオスミウム、金属で最小はリチウムのようですが、これらは空気中で化合すると危険あるいは有害だそうです。これらも市販のセットに含まれているのでしょうか。
オスミウムやリチウムでも、安全にパックして平穏に置いておけば保管展示も可能なのでしょうが、本当に私がコレクションして展示したいのは、レプトンとかハドロンとかで、これは、陽子と電子以外はおもに寿命が短い理由で保管自体がどうしようもなく無理です。何かいい方法はないでしょうか。これができれば画期的です。
宇宙線や加速器を使って飛んでいる状態で見ることはできますが、こんなダダ流し状態では「コレクション」という感じがしません。
調べてみますと、密度最大はオスミウム、金属で最小はリチウムのようですが、これらは空気中で化合すると危険あるいは有害だそうです。これらも市販のセットに含まれているのでしょうか。
オスミウムやリチウムでも、安全にパックして平穏に置いておけば保管展示も可能なのでしょうが、本当に私がコレクションして展示したいのは、レプトンとかハドロンとかで、これは、陽子と電子以外はおもに寿命が短い理由で保管自体がどうしようもなく無理です。何かいい方法はないでしょうか。これができれば画期的です。
宇宙線や加速器を使って飛んでいる状態で見ることはできますが、こんなダダ流し状態では「コレクション」という感じがしません。
_ 玉青 ― 2016年04月16日 16時27分25秒
地震で気もそぞろですが、少し元素を眺めて気を落ち着けます。
手元のセットは66種の元素から成り、オスミウムとリチウムも含まれています(リチウムの方は小壜に油浸封入されています)。
素粒子コレクションを手元に置けないのは、素粒子ファンにとって残念至極でしょうが、まあ、その点は天文ファンも同じですよね。せいぜい眺めて楽しむか、データブックを凝視して密かに思いを寄せるか…。いつか相手に思いが通じたら素敵ですが、こればかりは片思いに終わるかも。
手元のセットは66種の元素から成り、オスミウムとリチウムも含まれています(リチウムの方は小壜に油浸封入されています)。
素粒子コレクションを手元に置けないのは、素粒子ファンにとって残念至極でしょうが、まあ、その点は天文ファンも同じですよね。せいぜい眺めて楽しむか、データブックを凝視して密かに思いを寄せるか…。いつか相手に思いが通じたら素敵ですが、こればかりは片思いに終わるかも。
_ S.U ― 2016年04月17日 19時00分05秒
すごいコレクションですね。
なおも食い下がりますと、リチウムは油に浮くのではないかと思いますが、密閉容器に油をいっぱいに満たしてあるのでしょうか。オスミウムは質量あたり金と同じくらいの値段のようですね。
天体は写真でみればきれいで識別も可能ですよね。素粒子はそれすらできないのが悔しいです。泡箱写真や衝突実験のグラフィックは美しいですが識別は専門家でも容易ではありません。でも、いつかは大勢の人に楽しんでもらえる展示法が見つかるのではないかと思っています。
なおも食い下がりますと、リチウムは油に浮くのではないかと思いますが、密閉容器に油をいっぱいに満たしてあるのでしょうか。オスミウムは質量あたり金と同じくらいの値段のようですね。
天体は写真でみればきれいで識別も可能ですよね。素粒子はそれすらできないのが悔しいです。泡箱写真や衝突実験のグラフィックは美しいですが識別は専門家でも容易ではありません。でも、いつかは大勢の人に楽しんでもらえる展示法が見つかるのではないかと思っています。
_ 玉青 ― 2016年04月18日 07時19分11秒
あ、S.Uさんに言われて改めて見たら、本当にリチウムだけプカリと浮いていました。
容器は小指の第一関節ほどの小壜で(サンプルもそれに合わせて小さいです)、そこにオイルが満たされています。でも輸送中の気圧の関係か、ほんの少し液漏れした形跡があって(蓋はネジ蓋です)、気泡が入っています。微量なので、まあいいかと思いますが…。
>素粒子はそれすらできない
うーむ、あとは心眼ですかねえ。
そして万人向けには、CGということになるんでしょうか。
逆に「見えない」ことの意味、「見える」とは何なのか、光子と他の粒子の相互作用の有様とか、「容器に収める」ことが出来ないのはなぜかとか、人々に考えてもらうきっかけになるかもしれませんね。
容器は小指の第一関節ほどの小壜で(サンプルもそれに合わせて小さいです)、そこにオイルが満たされています。でも輸送中の気圧の関係か、ほんの少し液漏れした形跡があって(蓋はネジ蓋です)、気泡が入っています。微量なので、まあいいかと思いますが…。
>素粒子はそれすらできない
うーむ、あとは心眼ですかねえ。
そして万人向けには、CGということになるんでしょうか。
逆に「見えない」ことの意味、「見える」とは何なのか、光子と他の粒子の相互作用の有様とか、「容器に収める」ことが出来ないのはなぜかとか、人々に考えてもらうきっかけになるかもしれませんね。
_ S.U ― 2016年04月18日 13時16分05秒
>心眼~CG~逆に「見えない」ことの意味
ご助言ありがとうございます。
以前にも申しましたが、確かにそればかりに熱中していますと、「心眼」では原子核がバスケットボールくらいの大きさに見え、陽子・中性子も野球のボールくらいの大きさには見えてきます。しかし、それには中島敦の「名人伝」にあるような修行が必要です(冗談です)。
そのような像をCG化すればよいのかもしれませんが、どんなリアルっぽいCGを作っても、たぶんますます現実のものとは受け取ってもらえないでしょうから、やはり逆手にとって「見えないこと」を売り物にするしかないでしょうか。そういうことでお客さんが納得してくれるかどうか・・・どうしても心配になります。
私たちが、「見えた」と実感するのは、オシロスコープに山型のパルスが見えた時、または実験データのグラフ上にやはり山型の構造が見えた時です。こういうのをもって体感してもらうというのが正攻法に当たるのかもしれません。
ご助言ありがとうございます。
以前にも申しましたが、確かにそればかりに熱中していますと、「心眼」では原子核がバスケットボールくらいの大きさに見え、陽子・中性子も野球のボールくらいの大きさには見えてきます。しかし、それには中島敦の「名人伝」にあるような修行が必要です(冗談です)。
そのような像をCG化すればよいのかもしれませんが、どんなリアルっぽいCGを作っても、たぶんますます現実のものとは受け取ってもらえないでしょうから、やはり逆手にとって「見えないこと」を売り物にするしかないでしょうか。そういうことでお客さんが納得してくれるかどうか・・・どうしても心配になります。
私たちが、「見えた」と実感するのは、オシロスコープに山型のパルスが見えた時、または実験データのグラフ上にやはり山型の構造が見えた時です。こういうのをもって体感してもらうというのが正攻法に当たるのかもしれません。
_ 玉青 ― 2016年04月19日 21時36分33秒
やっぱり大切なのは体験であり、体感ですね。
専門の研究者の方が粒子の存在をどう察知しているのか、ワークショップ形式で伝えるのが早道であり、参加者の満足度もいちばん高いかもしれません。(CGは便利な分、ときに「子供だまし」感が漂いますから。)
専門の研究者の方が粒子の存在をどう察知しているのか、ワークショップ形式で伝えるのが早道であり、参加者の満足度もいちばん高いかもしれません。(CGは便利な分、ときに「子供だまし」感が漂いますから。)
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といっても、二束三文では買えずそれなりの価格はしますが、1キロくらいはお小遣いで変える価格だと思います。純粋な物よりも混じり物のある合金のほうが安いかもしれません(密度は少し落ちます)。