地震学の揺籃期(2)2016年04月19日 21時23分37秒

地震はいっこう終息の気配がありません。
大地の下はいったいどうなっているのか、本当にもどかしいです。

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さて、前回のつづき。

地震のメカニズムにいっさい触れずに、『地震学』というタイトルの本を書けるか…と思われるかもしれませんが、著者・和達が述べるように、確たる拠り所となる理論が存在しない段階では、まず正確な観測データの集積に力を注ぎ、その中で理論化に向けて仮説検証を徐々に進めるという手順が穏当でしょう(もっとも、これは研究者の性格にもよるところで、割と初期の段階からバンバン理論化するのを好むタイプの人もいます)。

和達が本書で説いたのも、端的にいえば「地震観測学」であり、地震という現象を前にして、「何をどう観測するか」ということに、紙幅の大半を割いています。

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何を」というのは、もちろん「地震の揺れ」です。

当時の地震学について、「拠り所となる理論が存在しない段階」と書きましたが、昔から確実に分かっていることがありました。それは「地震は地面を媒質として伝わる波の一種だ」ということで、そこに物理学の一分科である波の理論を応用することができます。本書は5部構成になっており、総説的な第一編「総論及び統計地震学」(※)に続く第二編「地震波の理論」が、それを説く部分です。

(※)統計地震学とは、過去の地震の記録の収集と、そこから経験則、例えばどこで地震が起きやすいか、いつ起きやすいか等を導き出すものです。

(何かが書いてあるなあ…という以上のことは不明)

そこでは、地震波を理解する基礎として、横波・縦波、減衰伝播波、平面波・球面波・表面波等の概念を、弾性波動論に基づき、数式を使って詳しく説明しています。また「地震波線の理論」と題して、複層の同心球構造と見なされる地球内部を、地震波が伝播する際の振舞いや、走時曲線の話、震源決定の理論についても説き及んでいます。


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続く第三編は「地震計理論及び地震計」で、これは「何をどう観測するか」の「何を」と「どう」の両方に関わる話題です。

ここでも著者はいろいろ数式を立てて説明を加え(x、y、z の三方向の変位をξ、η、ζとするとき単位質量の物体に働く重力の成分は…云々)、そういう数理的説明こそ本書の眼目でしょうが、その辺はまったく私の理解の埒外にあるので割愛します。

しかし、たとえば「小学生が夏休みの工作で地震計を作る課題を与えられたら、どんな工夫をするだろうか?」とか、「中・高生だったら?」とか考えると、地震計というのは中々興味深い存在です。

地震計を作るには、最低限「不動点」が1個なければなりません。
つまり、どんなに地面が揺れても、揺れに影響されない基準点がなければ、地震の揺れを記録することはできません。それをどうやって作り出すか?

うまい具合に不動点を作れたとしても、地震そのものの記録は相当の難事です。
地震は横にも揺れるし、縦にも、斜めにも、上にも、下にも揺れます。
まっすぐ揺れるだけでなく、カーブを描くようにも揺れます。
そして時間経過の中で、大きく、小さく、素早く、ゆっくり、複雑な揺れ方をします。
それをまんべんなく捉える記録装置を、どうやったら作れるか?

これは特に1929年に時点を固定する必要もない話題ですが、でも揺籃期には揺籃期なりの素朴さや清新さもあって、ちょっとそこに注目してみます。

(ここのところまた記事が書きにくくなっているので、少し記事の間隔が空きます。)

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